悪魔と殺人鬼
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「桔梗、そろそろ帰らない?」
「うーん、もうちょっとあっちの山菜とって帰ろうか」
「いいよー、私あっち採ってくるよ」
暑い、本当は彼女の言う通りいっそこのまま帰りたいんだけど、今しか時期がないからこの暑さに私は耐えるしかない。
簪で上げている髪の厚みからハタハタと汗が滴る、森の中で木の葉により日が遮られているのに何という暑さ。こんな日に山菜採りを行こうなんて言ったのは誰だ、私だ。しかも友人と約束までしてこの日を待ちわびていたのも私だ。本来なら今日のこの時間は「毎日がNyan Day」を見てゴロゴロと休日の無駄な時間を無駄にゆっくりし尽くして日々の疲れを取ってやるという至福の時間、そんな日をわざわざ無駄にしてまでこの猛暑の中山菜採りを望んだのも私だ。嗚呼全て私だから恨みたくても恨めない、いや己だからこそ恨むべきなのかこれは。
「桔梗ー?あんまりそっち行くと危ないからほどほどにしな」
「あぁ、わかってるよ」
軽く声を出しても聞こえるくらいだ、そう遠くまでお互い離れることもないしこの山菜はここら辺に丁度生えているから間違っても迷子にはならない。なにせ山探索に慣れてるからな、少し木が多い森くらいどうってことないってわけ。
(なんだろう、もしかしてもう夕方になったのかな)
ふと、数羽のカラスが舞った気がした。凄く遠くからだが、こんな猛暑の中カラスも公によく出るなぁなんて呑気なことを考えていた時だった。あたりが急に涼しくなった、これには桔梗も驚く。もしかして夕立か、何にせよ早く友人と合流して山を下らないといけない。
「ねぇ」
さっきまでいた友人に振り返りながら語りかけた時だった。涼しさがどっと増し、あたりが徐々に暗くなりはじめた。山の天候だ、こうなることは過去に何度だってあったが…何故だろう。黒く淀み、深く厚い霧が私の周りを視界を奪うほど広がっていた。つい先日前髪をパッツンに切らされたばかりだ、あの頃は確かによく視界を奪われていたが今は気持ち悪いほどに全てを見ることができる。なのに、そこには霧しかない。霧のせいで見えないとかではなくだ、その奥に友人がいる気配もなければ、次第に自分が先程までいた森にもいない感覚に陥った。気味が悪い、笑えない冗談だった。これでは山を下ることも、友人と合流することもできない。それどころか今は、霧が己を包み込んで金縛りのように動くことができなかった。
桔梗は普段から人前で負の感情を露わにすることはなかった。親に何かを相談することも、友人に打ち明けることもなく、楽しいことを楽しいように、楽しい空間だけを作るのが彼女の仕事だった。それが彼女の本当の望みと例え違っていたとしても、彼女には負の感情を出すこと自体が苦しかったからだ。
だから余計なのかも知れない。背中を熊になぞられたような恐怖、見えず動けず、己の全てを奪われたその感覚が気持ちが悪い。堪らず桔梗は今の現実を受け入れたくないと言わんばかりにその黒い瞳をぎゅっと閉じた。
自分の体が浮いてしまいそうなほど軽くなったのに桔梗は気付いた。その感覚と同時に自然と閉じていた瞼をあければ、足元が硬い感覚に変わっているのを感じられた。後ろを向けばそこには冷たい壁、目の前には入り組んだ通路に小さな部屋がひとつふたつと、廊下には散らばった台車 と稀に生えている草。いつ、いつ私はあの森から抜けたのだろうか。友人は無事だろうか、廃墟みたいだがここは何処なのだろうか、沢山の疑問が一斉に頭を支配する。決して明るくないその空間で、ごくたまに光を出す旧型のテレビ。ノイズが走ってはいるが、電源が入っているということは少なくとも廃墟ではない。
人がいるんだ、確実に。
