10話 10月18日
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個人練習が終わり、全体練習に移った。
基本的にヒル魔先輩が練習に加わりながら指示を出すから、マネージャーはすることがない。
ベンチでただ座ってるだけっていうのももったいないんだよね。
まもり先輩も今日は生徒会の手伝いだとかでいないし、今のうちに軽く部室の掃除でもして来ようかなあ。
小さく唸っていると、ギシ、という軋んだ音と共に地面に影が映った。
左隣に座っていたのはキッド先輩。
穏やかな笑顔を向けられ、つられてへらりと微笑み返す。
「甘川、沙樹ちゃんだったよね」
「あ、はい、そうです!」
急に話を振られ、慌てて肯定の返事をした。
キッド先輩、他校のマネージャーの名前なんてよく覚えてるなあ。
私は他校の選手ですら目立った人しか覚えられてないのに。
「どうして泥門のアメフト部に入ることにしたの?」
「えっと……ヒル魔先輩に誘われたからです」
「ふうん、彼がねえ……」
意味ありげな返しをしたキッド先輩はその『彼』にまたもや意味ありげな視線を送った。
ヒル魔先輩もキッド先輩もだけど、考えてることがあんまり顔に出ない。
そのミステリアスさがすぐ顔に出る私にはうらやましいことこの上ない。
私の方に視線を戻したキッド先輩は、警戒心のなさそうな微笑みを浮かべた。
「マネージャーの仕事は楽しい?」
「はい、楽しいです!」
知らずしらずのうちに緊張してしまっていたらしい私は、語りやすい質問を投げられてここぞとばかりに元気良く返事をした。
すでに聞く姿勢に入っているキッド先輩にガッツポーズ付きの笑顔を向ける。
「私は試合には出られないけど、頑張ってる選手たちをサポートできるのが嬉しくて。大体はヒル魔先輩が進めてるので、私にできることは少ないんですけどね」
「そんなに謙遜しなくても。君たちマネージャーがいてくれることで、選手は自分のすべきことに集中できるんだから。彼らも大いに助かってるさ」
助かってる――。
温かいその言葉が秋風で少し冷えた身体にじんわりと沁みた。
サポート以上のことをすることはできない、そんな負い目が私の中に無意識にでもあったのかもしれない。
でも私のやっていることはちゃんと意味のあることだと、キッド先輩は伝えてくれた。
「そう……だといいなあ……えへへ、なんか嬉しいです。そう言われると」
今までにそんなこと、言われたことなかった。
もしかしたら泥門のみんなもそう思ってくれてるのかもしれないけど、直接聞いたことはなかった。
なんだか認められたみたいで素直に嬉しい……って言ったら大袈裟かな?
嬉しさや照れくささが入り混じって、つい私の頬が緩む。
「……君さ」
「はい?」
キッド先輩の目元が優しく笑った。
「屈託のない笑顔、するんだねえ」
「……そう、ですか? 自分じゃ分からないですけどね」
変に恥ずかしくなって照れ隠しにへへっと笑う。
こんなことを言われたのも初めてだ。
改めて自分の顔について言われると、どこかむずがゆい気がしてくる。
もちろん嫌なわけじゃなくて、くすぐったいっていうか落ち着かないっていうか。
……もしかしたらヒル魔先輩もそう思ってくれてたりするのかな。
そんなことを考えていると、またベンチの軋む音が耳に入ってきた。
何のけなしに顔を向けると、キッド先輩が私たちの間に手を置いて上半身を少しだけこっちに寄せていた。
――え? 急に近……
「今時、こんな純真無垢な子がいるなんてね……」
先輩の左手が伸びた瞬間、
――チュイン!
……何? 今の何?
目の前すれすれをすごいスピードで通った今のは何?
私の間違いじゃなければ、銃弾だったような……。
危機感からにじみ出た一筋の汗が背中に伝う。
気付けば、キッド先輩はすでにベンチから離れていた。
さすがの反射神経。当たらなくて良かった……。
胸を撫で下ろしていると、威圧的な空気を背負ったヒル魔先輩がいつの間にかすぐそこに立っていた。
「危ない危ない……今のは本気だったね」
「テメー、糞ゲジ眉! うちのマネージャーに何しようとしてやがんだ! 目的が違うだろうが目的が!」
「まあ違わなくもないんだけど」
「……ぶっ殺されてえらしいな」
まさに一触即発の空気。
――これ私、どうすればいいんだろう。
というかキッド先輩は私なんかに何かしようなんて考えてもないと思うけど……。
西部はあんな可愛くてスタイルもいいチアたちがいるんだし、わざわざ好き好んで他校の私なんか選ばないよ。
それに私には『あの事情』もあるんだから。
あ、なんだか自分で考えてちょっとへこんできたかも……。
どんどん自虐的な方向に向かおうとする自分の思考を無理やりせき止め、目の前のことを第一に持ってくる。
……というか、本当どうすればいいのこれ?
