悪魔と殺人鬼
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研究所から少し離れたところにある、クロータス・プレン・アサイラム。我々の仲間であるナースが生前そこで全てを尽くし全てを失ったこの場所を、彼女は今でも愛おしく思っているらしい。それは甘ったるい愛などではなく、憎しみと恨みと混乱が混ざり合った複雑な愛らしいが、私のような者に愛がどうのということを言われたところで理解に苦しむ。だが実際この場所は今の彼女の隠れ家であり、彼女にとって唯一の居場所であるのは確かだった。
「ドクター、あなたが出向くなんて珍しいわね。薬草の調達かしら」
「お前は人との約束を忘れたのか」
「あら今日だったかしら」
儀式の時こそそのブリンクという能力でサバイバーを圧倒させ、有無を言わさず生贄に捧げる彼女が、普段はこうも抜けていると彼らは知らないだろう。殺人鬼の中でレイスと競えるほどの悠長な様は、我々の中ではある意味珍しいというべきか。
今日ここへ来たのは他でもない、彼女の言う通り薬草の調達だ。この場所も精神病棟だ、それなりの薬を近辺に散らばせているせいか普段手に入らないような草が無造作に生えている。安全か危険かなんてのはどうでもいい、私は日々の暇 を潰す一つの手段としてそれらの実験を行う、ただそれだけのためだ。
「表に生えている草は全部とっていいわよ、でも裏の道に生えてる草は少し残しておいてね」
「助かる」
白い布をカーテンのように揺らし彼女は施設の中に入っていく。終わった頃に声をかける、それが私たちの普段のやりとりだった。必要以上に関わらず、しかしこの世界で互いの趣向を見出すために多少の関わりは必然であった。
私は表へ出て生え散らかしている草をつまんで眺める。中には新しいものもあるが殆どのものが普段と同じであり、私はその中で新しいものと古いものを半分ずつ摘んで帰る。取り過ぎて後々困るのは私も同じなのだ。
ある程度自分が満足行くほどの種類と量を取り揃えた私はナースに一声かけようとした。
「あ!おーい!ドクター探したよー!」
私の背後から聞こえる声の主を、もちろんだが私は知っている。驚くのは探していたと言う言葉通り、私を見つけられたということだ。殺人鬼であるヒルビリーは私の近くまで走って来たようで、後ろで喉を枯らして息継ぎをしている。その声がナースにも聞こえたのか中から彼女が顔を出した。
「あらヒルビリー、珍しいわねここに」
止まった。
お喋りである彼女の言葉が止まったのだ。彼女に視線を向ければ、当の本人の視線はヒルビリーではない、もっともっと、その奥を見つめていた。なんだ、ヒルビリーより珍しい客でも来たか?マイケルか、クラウンか、どちらも珍し過ぎて話にならないが私はなんの気もなく後ろを向いた。
驚くに決まっていた。
あの女が、その白い布を揺らしてゆっくりとこちらに近付こうとしているのだ。
「ねぇねぇ、ねー、君ー?」
闇の中で声が聞こえる。それはさっきまで近くにいたおじさんの声ではなく、もっと若々しくて、どこか優しい声。"また"私の夢に他の人が入って来たのかな、そう思いながらゆっくりと瞼を上げた。
「わ、起きた!ねぇ君聞きたいんだけどね」
聞きたいのはこっちだ。あの時私は幾らかの人に質問をしたが、誰もまともに答えてくれはしなかったんだ。きっと君より私の方が聞きたいことは沢山ある。
「…あれ」
「えぇ?」
身体の感覚が夢の中と違う。見覚えのある建物に、自分の体の暖かさを実感する。違う、これは私がさっきまで見ていた夢ではないんだ、だとすると私は。
「生きてるの?」
「僕のこと?」
違う、私のことだ。確かに君も生きているが、私は死にかけていたはずだった。"あの人"の言葉が正しければ、私の妄想の中の人物でなければ、私は紛れもなく生きているんだ。