桔梗はその人に頼るために足を進めた。勿論そこに至るまでどれだけの時間を費やしたか、はたまたあの時間は実際はほんの一瞬だったか、感覚が麻痺しているのか混乱しているのか、正確にはわからない。しかし、何にせよ帰る手段が見つかったわけではない彼女は他人を頼りにするしか方法がなかった。
暫くこの建物を歩いてみたが気味が悪いことと面白いこととが沢山あった。
まず、何故か至る所で人の叫び声がする。少し奥に足を進めた所にあった沢山のモニターから、叫び声やあまり見ていたくない映像が流れていた。最初こそはそこから聞こえた悲鳴なのだと思っていたが…どうやらそうではないらしい。叫びながらどこかでカツカツと足音がするのだ。これに関してはあまりホラーが得意ではない私からしたら、ちっとも面白いことではない。
次に、この建物はどうやら病院か何かだということ。廊下にもそうだが沢山の台車 やベッドがあり、共同のトイレもあった。何より点滴スタンドがあるのが病院か…あるいは精神病棟かそういう研究所紛いなものだろう。中央付近にあったあの奇妙な空間が普通の病院ではない気がしてならないし、もしかしたらさっきからするあの叫び声は病に苦しむ患者の声なのかもしれない。
最後に、この建物の中にいくつかの機械があった。不思議なことにその機械は動いているものと動いていないものがあり、完全に動いているものに対してはライトアップがされていた。すごい豪華な仕組みだと思ったが、その建物をぐるぐる回り何度か同じ場所を通るたびに変化があった。先程まで動いていなかった機械が何度目かにきた時には動いているのだ。これは時間の問題なのか、自動のものか。しかしどこかに線が繋がっているわけでもないということは、誰かがこれを触っているということになる。
もし人がいるなら早くその人に会いたい。というよりは会わないと自分が何をどうしたらいいのかも、何故ここにいるのかも、ここが何なのかもわからないまま…下手したら餓死、なんてこともあり得る。山菜採りで変な建物入って餓死なんて、流石に論外すぎる。ああ、私は一刻も早く帰って録画しているあのアニメを見なければならないんだ。頼む、頼むから。
「ねぇ君、さっきからうろうろしてるけど、発電機、ま、回さないの?それともチェイス中?狂気度が高ぶってるの?」
「はい?」
ガチャガチャとガラクタをいじる音が聞こえたと思えば…やっと見つけたのだ、この機械を触っている人に。先程までの緊張感と恐怖が一気におさまり、その情けない面をした男のそばに寄った。
「あの、聞きたいんだけど」
「ひ、ど、どうしたの?あ、その、回しながらにしてくれる?」
「いや、それはちょっと」
回しながら、というのは多分この機械をいじりながらという意味だろう。もしかして従業員か何かなのか?まさか私はそれに間違われている?ともかくしっかり説明しないと下手に怒られても困るし何より自分は帰りたいんだ。
「あの、私これ触ったことないんだけど」
「え?!」
「いや、質問したいんだけど。ここってなんてところ?あとさっきまで森にいたのに急に霧に呑まれて、気づいたらここにいたんだけど、ここの出方とかわかる?」
「えぇ」
なんて情けない声で返事をするんだこのメガネ男は。そういえば彼の瞳孔が先程から程よい頻度でブレている。何かに怯えているような様子で、私の話を聞きながらも周りをウロウロとせわしなく見回している。
「へ、そうか、君は、はは、初めてなんだね」
「初めて?」
「君は儀式に呼ばれたんだよ、儀式…ひ!僕たちのような人をサバイバーって呼ぶんだ。で、その、僕たちは、発電機を5つ回して、あの、ゲートを開かないとここから出られないんだ。あぁ、あ」
「うーん?なるほど?でも、なんで、それでそんなに怯えているの?」
「当たり前じゃないか、こんなにもビリビリして、あぁ、手元が狂いそう。殺人鬼が、殺人鬼がくる……あ"あ"あ"ぁ"ぁッ!!」
