悪魔と殺人鬼
名を刻もう
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こんなにも退屈だと感じるようになるとは思わなかった。あれだけ話し相手になってくるていたお嫁さんも、たまにだけど遊びに来てくれていたビリーくんも、怒られても絶対来ては彼をイラつかせていたシェイプさんも、誰一人としてこの家に来てくれなくなったのだ。
ついこの間ビリーくんが1回だけ来てくれたのだが、あれ以降全く来てくれなくて。クラウンさんとはこの間初めましてをしてそれっきり、それどころかお嫁さんに会いにいっても今までのような長話に入らずどこかよそよそしい態度。おかしい、いくらなんでもおかしすぎる。私のことが嫌いになったとかは安直すぎるか、それともエンティティの仕業で私に関わるなとか…いや、それだとしたらあの男の方が先に言いそうだ。もしかしたら、こんなにみんなから避けられる原因は彼なのだろうか。
そりゃ私は彼にとっては面倒でうるさくて理由もわからずここにいるようなモルモットですよ。でも、けれど、いつもヘナヘナしているからって、私が傷つかないなんて保証はない。
「はぁ…」
感傷に浸る私は一人彼の住処で時間が過ぎるのを待っていた。こんなにもこの空間が冷たく孤独を感じるというのなら、今日くらいお嫁さんがいなくても彼についていけばよかった、と後悔する。嫌われていたとしたら、何かが原因で私を避けるしかないのだとしたら、どんな理由であれ私は酷く傷つくだろう。ああおかしい、あの世界でここまで悲しみを感じたことがあっただろうか。それどころか他人に興味もなくて、悪口も平気で笑われても頭に入らなくて、悲しかったことといえば家で飼っていたハムスターが死んだことくらいだ。それ以外、変な話だけど友達が傷付いていても感傷に浸るほど感情移入もできなかった。だが今はどうだろう、こんなにも死んだような白黒の世界で、私は生きている時よりずっと心が豊かになっている。あの時よりなぜか生きている心地がする。悔しいような嬉しいような、そんな曖昧な喜びを感じる。
仮にこの感覚があの男のおかげなのだとしたら、きっと彼のいうショック医療とやらが成功したのだろう。いや、あんな暴力に治療効果があるのも思えない、おかげなんて到底言えるものではない。でも、私に何か変化があるとしたら…それは私の世界に彼が存在するようになったことで、それ以外に何かあるとしたらやはり何もないのだ。ならやはり彼のおかげ?うん、絶対違うしやめてほしい。私の元々持ったものが今になって出ただけなんだ。きっとお嫁さんとお話ししたり、ビリーくんと遊んだりしたおかげなんだ。そうだ、きっとそうなんだ。だからやめてよ。
「ドクター…」
桔梗よ、彼の名を呼ばないで。
「私は」
違う、違うはずなのに、どうして。私はあなたのことなんて好きじゃない。怖くて気持ち悪くて、あなたに話しかけたあの日を何奥と後悔したんだ。今ですらこんなにも後悔しているのに。
「ドクター…」
だから違う。これはただ彼に洗脳され、彼に従うしか方法がないから、悪い依存をしているだけなんだ。時に優しくしてくれるのも、こうして私の世話をしてくれるのも、全て全てが彼にとってただの暇つぶしで、本当は私なんて邪魔で堪らなくて、でも私がいる限り仕方がないことだからこうしてくれるんだ。溺れないで。そんな怖い道を選ばないで。
「ドク」
「なんだ」
「あああああああああ」
今までこんな叫び声をあげたことがあるだろうか。きっとお化けにあった時より、突然部屋にゴ××リが出てきた時より、友達に後ろから驚かされた時よりずっとずっとバカみたいな声。喉を絞って狭くしたにも関わらず酷く大きくてガラガラの枯れた声、そんな声を上げた自分を今、酷く恥ずかしく思う。ああ嫌だ、いつからいたんだこの男、というかもうそんな時間なのか。私は片手で口を隠して見開いた目で彼を見た。当然のような呆れた態度で私を見下ろすこの男は、今の私を見てどう思うのだろうか。やめよう、こんな想像は自分を苦しめるだけだ。
「す、すい、おかえ、あーっ」
「どうした」
「は、何か」
「泣いている」
彼はそう言って私の頬を濡らしていた雫を人差指で掬った。なんだ、私はいつから泣いていたんだ。彼にそう言われてから気付いたこの頬を痛める乾燥具合、私は彼に話しかけられる前から泣いていたというのだ。気付かないほどそれに浸っていたつもりはないし、そんなに泣くほど悲しいこともなかったはずなのに。
「何があった」
「いえ、何も無いんですが」
「人間は何も無いのに泣くようになったか」
まさか、そんなはずはない。けれど自分が泣いている理由が、ないわけではないがうまく説明できないのも確かで、それはつまり"何も無い"のと等しいのだ。自分の中で自問自答を繰り返してただ勝手に泣いていた、それだけなのに、何かあったかと言われたらそりゃ無いと答えるしかない。だってこれを彼に伝えたところで、それで、何か変わるの?そもそもこれを彼に伝えて、彼が知りたい答えに繋がるの?
