君の名前をもう一度。
梨子の手紙を読み終えた璃子はぼろぼろ涙が溢れて止まらなかった。
世良は優しく璃子の震える肩に手を置いて泣き止むまでずっと付き添ってくれた。
泣き止む頃にいろいろな説明を受けた。正直何も頭に入ってこなかったけれど、世良はゆっくりと丁寧に説明をし続けた。
それから大輝たちと合流して梨子の待つ霊安室へと案内された。
エレベーターに乗っている間に世良が説明をした。
「…正直、梨子さんの損傷はかなり激しいです。以前の事故の時よりもかなりひどい状態で…その…」
世良も言葉に詰まるくらいだから相当のものだったんだろう。
大輝はそれを察して首を縦に振った。
梨子と対面をするのは璃子と大輝のみにすることにした。
今まで踏み入れたことのない廊下は人の気配が感じられず重い空気が漂っていた。
「こちらの部屋です。もう、開けたら梨子さんがいらっしゃいます」
ごくん、と生唾を飲んで意を決して扉を開く。
その時璃子が大輝の手をぎゅっと掴んだ。思わず振り返る。
ガタガタ震えている璃子の姿に慌てて璃子を抱きしめる。
『ごめん璃子。まだ心の準備できてないよな…ごめん』
「…はっ…はっ……」
呼吸が乱れている。軽く過呼吸を起こしている璃子に気づいて世良が璃子にゆっくりと深呼吸をするように指示をする。
まともに息ができていない璃子に何度も声をかけ続けると璃子の呼吸がすぅと通った。
苦しそうに息をして涙目で大輝の身体にもたれかかる。
璃子の精神がもう限界を超えているのかもしれない。
『…璃子、やめとくか…?』
腕の中の璃子はふるふると首を横に振る。
ただでさえ精神的に限界なのに、これから妹の死体と対面をすると璃子はどうなってしまうのだろう。
それも…自死した、医者でも欠損部分を隠せないほどの梨子を。
大輝でも想像もできないその姿にショックを受けるだろう。
璃子に比べたら3年満たないほどの記憶。けれど璃子は梨子が生まれた時から今までの記憶を持っているのだ。様々な梨子の姿を目に焼き付けてきたのに、最期の姿が…。
『…大丈夫、大丈夫だよ。無理はしないで…』
優しく語り掛けながら璃子の頭を撫でる。
泡のように消えてしまいそうなそんな存在を腕の中でしっかりと抱きしめて泣きそうになるのをこらえる。
璃子が大輝の胸を押した。決意が固まったのか目尻に涙を溜めて璃子が先陣を切って扉を開けた。
先に待機をしていた看護師がこちらを見た。
さっと璃子と大輝が通る道を開けて、よろよろと璃子が梨子に駆け寄る。
遠目からでもわかる。顔にかけられた布の隙間から見える梨子の頬や耳、首にかけての肉が抉れ、それを隠したような跡も。
着せられた白い服の隙間から見える腕も手も。よく見たら指はあらぬ方向に曲がっている。
大輝は、近づくことができなかった。
目の当たりにした光景が信じられなくて、映画やアニメのワンシーンでも見てるんじゃないかと錯覚を起こしそうなほど、現実だとは思えなかった。思いたくなかった。嘘であってほしかった。
「梨子…!梨子……いたかったね…痛かったよね……ごめんね…私が…私が梨子を助けてあげられたら……」
璃子が梨子の前で泣き崩れてただただ謝り続けていた。
どんな姿であろうと璃子の中では梨子なんだ。とまるで他人事のように思ってしまった。
梨子の姿を見て、改めて実感してしまった。
梨子はもう死んでしまって、会えない人になったんだと。当たり前にいたような感覚だが、もう当たり前のようにいなくなるんだと。
それに気づいたら、涙が溢れて止まらなかった。
目元を手で覆って膝の力が抜けてへたり込んだ。
そうか、もう学校で言い合う相手も、璃子との仲を認めず反対する相手も、入院している間に大輝に向けられたあの無邪気な笑顔も、