彼は最後に頭を抱え叫び声をあげながらその場を去っていった。目の前で狂うように叫ばれたのが驚いたのか怖かったのか、桔梗はその場に座り込んで唖然とした。彼女は自分に彼も患者の一人だから変なことを言っていたんだ、と無理やり納得させ、ほかにまともな人はいないか再び探索に出た。
それから次の人に会うのはすぐだった。また中央付近の気味の悪い空間に行けば、白衣を着た大柄の男が金棒のようなものを片手に持って仁王立ちしていた。桔梗の頭の中はここに着た時よりはだいぶ落ち着いていて、あぁ彼が先生だ、と安心すれば歩いて立ち去ろうとする彼のその白い布を掴んだ。
「ねぇ、聞きたいんだけど!」
中性より少し女寄りの声とともに私の体が後ろに引かれる。儀式の時に一度も感じたことのない感覚に金具により固定された顔が引き攣るのを感じた。声よりも驚くべきことは私に話しかけたことと、その内容だ。声の主を拝んでやろうと私は金棒を片手に振り向いた。
「あの、さっき会った人も変な人で、殺人鬼がいるとかどうとかいって話にならなくて…あぁそうだ、教えて欲しいことが」
呆気にとられた。彼女はどうやらサバイバーのはずなのにここでの生き方を知らない。珍しかった。女王 がそんな存在をわざわざ儀式に呼ぶのもそうだし、そもそも今までそんな人間が一度も儀式に来たことはない。いや、少なくとも私の儀式の時は来たことがない。しかしこいつが言う限りでは、こいつは他のサバイバーと会いここでのやり方を教えてもらったようだが…この様子だとそれを間に受けていないということになるか。私が考えている途中でもこの女はベラベラと質問を並べて私に必死に語りかけてくるが…今の私にはそれを聞くほどの冷静さはない。
一番の疑問は彼女は"狂っていなかった"のだ。他のサバイバーは少なくとも私が近くにいるだけで狂気が高まり、叫び声をあげ、瞳孔を揺らし、そして私から逃げていく。それが当たり前だ。彼らは生贄 で、私は殺人鬼 なのだから。それを知らないこの女が逃げないのは分からなくもないが、何故こいつだけこんなにも平然としていられる。だいたいその目は、なんだ。その真剣な瞳は、ギラギラしていて無駄に希望で満ちたその瞳は。何もわからないのなら尚更、どこからその自信が湧き出る。
「ねぇ、ちょっと?」
私は彼女の話の半分以上を聞いていなかったが、何はともあれ生贄に捧げなければ女王 に文句を垂らされ私こそ望まぬ結果になる。この女から…
ガタン
近くで物音がした、それは彼女の言葉を遮るほど大きい物音ではなかったが私の集中を切らずには十分だった。近くの窓枠をメグ・トーマスが越えたのだ。メグ・トーマス…
「え、ちょっと…!」
私の頭は動揺してしまっていた。この女が現れてからというもの、普段の儀式と違う光景を私は見ているからだ。私はこの女が抵抗しないのをいいことに肩に担げば近くにあった地下室に連れて行き、吊るすわけではなくロッカーにぶち込んだ。それから彼女の靴を無理やり脱がし、それでロッカーを中から開けられないように栓をした。
「ちょっと、なんなの?!おーい、おーい!」
激しい音と共にロッカーがガタガタと動く、己のした行動に我ながら理解に追いつかないが、今の私にはそれより先の疑問があった。
そうだ、あのメグ・トーマスが見間違いでなければ…サバイバーは5人、ということになる。あの臆病なドワイト、さっき見かけたメグ、そして先程から周りのトーテムを壊し漁っているクローデットに…序盤に生贄へ捧げたクエンティン。そしてあの女だ。おかしい、女王 が欲を張ったか?しかし今までの儀式で5人目が現れたなんてことを他の殺人鬼共から聞いたことはない、もちろん私の時でさえそうだ。あの女は生贄に捧げようと思えばすぐにでも捧げられる、逃げることもしないし、私に話しかけてくるくらいだ。
あいつは最後でいい。
「まじ、なんなの?」
