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君の名前をもう一度。








大輝と幸せな時間を過ごし、夜になる前に大輝が帰った。
璃心は余韻に浸りながら母の帰りを待っているとき、携帯が知らない番号からの着信音を鳴らした。不審がりながらも着信を取ると、通話相手は少し離れた大病院からだった。
「落ち着いてお聞きください。戸叶さんの妹さんの梨心さんが事故に遭われ意識不明の重体です。すぐに病院へお越しください」とゆっくりと丁寧に説明をしてくれたが、途中から璃心の手が震え言葉が理解できなくなっていた。身なりも気にせずに財布と携帯をわしづかみにして家を出る。
駅へと全力で走り、大通りへ出て体力が尽きたところで肩で息をしながら遠くから向かってくるタクシーが見えた。
歩道から乗り出しそうなくらいに腕を上げてタクシーを呼び止める。気付いたタクシーが止まるやいなや運転手が開けるよりも先に扉を開けて乗り込む。
呼吸が整わず咳こみながら行き先を伝えてタクシーが走り出す。
大通りの流れる景色をぼう、と眺めながら頭の中を整理する。


『……ぁぁ…梨心……。』


ぽつりと呟いて肩を震わせる璃心を運転手がミラー越しに見つめる。
行き先が病院なところで事情は大体察したが思ったよりも深刻そうであった。声をかけるか迷い、今はできる限り早く目的地へ送り届けるのがこの子のためだとタクシーを走らせた。
程なくしてタクシーは大病院の駐車場へ着いた。
涙を拭いながら財布からお金を払う。何か言いたそうにしていた運転手だが、「足元お気をつけて」とだけ言って扉を開けた。
パタパタと早足で病院の受付へ向かう。
受付の看護師に名前を伝えると奥から別の看護師が出てきて病室へ案内された。
病室へ向かっている途中に梨心の様態を説明された。



「戸叶さんは事故で大型トラックに轢かれたそうです。その時の衝撃で両足の骨が折れ、頭部に損傷がありましたが、内蔵などには目立った損傷はなく今のところは循環に異常はありません。ですが意識不明の状態でいつ様態が急変するかはわかりません」


『安心できない状態ではあるんですね…』


「そうですね、すぐに対処できるようにはしておきますのでなにか異変が見られた場合にはすぐにナースコールか近くの看護師をお呼び下さい」


看護師がそう言い終えると、とある一室で立ち止まった。後ろで立ち止まった璃心の背中に手を当てて数回さすった。
ガララ、と扉を開けると病室の独特の匂いと一緒に梨心の香水の匂いがかすかに感じられた。
璃心が病室の中に入ると、視界にすぐに見えたのは両足を包帯で巻かれて天井から吊るされている器具で固定されている様子だ。数歩歩いてベッドに横たわっている人物を覗き込む。璃心は言葉を失った。



『あ…ぁあ…梨心……』


顔には無数の傷が付いているのかガーゼやテープが貼られ、頭には包帯が巻かれている。
よく見ると顔だけではなく首もとから素肌が見えている部分にかけて全身に傷があるらしく同じ様にガーゼが貼られている。
痛々しい梨心の姿に直視ができず梨心に背を向ける璃心。
看護師も辛そうに梨心を見て、璃心に声をかける。


「もし、意識を取り戻されたときは、自分の姿にショックを受け精神的に不安定になるかもしれません。なのでできる限り鏡などは見せずに傷に関しても時間が経てば、少しずつ塞がります。大きな傷は残る可能性もありますが…その時は教えてあげてください」


割れ物を扱うかのように璃心に優しく語りかける看護師。痛々しい姿の梨心もそうだが、今一番壊れそうなのは璃心だと言うことを看護師は分かっていた。
だからこそ言葉を慎重に選び、受けとめきれない現実を間を開けて少しずつ伝える。
病室へ入るときと同じように優しく背中をさする。
ストン、としゃがみこむ璃心。ただただポロポロと涙が溢れる。璃心にとってもショックが大きかったのだ。


「お母様にご連絡いたしましょうか…?」


『…!ぃ、ぃぇ、私から、伝えます…』


母の名前が出たとき、それに反応して我に返った璃心が引き止める。
ここの大病院は父が亡くなったときと同じ病院。その時に立ち会っていたこの看護師は璃心の母が精神不安定なことも知っていた。
だからこそ梨心が事故に遭ったときも母ではなくまず璃心に連絡が来たのだ。
さすがに璃心のこの状態では不安に思い母を呼ぶことを提案した看護師だが、自分の状態よりも家族のことを第一に考える璃心の責任感が突き動かしたようだ。