夢ではないと理解した彼女はその鈍った身体をゆっくりと起こし状況を理解しようとした。記憶が一斉に脳内へ雪崩れ込んでくる。先生のような人に出会い安心した矢先、私はあの人に殺されかけ、そして何故か助けられた。あの時はあまりの痛さと感覚の麻痺で冷静に状況を考える余裕なんてなかった。だが、今この状況を見るにやはり私はあの人に助けられたのだ。現に私の身体の芯を太いフックのようなものが貫通した、通り魔にナイフで刺されるより肉がなくなる感覚だったのを今でも思い出せる。あの傷は、どうなって…
「あれ、私ワンピースなんてもってたっけ」
「ねぇねぇ、僕の話聞いてるー?」
目の前の男は不貞腐れながら私の前で犬のように座っていた。大柄の男だが顔から肩にかけて肉が引きつっていて、酷く痛そうだった。子供のような大人のようなそんな曖昧な存在だが、彼の片手にはハンマーのような鈍器と、その後ろには使い古して錆びてしまったチェーンソーがあった。もしや、もしかしなくても彼はあのメガネ男の言っていた殺人鬼なのかもしれない。いや、私からしたらあのサイコパスハゲ野郎の方が断然殺人鬼じみていると思う。今思えば何故冷静にあんな奴に話しかけたんだろうか、私の神経を疑いたい。
「ごめんね、君なんていうの?」
「僕?ヒルビリー!君は君は?」
「私は桔梗、私を起こしてくれてありがとう」
「うん?あ!そうだ、起こしたのはね、聞きたいことがね」
少し拙い言葉だが彼は頑張って私に伝えようとしてくれる、どうやらドクターという人を探しているらしい。特徴を聞いてみれば頭に変な器具をつけていていつも電撃を周りにばら撒いている金棒持った白衣の人物。うん。電撃をばら撒いているかどうかはともかくとして、それ以外は私を殺し、そして助けた男そのものだ。この子が殺人鬼だとしたら、あの男も同じ類なのだろうか。
「僕ドクターに会いに来たのに、お家にいなくて…探し回ってたら見つけたの、君を」
「まって、ここ家なの?」
「家じゃないけど、多分ドクターが住んでる!」
「まじか」
こんなところに住んでいるのか、可能性ではあるにしろ正常な人間ではないことに変わりはない。いや、逆にここに住んでいるせいで狂ってしまったのかもしれない。ともかく私はここから抜け出す方法を彼に聞かないといけないし、それよりあの服を返してもらわないと私が困る。まさか捨てられたなんてことはない、そんな現実は受け入れたくない。
「ねぇ桔梗、僕とドクター探すの手伝ってくれる?」
「いやまじか、ちょっとなぁ」
「ふえぇ、お願い」
白いワンピースの端を大きな手でギュ、と握られればその顔はなんとも悲嘆な表情をした。見てられない、最早彼は体がでかい子供なのだ。いつから殺人鬼に手を貸すほどお人好しになったんだ。そしてあの人見知りはどこに行った。そんなことを思いながらベッドからゆっくり下りた私は部屋の奥にある割れた鏡の前に立ち、ベッドの横に丁寧に置かれていた簪で後ろ髪をセットする。やはり私は長い髪を下ろしてもちっとも似合わない。
「この建物の中にいるの?」
「ううん、多分いないの。いつもは僕が大声で叫びながらチェーンソーを振り回したら絶対に気付いてくれるし、寝ているとしたら一つの部屋でしか寝ないから。そこにもいなかったってことは」
「待った待った、人を探すときにそれを振り回すな」
「でも、大きな音で気付いてもらえるんだ」
「もっと他に探す方法とか、インターホンとかないの?」
「いーぱーぽん?」
「とりあえずこの建物の中にいないんだね」
嘘だ、インターホンを知らないのか最近の人は。もしかして殺人鬼達はそれがわからないのか?いつの時代を生きているんだ、せめてベルとかあるだろう。きっとあの頭の良さそうなサイコパスハゲ野郎とか、少なくとも他の奴らはきっと知っている。私の周りだけ知っているなんてそんなアホメルヘンなことはない。
私は無い手かがりを彼のために探すことにした、何処かへ行ったとしたら…その痕跡は必ずあるだろう。なかったとしたら…その時は帰ってくるまで彼の相手をしてでも落ち着かせなければならない。下手したら私の命がないからだ。せっかく救われたこの命を無駄にできるものか、私はまだエブニャンを見なければならないんだ。
「ここがドクターの部屋だと思う、いつもこの椅子の上でたまにうたた寝してるんだ」
「あの人うたた寝とかしそうにないんだけど」
「するんだって、本当だよ」