ぜんぶぜんぶ、もうなくなるんだ。
人が亡くなるってこういうことなんだ。
現実が、事実が、大輝に重くのしかかる。心を蝕んでいく。
「梨子……梨子がいなくなるなんて…私、どうしたらいいの……なんで、なんでひとりで決めちゃうのよ…どうして私に何も言ってくれなかったのよ……」
璃子の涙に周りの看護師も目に涙を溜める。
きっとここにいる看護師はみんな梨子の担当についた看護師なのだろう。ここにいるのが耐えられずに部屋から退室する看護師もいた。
世良も悲痛な面持ちで璃子を見ている。
父親も失い、最愛の妹も失った。誰もが璃子にかける言葉が見つからなかった。
しばらく璃子と大輝は泣き続けた。
ボーン
あれから、数日が経った。
今日は梨子の葬式が行われている。梨子の死を知ったクラスメイト達はこの日まで活気がなく、女子は毎日のように泣き続けていた。
璃子の会社の人たちまで参列してくれたらしく、皆黒い喪服を身に纏っている。
お葬式の会場には璃子の母親もいた。取り乱す様子もなく、凛と立っていた。
大輝は佐藤と泣きじゃくる鈴木と山口と一緒に会場にいた。
身内である璃子は参列した方々の対応に追われ大輝と話している余裕も無さそうであった。
お葬式は流れるように事が進み、気づけばもう霊柩車に運ばれる流れになった。
本当に最期になってしまう別れを会場の人たちは惜しみ、霊柩車にのせられる梨子を見て泣き崩れる女子達もいた。
大輝も、また涙が止まらないひとりであった。佐藤が無言で肩を叩き声を押し殺す大輝と一緒に涙を流した。
霊柩車に乗り込む璃子の手に持たれた梨子の遺影。病院で見ていた梨子のような無邪気な笑顔。もう、写真でしかあの笑顔を見れない。
そう思ったら目に焼き付けなければ、と思うが涙がそれをにじませてしまう。
「梨子ー--------!!!」
「梨子!!!今までありがとう!!」
「ばか梨子!!!また…また遊びに行くんだからあ!!!」
「戸叶ー!!!俺は戸叶のこと好きだった!!!」
「俺も!俺も…戸叶さんにこくりたかった!!!」
女子のひとりが霊柩車にいる梨子に叫ぶと、続々とクラスメイトたちが梨子に向かって叫んだ。
各々の気持ちが飛び交う中、静かに霊柩車は発車していった。
その姿が見えなくなるまで、クラスメイトの声は響き渡った。
お葬式も終わり、学生たちは帰宅することになった。
先程とは打って変わって静まり返っている。
山ちゃんせんせーが生徒を誘導して帰宅させていく。
バスに乗り込む者、駅へ向かわせる生徒、大変だろうにひとりずつ声をかけている。
「原田…大丈夫か?」
『山ちゃん…うん、もう大丈夫』
「原田、さっきまでボロッボロ泣いてたもんな」
『佐藤も泣いてるのしってっからな』
いつものやり取りが始まって担任もちいさくわらう。
かすかに担任の目も充血してることから泣いたんだな、と察する。
顔をまじまじと見ていることに気づいたのか担任が恥ずかしそうに目元を隠す。
改めて、梨子はたくさんの人たちからこうやって泣いてもらえるくらいに愛されていたことを知った。
こんなにも愛されていたのに手紙では父親のためにと書かれていて少し傷ついた自分がいる。
周りをこんなにも悲しませるほど簡単に捨てられる脆い関係だったのかと思ってしまったのだ。
「おい原田、今日はお前ももう帰るんだろ?」
『あ、ああ。学生はこのあと参加できないらしいから』
「駅までいっしょに行こうぜ、鈴木たちもまだ帰ってないだろうし」
『…うん』
葬式会場を振り返りながら梨子に最期の別れを告げる。
そのあとは鈴木たちをなだめながら駅へと向かい、まっすぐに家へと帰った。
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