少し埃臭い閉鎖空間、その名もロッカー。白衣を着た男が私をここに閉じ込め、しかも私の靴を片方だけ無理やり脱がしたかと思ったらそのまま去っていきやがった。理解ができない、そもそも片足だけってどういうことだ?変態か?そういう趣向なら致し方ない、いやよくはないけれど。何度も何度も靴を履いた左足でロッカーの扉を蹴って脱出を試みるが、案の定扉は開きそうで開かない。
「えぇ、わけわかんないよ」
そういえば昔聞いた話、精神病の先生に限らず病院の先生というのは大体精神病を患ってることが多いらしい。もしかしたらあの先生もそういう類の一つなのかもしれない。それなら仕方ない、いやだから仕方なくないけど。とにかく自分で開けることはできないし大声で叫んでみるも周りに人がいる気配もない。無駄な体力使うだけだと悟れば桔梗はロッカーの中で三角座りをして身を落ち着かせた。丁度その時、ガサゴソという物音と共にキィ、とロッカーが空いた。
「ハハハ」
あれからドワイトとメグを生贄に捧げ残るはクローデットのみ、いや、クローデットとあの女になった。女王 が囁く、目の前に倒れるクローデットを早く捧げろと。流石は女王だ、お待ちかねが目の前までくれば誰だって欲しくはなる。しかしここでもしこいつを吊るしたら地下にいるあの女はどうなる。もしかしたら逃げられているかもしれない。あの女は大して脳がなさそうだ。どうせすぐ殺せるが、ハッチなんぞで逃げられたら溜まったもんではない。私はこの肌黒女をフックの前に下ろし這いずりのままの彼女を踏みつけて地下室へと向かった。
先ほどここを去った時よりあの女は随分と静かになったものだ。物音一つ立てず、しかし差し込んだ靴が外れていないことから彼女がまだ中にいることは確認せずともわかっていた。やはり脳もなければそれほどの力もない、今回は5人も生贄を捧げるという意味では女王 に満足の上を行くものを与えられるかもしれない。私はそっとロッカーを開けて中にいるこの女を再び肩に担ぎ上げた。
「あの!餓死すると思ってました、でもお願いだから質問に」
答えろ、と言われてもこいつが先ほどほざいていた言葉の殆どが私の耳をすり抜けていったのだから答えようがない。
私は肩に担いだまま這いずっているクローデットの元まで戻ってきて、そして
その目の前の
フックに
彼女を
吊るした。
「あぁぁぁああ"ぁあ"ッ!!!」
悲劇だ。私の耳を劈くような悲鳴を彼女はあげた。先程まで希望に満ちていたその瞳が、ギラギラとしていた黒い瞳が、私のように見開いて、目尻にこぼれ落ちそうなほどの涙を溜めたまま、今にも枯れそうなほどの醜い声を口から出した。
ゾッとした、私は今この状況に、少なくとも興奮を覚えた。殺人鬼にマゾヒストはあまりいないが、己がここまでサディストの要素を持ち合わせているとは思わなかった。心地よいのだ、彼女の声と、その姿が。
その時だった女王 がまた囁いた。
それがこの先私を混乱させ、私を変えることになるなんて、女王 、お前でも気付かなかっただろう。
【お前に最後に余った其奴 をやる】
「…なんだと?」
今から近くのフックに最後の一人であるこのクローデットを吊るしてやろうと思っていた時だった。女王 が、生贄を拒んだ。何を考えているのだ、少なくともこの儀式を仕組んだのはお前で、生贄を求めているのもお前なはずなのに。
【ワタシにも何故5人目が現れたのかイマイチわからないが…今日はもう既に4人生贄に捧げただろう。たまには研究材料として持って帰れといっているのだ】
ああなるほど、少なくとも言っていることは理解した。いうなればそれは己にとってささやかな報酬だということだ。つまり今回は4人生贄を捧げ余ったこのクローデットを私の実験材料として連れて帰っていい、ということか。悪くはない、常に女王 に捧げていたからな。そのおかげかそのせいか、ここ最近一切人体実験というものをしていなかった。ある意味これは褒美だ、私の趣味の一環の手助けにこのクローデットを私は__________
「ぐ、あ"ぁぁあ"ぁッ!!」
