悪魔と殺人鬼
名を刻もう
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「あらお嬢ちゃん」
「はいは…うわ!」
「え、何どうしたの?」
朝食を食べ終わり彼とともに施設へきた私は、今日は初めての資料まとめをしていた。彼が資料の右端に6種の印をつけているから、それを見て種類ごとに分けろという簡単な仕事なのだが、背後から聞こえる思わぬ来客の声に私はその資料を地面にぶちまけてしまった。いけない、なんてことをしてしまったんだ。ああこれでもし1枚足りないなんて言われたら、私の首が飛ぶ。彼の役に立ちたくて何か仕事を寄越せと言ったものの、よりにもよって彼の仕事を増やす側の立場に回るだなんて、絶対にあってはならないことなのだ。
いや、それより彼が目の前に実体化してることの方が驚きだ。わざわざテリトリーを離れてまでここまで来るメリットは、そう感じられないのだが。また彼からの怒りを買うようなことがあれば、面倒はごめんである。
「おじさま何故ここに」
「ん?今日はナースに用があってね、あんたがいるって聞いたからちょっと顔だしただけさ」
お嫁さんに、か。
二人が話している光景が全く浮かんでこないのは、この世界に私の知らない世界がまだまだあるという証拠。少し寂しいような。同時に、これから私が知る必要のある、彼ら同士の関係の露出が垣間見え___そう考えると私もこの世界に馴染みつつあるのだな、と思わず嬉しいような苦笑いを浮かべてしまった。
私は時点に散らばった資料をおじさまにも協力してもらい、なんとか200枚近くのそれらを集めることに成功。もし1枚2枚無くなっていたらその時はもう素直に謝るしかない。再び6種の振り分けをしなければと一枚一枚資料の端に目を通していた。
「お前…」
「おっと、飼い主のお出ましってわけ」
「死ぬまで現実逃避でもしてろ」
大体の資料を分け終わった私を見計らっていたのだろうか、ちょうどいいタイミングで彼がここへ訪れれば彼はそのまま近くの椅子に腰を下ろした。おじさまはというと、まぁ楽しそうにちょっかいをかけに彼のそばに寄るのだからもう少し刺激をしない選択というものを取ってもらいたいものだ。
「あの、終わりました」
「そこに置いておけ、じじぃは帰れ」
「誰も取りゃしねぇよ」
「そんなことではない」
まさにその通り、そもそも私なんか取る人もいないし(捕食対象としてはわからないが)、多分彼はそんなこと気にしてないだろう。仮にどこかに行こうとしたならば待っているのは死だろうし、彼は私の研究をするまで私を手放すことをしない。だから私は安心できるというわけなのだが、おじさまはまるで子ども同士のおちょくり合いのように彼に絡むのだ。自殺行為もいいところ、私がおじさまの立場ならこの時点で身を引いておきたい。
私はお嫁さんが淹れてくれていた飲みかけの紅茶を口に含む。もう冷め切ってしまったそれは私の心をチクチクと指しているようで、しかし口に広がる柔らかさと香ばしさはなんと幸せなものなのか。そんな幸せに浸る私と、目の前で地獄の入り口前での醜い争いをしてる猛者二人、対極にも程がある。
「取られたら困るくせによぉ」
「戯言を」
「好きなんだろ?」
「あまり調子に…」
「もう頃合いだろ、桔梗が好きってはっきり言ったらどうだ」
___は?
その場にいる彼以外の二人が、綺麗にハマったのは言うまでもない。何を言っているのだろうか、まさかとは思うが彼は私が夢の中で彼を想っているということを、彼が私を想っていると勘違いしているのか。いやまさか、流石に歳をとっているとはいえそこまで極端に解釈を間違えることはないだろうから、これは多分彼の楽しみの一つなのだ。
「あはは、おじさま笑えないですって」
だから私はこんな微妙な空気を切るために引き笑いをしながら臭いセリフを吐いた。お嫁さんがいればもっとまともな返しができたかもしれないし、ビリーくんがいればそれを理由にわちゃわちゃしながらここから退くことができるというのに、なんて絶妙な空間なんだ。おじさまもおじさまで笑いながら帽子を抑えて机の上に腰をかけるのだからもう何も言うことはない、というか何も言えない。
「そうだな」
「ほらねー?」
……………。
あれ、今何、言いました?
