悪魔と殺人鬼
名を刻もう
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この場所でどれだけの人間が命を落としたのか、私は稀に考えることがある。モニターを囲うように並べられた5つの椅子には、いくつかの焼け焦げた後と血液によって錆びれた傷が刻まれていて、それら全てが私の生前を物語っていた。何人の囚人が、どれだけの命がこの網状の床を赤く染めただろうか。その度に私は彼らに丁寧に質問をして、命を奪ってやった。途中で気が狂うものもいれば、それまでに死んだものもいて、更に私に反抗してきた愚か者もいたがそれですら私の玩具に過ぎなかった。当時からこの体に流れる電気は彼らにきっと幸せな時間を与えただろう。この椅子に座った時点で既に死ぬことが決められている。わからない未来に希望を抱くより目で見てわかる未来の方が死を覚悟するには最適で、さぞ楽だっただろう。
今もなお存在するこの椅子にはもう誰も座ることはないが、それでもこの椅子に時折誰かを座らせて当時のように質問をしてやりたいと思うのは自分の中に流れる殺戮の欲求故だろう。ならばあの女をここに座らせ実験をすれば良いのではと誰かが言うかもしれないが、今のところあんな馬鹿をここに座らせるのは勿体ない。そこまでの価値があるとも思えない。
「へいへいへーい」
そう、この女だ。なんだそのふざけた声に間の抜けたセリフ、さっさと病室に帰れと言いたいが彼女が自らこうして話しかけに来るのは余程のことがない限りありえないこと。私は苛立ちと妙な感覚にため息を深く吐いて嫌味を乗せた声色で呟いた。
「帰れ」
「お嫁さんが呼んでいましたが」
「わかった」
「あーいや、呼んでたんですけど、ちょっと来客がーとか言われて部屋追い出されちゃって」
どういうことだ。ナースがあの部屋からこの女を追い出してまで迎えた客とはなんだ。まさかバレてはいけない殺人鬼でも来たのか、それなら話は別だ。勢いでつい帰れとは言ったが彼女をここに留めておかなければならない。
「まぁ要件済んだから帰るよ」
「帰るな」
「ふわ?矛盾し過ぎでは?」
全くもってその通りだが、ナースの状況を聞いた今ではこれも致し方ないことだ。目障り耳障りの面倒転がりな状況ではあるが、他者にバレるほど面倒なこともない、ただ私が我慢すればいい話。いっときの面倒だと思えばこの程度の問題、儀式とそう変わらない。
「そこに座ってろ」
「いや無理無理無理、縛られる予感しかしないんでここに座ります」
私が顎でさしたのはモニターを囲んだ椅子だったが、彼女は全力でそれを拒否して横にあった倒れた台車に腰をかけた。どちらにせよこの場にいて研究の邪魔さえしないでくれるのならなんだって良い。何よりの問題は彼女がどうこうではなく、ナースの元に来ている殺人鬼が誰かということだ。そんな勢いで我儘を言って入ってくる輩とすればカニバルか、ナース相手だとすればハグあたりだが奴らが単体でこの施設にくることの方が少ない。だとすれば一体誰だ。
考えるのも億劫になった私は再び止めていた研究に手を出した。資料を見つめながら手元の液体を合成する、仮に失敗したとしても今回の成分は爆破を起こすまではしないが、臭いで気分が悪くならないかが心配だ。いや、私がそうなることを心配しているわけではない。側にいる彼女の体調が心配なだけなのだが、そんなことを考える私はどうかしてると他の奴らから言われるだろう。この空間で死んだ幾つもの人形達が今の私を見ればなんと哀れだ、と笑い貶すだろう。
「おい、来るな」
「甘い!」
台車から飛び降りた彼女はあろうことか試験管を持つ私のそばに寄ってきた。可能性としてはないにしろ、もし何か事故があればどうしてくれる。何が目的だと思ったが彼女の言葉に察しがついた、この調合薬の香りに惹かれてノコノコと来たのだ。ガキじゃあるまいし食べ物と勘違いしたわけではないと思う、概ね研究中に掠る香りに興味が湧いた程度だ。それでも決して嗅いでも良いものとは思えないそれを私は嗅がせないように試験管を持ち上げた。甘いからといって良いわけがない、むしろそうやって中毒に犯されたやつはこの世にごまんといる。特にこういう興味本意で近づいたやつが薬の餌にされるんだ、彼女は賢さ云々の問題抜きで研究者には向いてないだろう。
