悪魔と殺人鬼
名を刻もう
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ここへきてもう3ヶ月が経とうとしている。私の傷はというとまだ完全には治っていないが、皮膚がなんとか繋がるところまで回復したらしい。それでも稀に炎症をおこして膿のようなものが溜まるのだ、こちらとしてはちっとも治っていない気分になる。リハビリがてらにこの施設の中を歩くようにはしたがそれもあまり多くの時間できるわけではなく、見つかればあの男にこっ酷く怒られる…
いや、嘘だ。最近はそうでもない。通路で彼が私の姿を見かければ不満そうな顔をして此方へと歩いてくるのだが、決まって彼はさっさとベッドに戻れと一言を落としそのまま立ち去ってしまう。私がここから出られないのをわかっているからなのか、それともリハビリさせて筋肉をつけさせることによって肉として立派な食材にするためなのか、あるいはお嫁さんに怒られでもしたのか。私には関係ないがどの理由にしても自分の運動欲がこうして発散できるのだからこれ以上はこちらも文句を言わなかった。
今もこうして通路を壁伝いに歩く、以前より動きやすくなった体は這いずっていたあの頃とは違い悠長に散歩をするようになった。ぱたぱたと素足の音が通路に響く、その感覚にももう慣れてしまったのか足裏に冷たさを感じても何も思わなくなってしまった。ただ同じ場所を同じように繰り返し動くだけ、時折何処かから風が吹くのだけれど私はもうそれにも反応することをしなくなった。
「おい」
「はい?」
背後からあの男の声が弱々しく聞こえた。振り向けば珍しく白衣のコートを脱いだ彼がやはり不機嫌そうにして立っている、呼び止めるだけ止めておいてこの男はそれ以降何も喋らなくなった。ただただ私を見下ろしているだけの亡霊のような存在。
いつの日だったか、私は彼に自ら触れたことがある。それは決して彼に触れたかったわけではなく、ただ彼が哀れだと思ってしまったのだ。他の殺人鬼達のように笑うこともなければ彼はただその仏頂面な面をいつも怒らせて人を蹴り落とそうとしてくる、私だけではなくトラッパーやヒルビリーに対してもだ。こんなにも楽しくて多い仲間がいるのに彼はいつだって笑わない。これはきっと病気だ、彼は怒ることしかできない可哀想な患者なのだ。私はそれに気付いてからは彼に対して少しだけ優しくすることにした。心を開いたわけではない、ただ優しくするだけ、でもそれは必要以上に相手に接するとかではなくただただその場を納めるための行動に過ぎない。
「あの」
「…」
「すいませーん」
「…」
「おーい」
だめだ、何を言っても反応しない。それどころか顔を引っ張る器具で見開かれる目が虚ろになりながら私を見ている、一体どうしたというのだこの男は。私はこの男の手をそっととってとりあえずお嫁さんのところに連れて行こうとした。
最初こそ望みがなかった、ここで私が引いたところでみすみす付いてくるわけがないだろうと。だがこの男は少しずつ足を動かして私よりも大きな股で私の後ろを付いてきた。死んだように腕を垂らして私に引かれ、首がコトコトと上下している。とうとう頭のネジが外れたのか、もしかしなくても認知か、もう彼はそういう歳なのか。こちらの方が患者なのだから負荷をかけないでほしい。私は現状況に混乱しながらも彼の手を懸命に引いて歩いた。ゴツゴツしているという感じではないが私よりは大きな手をしていて、皮膚が分厚く硬くそしてガサガサに乾燥している。どこか可哀想な、暖かさのない手を引いている私は何をどうすればいいのだろうかと頭を悩ませながら自分の部屋へと向かった。
「お嫁さん、この男どうにかしてください」
扉をあけて中に無理やりこの男を押し込む。様子は未だ変わらずただ虚ろのままその場に立ち尽くした彼にお嫁さんはふらりと近付いて顔を覗き込んだ。
「…寝てるわ」
「はい?」
「寝てるのよ、これ。目死んでるでしょ?」
「いつも死んでません?」
「彼一昨日からずっと研究室に閉じこもってたから多分寝てないのよね」
「いやでも、目見開いてますよこの人」
「まぁ器具外さないまま寝たらこうなるわよねぇ」