_______私は地面に下ろした。そしてつい先ほど生贄に捧げたこの女を、あろうことかフックから外して代わりにクローデットを生贄に捧げた。聞き慣れた悲鳴とともに彼女は三度目の吊りだったのかすぐに女王 の餌食となった。
【なるほど、好きにしたらいい】
そうだ、今ならまだ、この不可解な人間を実験材料にしたって間に合う。
認めたくはないが、私はこの少ない時間で彼女に興味を示したんだ。私の渡りにいて、私にその瞳を向けてくる彼女に、サバイバーとしての知識を持ち合わせていない彼女に、私に話しかけてきたこの女に。
「ゲホッ、ゲ…ゴホ…ッ」
私の腕の中で酷いほど噎せ、フックが刺さっていた部分を右手で掴んでいる。私の白衣が彼女の血で赤く染まり、その血が少なくとも冷たい私に温もりを与えた。
「…まずは、お前の手当からだな」
苦しそうに噎せていた彼女がは、と顔を上げた。何に驚いたのだろうか、私がずっと喋らなかったから喋ったことに驚いたのか、それとも殺そうとしたくせに手当をするということに驚いたのか。しかし、その疑問もすぐに別の疑問に塗り替えられる。彼女が気を失う寸前、こいつは私に笑いかけたのだ。その黒い瞳を細めて、笑顔、というよりは少し情けない笑みを私に向けた。この殺人鬼 に笑いかけるとは、元々が狂っているのか。そうか、だから私の周りにいても正気を保てていたわけか。
私は気を失った彼女を抱いて立ち上がり手当の準備へと足を進めた。
「はぁ、」
私は肺の中に溜まった空気を全て吐き出すように、深くため息を吐いた。
そしてこれから始まる実験 に、胸の高ぶりを表すように高笑いをした。
さぁ、久方の実験 を
楽しませろ
「うーん、もうちょっとあっちの山菜とって帰ろうか」
「いいよー、私あっち採ってくるよ」
暑い、本当は彼女の言う通りいっそこのまま帰りたいんだけど、今しか時期がないからこの暑さに私は耐えるしかない。
簪で上げている髪の厚みからハタハタと汗が滴る、森の中で木の葉により日が遮られているのに何という暑さ。こんな日に山菜採りを行こうなんて言ったのは誰だ、私だ。しかも友人と約束までしてこの日を待ちわびていたのも私だ。本来なら今日のこの時間は「毎日がNyan Day」を見てゴロゴロと休日の無駄な時間を無駄にゆっくりし尽くして日々の疲れを取ってやるという至福の時間、そんな日をわざわざ無駄にしてまでこの猛暑の中山菜採りを望んだのも私だ。嗚呼全て私だから恨みたくても恨めない、いや己だからこそ恨むべきなのかこれは。
「桔梗ー?あんまりそっち行くと危ないからほどほどにしな」
「あぁ、わかってるよ」
軽く声を出しても聞こえるくらいだ、そう遠くまでお互い離れることもないしこの山菜はここら辺に丁度生えているから間違っても迷子にはならない。なにせ山探索に慣れてるからな、少し木が多い森くらいどうってことないってわけ。
(なんだろう、もしかしてもう夕方になったのかな)
ふと、数羽のカラスが舞った気がした。凄く遠くからだが、こんな猛暑の中カラスも公によく出るなぁなんて呑気なことを考えていた時だった。あたりが急に涼しくなった、これには桔梗も驚く。もしかして夕立か、何にせよ早く友人と合流して山を下らないといけない。
「ねぇ」
さっきまでいた友人に振り返りながら語りかけた時だった。涼しさがどっと増し、あたりが徐々に暗くなりはじめた。山の天候だ、こうなることは過去に何度だってあったが…何故だろう。黒く淀み、深く厚い霧が私の周りを視界を奪うほど広がっていた。つい先日前髪をパッツンに切らされたばかりだ、あの頃は確かによく視界を奪われていたが今は気持ち悪いほどに全てを見ることができる。なのに、そこには霧しかない。霧のせいで見えないとかではなくだ、その奥に友人がいる気配もなければ、次第に自分が先程までいた森にもいない感覚に陥った。気味が悪い、笑えない冗談だった。これでは山を下ることも、友人と合流することもできない。それどころか今は、霧が己を包み込んで金縛りのように動くことができなかった。