「いつも何を研究してるんですか」
「趣味の一環だ、気にするな」
「役に立ちます?」
「今は目立つほどの成果は得られないな」
この女は未だ私の横で持ち上げたままの試験管をそのキラキラとした瞳で眺めている。宝石やアクセサリーを手にしているわけでもあるまいしそんな目で見たところで何かいいものがあるとも思えない、ただ不思議なのはこの状況でこの女を邪魔だと思わなかったことだ。研究中に他者の手出しを許すのは助手のナースくらいで、それ以外の奴は仮に用があったところで追い出していた。こんな女がそばにいればそれこそ私の堪忍袋が破裂するだろうに、今日は何故かそばにいてほしいとすら思える。いや、これもきっと予定外の来客に対する不安のせいなのだろうが。
「おいハーマン」
「なん」
パリ、と試験管が部屋の壁に叩きつけられハラハラと砕けた奇跡が地面を汚した。叩きつけたのはこの私本人なのだが、突然の他者の侵入と自身の反射神経の高さに酷く驚いた。目の前のハントレスはどうしたと言わんばかりに私を仮面の奥の鋭い瞳で見つめてくるが、それどころではなかった。
私は試験管を飛ばすと同時に側にいた彼女を己のコートの中に無理やり包み込んだ。声を上げられる前に白衣で彼女を隠したが、ハントレスがもし反対から来ていれば事はタダでは済まなかっただろう。何より"それどころ"ではないのは、今この状況ですら不自然といえるのに、私の白衣の中で縮こまるように身を隠す彼女がなるべく動かまいと必死に私に抱きついてきているのだ。心臓に悪い、こんな思いをした上に今日の研究の進歩が0に戻されるこの仕打ち、今日は厄日でしかない。普段そんなに私の行いは良く…いや、殺人鬼が考えることでもないな。
しかし気になる、ハントレスが来るだけでこの女を追い出すことを果たしてナースがするだろうか。むしろ利口な彼女は事前に伝えた上でしかここに来る事はない。なら何故こうしてこの場に彼女がいて、さらにこの女も追い出されているのか。
「一人か」
「いや、ハグも一緒だ」
「それだけか?」
「私たちはな」
なんだその含んだ言い方は、まさかお前たち以外に別件で来客が来ているのか。どいつもこいつも遠慮なく施設内に入り込むのをいい加減どうにかしたらどうだ。
私は腰で感じる心音に気を紛わされないよう彼女の肩をきゅ、と引き寄せる。彼女もそれに応えるように私のシャツを掴んでくるがそれが私には逆効果だったようだ。感情が顔に出そうになるのを器具が制してくれることに感謝しか出てこない、これがなければハントレスに一発で怪しまれる。感のいい狩人の瞳、バレればそう安易に誤魔化せるものではない。久しぶりに感じる脂汗に喉が鳴る。
「一言挨拶をしに来ただけだ、すまない研究中に」
「構わん、ハグに宜しく頼む」
「…珍しいな、また来る」
彼女はそう言って腰の布切れを揺らしてその場を去っていった。残された私たちは安心やら不安やらで互いに混乱していたが、早くこの空気をどうにかしなければと私は白衣をめくって出てこいと視線を送る。彼女は理解したように私から離れれば心配そうに怯えていた。彼女のらしくもない姿に面倒だと思いながらも私はその身体を担いで病室へと足を向ける、それを理解しているのかそれともただ怖かったのか彼女は私の肩に担がれ大人しくしていた。
今日の研究は最悪だったが、殺人鬼の溜まり場のような世界でこういった厄が少ないだけまだマシなのだろう。私は彼女を病室に運んだ後ガラクタに成り下がった試験管のかけらを片付けるためモニタールームへ急いだ。未だ残る心拍数に何故か興奮を覚え、通路に乾いた笑い声を反響させながら。
そういえば。離れた時に消えた彼女の温もりが、余計に自分を苦しくさせたのは何故だろうか。
(あれがナースの言っていたやつか)
(何がぁ?)