「はぁ…」
呆れた、やはり彼はどこかおかしいのだ。殺人鬼のようなそういうおかしさではなくて、ただただどこかが欠けてしまっている。
私は彼の手を再び引いて自分がいつも眠るベッドまで連れて行き、押すように座らせた。未だ目覚める様子はない彼の器具をお嫁さんが丁寧に外す。口元は既に外していたお陰か手をつけることはなかったが、他人が外す様子ほどその器具が痛そうに見えることはない。お嫁さんが彼の顔に手を乗せてそっと目を閉じさせれば、私は少々乱暴だったが自分が眠るはずのベッドに寝かせ倒した。
「桔梗ちゃん、いいの?」
「何がです?」
「あんたここで寝れなくなるわよ」
「別に今眠くないですし、たまには寝るばかりではなく座ったまま夜まで待ってみます」
「あらそう、でも私もう帰るわよ?」
「あ、今日もありがとうございます」
彼女は私の頭を2.3回ほどポンポンと撫でてくれる、いつも帰る前にしてくれるおまじないみたいなものだった、とても心地がいい。能力を使って帰っていく彼女はやはり幽霊の一部なのだと再度理解させられる。二人きりの空間が重く感じられた。
それから私はいつもこの男が座る椅子に腰をかける。普段なら気付かない軋み音がこの静かな空間に響くせいでその脆さを思い知らされる、こんなにも冷たく寂しい椅子に座って彼は今まで一人で研究をしていたのかと思うとやはり哀れだと思ってしまう自分がいた。ガラガラとコマを引いて眠るこの男の元へ移動する、かけてやれてなかった布団を胸元までかけてやれば私は背もたれに身体を預けた。
いつになれば帰れるのか、果たしてあちらで私はどういう結果になっているのだろう。死んだことになっているのか、行方不明のままなのか、はたまた私がここにいる限りあちらの世界は動かないのか。母は今頃どうしているだろう、一人で寂しくしていないだろうか、それとも私のことなんて忘れてしまっただろうか。友達は、大学は、そういえばエブニャンの録画も未だ見れていない。私は叶わぬ夢だと思いながらも元いた世界を思い浮かべる、考えない方が楽なのに考えれば胸の苦しさが私を混乱させる。帰りたい、帰りたい……
やめろ。帰りたいと思うたびに、この男の顔が浮かぶのは、どうして?
考えに浸っていた時には私はすでに夢の中にいたらしい。気付いた時には、私はあの男が眠っていたはずのベッドに寝かされていたのだから。
いや、嘘だ。最近はそうでもない。通路で彼が私の姿を見かければ不満そうな顔をして此方へと歩いてくるのだが、決まって彼はさっさとベッドに戻れと一言を落としそのまま立ち去ってしまう。私がここから出られないのをわかっているからなのか、それともリハビリさせて筋肉をつけさせることによって肉として立派な食材にするためなのか、あるいはお嫁さんに怒られでもしたのか。私には関係ないがどの理由にしても自分の運動欲がこうして発散できるのだからこれ以上はこちらも文句を言わなかった。
今もこうして通路を壁伝いに歩く、以前より動きやすくなった体は這いずっていたあの頃とは違い悠長に散歩をするようになった。ぱたぱたと素足の音が通路に響く、その感覚にももう慣れてしまったのか足裏に冷たさを感じても何も思わなくなってしまった。ただ同じ場所を同じように繰り返し動くだけ、時折何処かから風が吹くのだけれど私はもうそれにも反応することをしなくなった。
「おい」
「はい?」
背後からあの男の声が弱々しく聞こえた。振り向けば珍しく白衣のコートを脱いだ彼がやはり不機嫌そうにして立っている、呼び止めるだけ止めておいてこの男はそれ以降何も喋らなくなった。ただただ私を見下ろしているだけの亡霊のような存在。
いつの日だったか、私は彼に自ら触れたことがある。それは決して彼に触れたかったわけではなく、ただ彼が哀れだと思ってしまったのだ。他の殺人鬼達のように笑うこともなければ彼はただその仏頂面な面をいつも怒らせて人を蹴り落とそうとしてくる、私だけではなくトラッパーやヒルビリーに対してもだ。こんなにも楽しくて多い仲間がいるのに彼はいつだって笑わない。これはきっと病気だ、彼は怒ることしかできない可哀想な患者なのだ。私はそれに気付いてからは彼に対して少しだけ優しくすることにした。心を開いたわけではない、ただ優しくするだけ、でもそれは必要以上に相手に接するとかではなくただただその場を納めるための行動に過ぎない。
