悪魔と殺人鬼
名を刻もう
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「でねでね、僕ね、明日もう一度ドクターのとこにいくんだ」
「ほぉ」
「トラッパーも行く?あ、でも、ドクターと仲悪いんだよね」
「それは俺じゃなくてフレディの方だ」
「あ、そっかぁ!」
朝から扉の前で機械音を撒き散らしていたこの男を渋々部屋へ入れてやれば相変わらず多方面から話を持ち出してきた。これから儀式があるというのに、果たしてヒルビリーの相手などしていいのだろうか。なんなら今すぐにでも生贄を狩る準備をしなければならないはずだが、帰れといったところで素直に聞いているなら俺はこの状況に困っていない。俺は彼の話を半分ほど聞き流しトラバサミの手入れをする。別に聞き流すことなんていつものことだ、本人も俺が半分近くの話を聞いてないことくらいわかっている。だからいつも話すだけ話し満足すると彼はここを立ち去っていた。
最後のトラバサミを手入れし終わった頃。今日もいつものように話し尽くし、疲れたと呟いて床に寝そべる彼に俺は儀式だから帰れと言った。正直今日の儀式は気が乗らないが、エンティティに逆らいまた傷を増やしてドクターの元へ治療に行く方がもっと気が乗らない。早めに言ってなるだけ早く終わらせるに越したことはないのだ。
「あー、明日楽しみだな。桔梗に会えるかなぁ」
「…誰だそれは」
殺人鬼共の生前の名でも、愛称でもない。今まで誰からも聞いたことのないような名前を口から出すこの男は、しまったと言わんばかりに口を両手で抑え至極怯えながら何でもないと言い走って逃げてしまった。何だったんだ、ドクターの元に新たな殺人鬼でも来たのか。だとすれば顔を拝みに行ってやらねぇこともないが、ヒルビリーがあそこまで会えるという言葉を嬉しそうに呟いたのは既にそこまでの親しみを持っているということだろうか。面白い、明日ヒルビリーが向かう時俺も付いて行ってやろう。ちょうどトラバサミに塗る毒が切れた頃だ、ついでに頼みに行けばそれでいい。俺は仮面の下の口角を引き攣らせ儀式へと足を運んだ。
「ど、どどどどどどどど」
「…」
「どひぇ…ど、どう、どうも」
「…」
「お、お嫁、お嫁さん…私死ぬんでしょうか」
「んふふ」
あれから2時間ほど眠り生きていることに幸せを感じた私は身体を起こし、渋々ではあるが栄養食を食べようとした時だった。目を開ければ私を見下ろすように大柄の男がそこに仁王立ちしている。口元が笑うように割れた画面をつけ、その手にはナタのような大きな包丁を手にし仮面の奥からうっすらと見える目が完全に殺意の塊そのものだった。私は一体この短期間で何度死にそうな目に合うんだろうか?神はもしかして私を恨んでいるのか?そりゃ山菜を採ったことは山の神に良い影響を与えなかったのかもしれない。なにせ採るだけ採ってリュックは行方不明、中に入っているであろう山菜は今頃ドロドロに腐り果て異臭を漂わせていることだろう。そりゃ怒る、うん、私がもし山菜を売る側の人間だとしたらそれを食べずに捨てるような真似をすることをきっと許しはしない。ああこれだ、きっとここ最近の不安は全て山菜を採った私への恨みなのだ。思えば山菜さえ採りに来なければこんなことにならなかったはずなのだ、あぁ、あぁ、悲しきかな。
「悲しきかな」
「こいつが例のヒルビリーが言っていたやつか」
「トラッパー、お願いだからこのことは他のキラー達には秘密にしておいてほしいの」
「何故だ」
「少なくとも、彼女の身体が治るまではお願いできないかしら。一番面倒なのは、ドクターが酷く怒るの」
「ほぉ」
「あのー、私を見て会話せずお互い向き合って会話してくださいー」
「殺すか」
そういって迷わず私にその手にした大包丁を上げてくるから思わず目を見開いた。あ、これは死ぬ。確実に死ぬ。私知ってます、これは頭に直撃したら絶対死にます。頭ぱっかり行きます。そのまま振りかざそうとする瞬間が私の瞳にはスローモーションでうつる、もうすぐ、私が。
「トラッパー、殺さないで」