桔梗は普段から人前で負の感情を露わにすることはなかった。親に何かを相談することも、友人に打ち明けることもなく、楽しいことを楽しいように、楽しい空間だけを作るのが彼女の仕事だった。それが彼女の本当の望みと例え違っていたとしても、彼女には負の感情を出すこと自体が苦しかったからだ。
だから余計なのかも知れない。背中を熊になぞられたような恐怖、見えず動けず、己の全てを奪われたその感覚が気持ちが悪い。堪らず桔梗は今の現実を受け入れたくないと言わんばかりにその黒い瞳をぎゅっと閉じた。
自分の体が浮いてしまいそうなほど軽くなったのに桔梗は気付いた。その感覚と同時に自然と閉じていた瞼をあければ、足元が硬い感覚に変わっているのを感じられた。後ろを向けばそこには冷たい壁、目の前には入り組んだ通路に小さな部屋がひとつふたつと、廊下には散らばった
人がいるんだ、確実に。
桔梗はその人に頼るために足を進めた。勿論そこに至るまでどれだけの時間を費やしたか、はたまたあの時間は実際はほんの一瞬だったか、感覚が麻痺しているのか混乱しているのか、正確にはわからない。しかし、何にせよ帰る手段が見つかったわけではない彼女は他人を頼りにするしか方法がなかった。
暫くこの建物を歩いてみたが気味が悪いことと面白いこととが沢山あった。
まず、何故か至る所で人の叫び声がする。少し奥に足を進めた所にあった沢山のモニターから、叫び声やあまり見ていたくない映像が流れていた。最初こそはそこから聞こえた悲鳴なのだと思っていたが…どうやらそうではないらしい。叫びながらどこかでカツカツと足音がするのだ。これに関してはあまりホラーが得意ではない私からしたら、ちっとも面白いことではない。
次に、この建物はどうやら病院か何かだということ。廊下にもそうだが沢山の
最後に、この建物の中にいくつかの機械があった。不思議なことにその機械は動いているものと動いていないものがあり、完全に動いているものに対してはライトアップがされていた。すごい豪華な仕組みだと思ったが、その建物をぐるぐる回り何度か同じ場所を通るたびに変化があった。先程まで動いていなかった機械が何度目かにきた時には動いているのだ。これは時間の問題なのか、自動のものか。しかしどこかに線が繋がっているわけでもないということは、誰かがこれを触っているということになる。
もし人がいるなら早くその人に会いたい。というよりは会わないと自分が何をどうしたらいいのかも、何故ここにいるのかも、ここが何なのかもわからないまま…下手したら餓死、なんてこともあり得る。山菜採りで変な建物入って餓死なんて、流石に論外すぎる。ああ、私は一刻も早く帰って録画しているあのアニメを見なければならないんだ。頼む、頼むから。
「ねぇ君、さっきからうろうろしてるけど、発電機、ま、回さないの?それともチェイス中?狂気度が高ぶってるの?」
「はい?」
ガチャガチャとガラクタをいじる音が聞こえたと思えば…やっと見つけたのだ、この機械を触っている人に。先程までの緊張感と恐怖が一気におさまり、その情けない面をした男のそばに寄った。
「あの、聞きたいんだけど」
「ひ、ど、どうしたの?あ、その、回しながらにしてくれる?」
「いや、それはちょっと」
回しながら、というのは多分この機械をいじりながらという意味だろう。もしかして従業員か何かなのか?まさか私はそれに間違われている?ともかくしっかり説明しないと下手に怒られても困るし何より自分は帰りたいんだ。
「あの、私これ触ったことないんだけど」
「え?!」
「いや、質問したいんだけど。ここってなんてところ?あとさっきまで森にいたのに急に霧に呑まれて、気づいたらここにいたんだけど、ここの出方とかわかる?」
「えぇ」