「すいません、ご飯、作ります」
「構わん」
「ありがとうございます…」
「構わんと言っているだろう」
「へ?」
いや、わからん。彼が言っている構わん、という言葉は私の謝罪に対することではないのだろうか。違う、彼がこうして私が台所へ行こうとするのを拒むということは、そういうことなんだ。だが私が作らなければ、彼が作る以外に今日の食事を迎えることはできない。
少なくとも彼は、私がこの世界で生きる意味を与えてくれている。ご飯を作って彼の風呂の世話をして就寝時は抱き枕になり…最初こそ嫌でたまらないことだったが、考えれば私にできることはこれ以外にないんだ。ああそうか、私は彼のことが好きなのではない。彼は私に生きる意味をくれる、だから私はただ彼を頼りにしているだけ、頼りにしかできないだけ。だから私の世界に存在する。なんだ、当たり前のことじゃないか。だったら尚更私が夕食を作らなければならないのだ、この手を離してもらわなければ。
お願いだから、私の価値を無くさないでほしい。
「いえ、私が作ります」
「もうできている」
何を言っているんだ。まさか、私は彼が帰ってきたことに気付かないどころか、彼は帰って夕食を作り終えた後だということなのだろうか。やめてくれ、そこまで私は落ちこぼれただなんて、そんな事実を行動で突きつけないで。ああまずい、さっきよりずっと苦しい。辛い、こんなに自分の生存意義が失われることが悲しいなんて、やはり私はあの世界にいる時より生かされていたんだ。
「桔梗ちゃん」
いつからそこにいたんですか。声の方向に視線を向ければ、そこにいるのはその声の主だけではなかった。そこにはビリーくんと、ずっと後ろにどこか混ざりそうで混ざれない空気を醸し出しているシェイプさん。どうしたんだろう、その手に持っているバスケット、みんなはだって、私を避けて。
「本当は私のところに連れて帰った時にする予定だったんだけどね」
「僕、早く食べたい!」
なんの話だろうか。私が彼女のところへ行っていたら、どうしたんだろうか。
私はこの男に未だ腕を掴まれたままポカンと固まっていた。机の上に彼女たちは持っていたバスケットを置いて上に被せていたナプキンを取り払う。なんとなく、どこかで気付いていた気がする。そういえば香ばしいこの懐かしさ、これは私がよく寝坊しそうな時に食べていた、あの優しい香り。空腹を誘う幸せ。
「桔梗ちゃ」
「桔梗!退院おめでとー!」
「ゴフッ」
ビリーくんの言葉でこの状況をようやく理解する、それと同時にその巨体で飛びついてくる彼に私は地面と背中合わせにさせられた。私の腕を掴んでいたこの男が瞬時に私の頭に手を回さなかったら、きっと今頃…当たりが悪ければ死んでいた気がする、そんな勢い。ああだめだ、こんな時に見せる彼の優しさが、今の私には猛毒でしかない。
「食ったらさっさと帰れ」
「連れないわね本当に」
「…」
「早く早く!ナースのパン、美味しい!」
「桔梗ちゃん、ほらこっち」
ああ、でも、暖かい。猛毒だけど、暖かすぎる。
「ん、ふふ」
彼女たちは驚いた様子で私を見た、あのシェイプさんですら遠目から分かるほどに驚いている。そりゃ、そうだよね?だって今私、本当に本当に幸せでたまらなくて、情けないほど緩んだ笑みを浮かべているんだ。こんなに笑ったのは、初めてかもしれないよ。
みんなが私を、あなたが私を、この世界で生かす理由を作ってくれているんだ。
だから、ありがとうございます。
ついこの間ビリーくんが1回だけ来てくれたのだが、あれ以降全く来てくれなくて。クラウンさんとはこの間初めましてをしてそれっきり、それどころかお嫁さんに会いにいっても今までのような長話に入らずどこかよそよそしい態度。おかしい、いくらなんでもおかしすぎる。私のことが嫌いになったとかは安直すぎるか、それともエンティティの仕業で私に関わるなとか…いや、それだとしたらあの男の方が先に言いそうだ。もしかしたら、こんなにみんなから避けられる原因は彼なのだろうか。