いくらノロマな彼女とはいえいい加減資料の分散も終わったことだろう、私は第2ルームへ向かったはいいものの、中から聞こえる声に眉間が軋んだ。あの男、ナースが今日は自分に用があるからといって呼んでいたのは知っているが、どうしてここにわざわざ足を寄越すのか。話が済んだのならさっさと貴様の持ち場に帰ればいいものを。
私は中に入れば安定したような口ぶりで彼を追い出そうと試みる。それも無駄なことだとわかっていながらも、二人きりで話していたと考えれば何故か私は無性に嫌気がさしたのだ。椅子に腰をかけ彼女からまとめ終わった6種の資料を受け取れば簡易的ではあったがミスがないかをおおよそで確認する、パラパラと鳴くページにかぶせるようにこの男は馬鹿げた言葉を吐くのだから私は呆れて仕方がなかった。
「もう頃合いだろ」
「好きってはっきり言ったらどうだ」
桔梗が。
持ったばかりのペンのインクが私の白衣を汚した。それは私の心を突いているようで、ギリリと器具でむき出しになった口で歯ぎしりをする。
正直何を言っているのかわからなかった、いや、本当は受け入れようとしていなかっただけなのかもしれない。それは図星のように今の私を動揺させているのは間違いないのだ。
否、待ってくれ。だとしたら、いつ、いつからだ。私がもしその感情を手にしていたとするならば、望んでいなかったはずの新たな感情を正確に感じたのは。こうしてはっきりと彼女が好きなのだろうと問われてやっと、全てが正しく穴を埋めるように完成するこの感覚。
「…好き…」
眠るお前が誰を何を見て言ったのかわからないあの言葉が、私の心を引き裂こうとしたあの時からか。
「好きです」
彼女が読んでいた本のことを、ただそう言っただけなのに酷く動揺したあの時からか?
「あなたみたいですね」
あの白い花を指して私みたいだと言ったお前の、無邪気でバカでありえないと思えたあの時から…
違う、もっと、もっと前だ。私は本当は気付いていて、けれど私はこれに名前をつけることができなかった。それは生前の自分の生き様のせいでもあり、私が頑なに否定して、私がそれをそう呼ぶことだと知らなかったから。
「ねぇ、聞きたいんだけど!」
あの時彼女がなんの気もなしに私に話しかけてきた時の、表現し難い美しい瞳が、漆黒のような輝きが。私が彼女を手放せなくなった瞬間、殺人鬼と理解した今ですら私を恐れて恐れない、強く脆い存在。私には何一つとして存在しない彼女の魅力が、自分が気づかない間にここまで自分を縛っていた。そして度々感じる幾多もの感情が、全て鎖のように繋がり誤解を解いていく。モルモットだからではない、彼女をモルモットと無理やり呼び自分からその事実を手放そうとしていただけだ。そうしなければ、己の元に置く、偽りの自然な理由にできなかったからだ。たまに生まれたあの独占欲は、本当に自分の中の唯一の素直な気持ちだったんだ。
ああ、ダメだ。生前自分が得なかったものが、今この場になってようやく理解してしまった。これだけ待って自ら待たせて、そして気付いたこの感情を、私はもうそらすことができないのだろうか。解読されるこの一年近くの感情の揺らぎの全て、その全てが彼女に向けた私の気持ち故なのだ。だから好きという言葉に過剰に反応して、彼女の成長と幸せが私を少なからず安心させていたのだ。
「そうだな」
愛おしい。まだ幼いと思っていた彼女が、こんなにも大きな存在で、私にないものをたくさん持っていて。もしもう一度この男に取られてしまうと質問されれば、私はきっと全力で彼女を譲る気はないと口にするだろうか。