彼のあの太い手を止めたのは他でもないお嫁さんだった。ああ、どうしよう。やはり彼女は私の中の女神様だ、いや神様だ。そうだ、やっぱり神様は私を恨んでなかった、こんなにも神々しい存在がここにいるんだ。ありがとうございます。あれ、誰にいってるんだろう。
「少なくとも人間だろう」
「少なくなくても人間です!」
「エンティティはどうした」
「エン?」
「少なくとも人間だけど、エンティティがドクターに託したの。どういう意図があるかわからないけれど」
「成る程、だから隠しているのか」
「ヒルビリーにちゃんと言ったんだけれど…相手がトラッパーでまだ良いわ」
「すいません、私殺されかけましたよ、どこが良いんですか?」
「中には話せば問題になる殺人鬼もいるのよ、私達みたいに理解があるキラーばかりじゃないの」
それが私にはわからない。だって彼らも同じ殺人鬼で人を選ぶ必要なんてないはずなのに、何故この人たちは私に優しくして私を助けようとしているのだろうか。何を一体理解しているの?そして私は一体誰からあの男に託された?
私の中で沢山の疑問が生まれる。私のことを殺すはずの存在達が私を生かすのはメリットはあるのか、それをすることによって彼ら彼女らは一体何を得ているのか。私をあの男に託した理由とはなにか、"その本人"は何者なのか。ここへ来た時から何一つ変わってない、疑問は減ることはなく増えていくだけで何一つ解決なんてしていなかった。そんな新しすぎる世界が私は怖くて辛くて見ていたくないはずなのに、いつのまにか興味を持っていた。いろんな意味でキラキラしているんだ、今の私の人生が。そりゃ今みたいに死と隣り合わせになることが多くはなった、いやなりすぎたがそれでもこの世界が自分にとって生きづらいと思うことは前ほど無くなった。現に今私を殺そうとしたこの男は彼女のいうことを聞いて大人しくしている、先程まで溢れ出ていた殺気も今では感じられなくなった。
「トラッパーお願いできないかしら」
「……」
「トラッパー」
「…はぁ」
「聞かれたら答える。俺は嘘は好かん」
「ありがとう」
聞かれたら答える、ということは自分から意図的に口に出すことはないということ。あれほど殺意満天だったこの男も、彼女のお願いにかかればイチコロというわけだ、男ってなんてちょろいんだ。
「名を」
「桔梗と申すぞ」
「俺はトラッパーと呼ばれている」
呼ばれている、ということは彼のその名も愛称に過ぎないのだろうか。そもそも生前の名前と言っているけれど、この人たち死んでるわけでは無いと思うんだがそこらへんは一体どうなのだろうか。お嫁さんみたいに幽霊になった殺人鬼もいれば肉体を持つ殺人鬼もいるように生きてたり死んでたりするのだろうか。
ひと段落ついた私はふと気を抜いて肩の力を落とせば悪かったと言わんばかりに私に右手を差し出してくるこの男。境目が全くわからん、と悩みながらも目の前に差し出される大きな手に握手握手と触れようとした。
その手は触れることはなかった。耳を裂くような破裂音とともに入口の壁がボロボロと崩れ落ちる、そこには殺意を纏った悪魔がどこが遠くを睨みつけていた。
「ドクター、あれ取りに来たよ!」
「ああ」
中央のモニタールームで私は彼に頼まれた薬を調剤していた。月に一度こうして安定剤を取りに来るのだが、いつもなら遅刻する彼が今日は予定より早くこの建物に辿り着いた。理由は問わないが、前回来た時に渡しそびれてしまったからだろうと勝手に解釈をすれば小包にその薬を入れて彼に渡した。
「先日はすまない」
「ううん、僕シェイプやトラッパーに話聞いてもらったりしてたから大丈夫だよ」
「そうか、また次は1ヶ月後で良いか」
「いいよー!」
相変わらず抜けた声で私の周りをチェーンソー片手にうろうろとする、いつもならただそれだけなのだが今回はそわそわとどこか忙しない様子で私を眺めるのだ。別の件に手をつけようにもその視線が気になって仕方がなく、私はため息を深く吐いて彼に視線を向けた。
「なんだ」
「桔梗は?僕会いたいなぁ」
「ダメだ、あいつはまだ重傷を負っているから誰にも合わせられん」
「えぇ、でもトラッパーが会いに行ってるはずだよ」
「何?」
