悪魔と殺人鬼
名を刻もう
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「ドクター」
「なんだ」
「桔梗ちゃんを見ませんでしたか?」
「あいつなら今頃寝ているだろう」
「いえ…いないんです、どこにも」
珍しく寝付けない夜を迎えた。暖かい布団が不思議と冷たく感じ、体がうずうずと苦しそうにする。長いことまともに体を動かしていないせいか、体が欲しているんだ。今すぐ運動がしたい、走り回りたい、飛んで目一杯転がってしまいたい。元々運動能力だけが取り柄だった私は中高共に陸上部へ入部、その後何度か出場した大会では上位の成績をおさめていた…自慢ではないが、自慢の能力を持っている。そんな私が学校を卒業すれば引きこもり生活を始めるのだが、やはり時折山登りをしたり外を走り回ったりと体を動かすことは珍しいことではなかった。あんなにもたくさん体を動かしていた時期が長かったせいか、動かなさすぎるとかえって動きたくなる衝動に追われる。
そう、まさに今その症状と同じものが私を襲っている、2ヶ月半と動かせていない体をリハビリとして動かしたい。ダメだろうか、お嫁さんを心配させてしまうだろうか。私は目を瞑って葛藤をした。欲と友情、私ならどちらを優先させるだろうか。友情か、友情だよな。
「よし」
私はゆっくりと体を起こして足を地面に下ろす、久しぶりに一人でこの部屋から出られる。考えと行動があってないなんてよくあることだ、気にするな。私は鈍っていることを自覚しているからこそ、ゆっくり丁寧に歩きその部屋を去った。
壁伝いにこの建物を歩いた。初めてここへ来たときとなんら変わらない、冷たくて寂しい空間。何か物音がすればその音は建物全体に響いていると錯覚させるほど至る所で反響した。所々に置いてあるモニターから聞こえる叫び声は、ここで長いこと過ごした私をもう引き止めることはなくなっていた。じりじりと擦るように素足を動かし、稀に踏んでしまう小石の痛みを我慢すれば以前ヒルビリーとともに出た扉へたどり着いた。この先に出れば私は帰ることが出来るかもしれない、この先に出ればこんな生活をしなくてもいい、毎日死ぬか生きるかの選択をあの男に決められることもなくなる。しかし、何故だか出る気にならない。出れないし、出られないし、今出たら私は救われた命を捨てることになる、そんな気がしてならないんだ。私はその扉を、見なかったふりをするように視線をよそへ向けまた壁伝いに歩き始めた。
この建物を一周した頃だろう、私は疲れたのか足がうまく動かせなくなってしまった。渋々近くに置いてあった台車に投げるように腰を掛ける。私がいつも寝るベッドとは違う、冷たくて寂しい感覚。同じ布団であるはずのそれは私を温めることはない。だが疲れというのは不思議に私を眠りへと誘い、少しだけと自分に言い聞かせて私は冷たいベッドに横になりその誘いを甘んじて受け入れた。私が眠りにつくのに長い時間を必要としなかった、きっとまた楽しい夢を、きっと君に会えるだろうか。
何処へ行きやがった。
ナースの話を聞いた私は急いで彼女がいるであろう部屋の扉を乱暴に開けた。そこには少し歪んだ布団といつもなら必ずといっていいほどつけている簪が丁寧に置かれていた。これがあるということは遠くへ行くつもりでここを離れたわけではないはず。だが私の許可はおろか、ナースの許可すら取らずにここを離れた彼女は一体どこにいるのか、何のためにここを離れたのか。
ナースにすれ違っては困るからお前はここにいろ、と指示をして私は施設の中を探すことにした。少なくとも外には出ていない、ここから出る方法をあの頭の小さい女がわかるはずがない。もし仮に外に出ていたとしたら二度と出れないように地下室に吊るして眺めてやる、ロッカーに閉じ込めて餓死させてやってもいいくらいだ。それくらいナースや私を心配させて…
(まて、いつから私は心配していることになっている)