私はペンを机に置いて椅子を回し彼女に視線を向ける。あどけない表情で徐々に紅潮していくその頬は、私の心を狂わせるほど喜ばせた。愛らしい、この世界でなんと儚い存在で、私を掴んで離さないのは、まぎれもない彼女自身。回した椅子から立ち上がり下品に机へ座る男を無視して彼女の前まで行く、そして私は慕っているかのように片膝をついて彼女を下から見上げた。驚いたように紅潮させたままその宝石を見開く彼女、やはりそうだ、この気持ちに偽りはない。正しい感情に気付いた今の私は、驚くほどに苦しくない。
「桔梗」
「え、なになに、どういう?」
「遅くなった」
「なななんのはなしで」
「深く慕っている」
私は彼女の手を取って口元に寄せた。器具を外してすればよかったと後悔もしたが、私はどうやら行動の方が素直なようだ。閉じることができない瞳で彼女をちらりと見やればそれは正しく熟れたいちごのような、そんな赤さ。いつも寝る時に情けなく開けているその口をさらにだらしなく開けて、混乱するその揺れる瞳は一体彼女の心をどう揺らしているのだろうか。彼女の気持ち、そんなことを考えずに伝えたこの気持ちだが、今更離してもらえると思っているわけでもないだろう。離さないし離せない、この世界で生きると決めたのなら全てを捨てて受け入れるしかないのだ。
「お、おい」
「ナースに帰宅すると伝えておけ」
私は硬直した彼女を抱き上げて資料をそのままに部屋を出た。嘘だろ、と呆れながら呟いた諸悪の根源をよそに、私は腕の中にいる己の宝石へと視線を向けた。未だ固まった紅潮しているそれは一体いつまで続くのか。鼻で笑えば怯えるように身を縮めるのが面白く、私は器具を軋ませながらも口角を上げた。
帰った時、彼女は最初に何を言うだろうか。
エンティティよ。お前をまた一つ、憎く思う。
あの娘を縛り付けるのが、己だけではないということ。
そして永遠に笑い続けていればいい。
この上なく惨い世界で、不確かな永遠を誓う哀れな私たちの、血濡れた感情の肖像を。
「はいは…うわ!」
「え、何どうしたの?」
朝食を食べ終わり彼とともに施設へきた私は、今日は初めての資料まとめをしていた。彼が資料の右端に6種の印をつけているから、それを見て種類ごとに分けろという簡単な仕事なのだが、背後から聞こえる思わぬ来客の声に私はその資料を地面にぶちまけてしまった。いけない、なんてことをしてしまったんだ。ああこれでもし1枚足りないなんて言われたら、私の首が飛ぶ。彼の役に立ちたくて何か仕事を寄越せと言ったものの、よりにもよって彼の仕事を増やす側の立場に回るだなんて、絶対にあってはならないことなのだ。
いや、それより彼が目の前に実体化してることの方が驚きだ。わざわざテリトリーを離れてまでここまで来るメリットは、そう感じられないのだが。また彼からの怒りを買うようなことがあれば、面倒はごめんである。
「おじさま何故ここに」
「ん?今日はナースに用があってね、あんたがいるって聞いたからちょっと顔だしただけさ」
お嫁さんに、か。
二人が話している光景が全く浮かんでこないのは、この世界に私の知らない世界がまだまだあるという証拠。少し寂しいような。同時に、これから私が知る必要のある、彼ら同士の関係の露出が垣間見え___そう考えると私もこの世界に馴染みつつあるのだな、と思わず嬉しいような苦笑いを浮かべてしまった。
私は時点に散らばった資料をおじさまにも協力してもらい、なんとか200枚近くのそれらを集めることに成功。もし1枚2枚無くなっていたらその時はもう素直に謝るしかない。再び6種の振り分けをしなければと一枚一枚資料の端に目を通していた。
「お前…」
「おっと、飼い主のお出ましってわけ」
「死ぬまで現実逃避でもしてろ」
大体の資料を分け終わった私を見計らっていたのだろうか、ちょうどいいタイミングで彼がここへ訪れれば彼はそのまま近くの椅子に腰を下ろした。おじさまはというと、まぁ楽しそうにちょっかいをかけに彼のそばに寄るのだからもう少し刺激をしない選択というものを取ってもらいたいものだ。