私の手にシワができた。胸が妙に熱くなるのを感じる、歯を立て、ない眉を歪ませ私は心の底に沈めた怒りがふつふつと浮いて来る。その様子に気付いたヒルビリーが他には言ってない、もう言わない、などと必死に弁解を求め謝罪をしてくるがその言葉が思うように頭に入ってこない。シェイプの方に話していないだけマシだったが、これはこれで厄介な相手にバレたことには違いがない。私はヒルビリーをその場に残して急ぎ足で彼女の部屋に戻る。腰に添えた金棒を右手に持ち、左手から怒りを露わにするように電気がバチバチと鳴いている。部屋の近くまで来れば先ほど閉めたはずの扉が開きっぱなしで中から声が聞こえた、あの女とナースとトラッパーの声だ。部屋に足を踏み入れようとした時、私の目にうつったのはあの男と彼女の手が交わろうとしている瞬間。気付いた時には右手に持った金棒を壁に穴が空く勢いで殴りつけられていた。当然驚いたようにその場の3人がこちらに視線を向けるが私の怒りが治るはずがない。
まて、そもそも何故私は怒っているのだ。一体何に対する怒りだこれは。
「ド、ドクター。大丈夫、彼はちゃんと秘密を守ると言っているわ」
「聞かれたら答えるだけだ、それ以上は何もしないが…何をそんなに殺気立っている」
「あ、あのぉ…」
「しー、桔梗ちゃんは今は喋っちゃダメ」
金棒を腰に添え白衣を整えれば私は無言でトラッパーに近づく。抑えられない怒りをこの男にぶつけても意味がない、だが無性に気が立って仕方がないんだ。私は彼の肩紐を掴めばぐ、とこちらに寄せ互いに睨み合った。ナースがおどおどとして二人の周りを揺れて動くのだが自分の行動が自分でも抑えられないのだ。歯をギジリと音を立てながら擦り互いに無言で胸板をぶつけ威嚇をする、当然この男もそれに乗ってくるように私の胸ぐらを掴んで睨み合いをするのだ、いつまで立っても終わらない。
「あ、あの…ドクター」
初めてだった、彼女が私をそのような呼び方で呼んだのは。ナースも何を言うのかと驚いた様子で彼女に視線を向ける、当然私たちも彼女へ視線がいき互いに掴みあう手が自然と離れていく。何だ、この女は此の期に及んでなにを言い出すのだろう、この治らない怒りに対してこの女はなにで対抗してくるのだ。
「ん、んん…ちょっと此方に」
そう言って彼女は私に対して手招きをしてきた。これも初めてだった、そもそも彼女から私への接触はなかったし私からでさえ必要以上に接することはなかったからだ。部屋の空気が完全に彼女に支配されている。私は首の骨をごくりと鳴らして彼女の目の前に行けば、もう少ししゃがんで欲しいと困ったように要求してくるから片膝をついて腰を屈めてやった。
その場の空気が一瞬で変わるのを私は感じる、何なら私の体温ですら彼女の行動で一気に変わった。彼女はあろうことか私の頭をその手で優しく触れたのだ。本当にゆっくり丁寧に私を撫でる、少し震えながらだがしっかりと私を撫でている。誰にもされたことがない不思議な感覚を彼女は私に与え始めた。視線こそ此方に向いていなかったが、彼女の睫毛の下に埋もれた宝石は困ったように地面を見ていて、その眉は悲しそうに下がっていた。
「く、苦しいぞ。胸が痛い、怒らないでほしい」
その姿に魅了されたように、私は彼女から目が離せず硬直した。
後にナースとトラッパーがコソコソと楽しげに私の陰口を言っていることを知ったのは、ヒルビリーの口からであった。
「ほぉ」
「トラッパーも行く?あ、でも、ドクターと仲悪いんだよね」
「それは俺じゃなくてフレディの方だ」
「あ、そっかぁ!」
朝から扉の前で機械音を撒き散らしていたこの男を渋々部屋へ入れてやれば相変わらず多方面から話を持ち出してきた。これから儀式があるというのに、果たしてヒルビリーの相手などしていいのだろうか。なんなら今すぐにでも生贄を狩る準備をしなければならないはずだが、帰れといったところで素直に聞いているなら俺はこの状況に困っていない。俺は彼の話を半分ほど聞き流しトラバサミの手入れをする。別に聞き流すことなんていつものことだ、本人も俺が半分近くの話を聞いてないことくらいわかっている。だからいつも話すだけ話し満足すると彼はここを立ち去っていた。