なんて情けない声で返事をするんだこのメガネ男は。そういえば彼の瞳孔が先程から程よい頻度でブレている。何かに怯えているような様子で、私の話を聞きながらも周りをウロウロとせわしなく見回している。
「へ、そうか、君は、はは、初めてなんだね」
「初めて?」
「君は儀式に呼ばれたんだよ、儀式…ひ!僕たちのような人をサバイバーって呼ぶんだ。で、その、僕たちは、発電機を5つ回して、あの、ゲートを開かないとここから出られないんだ。あぁ、あ」
「うーん?なるほど?でも、なんで、それでそんなに怯えているの?」
「当たり前じゃないか、こんなにもビリビリして、あぁ、手元が狂いそう。殺人鬼が、殺人鬼がくる……あ"あ"あ"ぁ"ぁッ!!」
彼は最後に頭を抱え叫び声をあげながらその場を去っていった。目の前で狂うように叫ばれたのが驚いたのか怖かったのか、桔梗はその場に座り込んで唖然とした。彼女は自分に彼も患者の一人だから変なことを言っていたんだ、と無理やり納得させ、ほかにまともな人はいないか再び探索に出た。
それから次の人に会うのはすぐだった。また中央付近の気味の悪い空間に行けば、白衣を着た大柄の男が金棒のようなものを片手に持って仁王立ちしていた。桔梗の頭の中はここに着た時よりはだいぶ落ち着いていて、あぁ彼が先生だ、と安心すれば歩いて立ち去ろうとする彼のその白い布を掴んだ。
「ねぇ、聞きたいんだけど!」
中性より少し女寄りの声とともに私の体が後ろに引かれる。儀式の時に一度も感じたことのない感覚に金具により固定された顔が引き攣るのを感じた。声よりも驚くべきことは私に話しかけたことと、その内容だ。声の主を拝んでやろうと私は金棒を片手に振り向いた。
「あの、さっき会った人も変な人で、殺人鬼がいるとかどうとかいって話にならなくて…あぁそうだ、教えて欲しいことが」
呆気にとられた。彼女はどうやらサバイバーのはずなのにここでの生き方を知らない。珍しかった。
一番の疑問は彼女は"狂っていなかった"のだ。他のサバイバーは少なくとも私が近くにいるだけで狂気が高まり、叫び声をあげ、瞳孔を揺らし、そして私から逃げていく。それが当たり前だ。彼らは
「ねぇ、ちょっと?」
私は彼女の話の半分以上を聞いていなかったが、何はともあれ生贄に捧げなければ
ガタン
近くで物音がした、それは彼女の言葉を遮るほど大きい物音ではなかったが私の集中を切らずには十分だった。近くの窓枠をメグ・トーマスが越えたのだ。メグ・トーマス…
「え、ちょっと…!」
私の頭は動揺してしまっていた。この女が現れてからというもの、普段の儀式と違う光景を私は見ているからだ。私はこの女が抵抗しないのをいいことに肩に担げば近くにあった地下室に連れて行き、吊るすわけではなくロッカーにぶち込んだ。それから彼女の靴を無理やり脱がし、それでロッカーを中から開けられないように栓をした。
「ちょっと、なんなの?!おーい、おーい!」
激しい音と共にロッカーがガタガタと動く、己のした行動に我ながら理解に追いつかないが、今の私にはそれより先の疑問があった。
そうだ、あのメグ・トーマスが見間違いでなければ…サバイバーは5人、ということになる。あの臆病なドワイト、さっき見かけたメグ、そして先程から周りのトーテムを壊し漁っているクローデットに…序盤に生贄へ捧げたクエンティン。そしてあの女だ。おかしい、
あいつは最後でいい。
「まじ、なんなの?」
少し埃臭い閉鎖空間、その名もロッカー。白衣を着た男が私をここに閉じ込め、しかも私の靴を片方だけ無理やり脱がしたかと思ったらそのまま去っていきやがった。理解ができない、そもそも片足だけってどういうことだ?変態か?そういう趣向なら致し方ない、いやよくはないけれど。何度も何度も靴を履いた左足でロッカーの扉を蹴って脱出を試みるが、案の定扉は開きそうで開かない。
「えぇ、わけわかんないよ」
