11話 10月29日
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まだお昼には早いせいか、人通りは多いものの他の模擬店はあんまり混み合ってはない。
私のクラスのメイドカフェだけが異常な混み具合だったみたい。
メイド姿のクラスメイトたちも可愛かったし、食事も美味しそうなものばっかりだったからなあ。
自分の運んでいたサンドイッチやスコーンが頭によぎったところで、振動だけでお腹が鳴った。
……そういえば、仕事に夢中で何にも食べてなかったや。
隣で歩くヒル魔先輩をおそるおそる見上げる。
「あの、先輩……何か食べませんか?」
「随分早えな。まだ昼時でもねえっつうのに」
思い描いていた通りの反応を返したヒル魔先輩に、私はうっと詰まった。
やっぱりそう思うよね、まだこんな時間だもん。
ちらりと視線を上げると、天井にぶら下がる時計はまだ十時を指していた。
たしかにお昼には早い。けど……
「カフェで食べ物運んでたら、お腹空いちゃいまして」
本当はそれだけじゃない。
今私たちがいくつも通り過ぎてきた教室は、全部食べ物を扱う模擬店だった。
いい香りのする模擬店がこんなに軒並み連なってれば、たとえ食べ物を運んでなかったとしてもお腹は空いてたはず……!
それに、いつもは飲食禁止の校内が文化祭の間だけ特別に許されるっていうんだから、この機会に食べておかないとなんか損した気分になる!
そして更に言えば!
――ヒル魔先輩と、ちょっとデートっぽいことしたいなあなんて思ったり。
文化祭でのちょっとした食べ歩きが世の『デート』枠に含まれるのかは経験のない私には分からないけど。
でも、少なくともヒル魔先輩以外の異性とそうしたいなんて思えないから……私の中では『気になる人とのイベント』っていう位置付けになってる。
ヒル魔先輩はそんなこと思ってもないだろうけど。
すると渦中の先輩は肩を揺らして小さく笑った。
「なら適当に食べ歩くか。知らねえとこでつまみ食いされちゃ敵わねえかんな――どっかの誰かサンみてえに」
「なっ! 私はまもり先輩みたいなことはしませ…………あ」
「ケケケケケ! よく分かってんじゃねえか!」
ぽろりと口走ってしまった後に思わず手で押さえたけど、聞き逃してはくれなかったらしいヒル魔先輩がそれはそれは楽しそうにお腹を抱えた。
……『どっかの誰かサン』なんて、あえて名前を出さなかったのは先輩の罠だ。
つまみ食いと言えばまもり先輩、なんてことはアメフト部ではすっかり定着しちゃってる。主にヒル魔先輩のせいで。
本人が聞いてないとは言えからかいに便乗させられるなんて……まもり先輩、ごめんなさい。
心の中でまもり先輩に頭を下げてから、まだ笑っている最中の隣の人に向かってこれ見よがしに膨れてみせた。
「……先輩、意地悪です」
「そりゃ今更だな。ま、腹満たせることになったんだからいいじゃねえか」
「……そうですけどー」
先輩はまだ笑ってる。
さっきの話でっていうより、私の反応を見て笑ってる気がする。
本当にヒル魔先輩って人をからかうの好きだなあ。成功すると途端に嬉しそうになるし。
……今でこそ上機嫌ないつもの先輩だけど、屋上でのあの挙動不審感は一体何だったんだろう。
疑問の答えを見つけ出す前に、ひと笑いし終えた先輩が私に向き直った。
「なら沙樹の食いてえもん片っ端からいくぞ。何がいいんだ?」
「えーっと、じゃあ最初は唐揚げ食べたいです!」
「唐揚げだな。お、丁度そこにいいのがあんじゃねえか」
先輩が指した先には、手書きで大胆に書かれた『世界一(自称)の塩昆布唐揚げ』の文字。
初めて見たけどどう考えても最高に美味しそうな予感しかしない。
これはもう食べるしかない――って先輩、いつの間に売場の横に!?
何人か並んでるけど、それ割り込みじゃあ……あ、お店の人が血相変えて次々とカップに詰め始めた。
並んでる人たちも肩身狭そうに顔背けてる。
お金は……あ、『いりませんいりませんどうぞどうぞ!』みたいな素振りされてる。
こんなところでもヒル魔先輩の特権、大活躍だなあ。
悠々と戻った先輩が、手に持った戦利品をずいと差し出した。
「ほらよ。唐揚げ」
「あ……りがとうございます」
なんだかコントみたいでちょっと面白かった光景に笑いをこらえつつ、揚げたてをひと口頬張る。
「…………ん! これは!」
見た目は何の変哲もない唐揚げなのに、噛んだ瞬間口の中いっぱいに塩昆布の香りが広がる!
