とある夫婦のとある日常
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「妖一のバカあっ!」
「おい、沙樹!」
耐え切れなくなった沙樹が二人の家を飛び出したのは、ほんの少し前のこと。
やって来たのは地元の人しか知らないような小さな公園。
遊具はブランコのみだからか、利用する人は基本的にいない。
夕陽が差しカラスが鳴く時間帯のこの場所には尚更寂しさが漂う。
「……妖一のバカ……」
古びたブランコに座りひとりごちた。
軽く揺らすたびに鳴る金属音が余計に物悲しさを感じさせる。
帰りたくない、憂鬱に思っていたところに足音が聞こえた。
ゆっくりと振り返った先に立っていたのは──夫のヒル魔。
強い逆光で表情は見えないが、何やら似つかわしくないカラフルな紙袋を提げているのは分かった。
「……どうして私がここにいるって分かったの?」
「お前言ってただろうが。今から1142日前、『悲しいことがあったらこの公園に来よう。誰もいないから、思う存分一人で落ち込める』ってな」
「……その後すぐ、『なら沙樹が落ち込み終わった頃に俺が迎えに来てやるよ』って言ってくれたよね。落ち込みに来たのは今日が初めてだけど」
「だから宣言通り迎えに来たぞ」
言い終わったヒル魔に腕をつかまれるも、ブランコの鎖にしがみついて頬を膨らませ抵抗の意志を示す。
まだ納得がいかない。理由を聞くまでは。
それを察したらしいヒル魔は困ったような怒ったような難しい表情を浮かべ、隣のブランコに腰を下ろした。
「──悪かった」
ヒル魔がうなだれながらぽつりと呟く。
「今日が付き合って1833日目の記念日、それと結婚して307日目の記念日、更には一緒に住み始めてから1164日目の記念日だってこたあ分かってた」
「じゃあどうして言ってくれなかったの? お祝いしてくれるの、8時間51分前からずっと待ってたのに──」
うつむいてしょげる沙樹に、ヒル魔は紙袋の中身をずいと差し出した。
淡いピンクや濃い赤に染まった細長い花弁たちが一斉に揺れる。
「これ……マーガレット!」
「その花が一番好きっつってたろ。特にピンクがってな」
「うん、言った……1874日前に」
ヒル魔はばつが悪そうに頭をくしゃりと掻いた。
「祝うための準備はしてたんだが、どのタイミングがいいか考えてたら遅くなっちまったんだ」
すぐ言ってやれなくて悪かった、と更にダメ押しのひと言が投げられる。
彼はちゃんと考えてくれていた。
忘れていたわけでも、祝うつもりがなかったわけでもない。
似合わないプレゼントを選ぶ姿を頭に浮かべると、微笑ましさと共に罪悪感が募った。
「──私こそごめんなさい。私たちが付き合ってから毎日、妖一は一緒にお祝いしてくれたのにね。私がせっかちだった」
「ンなこたねえよ、こういうのは早い方がいいに決まってんだ。9時間7分前に決断してりゃこうはならなかった」
「ううん、私がもう少し待てればよかったの。921日前だってそう、私があと4分25秒待ってればあんな嫌な空気になんてならなかったんだから」
「だったら618日前のひと悶着だって俺が悪いだろうが」
「それを言うなら私だって……」
「なら俺の方こそ……」
お互いに次々と自虐した後、二人は顔を見合わせた。
そしてどちらからともなく吹き出す。
相手を守るために自分を悪者にしようと必死になるのはお揃いの癖だ。
それはお互いを大切に思っている証拠。
「じゃあ……仲直り、ね?」
「ああ、仲直りだ」
軽やかに腰を上げ、離れていた二人の影が一つになった。
少しだけ冷えた身体に触れた部分からじんわりとしたぬくもりが伝わる。
彼の体温、彼の匂い、彼の鼓動。
これさえあれば他は何もいらないと思ってしまうくらい──彼の全部が愛しい。
広い胸板に顔をうずめると抑えきれない幸せが笑いになってこぼれた。
「──大好きだよ、妖一!」
そう言ってひとしきり抱き締めた後に顔だけを上げてにんまり笑い、「妖一は?」と問い掛けた。
「好きに決まってんだろ。分かりきったこと聞きやがって」
「分かりきってても好きって言ってもらいたいのが女なんですー」
「可愛いこと言ってんじゃねえぞ、このバカ」
バカと言いながらも丁寧に髪を撫でる、愛しい人の手に頬を擦り付けた。
一日たりとも欠かさず祝ってきた、二人にとって大切な『毎日』の記念日。
きっと、これからもずっと重ねられていく。
これは人並外れた記憶力をもつ夫婦の、何でもない日常のひとコマ。
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甘々過ぎるバカ夫婦を書こうと思ったのに、気付けばただのサイコパス共になってました。
でも気持ち的には甘です。
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