そういえば昔聞いた話、精神病の先生に限らず病院の先生というのは大体精神病を患ってることが多いらしい。もしかしたらあの先生もそういう類の一つなのかもしれない。それなら仕方ない、いやだから仕方なくないけど。とにかく自分で開けることはできないし大声で叫んでみるも周りに人がいる気配もない。無駄な体力使うだけだと悟れば桔梗はロッカーの中で三角座りをして身を落ち着かせた。丁度その時、ガサゴソという物音と共にキィ、とロッカーが空いた。
「ハハハ」
あれからドワイトとメグを生贄に捧げ残るはクローデットのみ、いや、クローデットとあの女になった。
先ほどここを去った時よりあの女は随分と静かになったものだ。物音一つ立てず、しかし差し込んだ靴が外れていないことから彼女がまだ中にいることは確認せずともわかっていた。やはり脳もなければそれほどの力もない、今回は5人も生贄を捧げるという意味では
「あの!餓死すると思ってました、でもお願いだから質問に」
答えろ、と言われてもこいつが先ほどほざいていた言葉の殆どが私の耳をすり抜けていったのだから答えようがない。
私は肩に担いだまま這いずっているクローデットの元まで戻ってきて、そして
その目の前の
フックに
彼女を
吊るした。
「あぁぁぁああ"ぁあ"ッ!!!」
悲劇だ。私の耳を劈くような悲鳴を彼女はあげた。先程まで希望に満ちていたその瞳が、ギラギラとしていた黒い瞳が、私のように見開いて、目尻にこぼれ落ちそうなほどの涙を溜めたまま、今にも枯れそうなほどの醜い声を口から出した。
ゾッとした、私は今この状況に、少なくとも興奮を覚えた。殺人鬼にマゾヒストはあまりいないが、己がここまでサディストの要素を持ち合わせているとは思わなかった。心地よいのだ、彼女の声と、その姿が。
その時だった
それがこの先私を混乱させ、私を変えることになるなんて、
【お前に最後に余った
「…なんだと?」
今から近くのフックに最後の一人であるこのクローデットを吊るしてやろうと思っていた時だった。
【ワタシにも何故5人目が現れたのかイマイチわからないが…今日はもう既に4人生贄に捧げただろう。たまには研究材料として持って帰れといっているのだ】
ああなるほど、少なくとも言っていることは理解した。いうなればそれは己にとってささやかな報酬だということだ。つまり今回は4人生贄を捧げ余ったこのクローデットを私の実験材料として連れて帰っていい、ということか。悪くはない、常に
「ぐ、あ"ぁぁあ"ぁッ!!」
_______私は地面に下ろした。そしてつい先ほど生贄に捧げたこの女を、あろうことかフックから外して代わりにクローデットを生贄に捧げた。聞き慣れた悲鳴とともに彼女は三度目の吊りだったのかすぐに
【なるほど、好きにしたらいい】
そうだ、今ならまだ、この不可解な人間を実験材料にしたって間に合う。
認めたくはないが、私はこの少ない時間で彼女に興味を示したんだ。私の渡りにいて、私にその瞳を向けてくる彼女に、サバイバーとしての知識を持ち合わせていない彼女に、私に話しかけてきたこの女に。
「ゲホッ、ゲ…ゴホ…ッ」
私の腕の中で酷いほど噎せ、フックが刺さっていた部分を右手で掴んでいる。私の白衣が彼女の血で赤く染まり、その血が少なくとも冷たい私に温もりを与えた。
「…まずは、お前の手当からだな」
苦しそうに噎せていた彼女がは、と顔を上げた。何に驚いたのだろうか、私がずっと喋らなかったから喋ったことに驚いたのか、それとも殺そうとしたくせに手当をするということに驚いたのか。しかし、その疑問もすぐに別の疑問に塗り替えられる。彼女が気を失う寸前、こいつは私に笑いかけたのだ。その黒い瞳を細めて、笑顔、というよりは少し情けない笑みを私に向けた。この
私は気を失った彼女を抱いて立ち上がり手当の準備へと足を進めた。
「はぁ、」
私は肺の中に溜まった空気を全て吐き出すように、深くため息を吐いた。
そしてこれから始まる
さぁ、久方の
楽しませろ