そりゃ私は彼にとっては面倒でうるさくて理由もわからずここにいるようなモルモットですよ。でも、けれど、いつもヘナヘナしているからって、私が傷つかないなんて保証はない。
「はぁ…」
感傷に浸る私は一人彼の住処で時間が過ぎるのを待っていた。こんなにもこの空間が冷たく孤独を感じるというのなら、今日くらいお嫁さんがいなくても彼についていけばよかった、と後悔する。嫌われていたとしたら、何かが原因で私を避けるしかないのだとしたら、どんな理由であれ私は酷く傷つくだろう。ああおかしい、あの世界でここまで悲しみを感じたことがあっただろうか。それどころか他人に興味もなくて、悪口も平気で笑われても頭に入らなくて、悲しかったことといえば家で飼っていたハムスターが死んだことくらいだ。それ以外、変な話だけど友達が傷付いていても感傷に浸るほど感情移入もできなかった。だが今はどうだろう、こんなにも死んだような白黒の世界で、私は生きている時よりずっと心が豊かになっている。あの時よりなぜか生きている心地がする。悔しいような嬉しいような、そんな曖昧な喜びを感じる。
仮にこの感覚があの男のおかげなのだとしたら、きっと彼のいうショック医療とやらが成功したのだろう。いや、あんな暴力に治療効果があるのも思えない、おかげなんて到底言えるものではない。でも、私に何か変化があるとしたら…それは私の世界に彼が存在するようになったことで、それ以外に何かあるとしたらやはり何もないのだ。ならやはり彼のおかげ?うん、絶対違うしやめてほしい。私の元々持ったものが今になって出ただけなんだ。きっとお嫁さんとお話ししたり、ビリーくんと遊んだりしたおかげなんだ。そうだ、きっとそうなんだ。だからやめてよ。
「ドクター…」
桔梗よ、彼の名を呼ばないで。
「私は」
違う、違うはずなのに、どうして。私はあなたのことなんて好きじゃない。怖くて気持ち悪くて、あなたに話しかけたあの日を何奥と後悔したんだ。今ですらこんなにも後悔しているのに。
「ドクター…」
だから違う。これはただ彼に洗脳され、彼に従うしか方法がないから、悪い依存をしているだけなんだ。時に優しくしてくれるのも、こうして私の世話をしてくれるのも、全て全てが彼にとってただの暇つぶしで、本当は私なんて邪魔で堪らなくて、でも私がいる限り仕方がないことだからこうしてくれるんだ。溺れないで。そんな怖い道を選ばないで。
「ドク」
「なんだ」
「あああああああああ」
今までこんな叫び声をあげたことがあるだろうか。きっとお化けにあった時より、突然部屋にゴ××リが出てきた時より、友達に後ろから驚かされた時よりずっとずっとバカみたいな声。喉を絞って狭くしたにも関わらず酷く大きくてガラガラの枯れた声、そんな声を上げた自分を今、酷く恥ずかしく思う。ああ嫌だ、いつからいたんだこの男、というかもうそんな時間なのか。私は片手で口を隠して見開いた目で彼を見た。当然のような呆れた態度で私を見下ろすこの男は、今の私を見てどう思うのだろうか。やめよう、こんな想像は自分を苦しめるだけだ。
「す、すい、おかえ、あーっ」
「どうした」
「は、何か」
「泣いている」
彼はそう言って私の頬を濡らしていた雫を人差指で掬った。なんだ、私はいつから泣いていたんだ。彼にそう言われてから気付いたこの頬を痛める乾燥具合、私は彼に話しかけられる前から泣いていたというのだ。気付かないほどそれに浸っていたつもりはないし、そんなに泣くほど悲しいこともなかったはずなのに。
「何があった」
「いえ、何も無いんですが」
「人間は何も無いのに泣くようになったか」
まさか、そんなはずはない。けれど自分が泣いている理由が、ないわけではないがうまく説明できないのも確かで、それはつまり"何も無い"のと等しいのだ。自分の中で自問自答を繰り返してただ勝手に泣いていた、それだけなのに、何かあったかと言われたらそりゃ無いと答えるしかない。だってこれを彼に伝えたところで、それで、何か変わるの?そもそもこれを彼に伝えて、彼が知りたい答えに繋がるの?
