ロノくん
「主様!おかえり!今日もお疲れさん!」
『ただいま!ロノ!聞いて!あのねあのね!』
俺たち悪魔執事の屋敷に主様が来てからだいぶ時間が経った。その間にも数々の事件やイベント、辛いことも楽しいこともあった。
そのたびに主様と過ごす時間は俺にとってもかけがえのない思い出として心の中にしまわれている。
けれど、最近主様の様子が変わった。
「どーしたんですか!そんなに興奮して」
『ふふ、あのね…私、好きな人と結ばれそうなの…』
そして今、その様子が変わった原因が分かった。
ズキン、と俺の胸が痛む。呼吸ができなくて苦しい。
目の前の主様はそんな俺のことなど気づかずに頬を赤らめてもじもじと照れくさそうにしている。
『ずっとね、片思いなんだろうなって思ってたんだけど……関わる機会ができてね……それから…』
ぐっと拳を固く握りしめて息を吸う。
そして心の中で唱える。
俺は執事だ、と。
「…よかったじゃないですか!俺も嬉しいです!」
『ありがとう。ここでこうしてみんなと話しているうちに人と話すことに慣れたおかげだよ』
自分の言葉にも、主様の言葉にも心が抉られる。
目の前にいるのが主様じゃなければいますぐここから逃げ出したい。
『なんかね、前までは冷めてる印象だったけど、最近は話しやすい雰囲気になったって周りからも言われるようになって…』
『私も気づいたんだけどその人たちと話すと、みんなここの執事達みたいに優しい人たちみたいなだなって思えるの』
『ふふ、特にね。その片思いの人もロノみたいに笑顔が可愛い人でね。私が笑うと彼も笑うの』
『一番にロノに報告したかったんだ!』
俺は今、笑えているだろうか。
俺は今、主様を恨んではいないだろうか。
俺は今、泣いてはいないだろうか。
「全部、主様の努力の結果…ですよ」
俺が震える唇でそう言うと主様は俺に向かって満面の笑みで笑った。
それから記憶はないけれど、すぐに主様は帰ったのか気づいたら主様の部屋でひとり立っていた。
「ロノくん?」
「…あ、ルカスさん…」
主様に用があったのか開かれた扉からルカスさんが顔をのぞかせていた。
俺と目が合うと、異変に気付いたのか駆け寄ってくる。
全身からどっと力が抜けた。
「俺……俺、主様が、大好きだったんです……ひ、ひとりの男として…でも、俺は、執事で……だから、主様のことを、応援して……」
ぐしゃぐしゃに感情任せに言葉を吐き出して涙を拭うと、ルカスさんは何も言わずに俺の頭を撫でてくれた。
こんな情けない姿を他の執事に見られたくないのに。
そんなプライドなんか忘れるくらいに俺の心はショックを受けていた。
「ロノくん……よく頑張ったね」
「俺…どうしたら……」
「……それは…」
ルカスさんが言葉を詰まらせる。
わかってる、ルカスさんを困らせているのは。
「う……ぐ…グズッ」
「…今は、少しずつ立ち直ろう。時間をかけてもいい。料理に没頭してもいい。トレーニングにぶつけてもいい。心を死なせてはいけないよ」
「主様…!あるじさまぁ…!」
子供のように泣き叫ぶ俺をずっとルカスさんは慰め続けてくれた。
どれくらいの時間をかければ俺はこの感情を押し殺すことができるだろうか。
どれほどの涙を流せば主様との思い出が色あせるだろうか。
それほどまでに俺に時間は残されているのだろうか。
もういい。今は、今だけは主様を想って泣きたい。
胸の傷と一緒に背負い続けるから。
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