別に信じてないわけではないが、あんなに目をガン開きして眠れるのだろうか。もしかしてその時は取って眠るのか、それだとしたらこんなにベッドが沢山あるのだから普通に横になればいいではないか。
部屋を見回し机の上を漁りながらそんなことを呆然と考えていた時、私は一枚のメモに目がいった。
「…×日、クロータス・プレン・アサイラム」
「それ今日だよ!」
「クロータス・プレン・アサイラムって人、誰かわかる?」
「それは人じゃないよ〜、場所の名前」
「そこへの行き方わかる?」
これだ、あの男はここにいるんだ。まさかこんなにもあっさりわかると思わなかった。というよりは安易にメモなんて残していることに驚いた。そこにまだいる確証はないが、今私達が手に入れられる唯一の手がかりはこれしかない。
もしその場所にドクターと呼ばれる男がいなかった時のために、私も彼にについていくことにした。というよりは、彼が一緒に行こうと言って聞かなかったのだ。
ある意味好都合ではあった。あの建物からの脱出方法はイマイチわからなかったが、どうやら私は彼に連れられ外に出ることに成功したようだ。あの仕組みはなんだったのだろうか。もしかしたらここの施設から出る方法は、特定の人物にしか理解できないのかもしれない。だが少なくとも不可能ではないということが今の状況から証明された。これだけでも大きな成果だ、でかした私。
荒地のような道をこの大男と並んで歩く、側から見れば滑稽すぎる。私だってこんな風景を誰かに見せたいわけでもなければ、望んでこのような結果になったわけでもない。いつまでこの腐った林道のような小道を歩いたらいいのだろうか、もしかしたらここが私の墓場になるのかもしれない。まだ確信は持てていないが、彼は殺人鬼なのだろうから…もしかしなくても私は騙されてここにいるのかもしれない。でも仕方ないんだ、今の私にこれ以外やることも手がかりもないわけで、それ以上に頼りにする人材もいない。あぁ私のリュックサックどこ行ったんだろう、私のあの限定Tシャツ、私のスマホ。もしかしてフックに吊るされたときに貫通して穴空いてるかな…あー嫌だ、辛い、この期に及んで自分の命より服やリュックの方が心配だなんて思わなかった。山菜採りに行って私が食べられるなんて話は聞きたくないし新聞にも載りたくない、それならまだ熊に遭遇していた方がいくらかマシだ。ワンちゃんもツーちゃんもある。
「桔梗、あれあれ!あれがクロータス・プレン・アサイラムだよ」
「えぇ…」
あの建物も大概だが、この建物こそ廃墟と呼ぶのに相応しかった。崩れ落ちた壁、足元はガラスのかけらがこの邪悪な世界に光を生むように散らばっている。なんともいえない圧倒的存在感を出す変な建物が私たちの目の前にはあった。そういえば私はここまでよく素足で歩いてきたものだ、今この状況になってやっと気づく。足元にガラスが、そんなことを靴を履いた状態でそうそう思う必要がないのだから。
「あ!おーい!ドクター探したよ!」
さっきまで私の横でだらだらと歩いていた彼が嬉しそうに建物に駆け寄る。彼の先にはしゃがんだ白衣の姿が一つ。あぁ、やはりあの男が彼の探していたドクターなのか。そして私を殺そうとして、助けた男。ということは彼もまた殺人鬼なのだろう。未だ憶測に過ぎないその考えが徐々に己の中で勝手に確定へと変わっていくのを感じる。
「あらヒルビリー、珍しいわね」
ドクターと呼ばれる男とは違う、建物の中から姿を現したのは花嫁だった。驚いた、少し汚れた白布をまとった花嫁は私に視線を向けるや否や、そのセリフの続きを喉の奥で止めた。私の姿に驚いているのか、それともあの花嫁も殺人鬼なのか。はたまたあの男の奥さんなのか、それなら花嫁姿をさせているのは…あの男の趣味?だとしたら、相当気持ちの悪い趣味をしている。
彼らに近付きながらそんなことを考える。一つのミッションをやっとクリアしたのだと溜息をついて瞬きをした、そのときだった。悲鳴のような声を上げて、次の瞬間には私の目の前にその花嫁はいた。白いドレスを揺らして、顔こそ見えないが気迫なオーラを感じる。なんだ、彼女は一体いつ、私の目の前に。