丁度良い塩気と昆布の旨味が絶妙に合わさって、唐揚げひと口につき白ご飯を山盛りで食べちゃいたくなるくらい癖になる!
塩昆布がまぶしてあるかと思いきや、きっと漬け込んで旨味を移してあるんだね……!
あ~これ美味しい~作った人天才~永遠に食べ続けられる~美味しすぎて召されそう~!
「………………沙樹」
「んっ!?」
自分の世界(唐揚げの世界)から強制的に呼び戻された声掛けに驚いてビクつく。
「お前……どんだけ美味そうに食うんだよ。そのまま昇ってきそうだったぞ」
「いや、あのこれは……」
肩を小刻みに震わせながらの先輩の指摘に言い訳しようにもできなかった。
だって召されそうな気分だったのは本当のことだから。
恥ずかしいやらいたたまれないやらで、顔に広がる赤みは止められない。
それならもういっそのこと……!
開き直った私はぱっと顔を上げた。
「先輩、もっと一緒にいろんなもの食べましょう! 目指すは全制覇です!」
そう、私の照れなんてどうでもいい!
ヒル魔先輩と楽しく過ごすこと、そしてたくさん美味しいものを食べることさえ考えればいい!
私の捨て身の発言に、先輩は待ってたと言わんばかりの満足げな表情を浮かべた。
「そうこなきゃな。安心しろ、お前の幸せそうな顔は全部撮っといてやる。もちろんさっきの唐揚げ食ってるときの顔もな」
「え、いつの間に!?」
それって脅迫手帳用のネタとしてだよね!?
たしかまもり先輩もそれで弱みを握られてるんだよね!?
さっき私どんな顔してたっけ……んんん唐揚げの味しか思い出せない!
「……脅迫するのはいいですけど、どうせならもっとマシなネタにしてください!」
「ケケケ、さすが並のヤツとは考え方がひと味違えな! よし次行くぞ!」
私の必死の懇願をさらりと流したヒル魔先輩。
あこれ絶対やめないやつだ。
絶対楽しんでるやつだ。
……まあ、先輩が楽しいなら私も楽しいからいいんだけど。
まだ熱さの残る唐揚げを片手に、次のお店へと向かった。
***
「どれもこれも美味しい~!」
「お前の腹はブラックホールか何かか?」
模擬店のクオリティとは思えない美味しさに舌鼓を打っていると、ヒル魔先輩が何ともいえない風な顔で私に投げ掛けた。
それもそのはず。
私がこれまで食べたのは、唐揚げ、フランクフルト、たこ焼き、フライドポテト、コロッケ、肉まん、唐揚げ。
唐揚げに始まって唐揚げで締めたのは、最初に食べた塩昆布唐揚げが飛び抜けて美味しかったから。
つい我を忘れて食べまくっちゃったけど、普通に考えたら食べ過ぎだよね……ヒル魔先輩、引いたかな?
「ケケケ、そんだけ食やあお前が糞デブの妹だって誰も疑わねえな」
私の予想とは違って、先輩はいつものからかうような態度のままだった。
余計な心配だったみたい……良かった。
――じゃあ、もうひと押しだけ!
「先輩、最後にクレープ食べたいです!」
両手を固く強く握ったまま、口ほどに物を言うということわざを信じて目でも訴えるつもりで懇親の提案をした。
先輩が引くか引かないかという変なところで勝負に出る私は、もしかしたらギャンブルとかやっちゃいけない性格なのかもしれない。
「まだ食えんのか?」
先輩が「まだ食うのか?」じゃなく「まだ食えんのか?」って愉快そうに言うあたり、期待感が込もってるように思えた。
私はこの期待に沿えられるだけのフードファイターにならなきゃいけない。
いや無理はしてないんだけど。食べていいなら喜んで食べるんだけど。
「もちろんです! デザートは別腹ですし!」
任せてください、という意味も含めて私は全力笑顔を向けた。
そしてひと休みの目的もあって入ったヨーロッパ風カフェ。
ここは三年生のとあるクラスが営業する、店内の装飾もメニューの豊富さもハイレベルな模擬店。
店員さんたちの格好も黒と白で統一されてて、スタイリッシュで大人っぽい印象を受けた。
――お値段も同様にハイレベルなことも納得できるといえばできる。
でもきっとさっきみたいに、お代は結構ですみたいな流れになるんだろうなあ。
ヒル魔先輩の奴隷の人たちって校内にどれくらいいるんだろう……ちょっと気になる。
そんなとりとめのないことを考えていると、注文したメニューが運ばれて来た。
ヒル魔先輩はコーヒー。私はハーブティーと――