「では…また先生から詳しい説明があると思いますので準備ができたらまた呼びに来ますね」


看護師はそう言って静かに病室を後にした。
付き添ってくれていた看護師がいなくなったことで機械音だけが空間に響いていた。
もう一度、梨心の側に歩み寄る。ベッドの横においてある椅子に腰掛けて包帯の上から頭を撫でる。ザラザラと包帯の感触が手に伝わる。
毎朝、隣同士並んで鏡を見ては化粧をしたり髪をセットしていた。梨心は中学の頃から化粧に目覚め自分が綺麗になることに喜んでいた。
だからあくびをしながら眠気まなこで化粧をして毎日どんな髪型で学校に行くか悩んでいた。
そんな美意識が高い梨心。今のこの状態を見てしまったらどんなに傷つくだろうか。



『…………。』



立ち上がると、璃心は病室の扉をあけてたまたま近くにいた看護師に電話をしてくると言って梨心の付き添いを頼んだ。
電話ができる空間まで歩いて、携帯を手に取る。
璃心の職場、居酒屋、梨心の担任、と連絡をして悩んでから母に電話をかけた。



「璃心?どうしたの?家にもいないし…」


『お母さん。あのね…』


「今日はお仕事がね、とても楽しかったの。久しぶりにあんなやりがいが感じられたわ…」



今日の仕事内容を話し出す母。父が無くなってからというもの、ずっとふさぎ込んでいた。部屋にこもって泣いては父を探し出して夜中にいなくなることもあった。近所の人は可哀想な目で見てくるが影から見るだけで璃心が必死に探し回っていた。
そんな母が半年前からようやく仕事に復帰したのだ。
恵まれた職場で精神的に不安定な母を考慮して母が働きやすいように空間を作ってくれて仕事が続いていた。
今ここで梨心の事故のことを伝えたら、また同じようにふさぎ込んでしまうだろうか。
仮に意識が戻ったとしても父の時のことを思い出してしまうだろうか。
母が話している間ずっと、悩み続けた。



「ぁあ、ごめんね…要件は何だったかしら…」


『梨心がね、友達のところに泊まるって言うから送り届けてたの。すぐに帰るから安心してね。また帰ったら話の続きを聞かせて』


「そうだったの。最後の夏休みだから大目に見ようか。就活もまだだけど友達といたほうが相談しやすいよね」



悩んだ末にまだ伝えないことにした。
せめて、梨心の意識が戻ってから話すことにした。話せる状態であれば母の精神的なダメージも軽減されるような気がして。
一言、二言、話してから電話を切った。
そして最後に、トークから選んで電話をかけた。



「もしもし?どうした?」


『大輝くん…』



つい数時間前まで一緒にいた恋人。
何も知らなかったあの頃に戻りたいと思ってしまい涙がこみ上げた。
上を向いてぐっと堪え、少しずつ言葉を紡いだ。



『あのね、梨心がね、事故に遭っちゃって…』


「…えぇえ?!事故って…」


『…今は意識が戻らなくって…でも様態は安定してる…』


「心配だね、俺も付き添いに…」


『夜も遅くなるし…大輝くんは明日部活でしょ?』


璃心の言葉に大輝はでも、と言いかけたが飲み込んだ。
この状態の璃心は自分より相手を優先する。大輝が璃心のことが心配でそばまで支えると言っても、そんな無茶をしないで普段通り過ごしてて大丈夫だよ、となるのだ。
会社にも伝えてしばらくは梨心の看病をするから連絡が取れない、ということを伝えて電話を切った。
大輝は終始心配そうにしてくれたが、私がちゃんとしないと梨心が安心して日常に戻れなくなってしまう、と思いこんで顔をぱちんと叩いた。



『ありがとうございました。連絡が無事にできたので今日のところは梨心の荷物もまとめに帰ります』


病室で梨心のガーゼの交換をしてくれていた看護師に伝えて、受付の方にも先程の看護師に伝言を伝えた。
帰りもタクシーを使い家へと帰る。
タクシーを降りると母が出迎えてくれて夕御飯を用意してくれた。久しぶりの母の手料理に懐かしさを感じつつも、笑顔で職場の話をする姿に昔に戻ったように錯覚をした。
その日は久しぶりに母との時間を過ごし、疲れ果てた母は早々と寝室に移動した。
璃心はお風呂を済ますと本日2回目の梨心の部屋に入り、着替えやタオル、少量のぬいぐるみなどなどをカバンに詰めた。
明日は意識が戻るだろうか、と不安に思いつつその日は眠りについた。





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