「あなた、よかったわぁ〜!」
久し振りの暖かな声、しかしそれに比例しない冷たい体、私は彼女にそのまま抱き締められた。なんだ、私は彼女に出会ったことがあっただろうか。それとも彼の奥さんである彼女は私の話を聞いていて、それで私の存在を知っているのか。私は混乱を表すように目を見開いて口を情けなく開け、ただただ抱き締められるがまま唖然としてしまった。
「ヒルビリー、どうしてここがわかった」
「あのねあのね、桔梗が教えてくれたの!」
「桔梗?」
ヒルビリーはそう言ってあの女を指差した。なるほど、あの女の名前か。いや、だとしたら尚更、何故彼女は私がこの場所にいることを知っていたんだ。おかしな事ばかりだったが、私の背後にいたナースが心配そうに彼女の元へ飛んで行き、激しく抱き締めている。彼女が目を覚ませば我々はそれらから驚きばかりを与えられる。退屈にはならないが、それでも不可解なことは多いまま…そもそも彼女はまだ完治していないのによくそんな素足でここまで辿り着いたものだ。ある意味人間の生命力には驚かされる。
一通りなにかしらを話したのか、ナースが彼女の手を優しく握ってこちらに連れてくる。殺人鬼でありながら彼女もあの女に興味が湧いたのか。あの女を連れて帰ってからというもの、ナースはその名の通り一日中つきっきりで看病をし、彼女がいつになっても目覚めないことを酷く心配していた。彼女の中の優しさが人間に対して露わになるのは珍しすぎた。
「動けるのか」
「何故動けないと思ったんですか?」
「お前の肺に直径10センチ近くの穴が空いたんだ、そんなに易々と動かれても困る」
彼女はキョド、とした顔で自分の胸元を探り始めた。すると気付いた時に感じる痛みというやつなのか、それとも。彼女は顔のパーツを歪めて小さく唸り声をあげその場に膝をついた。すかさずナースの奴が心配そうに彼女の背中をさするが、むしろここまでその痛みに気付かなかったのはなんだ。
「馬鹿なのか」
「貴方が、やったくせに?」
「そういえばそうだったか」
「奥さん、こいつ、ちゃんと躾してくださいよ」
「はい?」
「は?」
「何?」
ヒルビリーには理解できなかったのだろうか。私の背後で間抜けな面をしながらその様子を眺めている。
「こ、こんなサイコパスを夫にするほど私は落ちぶれてないわ!だいたい私にはアンドリューが!」
「それは生前の話だろう」
ナースは表情こそ見えないがきっと青ざめた顔をして、その歯ノコギリで何故か私を斬ろうとしてきた。たまらず私も金棒で回避するが、そもそもこの女がそのような勘違いをするのがおかしいのだ。私に怒りを向ける前にこの女に向けるべきではないのか。
「てっきり…花嫁のコスプレをさせるなんて、なかなかマニアックな、趣味がお有りなのかと」
「今すぐ楽にしてやる」
勘違いというレベルではない、これはもう私のことを侮辱しているのと同じだ。この女は頭がないのと大して変わらない、考えが相当狂っている。あぁそうだ、だからあの時私の能力が通じなかったんだ。そうに違いない。確信が持てる。
「桔梗、大丈夫?痛いの?」
ガタ、とチェーンソーが地面に転がればヒルビリーは何を焦ったのかこの女の元に駆け寄っていく。先ほどより歪んだ顔、痛みによる汗なのか額からポタポタと雫が垂れる。その上白い服が赤く染まっていくのを…
「おい、ヒルビリー触るな!」
数ヶ月ぶりにこの距離を何の手もなく歩いてきた、いくらリハビリとはいえ無理があった。彼女自身の体力が回復していない今、過度な運動のせいで治りが悪い傷口が開いてしまったのだ。
やっと目が覚めて、やっと実験が始まると思っていた矢先、正直この面倒ごとに立ち会いたくない。私は彼女を両腕で抱きかかえ目の前で心配するナースとヒルビリーに視線を向けた。
「ヒルビリー、また今度にしてくれ。ナース、ヒルビリーに口封じをしておけ」
「ドクター、隠す必要が」
「秘密にしておくように伝えろ」