(ハーマンも足を隠すことまで気が回らないとは、相当焦っていたのだろうなと)
(んん?)
今もなお存在するこの椅子にはもう誰も座ることはないが、それでもこの椅子に時折誰かを座らせて当時のように質問をしてやりたいと思うのは自分の中に流れる殺戮の欲求故だろう。ならばあの女をここに座らせ実験をすれば良いのではと誰かが言うかもしれないが、今のところあんな馬鹿をここに座らせるのは勿体ない。そこまでの価値があるとも思えない。
「へいへいへーい」
そう、この女だ。なんだそのふざけた声に間の抜けたセリフ、さっさと病室に帰れと言いたいが彼女が自らこうして話しかけに来るのは余程のことがない限りありえないこと。私は苛立ちと妙な感覚にため息を深く吐いて嫌味を乗せた声色で呟いた。
「帰れ」
「お嫁さんが呼んでいましたが」
「わかった」
「あーいや、呼んでたんですけど、ちょっと来客がーとか言われて部屋追い出されちゃって」
どういうことだ。ナースがあの部屋からこの女を追い出してまで迎えた客とはなんだ。まさかバレてはいけない殺人鬼でも来たのか、それなら話は別だ。勢いでつい帰れとは言ったが彼女をここに留めておかなければならない。
「まぁ要件済んだから帰るよ」
「帰るな」
「ふわ?矛盾し過ぎでは?」
全くもってその通りだが、ナースの状況を聞いた今ではこれも致し方ないことだ。目障り耳障りの面倒転がりな状況ではあるが、他者にバレるほど面倒なこともない、ただ私が我慢すればいい話。いっときの面倒だと思えばこの程度の問題、儀式とそう変わらない。
「そこに座ってろ」
「いや無理無理無理、縛られる予感しかしないんでここに座ります」
私が顎でさしたのはモニターを囲んだ椅子だったが、彼女は全力でそれを拒否して横にあった倒れた台車に腰をかけた。どちらにせよこの場にいて研究の邪魔さえしないでくれるのならなんだって良い。何よりの問題は彼女がどうこうではなく、ナースの元に来ている殺人鬼が誰かということだ。そんな勢いで我儘を言って入ってくる輩とすればカニバルか、ナース相手だとすればハグあたりだが奴らが単体でこの施設にくることの方が少ない。だとすれば一体誰だ。
考えるのも億劫になった私は再び止めていた研究に手を出した。資料を見つめながら手元の液体を合成する、仮に失敗したとしても今回の成分は爆破を起こすまではしないが、臭いで気分が悪くならないかが心配だ。いや、私がそうなることを心配しているわけではない。側にいる彼女の体調が心配なだけなのだが、そんなことを考える私はどうかしてると他の奴らから言われるだろう。この空間で死んだ幾つもの人形達が今の私を見ればなんと哀れだ、と笑い貶すだろう。
「おい、来るな」
「甘い!」
台車から飛び降りた彼女はあろうことか試験管を持つ私のそばに寄ってきた。可能性としてはないにしろ、もし何か事故があればどうしてくれる。何が目的だと思ったが彼女の言葉に察しがついた、この調合薬の香りに惹かれてノコノコと来たのだ。ガキじゃあるまいし食べ物と勘違いしたわけではないと思う、概ね研究中に掠る香りに興味が湧いた程度だ。それでも決して嗅いでも良いものとは思えないそれを私は嗅がせないように試験管を持ち上げた。甘いからといって良いわけがない、むしろそうやって中毒に犯されたやつはこの世にごまんといる。特にこういう興味本意で近づいたやつが薬の餌にされるんだ、彼女は賢さ云々の問題抜きで研究者には向いてないだろう。
「いつも何を研究してるんですか」
「趣味の一環だ、気にするな」
「役に立ちます?」
「今は目立つほどの成果は得られないな」