「あの、終わりました」
「そこに置いておけ、じじぃは帰れ」
「誰も取りゃしねぇよ」
「そんなことではない」
まさにその通り、そもそも私なんか取る人もいないし(捕食対象としてはわからないが)、多分彼はそんなこと気にしてないだろう。仮にどこかに行こうとしたならば待っているのは死だろうし、彼は私の研究をするまで私を手放すことをしない。だから私は安心できるというわけなのだが、おじさまはまるで子ども同士のおちょくり合いのように彼に絡むのだ。自殺行為もいいところ、私がおじさまの立場ならこの時点で身を引いておきたい。
私はお嫁さんが淹れてくれていた飲みかけの紅茶を口に含む。もう冷め切ってしまったそれは私の心をチクチクと指しているようで、しかし口に広がる柔らかさと香ばしさはなんと幸せなものなのか。そんな幸せに浸る私と、目の前で地獄の入り口前での醜い争いをしてる猛者二人、対極にも程がある。
「取られたら困るくせによぉ」
「戯言を」
「好きなんだろ?」
「あまり調子に…」
「もう頃合いだろ、桔梗が好きってはっきり言ったらどうだ」
___は?
その場にいる彼以外の二人が、綺麗にハマったのは言うまでもない。何を言っているのだろうか、まさかとは思うが彼は私が夢の中で彼を想っているということを、彼が私を想っていると勘違いしているのか。いやまさか、流石に歳をとっているとはいえそこまで極端に解釈を間違えることはないだろうから、これは多分彼の楽しみの一つなのだ。
「あはは、おじさま笑えないですって」
だから私はこんな微妙な空気を切るために引き笑いをしながら臭いセリフを吐いた。お嫁さんがいればもっとまともな返しができたかもしれないし、ビリーくんがいればそれを理由にわちゃわちゃしながらここから退くことができるというのに、なんて絶妙な空間なんだ。おじさまもおじさまで笑いながら帽子を抑えて机の上に腰をかけるのだからもう何も言うことはない、というか何も言えない。
「そうだな」
「ほらねー?」
……………。
あれ、今何、言いました?
いくらノロマな彼女とはいえいい加減資料の分散も終わったことだろう、私は第2ルームへ向かったはいいものの、中から聞こえる声に眉間が軋んだ。あの男、ナースが今日は自分に用があるからといって呼んでいたのは知っているが、どうしてここにわざわざ足を寄越すのか。話が済んだのならさっさと貴様の持ち場に帰ればいいものを。
私は中に入れば安定したような口ぶりで彼を追い出そうと試みる。それも無駄なことだとわかっていながらも、二人きりで話していたと考えれば何故か私は無性に嫌気がさしたのだ。椅子に腰をかけ彼女からまとめ終わった6種の資料を受け取れば簡易的ではあったがミスがないかをおおよそで確認する、パラパラと鳴くページにかぶせるようにこの男は馬鹿げた言葉を吐くのだから私は呆れて仕方がなかった。
「もう頃合いだろ」
「好きってはっきり言ったらどうだ」
桔梗が。
持ったばかりのペンのインクが私の白衣を汚した。それは私の心を突いているようで、ギリリと器具でむき出しになった口で歯ぎしりをする。
正直何を言っているのかわからなかった、いや、本当は受け入れようとしていなかっただけなのかもしれない。それは図星のように今の私を動揺させているのは間違いないのだ。
否、待ってくれ。だとしたら、いつ、いつからだ。私がもしその感情を手にしていたとするならば、望んでいなかったはずの新たな感情を正確に感じたのは。こうしてはっきりと彼女が好きなのだろうと問われてやっと、全てが正しく穴を埋めるように完成するこの感覚。
「…好き…」
眠るお前が誰を何を見て言ったのかわからないあの言葉が、私の心を引き裂こうとしたあの時からか。
「好きです」
彼女が読んでいた本のことを、ただそう言っただけなのに酷く動揺したあの時からか?