自分には荷が重いくらいの事態の収拾のつかなさに、思わず二人の顔を交互に見比べる。
キッド先輩の物腰柔らかい口調や笑みは、泥門に来てからずっと変わらない。
でもヒル魔先輩は――
無言の圧力による威嚇、脅しか本気かも分からない数ある銃口、見てるこっちが震え上がってしまいそうなほどの業腹具合。
……これは私には無理だ。口を挟むことすらできない。
というより口を挟めたとてどうにかなるとも思えない。
帽子のつばをくいと下げたキッド先輩は小さく笑った。
「マネージャーだから……ってだけじゃないでしょ、それ」
「あ?」
ヒル魔先輩の眼光がより一層鋭くなった気がした。
「悪魔と呼ばれど、ちゃんと人の子なんだねえ。ヒル魔氏も」
何を意味するのか私にはさっぱり分からないけど、これだけは言える。
キッド先輩、お願いですからそれ以上言わないでください。
ヒル魔先輩のオーラがよりドス黒くなっていくのがありありと見て取れるんです。
魔王と言っても差し支えないほどの極悪で凶悪で邪悪なオーラが。
……ほら、他の部員たちもすくみあがっちゃってる。
あまりのいたたまれなさに、どちらかというと折れてくれそうな人に目線を寄こす。
すると状況を察してくれたのか、キッド先輩はややオーバーリアクション気味に肩をすくめた。
「はいはい、分かったよ。退散すればいいんでしょ」
キッド先輩の帰る宣言で、緊迫していた空気が少しだけ和らいだ。
……あらゆる銃器を装備したヒル魔先輩だけは威嚇を止めようとはしないけど。
これでなんとか平穏が訪れそう、なんて思っているとキッド先輩と目が合った。
「またね、沙樹ちゃん」
「あ……はい、また」
適した返しがとっさに浮かばず、無難そうな返事しかできなかった。
また、って言うほどの機会が今後あるのかないのかも分からないけど。
すると視界が急に遮られ、キッド先輩が見えなくなった。
「また、とか二度目もある風にほざいてんじゃねえよ糞ゲジ眉が。テメーは金輪際、沙樹にゃ近付かせねえかんな」
どうやらヒル魔先輩が私とキッド先輩の間に入り込んできたみたいだった。
荒げた声をぶつけるんじゃなくあえて地を這うような低い声で言い放つあたり、ヒル魔先輩の怒り度合いが桁違いに高いことが窺える。
そして最後の最後まで容赦無くけん制するついでに、私のさっき抱いた微妙な疑問に答えてくれた。
ここにキッド先輩が来ることはもうないってこと……だよね、多分。
「必死だねえ、ヒル魔氏も……じゃあね」
キッド先輩は怯えるでもなく冷静にただそれだけ言い残して、今度こそ本当に去って行った。
恐怖の権化であるかのようなヒル魔先輩とは裏腹に、キッド先輩のその呟きはどこか楽しそうな声色を含んでいるように私には思えた。
……よくよく考えると、キッド先輩ってすごいよなあ。
これだけ怒り心頭のヒル魔先輩をこんなに簡単に流せるのは、世界広しと言えどもこの人だけなんじゃないか。
デビルマシンガンしかりタッグを組めばこれ以上ないってほどの強い味方になるんだろうけど、敵となると相性が悪そう……。
「……チッ、あんの糞糞糞ゲジ眉が――テメーら何ぼさっとしてやがんだ、すぐ練習すんぞ! とっとと持ち場戻りやがれ糞ガキ共!」
ヒル魔先輩の怒号と銃声によって再び空気はスパルタモードに早変わりした。
ああ、きっと先輩のイライラは練習中に他のメンバーにぶつけられるんだろうな。
――南無。
届かない祈りを心の中でそっと捧げつつ、私は再開した練習を見守った。