悪魔と殺人鬼
名を刻もう
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【お前達はハグしないと出られない部屋に入った。50分以内に実行しなければドクターの餌にする】
「なーん」
「ほぉ」
気付けば二人は白い壁に覆われた小さな部屋に閉じ込められていた。その空間に物は存在せず、何かあるとすればドアノブが付いた扉1つのみ。もしこの壁に書かれた文が正しいならドアノブを回したところで出ることはできない、というわけだ。
ちょっと待ってほしい。ツッコミどころ多すぎて普通に考えていたが、そもそも一体いつどの瞬間でここに私たちは移動した。先ほどまでベッドの上でお嫁さんとお話をしていたはずなのだが、それはもしかしなくとも結構前の話なのか、それともお話ししている途中で寝落ちてしまったのか。
「私からすればデメリットがないな」
「いやありますよね」
「なら50分何もせずにいるか」
イエスと言えるわけがない。目の前に書かれている文字の上に小さなモニターがあり、そこへ42:12、42:11と経過時間を目に見えるように刻んでいる。50分の中でこの男とハグをすればいいだけの話なのだが、それが互いにできる状況ではないから今の私たちは会話に躓いているのだ。察してくれ、つーか誰がここに私たちを呼んだ、なんで私たちなの。エンティティというやつの仕業かまさか。何がしたいんだ。
「そもそもあなたの餌とはなんですか」
「人肉を食う趣味はないんだがな、新たに発掘するのも悪くない」
「ほんとにやめて?」
彼がいうと全く冗談に聞こえない。仁王立ちして文字の前で腕を組む彼は、一体何を考えているんだ。解決策か、それともハグをする方法か、はたまた50分を捨てて私を食べる方法か、調理法か。こんなくだらない部屋で私は一刻過ぎるのを体で感じながら食べられるのを待つのか、まだ地獄行きのバスに乗った方がマシかもしれない。
「お前はどうしたい」
「食べられたくないです」
「そういう話ではない」
「帰りたいです」
切実な願いだ。もし複数の願いが叶うとしたら、安全かつ素早く自分が元いた場所に戻りたい。私は何が嬉しくてここにいるんだ、せめて連れて来る前に行くよの一言でも添えてくれ。いや、多分添えられたところで連れて来させられた時点で文句垂れるとは思うが。それでも気付いた時にはこの場所にいて誰かも知らない者からの命令を聞けというのはあまりに理不尽すぎる。私はこの世界に来てから理不尽しか体験していない、神様って本当に存在しますか?
「おい」
「なんでしょう」
「あと30分しかないが、するならさっさとするぞ」
「はい…はい?」
意外だった、彼はなんの迷いもなく私とハグをしようとしてきたのだ。いや、もしかしたら彼自身もこの絶妙な空気に耐えられなくなっていたのかもしれない。なにせ10分近く互いに黙って解決策を探していたのだ、私だってこれはお手上げだ。
彼はそう言って私と向き合い両手を軽く広げてきた。私がもし素直なセリフを一つ吐いて彼に殺されない設定でもあるとしたら、全力でこう言ってやりたい。
あ、死ぬ。
考えてくれ。この筋肉質な腕で電源の線のようなものが体に入り込んでいる、謂わば化け物のような腕で私はこの後抱きしめられ…そしてどうなる?もしかしたら力加減のわからないこの男は一瞬にして私を粉砕するかもしれない、もしかしなくても私に勢い余って電気を流すかもしれない。ここまでリスクを考えさせられるハグは初めてだ、褒めてあげたい。
「えっと」
「30分したら私の餌になるぞ」
「いやそれは嫌なんですけどね」
「面倒な、さっさとしろ」
面倒だよな、わかる。私もこんな状況を投げられれば面倒にもなる。
とはいえ、こんな考えなしでは何も解決せずに彼の餌となるのも事実。もし本当にハグのみで脱出することが可能ならば、今日が私の命日にならないことを祈るばかりだ。
覚悟を決めて私は彼の前まで行き、ぴとっと彼の胸元に頬をくっつけた。彼が生きている証に私の顔に伝わるピリピリとした心拍数が聞こえるが、それが徐々に上がっているのはなぜだろう。早くしてほしい、こんな恥ずかしい状況に耐えられない。
「…あの、ハグは」
「あ、あぁ」
なんだその反応は。どうしてそんなに驚いているのだ、あなたからハグしようと提案し腕を広げてくれたはず。それなのにそんなに、どこか、戸惑っている表情を見せないで。
早くして欲しくて彼の心音にすり寄ってしまう。頬をシャツに擦り付けぎゅっと白衣を掴めば、想像とは全く違う柔らかなハグが私を迎えてくれた。もっと力を込めても平気なはずなのに、それはきっと私があまりに脆いから手加減をしてくれている、そんな弱々しい力で私を抱きしめる。私の胸元が彼に押し付けられ、互いの心拍数がぐちゃぐちゃに混じった。なんて、苦しい時間なんだ、心臓がピシピシと軋めくのが辛い。
ガチャ
何処かで聞いたことがあるその音に私たちは顔を上げた。キキィと軋みながら開いた白い扉の奥には何処か見覚えのある光景が広がっていて、早くここから出なければと私は彼から離れようとした。
「あ」
先程とはまた違い少し強引で、しかしどこか優しい抱きしめ。私はこの男に後ろからそっと抱きしめられた。どうしたんだろうか、向きのせいで彼の顔の確認ができないが彼は私の肩に顔を埋めてそのまま腕の締め付けを強めてきた。痛くはない、けれど私にはそれが震えている子供のように感じて心がざわめいた。帰らなければ、でも、帰りたくない。彼に抱きしめられる時間が長ければ長いほどこの感情が私を乱す、だから早くここから出たかった。
なのに、あなたは私を苦しめるのが好きなんですね。
「桔梗」
私の視界がぼやけて暗くなる。彼の大きな片手が私の両手を塞いだ。その手からポワポワと伝わるオーラのような温もりが私を癒し、私を混乱させ、そして無意識に微笑みを作った。私の名を、呼んでくれるあなたが私は…
嫌いではないです。
( 【早よ出ろよあいつら】
エンティティ様は不機嫌でした )