この女は未だ私の横で持ち上げたままの試験管をそのキラキラとした瞳で眺めている。宝石やアクセサリーを手にしているわけでもあるまいしそんな目で見たところで何かいいものがあるとも思えない、ただ不思議なのはこの状況でこの女を邪魔だと思わなかったことだ。研究中に他者の手出しを許すのは助手のナースくらいで、それ以外の奴は仮に用があったところで追い出していた。こんな女がそばにいればそれこそ私の堪忍袋が破裂するだろうに、今日は何故かそばにいてほしいとすら思える。いや、これもきっと予定外の来客に対する不安のせいなのだろうが。
「おいハーマン」
「なん」
パリ、と試験管が部屋の壁に叩きつけられハラハラと砕けた奇跡が地面を汚した。叩きつけたのはこの私本人なのだが、突然の他者の侵入と自身の反射神経の高さに酷く驚いた。目の前のハントレスはどうしたと言わんばかりに私を仮面の奥の鋭い瞳で見つめてくるが、それどころではなかった。
私は試験管を飛ばすと同時に側にいた彼女を己のコートの中に無理やり包み込んだ。声を上げられる前に白衣で彼女を隠したが、ハントレスがもし反対から来ていれば事はタダでは済まなかっただろう。何より"それどころ"ではないのは、今この状況ですら不自然といえるのに、私の白衣の中で縮こまるように身を隠す彼女がなるべく動かまいと必死に私に抱きついてきているのだ。心臓に悪い、こんな思いをした上に今日の研究の進歩が0に戻されるこの仕打ち、今日は厄日でしかない。普段そんなに私の行いは良く…いや、殺人鬼が考えることでもないな。
しかし気になる、ハントレスが来るだけでこの女を追い出すことを果たしてナースがするだろうか。むしろ利口な彼女は事前に伝えた上でしかここに来る事はない。なら何故こうしてこの場に彼女がいて、さらにこの女も追い出されているのか。
「一人か」
「いや、ハグも一緒だ」
「それだけか?」
「私たちはな」
なんだその含んだ言い方は、まさかお前たち以外に別件で来客が来ているのか。どいつもこいつも遠慮なく施設内に入り込むのをいい加減どうにかしたらどうだ。
私は腰で感じる心音に気を紛わされないよう彼女の肩をきゅ、と引き寄せる。彼女もそれに応えるように私のシャツを掴んでくるがそれが私には逆効果だったようだ。感情が顔に出そうになるのを器具が制してくれることに感謝しか出てこない、これがなければハントレスに一発で怪しまれる。感のいい狩人の瞳、バレればそう安易に誤魔化せるものではない。久しぶりに感じる脂汗に喉が鳴る。
「一言挨拶をしに来ただけだ、すまない研究中に」
「構わん、ハグに宜しく頼む」
「…珍しいな、また来る」
彼女はそう言って腰の布切れを揺らしてその場を去っていった。残された私たちは安心やら不安やらで互いに混乱していたが、早くこの空気をどうにかしなければと私は白衣をめくって出てこいと視線を送る。彼女は理解したように私から離れれば心配そうに怯えていた。彼女のらしくもない姿に面倒だと思いながらも私はその身体を担いで病室へと足を向ける、それを理解しているのかそれともただ怖かったのか彼女は私の肩に担がれ大人しくしていた。
今日の研究は最悪だったが、殺人鬼の溜まり場のような世界でこういった厄が少ないだけまだマシなのだろう。私は彼女を病室に運んだ後ガラクタに成り下がった試験管のかけらを片付けるためモニタールームへ急いだ。未だ残る心拍数に何故か興奮を覚え、通路に乾いた笑い声を反響させながら。
そういえば。離れた時に消えた彼女の温もりが、余計に自分を苦しくさせたのは何故だろうか。
(あれがナースの言っていたやつか)
(何がぁ?)
(ハーマンも足を隠すことまで気が回らないとは、相当焦っていたのだろうなと)
(んん?)