「あの」
「…」
「すいませーん」
「…」
「おーい」
だめだ、何を言っても反応しない。それどころか顔を引っ張る器具で見開かれる目が虚ろになりながら私を見ている、一体どうしたというのだこの男は。私はこの男の手をそっととってとりあえずお嫁さんのところに連れて行こうとした。
最初こそ望みがなかった、ここで私が引いたところでみすみす付いてくるわけがないだろうと。だがこの男は少しずつ足を動かして私よりも大きな股で私の後ろを付いてきた。死んだように腕を垂らして私に引かれ、首がコトコトと上下している。とうとう頭のネジが外れたのか、もしかしなくても認知か、もう彼はそういう歳なのか。こちらの方が患者なのだから負荷をかけないでほしい。私は現状況に混乱しながらも彼の手を懸命に引いて歩いた。ゴツゴツしているという感じではないが私よりは大きな手をしていて、皮膚が分厚く硬くそしてガサガサに乾燥している。どこか可哀想な、暖かさのない手を引いている私は何をどうすればいいのだろうかと頭を悩ませながら自分の部屋へと向かった。
「お嫁さん、この男どうにかしてください」
扉をあけて中に無理やりこの男を押し込む。様子は未だ変わらずただ虚ろのままその場に立ち尽くした彼にお嫁さんはふらりと近付いて顔を覗き込んだ。
「…寝てるわ」
「はい?」
「寝てるのよ、これ。目死んでるでしょ?」
「いつも死んでません?」
「彼一昨日からずっと研究室に閉じこもってたから多分寝てないのよね」
「いやでも、目見開いてますよこの人」
「まぁ器具外さないまま寝たらこうなるわよねぇ」
「はぁ…」
呆れた、やはり彼はどこかおかしいのだ。殺人鬼のようなそういうおかしさではなくて、ただただどこかが欠けてしまっている。
私は彼の手を再び引いて自分がいつも眠るベッドまで連れて行き、押すように座らせた。未だ目覚める様子はない彼の器具をお嫁さんが丁寧に外す。口元は既に外していたお陰か手をつけることはなかったが、他人が外す様子ほどその器具が痛そうに見えることはない。お嫁さんが彼の顔に手を乗せてそっと目を閉じさせれば、私は少々乱暴だったが自分が眠るはずのベッドに寝かせ倒した。
「桔梗ちゃん、いいの?」
「何がです?」
「あんたここで寝れなくなるわよ」
「別に今眠くないですし、たまには寝るばかりではなく座ったまま夜まで待ってみます」
「あらそう、でも私もう帰るわよ?」
「あ、今日もありがとうございます」
彼女は私の頭を2.3回ほどポンポンと撫でてくれる、いつも帰る前にしてくれるおまじないみたいなものだった、とても心地がいい。能力を使って帰っていく彼女はやはり幽霊の一部なのだと再度理解させられる。二人きりの空間が重く感じられた。
それから私はいつもこの男が座る椅子に腰をかける。普段なら気付かない軋み音がこの静かな空間に響くせいでその脆さを思い知らされる、こんなにも冷たく寂しい椅子に座って彼は今まで一人で研究をしていたのかと思うとやはり哀れだと思ってしまう自分がいた。ガラガラとコマを引いて眠るこの男の元へ移動する、かけてやれてなかった布団を胸元までかけてやれば私は背もたれに身体を預けた。
いつになれば帰れるのか、果たしてあちらで私はどういう結果になっているのだろう。死んだことになっているのか、行方不明のままなのか、はたまた私がここにいる限りあちらの世界は動かないのか。母は今頃どうしているだろう、一人で寂しくしていないだろうか、それとも私のことなんて忘れてしまっただろうか。友達は、大学は、そういえばエブニャンの録画も未だ見れていない。私は叶わぬ夢だと思いながらも元いた世界を思い浮かべる、考えない方が楽なのに考えれば胸の苦しさが私を混乱させる。帰りたい、帰りたい……
やめろ。帰りたいと思うたびに、この男の顔が浮かぶのは、どうして?
考えに浸っていた時には私はすでに夢の中にいたらしい。気付いた時には、私はあの男が眠っていたはずのベッドに寝かされていたのだから。