ナースが言わんとすることを、私は無理やり遮った。これは私のモルモットなんだ。誰かに言い聞かせるわけではなく、私は私自身にそれを言い聞かせながら、腕の中にいる女と共に研究所を目指した。時折歪む声を上げながら腕の中で苦しそうにするこの女を、時折視線だけ落として眺める。睫毛の下で生きているその瞳は、やはり見間違いではない、私を唆ったあの瞳だ。
やっと目覚めたんだ、私のモルモットが。生きる可能性のあるこの女を、この私が活かさずしてどうなるのだ。
退屈させてくれるな私を。
「ドクター、あなたが出向くなんて珍しいわね。薬草の調達かしら」
「お前は人との約束を忘れたのか」
「あら今日だったかしら」
儀式の時こそそのブリンクという能力でサバイバーを圧倒させ、有無を言わさず生贄に捧げる彼女が、普段はこうも抜けていると彼らは知らないだろう。殺人鬼の中でレイスと競えるほどの悠長な様は、我々の中ではある意味珍しいというべきか。
今日ここへ来たのは他でもない、彼女の言う通り薬草の調達だ。この場所も精神病棟だ、それなりの薬を近辺に散らばせているせいか普段手に入らないような草が無造作に生えている。安全か危険かなんてのはどうでもいい、私は日々の
「表に生えている草は全部とっていいわよ、でも裏の道に生えてる草は少し残しておいてね」
「助かる」
白い布をカーテンのように揺らし彼女は施設の中に入っていく。終わった頃に声をかける、それが私たちの普段のやりとりだった。必要以上に関わらず、しかしこの世界で互いの趣向を見出すために多少の関わりは必然であった。
私は表へ出て生え散らかしている草をつまんで眺める。中には新しいものもあるが殆どのものが普段と同じであり、私はその中で新しいものと古いものを半分ずつ摘んで帰る。取り過ぎて後々困るのは私も同じなのだ。
ある程度自分が満足行くほどの種類と量を取り揃えた私はナースに一声かけようとした。
「あ!おーい!ドクター探したよー!」
私の背後から聞こえる声の主を、もちろんだが私は知っている。驚くのは探していたと言う言葉通り、私を見つけられたということだ。殺人鬼であるヒルビリーは私の近くまで走って来たようで、後ろで喉を枯らして息継ぎをしている。その声がナースにも聞こえたのか中から彼女が顔を出した。
「あらヒルビリー、珍しいわねここに」
止まった。
お喋りである彼女の言葉が止まったのだ。彼女に視線を向ければ、当の本人の視線はヒルビリーではない、もっともっと、その奥を見つめていた。なんだ、ヒルビリーより珍しい客でも来たか?マイケルか、クラウンか、どちらも珍し過ぎて話にならないが私はなんの気もなく後ろを向いた。
驚くに決まっていた。
あの女が、その白い布を揺らしてゆっくりとこちらに近付こうとしているのだ。
「ねぇねぇ、ねー、君ー?」
闇の中で声が聞こえる。それはさっきまで近くにいたおじさんの声ではなく、もっと若々しくて、どこか優しい声。"また"私の夢に他の人が入って来たのかな、そう思いながらゆっくりと瞼を上げた。
「わ、起きた!ねぇ君聞きたいんだけどね」
聞きたいのはこっちだ。あの時私は幾らかの人に質問をしたが、誰もまともに答えてくれはしなかったんだ。きっと君より私の方が聞きたいことは沢山ある。
「…あれ」
「えぇ?」
身体の感覚が夢の中と違う。見覚えのある建物に、自分の体の暖かさを実感する。違う、これは私がさっきまで見ていた夢ではないんだ、だとすると私は。
「生きてるの?」
「僕のこと?」
違う、私のことだ。確かに君も生きているが、私は死にかけていたはずだった。"あの人"の言葉が正しければ、私の妄想の中の人物でなければ、私は紛れもなく生きているんだ。
夢ではないと理解した彼女はその鈍った身体をゆっくりと起こし状況を理解しようとした。記憶が一斉に脳内へ雪崩れ込んでくる。先生のような人に出会い安心した矢先、私はあの人に殺されかけ、そして何故か助けられた。あの時はあまりの痛さと感覚の麻痺で冷静に状況を考える余裕なんてなかった。だが、今この状況を見るにやはり私はあの人に助けられたのだ。現に私の身体の芯を太いフックのようなものが貫通した、通り魔にナイフで刺されるより肉がなくなる感覚だったのを今でも思い出せる。あの傷は、どうなって…
「あれ、私ワンピースなんてもってたっけ」