心配ではない、ただ困るだけだ。ほかの殺人鬼どもに見つかり死にかけているところを見かけても再び長い治療に戻るだけだし、そもそもあれは私がエンティティからもらった実験体だ。彼女を残すメリットは私にはある、彼女が死ぬときは私が満足したときだ。
私は白衣を揺らし握りこぶしを作りながら施設内を隈なく探す。モニタールーム、一つ一つの部屋の中、なんなら怒られようが知ったことではないトイレですら丁寧に。だが彼女は何処にもいないし、何処へ行っても彼女の気配を感じられなかった。外に出ていないはずなのに、一体何処で何しているんだ。私は手がかりもないままこれ以上探すことに意味があるのだろうかと頭を抱えて近くの台車に腰を下ろした。すると私の下から情けなく濁ったうなり声が聞こえた。
「ぐ、ぐふ…おやめくだし…」
見つけた。あろうことか廊下の台車に彼女は眠っていたのだ。長く黒い艶やかな髪をその白いシーツに散りばめて長い睫毛をピクピクと動かしながら何かを呟いている。体を丸めて口をうっすらとあけ、そこからは涎が垂れている。損をした気分だ、こんなところにいるのに何を私は焦ってここまでしなければならなかったのだ。ナースにまで迷惑をかけて、そこまでしてこの女は一体何がしたかったんだ。そもそも何故ここで眠っている、部屋に戻れば上等な布団があるというのに。
「…桔梗」
彼女の名を私が口にしたのはこれで初めてだった。無意識だったが別に驚きはしない、これだけ一緒の空間にいて名を呼ばなかったのも不思議だが…仕方がない。これがあの態度のまま私に話しかけるのだからこちらも名を呼ぶ雰囲気にはならないし、今更その呼び方で呼んだところで違和感しか残らない。だからこうして眠る彼女に私は語りかけることしかできなかった。
このまま目を覚ますまでここで本を読むのも悪くはない、たまにはこの殺風景な廊下で冷たさを感じながら過ごすのもよかった。しかし、これ以上ナースを心配させたままにするのも如何なものかと思い私は彼女を優しく抱き上げた。小さく、暖かい。いつかに感じたこの感覚、彼女はどんな時でさえこうやって抱き上げる私にそれを与えてくれるのだ。まだ未熟な存在だというのに、生意気なガキだった。
帰ろう、お前の眠る場所はあそこではない。
「なんだ」
「桔梗ちゃんを見ませんでしたか?」
「あいつなら今頃寝ているだろう」
「いえ…いないんです、どこにも」
珍しく寝付けない夜を迎えた。暖かい布団が不思議と冷たく感じ、体がうずうずと苦しそうにする。長いことまともに体を動かしていないせいか、体が欲しているんだ。今すぐ運動がしたい、走り回りたい、飛んで目一杯転がってしまいたい。元々運動能力だけが取り柄だった私は中高共に陸上部へ入部、その後何度か出場した大会では上位の成績をおさめていた…自慢ではないが、自慢の能力を持っている。そんな私が学校を卒業すれば引きこもり生活を始めるのだが、やはり時折山登りをしたり外を走り回ったりと体を動かすことは珍しいことではなかった。あんなにもたくさん体を動かしていた時期が長かったせいか、動かなさすぎるとかえって動きたくなる衝動に追われる。
そう、まさに今その症状と同じものが私を襲っている、2ヶ月半と動かせていない体をリハビリとして動かしたい。ダメだろうか、お嫁さんを心配させてしまうだろうか。私は目を瞑って葛藤をした。欲と友情、私ならどちらを優先させるだろうか。友情か、友情だよな。
「よし」
私はゆっくりと体を起こして足を地面に下ろす、久しぶりに一人でこの部屋から出られる。考えと行動があってないなんてよくあることだ、気にするな。私は鈍っていることを自覚しているからこそ、ゆっくり丁寧に歩きその部屋を去った。
壁伝いにこの建物を歩いた。初めてここへ来たときとなんら変わらない、冷たくて寂しい空間。何か物音がすればその音は建物全体に響いていると錯覚させるほど至る所で反響した。所々に置いてあるモニターから聞こえる叫び声は、ここで長いこと過ごした私をもう引き止めることはなくなっていた。じりじりと擦るように素足を動かし、稀に踏んでしまう小石の痛みを我慢すれば以前ヒルビリーとともに出た扉へたどり着いた。この先に出れば私は帰ることが出来るかもしれない、この先に出ればこんな生活をしなくてもいい、毎日死ぬか生きるかの選択をあの男に決められることもなくなる。しかし、何故だか出る気にならない。出れないし、出られないし、今出たら私は救われた命を捨てることになる、そんな気がしてならないんだ。私はその扉を、見なかったふりをするように視線をよそへ向けまた壁伝いに歩き始めた。