最後のトラバサミを手入れし終わった頃。今日もいつものように話し尽くし、疲れたと呟いて床に寝そべる彼に俺は儀式だから帰れと言った。正直今日の儀式は気が乗らないが、エンティティに逆らいまた傷を増やしてドクターの元へ治療に行く方がもっと気が乗らない。早めに言ってなるだけ早く終わらせるに越したことはないのだ。
「あー、明日楽しみだな。桔梗に会えるかなぁ」
「…誰だそれは」
殺人鬼共の生前の名でも、愛称でもない。今まで誰からも聞いたことのないような名前を口から出すこの男は、しまったと言わんばかりに口を両手で抑え至極怯えながら何でもないと言い走って逃げてしまった。何だったんだ、ドクターの元に新たな殺人鬼でも来たのか。だとすれば顔を拝みに行ってやらねぇこともないが、ヒルビリーがあそこまで会えるという言葉を嬉しそうに呟いたのは既にそこまでの親しみを持っているということだろうか。面白い、明日ヒルビリーが向かう時俺も付いて行ってやろう。ちょうどトラバサミに塗る毒が切れた頃だ、ついでに頼みに行けばそれでいい。俺は仮面の下の口角を引き攣らせ儀式へと足を運んだ。
「ど、どどどどどどどど」
「…」
「どひぇ…ど、どう、どうも」
「…」
「お、お嫁、お嫁さん…私死ぬんでしょうか」
「んふふ」
あれから2時間ほど眠り生きていることに幸せを感じた私は身体を起こし、渋々ではあるが栄養食を食べようとした時だった。目を開ければ私を見下ろすように大柄の男がそこに仁王立ちしている。口元が笑うように割れた画面をつけ、その手にはナタのような大きな包丁を手にし仮面の奥からうっすらと見える目が完全に殺意の塊そのものだった。私は一体この短期間で何度死にそうな目に合うんだろうか?神はもしかして私を恨んでいるのか?そりゃ山菜を採ったことは山の神に良い影響を与えなかったのかもしれない。なにせ採るだけ採ってリュックは行方不明、中に入っているであろう山菜は今頃ドロドロに腐り果て異臭を漂わせていることだろう。そりゃ怒る、うん、私がもし山菜を売る側の人間だとしたらそれを食べずに捨てるような真似をすることをきっと許しはしない。ああこれだ、きっとここ最近の不安は全て山菜を採った私への恨みなのだ。思えば山菜さえ採りに来なければこんなことにならなかったはずなのだ、あぁ、あぁ、悲しきかな。
「悲しきかな」
「こいつが例のヒルビリーが言っていたやつか」
「トラッパー、お願いだからこのことは他のキラー達には秘密にしておいてほしいの」
「何故だ」
「少なくとも、彼女の身体が治るまではお願いできないかしら。一番面倒なのは、ドクターが酷く怒るの」
「ほぉ」
「あのー、私を見て会話せずお互い向き合って会話してくださいー」
「殺すか」
そういって迷わず私にその手にした大包丁を上げてくるから思わず目を見開いた。あ、これは死ぬ。確実に死ぬ。私知ってます、これは頭に直撃したら絶対死にます。頭ぱっかり行きます。そのまま振りかざそうとする瞬間が私の瞳にはスローモーションでうつる、もうすぐ、私が。
「トラッパー、殺さないで」
彼のあの太い手を止めたのは他でもないお嫁さんだった。ああ、どうしよう。やはり彼女は私の中の女神様だ、いや神様だ。そうだ、やっぱり神様は私を恨んでなかった、こんなにも神々しい存在がここにいるんだ。ありがとうございます。あれ、誰にいってるんだろう。
「少なくとも人間だろう」
「少なくなくても人間です!」
「エンティティはどうした」
「エン?」
「少なくとも人間だけど、エンティティがドクターに託したの。どういう意図があるかわからないけれど」
「成る程、だから隠しているのか」
「ヒルビリーにちゃんと言ったんだけれど…相手がトラッパーでまだ良いわ」
「すいません、私殺されかけましたよ、どこが良いんですか?」
「中には話せば問題になる殺人鬼もいるのよ、私達みたいに理解があるキラーばかりじゃないの」
それが私にはわからない。だって彼らも同じ殺人鬼で人を選ぶ必要なんてないはずなのに、何故この人たちは私に優しくして私を助けようとしているのだろうか。何を一体理解しているの?そして私は一体誰からあの男に託された?