「……クレープシュゼットって初めて聞きましたけど、こんなオシャレなものなんですね……」
「普通のヤツと全然違えんだな」
ヒル魔先輩もどうやら見たのは初めてだったみたいで、身を乗り出して私の注文品をしげしげと見つめた。
お皿の上には折りたたまれたクレープ生地と、綺麗に絞られた生クリームの横にオレンジとバニラアイスが寄り添っている。
まるで甘いもの好きの甘いもの好きによる甘いもの好きのためのメニュー。
キャラメルの香ばしさと柑橘のフルーティな香りは、食欲をそそる上に気分を癒してもくれた。
慣れないナイフとフォークをぎこちなく動かしてひと口分を切り取る。
「早速ひと口……あ、美味しい~上品な味~」
「お前の場合はその美味そうな顔だけで食レポになりそうだな」
「ひと言も発しなくても成り立つかもしれませんね、番組」
違いねえな、と笑いながらヒル魔先輩がコーヒーをすする。
その姿を私はクレープに夢中な振りしてこっそり垣間見た。
……何気ない仕草なのに、どうしてこんなにかっこいいって思っちゃうんだろう。
元々かっこいい人だけど、好きになったことで五割増し――ううん十割増しに見えるのかも。
このままいくとかっこよさが限界突破してそのうち目も合わせられなくなっちゃうんじゃ……いや、それは結構困るなあ。
「沙樹」
「はい?」
ぱっと顔を上げて正面から向き合った、と思ったら――
「クリーム付いてんぞ。ケケケ、幼稚園児みてえだな」
口の横を指が撫でた。
私の、口の横を。
ヒル魔先輩の、指が。
拭われたらしいクリームが先輩の指の先にちょんと座っている。
「…………せめて小学生にして欲しいです」
いや違う。冷静に言葉尻に突っ込んでる場合じゃない。
あとそれを言うなら中学生。いや中学生でもない。私は高校生。
冷静そうに思えて思ってる以上に冷静じゃないみたい。
多分、現実が予想を大きく超え過ぎて……静かなパニック状態になってる。
こんがらがった先に映し出されたのは――ヒル魔先輩がその指を口に含んだ光景。
……え、それ……、
私の口元に付いてたやつ、舐め……?
意識する間もなく足先からかなりのスピードで上がってきた熱が首を通過しようとしたとき、ふと気付いた。
あれ、先輩って甘いの苦手じゃ――
「……糞甘……っ!!」
吐き捨てるように言うやいなや、先輩はコーヒーをわしづかみにして一気に飲み干した。
――あ、だよね! やっぱり甘いの苦手だよね!
ってヒル魔先輩、すごい睨んでる……親の仇のようにクレープ睨んでる……クレープに意思があったら絶対逃げ出すってくらいに。
これ、もしかして私やっちゃったかも。
だってそもそも私がクレープ食べたいって言ったから、先輩にこんな思いさせる羽目になったわけで……。
「あ、あの先輩――」
「お前は悪くねえかんな。謝んな」
謝ろうとした矢先に私の心を読んだらしい先輩が釘を差した。
う……それを言われたらもう何も言えなくなっちゃう。
申し訳なさに私が肩を落としていると、ヒル魔先輩は軽く座り直して顔を背けた。
「……まあ、沙樹の好きな食いもんがどんな味かみてやろうと思ってな。――想像以上に暴力的だったが」
言っちゃった! 暴力的って言っちゃった!
私にとっては至高の食べ物でも、ヒル魔先輩にとっては最低最悪の食べ物だったみたい。
ほんとに悪いことしちゃったなあ……。
でも――私の好きな食べ物を味わってみようとしてくれたのは、なんだか嬉しい。
それも日頃敬遠してるものだろうから尚更。
そう考えると頬が緩んだ。
「私はお兄ちゃんと同じく甘党ですから、私のペースに合わせるとヒル魔先輩倒れちゃうかもしれませんよ?」
「みてえだな。金輪際口にゃしねえ」
どれだけ勝率が低くても0%じゃない限り諦めない先輩があまりにも潔く引いたものだから、相当な無茶だったことが伝わってくる。
……きっと甘いものを口にする先輩なんて、後にも先にも今しか見られない貴重な姿だと思う。
それを私だけが見てる。
二人でお茶しながら、おしゃべりしながら、笑い合いながら。
前にコーヒー専門店に行ったときもそうだったけど――好きな人とこんな時間を過ごせるなんて、私って実はものすごくラッキーなのかも。
コーヒーのお代わりを頼んだヒル魔先輩と一緒に、私はもう少しだけこの時間を味わった。