「すいません、ご飯、作ります」
「構わん」
「ありがとうございます…」
「構わんと言っているだろう」
「へ?」
いや、わからん。彼が言っている構わん、という言葉は私の謝罪に対することではないのだろうか。違う、彼がこうして私が台所へ行こうとするのを拒むということは、そういうことなんだ。だが私が作らなければ、彼が作る以外に今日の食事を迎えることはできない。
少なくとも彼は、私がこの世界で生きる意味を与えてくれている。ご飯を作って彼の風呂の世話をして就寝時は抱き枕になり…最初こそ嫌でたまらないことだったが、考えれば私にできることはこれ以外にないんだ。ああそうか、私は彼のことが好きなのではない。彼は私に生きる意味をくれる、だから私はただ彼を頼りにしているだけ、頼りにしかできないだけ。だから私の世界に存在する。なんだ、当たり前のことじゃないか。だったら尚更私が夕食を作らなければならないのだ、この手を離してもらわなければ。
お願いだから、私の価値を無くさないでほしい。
「いえ、私が作ります」
「もうできている」
何を言っているんだ。まさか、私は彼が帰ってきたことに気付かないどころか、彼は帰って夕食を作り終えた後だということなのだろうか。やめてくれ、そこまで私は落ちこぼれただなんて、そんな事実を行動で突きつけないで。ああまずい、さっきよりずっと苦しい。辛い、こんなに自分の生存意義が失われることが悲しいなんて、やはり私はあの世界にいる時より生かされていたんだ。
「桔梗ちゃん」
いつからそこにいたんですか。声の方向に視線を向ければ、そこにいるのはその声の主だけではなかった。そこにはビリーくんと、ずっと後ろにどこか混ざりそうで混ざれない空気を醸し出しているシェイプさん。どうしたんだろう、その手に持っているバスケット、みんなはだって、私を避けて。
「本当は私のところに連れて帰った時にする予定だったんだけどね」
「僕、早く食べたい!」
なんの話だろうか。私が彼女のところへ行っていたら、どうしたんだろうか。
私はこの男に未だ腕を掴まれたままポカンと固まっていた。机の上に彼女たちは持っていたバスケットを置いて上に被せていたナプキンを取り払う。なんとなく、どこかで気付いていた気がする。そういえば香ばしいこの懐かしさ、これは私がよく寝坊しそうな時に食べていた、あの優しい香り。空腹を誘う幸せ。
「桔梗ちゃ」
「桔梗!退院おめでとー!」
「ゴフッ」
ビリーくんの言葉でこの状況をようやく理解する、それと同時にその巨体で飛びついてくる彼に私は地面と背中合わせにさせられた。私の腕を掴んでいたこの男が瞬時に私の頭に手を回さなかったら、きっと今頃…当たりが悪ければ死んでいた気がする、そんな勢い。ああだめだ、こんな時に見せる彼の優しさが、今の私には猛毒でしかない。
「食ったらさっさと帰れ」
「連れないわね本当に」
「…」
「早く早く!ナースのパン、美味しい!」
「桔梗ちゃん、ほらこっち」
ああ、でも、暖かい。猛毒だけど、暖かすぎる。
「ん、ふふ」
彼女たちは驚いた様子で私を見た、あのシェイプさんですら遠目から分かるほどに驚いている。そりゃ、そうだよね?だって今私、本当に本当に幸せでたまらなくて、情けないほど緩んだ笑みを浮かべているんだ。こんなに笑ったのは、初めてかもしれないよ。
みんなが私を、あなたが私を、この世界で生かす理由を作ってくれているんだ。
だから、ありがとうございます。