「ねぇねぇ、僕の話聞いてるー?」
目の前の男は不貞腐れながら私の前で犬のように座っていた。大柄の男だが顔から肩にかけて肉が引きつっていて、酷く痛そうだった。子供のような大人のようなそんな曖昧な存在だが、彼の片手にはハンマーのような鈍器と、その後ろには使い古して錆びてしまったチェーンソーがあった。もしや、もしかしなくても彼はあのメガネ男の言っていた殺人鬼なのかもしれない。いや、私からしたらあのサイコパスハゲ野郎の方が断然殺人鬼じみていると思う。今思えば何故冷静にあんな奴に話しかけたんだろうか、私の神経を疑いたい。
「ごめんね、君なんていうの?」
「僕?ヒルビリー!君は君は?」
「私は桔梗、私を起こしてくれてありがとう」
「うん?あ!そうだ、起こしたのはね、聞きたいことがね」
少し拙い言葉だが彼は頑張って私に伝えようとしてくれる、どうやらドクターという人を探しているらしい。特徴を聞いてみれば頭に変な器具をつけていていつも電撃を周りにばら撒いている金棒持った白衣の人物。うん。電撃をばら撒いているかどうかはともかくとして、それ以外は私を殺し、そして助けた男そのものだ。この子が殺人鬼だとしたら、あの男も同じ類なのだろうか。
「僕ドクターに会いに来たのに、お家にいなくて…探し回ってたら見つけたの、君を」
「まって、ここ家なの?」
「家じゃないけど、多分ドクターが住んでる!」
「まじか」
こんなところに住んでいるのか、可能性ではあるにしろ正常な人間ではないことに変わりはない。いや、逆にここに住んでいるせいで狂ってしまったのかもしれない。ともかく私はここから抜け出す方法を彼に聞かないといけないし、それよりあの服を返してもらわないと私が困る。まさか捨てられたなんてことはない、そんな現実は受け入れたくない。
「ねぇ桔梗、僕とドクター探すの手伝ってくれる?」
「いやまじか、ちょっとなぁ」
「ふえぇ、お願い」
白いワンピースの端を大きな手でギュ、と握られればその顔はなんとも悲嘆な表情をした。見てられない、最早彼は体がでかい子供なのだ。いつから殺人鬼に手を貸すほどお人好しになったんだ。そしてあの人見知りはどこに行った。そんなことを思いながらベッドからゆっくり下りた私は部屋の奥にある割れた鏡の前に立ち、ベッドの横に丁寧に置かれていた簪で後ろ髪をセットする。やはり私は長い髪を下ろしてもちっとも似合わない。
「この建物の中にいるの?」
「ううん、多分いないの。いつもは僕が大声で叫びながらチェーンソーを振り回したら絶対に気付いてくれるし、寝ているとしたら一つの部屋でしか寝ないから。そこにもいなかったってことは」
「待った待った、人を探すときにそれを振り回すな」
「でも、大きな音で気付いてもらえるんだ」
「もっと他に探す方法とか、インターホンとかないの?」
「いーぱーぽん?」
「とりあえずこの建物の中にいないんだね」
嘘だ、インターホンを知らないのか最近の人は。もしかして殺人鬼達はそれがわからないのか?いつの時代を生きているんだ、せめてベルとかあるだろう。きっとあの頭の良さそうなサイコパスハゲ野郎とか、少なくとも他の奴らはきっと知っている。私の周りだけ知っているなんてそんなアホメルヘンなことはない。
私は無い手かがりを彼のために探すことにした、何処かへ行ったとしたら…その痕跡は必ずあるだろう。なかったとしたら…その時は帰ってくるまで彼の相手をしてでも落ち着かせなければならない。下手したら私の命がないからだ。せっかく救われたこの命を無駄にできるものか、私はまだエブニャンを見なければならないんだ。
「ここがドクターの部屋だと思う、いつもこの椅子の上でたまにうたた寝してるんだ」
「あの人うたた寝とかしそうにないんだけど」
「するんだって、本当だよ」
別に信じてないわけではないが、あんなに目をガン開きして眠れるのだろうか。もしかしてその時は取って眠るのか、それだとしたらこんなにベッドが沢山あるのだから普通に横になればいいではないか。
部屋を見回し机の上を漁りながらそんなことを呆然と考えていた時、私は一枚のメモに目がいった。
「…×日、クロータス・プレン・アサイラム」