私の中で沢山の疑問が生まれる。私のことを殺すはずの存在達が私を生かすのはメリットはあるのか、それをすることによって彼ら彼女らは一体何を得ているのか。私をあの男に託した理由とはなにか、"その本人"は何者なのか。ここへ来た時から何一つ変わってない、疑問は減ることはなく増えていくだけで何一つ解決なんてしていなかった。そんな新しすぎる世界が私は怖くて辛くて見ていたくないはずなのに、いつのまにか興味を持っていた。いろんな意味でキラキラしているんだ、今の私の人生が。そりゃ今みたいに死と隣り合わせになることが多くはなった、いやなりすぎたがそれでもこの世界が自分にとって生きづらいと思うことは前ほど無くなった。現に今私を殺そうとしたこの男は彼女のいうことを聞いて大人しくしている、先程まで溢れ出ていた殺気も今では感じられなくなった。
「トラッパーお願いできないかしら」
「……」
「トラッパー」
「…はぁ」
「聞かれたら答える。俺は嘘は好かん」
「ありがとう」
聞かれたら答える、ということは自分から意図的に口に出すことはないということ。あれほど殺意満天だったこの男も、彼女のお願いにかかればイチコロというわけだ、男ってなんてちょろいんだ。
「名を」
「桔梗と申すぞ」
「俺はトラッパーと呼ばれている」
呼ばれている、ということは彼のその名も愛称に過ぎないのだろうか。そもそも生前の名前と言っているけれど、この人たち死んでるわけでは無いと思うんだがそこらへんは一体どうなのだろうか。お嫁さんみたいに幽霊になった殺人鬼もいれば肉体を持つ殺人鬼もいるように生きてたり死んでたりするのだろうか。
ひと段落ついた私はふと気を抜いて肩の力を落とせば悪かったと言わんばかりに私に右手を差し出してくるこの男。境目が全くわからん、と悩みながらも目の前に差し出される大きな手に握手握手と触れようとした。
その手は触れることはなかった。耳を裂くような破裂音とともに入口の壁がボロボロと崩れ落ちる、そこには殺意を纏った悪魔がどこが遠くを睨みつけていた。
「ドクター、あれ取りに来たよ!」
「ああ」
中央のモニタールームで私は彼に頼まれた薬を調剤していた。月に一度こうして安定剤を取りに来るのだが、いつもなら遅刻する彼が今日は予定より早くこの建物に辿り着いた。理由は問わないが、前回来た時に渡しそびれてしまったからだろうと勝手に解釈をすれば小包にその薬を入れて彼に渡した。
「先日はすまない」
「ううん、僕シェイプやトラッパーに話聞いてもらったりしてたから大丈夫だよ」
「そうか、また次は1ヶ月後で良いか」
「いいよー!」
相変わらず抜けた声で私の周りをチェーンソー片手にうろうろとする、いつもならただそれだけなのだが今回はそわそわとどこか忙しない様子で私を眺めるのだ。別の件に手をつけようにもその視線が気になって仕方がなく、私はため息を深く吐いて彼に視線を向けた。
「なんだ」
「桔梗は?僕会いたいなぁ」
「ダメだ、あいつはまだ重傷を負っているから誰にも合わせられん」
「えぇ、でもトラッパーが会いに行ってるはずだよ」
「何?」