この建物を一周した頃だろう、私は疲れたのか足がうまく動かせなくなってしまった。渋々近くに置いてあった台車に投げるように腰を掛ける。私がいつも寝るベッドとは違う、冷たくて寂しい感覚。同じ布団であるはずのそれは私を温めることはない。だが疲れというのは不思議に私を眠りへと誘い、少しだけと自分に言い聞かせて私は冷たいベッドに横になりその誘いを甘んじて受け入れた。私が眠りにつくのに長い時間を必要としなかった、きっとまた楽しい夢を、きっと君に会えるだろうか。
何処へ行きやがった。
ナースの話を聞いた私は急いで彼女がいるであろう部屋の扉を乱暴に開けた。そこには少し歪んだ布団といつもなら必ずといっていいほどつけている簪が丁寧に置かれていた。これがあるということは遠くへ行くつもりでここを離れたわけではないはず。だが私の許可はおろか、ナースの許可すら取らずにここを離れた彼女は一体どこにいるのか、何のためにここを離れたのか。
ナースにすれ違っては困るからお前はここにいろ、と指示をして私は施設の中を探すことにした。少なくとも外には出ていない、ここから出る方法をあの頭の小さい女がわかるはずがない。もし仮に外に出ていたとしたら二度と出れないように地下室に吊るして眺めてやる、ロッカーに閉じ込めて餓死させてやってもいいくらいだ。それくらいナースや私を心配させて…
(まて、いつから私は心配していることになっている)
心配ではない、ただ困るだけだ。ほかの殺人鬼どもに見つかり死にかけているところを見かけても再び長い治療に戻るだけだし、そもそもあれは私がエンティティからもらった実験体だ。彼女を残すメリットは私にはある、彼女が死ぬときは私が満足したときだ。
私は白衣を揺らし握りこぶしを作りながら施設内を隈なく探す。モニタールーム、一つ一つの部屋の中、なんなら怒られようが知ったことではないトイレですら丁寧に。だが彼女は何処にもいないし、何処へ行っても彼女の気配を感じられなかった。外に出ていないはずなのに、一体何処で何しているんだ。私は手がかりもないままこれ以上探すことに意味があるのだろうかと頭を抱えて近くの台車に腰を下ろした。すると私の下から情けなく濁ったうなり声が聞こえた。
「ぐ、ぐふ…おやめくだし…」
見つけた。あろうことか廊下の台車に彼女は眠っていたのだ。長く黒い艶やかな髪をその白いシーツに散りばめて長い睫毛をピクピクと動かしながら何かを呟いている。体を丸めて口をうっすらとあけ、そこからは涎が垂れている。損をした気分だ、こんなところにいるのに何を私は焦ってここまでしなければならなかったのだ。ナースにまで迷惑をかけて、そこまでしてこの女は一体何がしたかったんだ。そもそも何故ここで眠っている、部屋に戻れば上等な布団があるというのに。
「…桔梗」
彼女の名を私が口にしたのはこれで初めてだった。無意識だったが別に驚きはしない、これだけ一緒の空間にいて名を呼ばなかったのも不思議だが…仕方がない。これがあの態度のまま私に話しかけるのだからこちらも名を呼ぶ雰囲気にはならないし、今更その呼び方で呼んだところで違和感しか残らない。だからこうして眠る彼女に私は語りかけることしかできなかった。
このまま目を覚ますまでここで本を読むのも悪くはない、たまにはこの殺風景な廊下で冷たさを感じながら過ごすのもよかった。しかし、これ以上ナースを心配させたままにするのも如何なものかと思い私は彼女を優しく抱き上げた。小さく、暖かい。いつかに感じたこの感覚、彼女はどんな時でさえこうやって抱き上げる私にそれを与えてくれるのだ。まだ未熟な存在だというのに、生意気なガキだった。
帰ろう、お前の眠る場所はあそこではない。