「それ今日だよ!」
「クロータス・プレン・アサイラムって人、誰かわかる?」
「それは人じゃないよ〜、場所の名前」
「そこへの行き方わかる?」
これだ、あの男はここにいるんだ。まさかこんなにもあっさりわかると思わなかった。というよりは安易にメモなんて残していることに驚いた。そこにまだいる確証はないが、今私達が手に入れられる唯一の手がかりはこれしかない。
もしその場所にドクターと呼ばれる男がいなかった時のために、私も彼にについていくことにした。というよりは、彼が一緒に行こうと言って聞かなかったのだ。
ある意味好都合ではあった。あの建物からの脱出方法はイマイチわからなかったが、どうやら私は彼に連れられ外に出ることに成功したようだ。あの仕組みはなんだったのだろうか。もしかしたらここの施設から出る方法は、特定の人物にしか理解できないのかもしれない。だが少なくとも不可能ではないということが今の状況から証明された。これだけでも大きな成果だ、でかした私。
荒地のような道をこの大男と並んで歩く、側から見れば滑稽すぎる。私だってこんな風景を誰かに見せたいわけでもなければ、望んでこのような結果になったわけでもない。いつまでこの腐った林道のような小道を歩いたらいいのだろうか、もしかしたらここが私の墓場になるのかもしれない。まだ確信は持てていないが、彼は殺人鬼なのだろうから…もしかしなくても私は騙されてここにいるのかもしれない。でも仕方ないんだ、今の私にこれ以外やることも手がかりもないわけで、それ以上に頼りにする人材もいない。あぁ私のリュックサックどこ行ったんだろう、私のあの限定Tシャツ、私のスマホ。もしかしてフックに吊るされたときに貫通して穴空いてるかな…あー嫌だ、辛い、この期に及んで自分の命より服やリュックの方が心配だなんて思わなかった。山菜採りに行って私が食べられるなんて話は聞きたくないし新聞にも載りたくない、それならまだ熊に遭遇していた方がいくらかマシだ。ワンちゃんもツーちゃんもある。
「桔梗、あれあれ!あれがクロータス・プレン・アサイラムだよ」
「えぇ…」
あの建物も大概だが、この建物こそ廃墟と呼ぶのに相応しかった。崩れ落ちた壁、足元はガラスのかけらがこの邪悪な世界に光を生むように散らばっている。なんともいえない圧倒的存在感を出す変な建物が私たちの目の前にはあった。そういえば私はここまでよく素足で歩いてきたものだ、今この状況になってやっと気づく。足元にガラスが、そんなことを靴を履いた状態でそうそう思う必要がないのだから。
「あ!おーい!ドクター探したよ!」
さっきまで私の横でだらだらと歩いていた彼が嬉しそうに建物に駆け寄る。彼の先にはしゃがんだ白衣の姿が一つ。あぁ、やはりあの男が彼の探していたドクターなのか。そして私を殺そうとして、助けた男。ということは彼もまた殺人鬼なのだろう。未だ憶測に過ぎないその考えが徐々に己の中で勝手に確定へと変わっていくのを感じる。
「あらヒルビリー、珍しいわね」
ドクターと呼ばれる男とは違う、建物の中から姿を現したのは花嫁だった。驚いた、少し汚れた白布をまとった花嫁は私に視線を向けるや否や、そのセリフの続きを喉の奥で止めた。私の姿に驚いているのか、それともあの花嫁も殺人鬼なのか。はたまたあの男の奥さんなのか、それなら花嫁姿をさせているのは…あの男の趣味?だとしたら、相当気持ちの悪い趣味をしている。
彼らに近付きながらそんなことを考える。一つのミッションをやっとクリアしたのだと溜息をついて瞬きをした、そのときだった。悲鳴のような声を上げて、次の瞬間には私の目の前にその花嫁はいた。白いドレスを揺らして、顔こそ見えないが気迫なオーラを感じる。なんだ、彼女は一体いつ、私の目の前に。
「あなた、よかったわぁ〜!」
久し振りの暖かな声、しかしそれに比例しない冷たい体、私は彼女にそのまま抱き締められた。なんだ、私は彼女に出会ったことがあっただろうか。それとも彼の奥さんである彼女は私の話を聞いていて、それで私の存在を知っているのか。私は混乱を表すように目を見開いて口を情けなく開け、ただただ抱き締められるがまま唖然としてしまった。