「あなたみたいですね」
あの白い花を指して私みたいだと言ったお前の、無邪気でバカでありえないと思えたあの時から…
違う、もっと、もっと前だ。私は本当は気付いていて、けれど私はこれに名前をつけることができなかった。それは生前の自分の生き様のせいでもあり、私が頑なに否定して、私がそれをそう呼ぶことだと知らなかったから。
「ねぇ、聞きたいんだけど!」
あの時彼女がなんの気もなしに私に話しかけてきた時の、表現し難い美しい瞳が、漆黒のような輝きが。私が彼女を手放せなくなった瞬間、殺人鬼と理解した今ですら私を恐れて恐れない、強く脆い存在。私には何一つとして存在しない彼女の魅力が、自分が気づかない間にここまで自分を縛っていた。そして度々感じる幾多もの感情が、全て鎖のように繋がり誤解を解いていく。モルモットだからではない、彼女をモルモットと無理やり呼び自分からその事実を手放そうとしていただけだ。そうしなければ、己の元に置く、偽りの自然な理由にできなかったからだ。たまに生まれたあの独占欲は、本当に自分の中の唯一の素直な気持ちだったんだ。
ああ、ダメだ。生前自分が得なかったものが、今この場になってようやく理解してしまった。これだけ待って自ら待たせて、そして気付いたこの感情を、私はもうそらすことができないのだろうか。解読されるこの一年近くの感情の揺らぎの全て、その全てが彼女に向けた私の気持ち故なのだ。だから好きという言葉に過剰に反応して、彼女の成長と幸せが私を少なからず安心させていたのだ。
「そうだな」
愛おしい。まだ幼いと思っていた彼女が、こんなにも大きな存在で、私にないものをたくさん持っていて。もしもう一度この男に取られてしまうと質問されれば、私はきっと全力で彼女を譲る気はないと口にするだろうか。
私はペンを机に置いて椅子を回し彼女に視線を向ける。あどけない表情で徐々に紅潮していくその頬は、私の心を狂わせるほど喜ばせた。愛らしい、この世界でなんと儚い存在で、私を掴んで離さないのは、まぎれもない彼女自身。回した椅子から立ち上がり下品に机へ座る男を無視して彼女の前まで行く、そして私は慕っているかのように片膝をついて彼女を下から見上げた。驚いたように紅潮させたままその宝石を見開く彼女、やはりそうだ、この気持ちに偽りはない。正しい感情に気付いた今の私は、驚くほどに苦しくない。
「桔梗」
「え、なになに、どういう?」
「遅くなった」
「なななんのはなしで」
「深く慕っている」
私は彼女の手を取って口元に寄せた。器具を外してすればよかったと後悔もしたが、私はどうやら行動の方が素直なようだ。閉じることができない瞳で彼女をちらりと見やればそれは正しく熟れたいちごのような、そんな赤さ。いつも寝る時に情けなく開けているその口をさらにだらしなく開けて、混乱するその揺れる瞳は一体彼女の心をどう揺らしているのだろうか。彼女の気持ち、そんなことを考えずに伝えたこの気持ちだが、今更離してもらえると思っているわけでもないだろう。離さないし離せない、この世界で生きると決めたのなら全てを捨てて受け入れるしかないのだ。
「お、おい」
「ナースに帰宅すると伝えておけ」
私は硬直した彼女を抱き上げて資料をそのままに部屋を出た。嘘だろ、と呆れながら呟いた諸悪の根源をよそに、私は腕の中にいる己の宝石へと視線を向けた。未だ固まった紅潮しているそれは一体いつまで続くのか。鼻で笑えば怯えるように身を縮めるのが面白く、私は器具を軋ませながらも口角を上げた。
帰った時、彼女は最初に何を言うだろうか。
エンティティよ。お前をまた一つ、憎く思う。
あの娘を縛り付けるのが、己だけではないということ。
そして永遠に笑い続けていればいい。
この上なく惨い世界で、不確かな永遠を誓う哀れな私たちの、血濡れた感情の肖像を。