私の手にシワができた。胸が妙に熱くなるのを感じる、歯を立て、ない眉を歪ませ私は心の底に沈めた怒りがふつふつと浮いて来る。その様子に気付いたヒルビリーが他には言ってない、もう言わない、などと必死に弁解を求め謝罪をしてくるがその言葉が思うように頭に入ってこない。シェイプの方に話していないだけマシだったが、これはこれで厄介な相手にバレたことには違いがない。私はヒルビリーをその場に残して急ぎ足で彼女の部屋に戻る。腰に添えた金棒を右手に持ち、左手から怒りを露わにするように電気がバチバチと鳴いている。部屋の近くまで来れば先ほど閉めたはずの扉が開きっぱなしで中から声が聞こえた、あの女とナースとトラッパーの声だ。部屋に足を踏み入れようとした時、私の目にうつったのはあの男と彼女の手が交わろうとしている瞬間。気付いた時には右手に持った金棒を壁に穴が空く勢いで殴りつけられていた。当然驚いたようにその場の3人がこちらに視線を向けるが私の怒りが治るはずがない。
まて、そもそも何故私は怒っているのだ。一体何に対する怒りだこれは。
「ド、ドクター。大丈夫、彼はちゃんと秘密を守ると言っているわ」
「聞かれたら答えるだけだ、それ以上は何もしないが…何をそんなに殺気立っている」
「あ、あのぉ…」
「しー、桔梗ちゃんは今は喋っちゃダメ」
金棒を腰に添え白衣を整えれば私は無言でトラッパーに近づく。抑えられない怒りをこの男にぶつけても意味がない、だが無性に気が立って仕方がないんだ。私は彼の肩紐を掴めばぐ、とこちらに寄せ互いに睨み合った。ナースがおどおどとして二人の周りを揺れて動くのだが自分の行動が自分でも抑えられないのだ。歯をギジリと音を立てながら擦り互いに無言で胸板をぶつけ威嚇をする、当然この男もそれに乗ってくるように私の胸ぐらを掴んで睨み合いをするのだ、いつまで立っても終わらない。
「あ、あの…ドクター」
初めてだった、彼女が私をそのような呼び方で呼んだのは。ナースも何を言うのかと驚いた様子で彼女に視線を向ける、当然私たちも彼女へ視線がいき互いに掴みあう手が自然と離れていく。何だ、この女は此の期に及んでなにを言い出すのだろう、この治らない怒りに対してこの女はなにで対抗してくるのだ。
「ん、んん…ちょっと此方に」
そう言って彼女は私に対して手招きをしてきた。これも初めてだった、そもそも彼女から私への接触はなかったし私からでさえ必要以上に接することはなかったからだ。部屋の空気が完全に彼女に支配されている。私は首の骨をごくりと鳴らして彼女の目の前に行けば、もう少ししゃがんで欲しいと困ったように要求してくるから片膝をついて腰を屈めてやった。
その場の空気が一瞬で変わるのを私は感じる、何なら私の体温ですら彼女の行動で一気に変わった。彼女はあろうことか私の頭をその手で優しく触れたのだ。本当にゆっくり丁寧に私を撫でる、少し震えながらだがしっかりと私を撫でている。誰にもされたことがない不思議な感覚を彼女は私に与え始めた。視線こそ此方に向いていなかったが、彼女の睫毛の下に埋もれた宝石は困ったように地面を見ていて、その眉は悲しそうに下がっていた。
「く、苦しいぞ。胸が痛い、怒らないでほしい」
その姿に魅了されたように、私は彼女から目が離せず硬直した。
後にナースとトラッパーがコソコソと楽しげに私の陰口を言っていることを知ったのは、ヒルビリーの口からであった。