「ヒルビリー、どうしてここがわかった」
「あのねあのね、桔梗が教えてくれたの!」
「桔梗?」
ヒルビリーはそう言ってあの女を指差した。なるほど、あの女の名前か。いや、だとしたら尚更、何故彼女は私がこの場所にいることを知っていたんだ。おかしな事ばかりだったが、私の背後にいたナースが心配そうに彼女の元へ飛んで行き、激しく抱き締めている。彼女が目を覚ませば我々はそれらから驚きばかりを与えられる。退屈にはならないが、それでも不可解なことは多いまま…そもそも彼女はまだ完治していないのによくそんな素足でここまで辿り着いたものだ。ある意味人間の生命力には驚かされる。
一通りなにかしらを話したのか、ナースが彼女の手を優しく握ってこちらに連れてくる。殺人鬼でありながら彼女もあの女に興味が湧いたのか。あの女を連れて帰ってからというもの、ナースはその名の通り一日中つきっきりで看病をし、彼女がいつになっても目覚めないことを酷く心配していた。彼女の中の優しさが人間に対して露わになるのは珍しすぎた。
「動けるのか」
「何故動けないと思ったんですか?」
「お前の肺に直径10センチ近くの穴が空いたんだ、そんなに易々と動かれても困る」
彼女はキョド、とした顔で自分の胸元を探り始めた。すると気付いた時に感じる痛みというやつなのか、それとも。彼女は顔のパーツを歪めて小さく唸り声をあげその場に膝をついた。すかさずナースの奴が心配そうに彼女の背中をさするが、むしろここまでその痛みに気付かなかったのはなんだ。
「馬鹿なのか」
「貴方が、やったくせに?」
「そういえばそうだったか」
「奥さん、こいつ、ちゃんと躾してくださいよ」
「はい?」
「は?」
「何?」
ヒルビリーには理解できなかったのだろうか。私の背後で間抜けな面をしながらその様子を眺めている。
「こ、こんなサイコパスを夫にするほど私は落ちぶれてないわ!だいたい私にはアンドリューが!」
「それは生前の話だろう」
ナースは表情こそ見えないがきっと青ざめた顔をして、その歯ノコギリで何故か私を斬ろうとしてきた。たまらず私も金棒で回避するが、そもそもこの女がそのような勘違いをするのがおかしいのだ。私に怒りを向ける前にこの女に向けるべきではないのか。
「てっきり…花嫁のコスプレをさせるなんて、なかなかマニアックな、趣味がお有りなのかと」
「今すぐ楽にしてやる」
勘違いというレベルではない、これはもう私のことを侮辱しているのと同じだ。この女は頭がないのと大して変わらない、考えが相当狂っている。あぁそうだ、だからあの時私の能力が通じなかったんだ。そうに違いない。確信が持てる。
「桔梗、大丈夫?痛いの?」
ガタ、とチェーンソーが地面に転がればヒルビリーは何を焦ったのかこの女の元に駆け寄っていく。先ほどより歪んだ顔、痛みによる汗なのか額からポタポタと雫が垂れる。その上白い服が赤く染まっていくのを…
「おい、ヒルビリー触るな!」
数ヶ月ぶりにこの距離を何の手もなく歩いてきた、いくらリハビリとはいえ無理があった。彼女自身の体力が回復していない今、過度な運動のせいで治りが悪い傷口が開いてしまったのだ。
やっと目が覚めて、やっと実験が始まると思っていた矢先、正直この面倒ごとに立ち会いたくない。私は彼女を両腕で抱きかかえ目の前で心配するナースとヒルビリーに視線を向けた。
「ヒルビリー、また今度にしてくれ。ナース、ヒルビリーに口封じをしておけ」
「ドクター、隠す必要が」
「秘密にしておくように伝えろ」
ナースが言わんとすることを、私は無理やり遮った。これは私のモルモットなんだ。誰かに言い聞かせるわけではなく、私は私自身にそれを言い聞かせながら、腕の中にいる女と共に研究所を目指した。時折歪む声を上げながら腕の中で苦しそうにするこの女を、時折視線だけ落として眺める。睫毛の下で生きているその瞳は、やはり見間違いではない、私を唆ったあの瞳だ。
やっと目覚めたんだ、私のモルモットが。生きる可能性のあるこの女を、この私が活かさずしてどうなるのだ。
退屈させてくれるな私を。