ブルーモーメント
黒崎芽衣は孤独だ。孤独の中で生きている。しかし、孤独だからと言って彼女は不幸なわけではない。が、幸福でもない。彼女の孤独には幸福も不幸もないのだ。何も求めず何も失わず、平穏な孤独の中で彼女は生きている。
彼女の仮面は完璧だ。私たちの知る黒崎芽衣は、孤独の中に住む黒崎芽衣が操る操り人形でしかない。
特別頭が良いわけでも運動ができるわけでもないが、黒崎芽衣は優等生に分類される。それは服装であったり、挨拶であったり、掃除であったり、学校生活におけるありとあらゆる手を抜ける部分で手を抜かないからだ。生活指導に厳しい学年主任にも気に入られている。彼女は大人を敵にしないことにかけては天才的だ。大人が決めたルールを守ればいいだけだから簡単だと彼女は笑っていたが、それだけのことが皆煩わしく面倒なのだ。
そんな彼女にも敵は生まれる。先輩に可愛がられ後輩に慕われても、何故だか同学年の女子の中で彼女のことが気にくわない者が現れるのだ。陰口や噂の吹聴、使われるのは言葉の暴力と小さな嫌がらせ。それでも彼女は何でもないことのように、いや、彼女にとっては真実何でもないことなのだろう。ただ困ったねと他人事のように笑ってみせるだけなのだ。
さて、私が彼女を見つけたのは小学生のときのことだ。小学三年生、担任は榎本ゆう子先生。同じクラスにいたその女の子は、静かな、影のような女の子だった。榎本先生は子供は風の子が口癖で、休み時間は必ずクラス全員外に追い出された。校庭に出たくなくて、こっそり図書室や隣のクラスにいく子がいる中、その女の子は校庭の端から端をぐるりと長方形に歩いていた。公園で散歩をする老人のようなゆっくりとした足取りでその女の子は校庭を一周する。予鈴のチャイムが鳴るまでもう一周。花や虫、鳥を見かけると足を止め、小さく微笑んでまた歩き出す。話しかけはしなかった。ドッチボールをしながら、鬼ごっこをしながら、視界の端でその女の子を時々追いかけた。
いつからだろう。気がつくとその女の子の周りには友達がいるようになった。高学年になってわかりやすくなった女の子のグループのどれにもその女の子は属していなかったが、複数人でいる姿をよく見かけた。
中学生になって、ついに私は彼女に声をかけた。同じクラスに小学校が同じだった生徒が彼女だけだったから、というのもあったが、一人でいる彼女に話しかけなければいけない使命感のようなものを感じたのだ。嫌がるでもなく、嬉しがるでもなく、突然話しかけてきた私に彼女は不自然なほど自然に微笑んだ。いま思えば彼女の歪みに気付いたのはこの時だったのかもしれない。
孤独は揺りかごだ。黒崎芽衣を守る揺りかごだ。黒崎芽衣は黒崎芽衣を守るために孤独の中に留まり続けるのだろう。仮面を抱いて眠る彼女は幼子のままの姿をしている。
あの孤独を、揺りかごを、いつか私は壊すだろう。そして痛みに泣く彼女を、孤独の代わりに抱きしめるのだ。
私は、黒崎芽衣を愛したい。
彼女の仮面は完璧だ。私たちの知る黒崎芽衣は、孤独の中に住む黒崎芽衣が操る操り人形でしかない。
特別頭が良いわけでも運動ができるわけでもないが、黒崎芽衣は優等生に分類される。それは服装であったり、挨拶であったり、掃除であったり、学校生活におけるありとあらゆる手を抜ける部分で手を抜かないからだ。生活指導に厳しい学年主任にも気に入られている。彼女は大人を敵にしないことにかけては天才的だ。大人が決めたルールを守ればいいだけだから簡単だと彼女は笑っていたが、それだけのことが皆煩わしく面倒なのだ。
そんな彼女にも敵は生まれる。先輩に可愛がられ後輩に慕われても、何故だか同学年の女子の中で彼女のことが気にくわない者が現れるのだ。陰口や噂の吹聴、使われるのは言葉の暴力と小さな嫌がらせ。それでも彼女は何でもないことのように、いや、彼女にとっては真実何でもないことなのだろう。ただ困ったねと他人事のように笑ってみせるだけなのだ。
さて、私が彼女を見つけたのは小学生のときのことだ。小学三年生、担任は榎本ゆう子先生。同じクラスにいたその女の子は、静かな、影のような女の子だった。榎本先生は子供は風の子が口癖で、休み時間は必ずクラス全員外に追い出された。校庭に出たくなくて、こっそり図書室や隣のクラスにいく子がいる中、その女の子は校庭の端から端をぐるりと長方形に歩いていた。公園で散歩をする老人のようなゆっくりとした足取りでその女の子は校庭を一周する。予鈴のチャイムが鳴るまでもう一周。花や虫、鳥を見かけると足を止め、小さく微笑んでまた歩き出す。話しかけはしなかった。ドッチボールをしながら、鬼ごっこをしながら、視界の端でその女の子を時々追いかけた。
いつからだろう。気がつくとその女の子の周りには友達がいるようになった。高学年になってわかりやすくなった女の子のグループのどれにもその女の子は属していなかったが、複数人でいる姿をよく見かけた。
中学生になって、ついに私は彼女に声をかけた。同じクラスに小学校が同じだった生徒が彼女だけだったから、というのもあったが、一人でいる彼女に話しかけなければいけない使命感のようなものを感じたのだ。嫌がるでもなく、嬉しがるでもなく、突然話しかけてきた私に彼女は不自然なほど自然に微笑んだ。いま思えば彼女の歪みに気付いたのはこの時だったのかもしれない。
孤独は揺りかごだ。黒崎芽衣を守る揺りかごだ。黒崎芽衣は黒崎芽衣を守るために孤独の中に留まり続けるのだろう。仮面を抱いて眠る彼女は幼子のままの姿をしている。
あの孤独を、揺りかごを、いつか私は壊すだろう。そして痛みに泣く彼女を、孤独の代わりに抱きしめるのだ。
私は、黒崎芽衣を愛したい。
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