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君の名前をもう一度。







「大変申し訳ございません。私共の責任です。この度は本当に申し訳ございませんでした」


『……嘘』








朝、目が覚めて病院から連絡が来ていることに気づいた璃子。
すぐに折り返しの電話をかけるといつもは冷静に対処をする看護師が慌てた様子で衝撃の言葉が発せられた。
喉からひゅっと音がして手が震えて携帯が落ちた。
思考が停止して何も考えられない。いや、看護師の言葉がエコーのように繰り返されて他のことが考えられない。
かろうじて動いた身体が携帯を拾い上げて通話を切った。
ガタガタと震える手で違う人物に電話を掛ける。



「…ん、璃子?どうした…?」


『た、たい、たいきくん……』



寝ぼけた声の大輝に話しかけようとするも全身が震えて歯がガチガチと鳴る。
まともに話せていない璃子の様子の異変に気付いた大輝が真剣な声で話しかける。


「璃子、落ち着いて。俺はちゃんと聞いてるから一回ゆっくり深呼吸して話してみて?」


『…う、ん…』


大輝に言われたとおりに深呼吸をしようとするもバクバクと脈打つ心臓のせいでうまくできない、けれど違うことに意識を向けたことで思考が少し落ちついた。
だが次は思考が働くことによって涙があふれた。嗚咽が出てきて泣きわめくように大輝に伝える。



『梨子が…梨子が死んじゃった』


「…は?」






















璃子が泣きながら言った言葉をすぐに飲み込むことができずに少し間が空く。
だが、璃子の泣き崩れる音が耳から伝わり反射的に体が動いた。璃子との通話は繋げたまままだ寝ている両親の寝室の扉を乱暴に開ける。
物音に驚いて飛び起きる両親に切羽詰まったように話しかける。



「ごめん父さん!!!車を出してくれ!!!」


「な、なんだ、どうした?!」


「大輝!どうしたのよ!」


「……璃子の妹が…亡くなったって…」



その瞬間シーンと部屋に静寂が流れて、父親がスッと立ち上がった。
箪笥から適当に服を引っ張り出してパジャマを脱ぎだす。
そんな父親の姿に母親も布団から出てきて大輝の方へと歩いて頭を撫でた。



「すぐに支度をするから、大輝も水でも飲んで着替えなさい」



両親にも聞こえたであろう大輝の携帯から漏れる璃子の泣き叫ぶ悲痛の叫びが。
母親に言われたとおりに一度キッチンで水を飲んで焦る心拍数を落ち着ける。息を吐いて自室で適当な服に着替える。
そのあいだ璃子に語りかけるが泣き止んでも放心状態のまま空返事しか返ってこなかった。
璃子に一方的な問いかけをしていた時、支度を終えた母親が大輝を呼びに来た。
父親の車に乗り込んだ3人。



「璃子さんはまだお家なの?」


「…多分、璃子から聞こえる環境音は病院っぽくない」


「璃子さんの家までの案内頼んだよ」



父親がゆっくりと車を発進させる。
車内は静かで、大輝の案内する声だけしか会話はなかった。
通話越しの璃子はただただ梨子の名前を呼んでいた。
その声が弱弱しくて、どうして璃子はこんなにも辛い思いばかりをしているのか悔しくてたまらなかった。
感情が高ぶって自身の太ももを殴りつける。こんな痛さ璃子に比べたら比でもない。母親が少しだけ大輝の方を見た。父親もそんな母親の方をチラと見て母親は前を向いて目を伏せた。



「ここだね」


バタンッ



父親が璃子の家の前に車を止めるなり大輝は乱暴に扉を開けて飛び出していった。
玄関の扉は閉まっており、インターホンを鳴らす。璃子にも家に着いたことを伝えるが動く様子はなかった。
もはや携帯を耳に当てていないような気もする。
どうしたものか、と玄関の前で立ち往生していると、ガチャと玄関の扉が開いた。
璃子かと空いた扉を覗くとそこには璃子の母親の姿があった。
不思議そうにこちらを見て微笑む璃子の母親にズキリと胸が痛くなった。



「あらあはよう大輝くん。璃子にご用かしら?」


「あ、朝早くにごめんなさい。璃子さんの体調が良くなさそうなので来ました」


「そうなの?ごめんなさいね入って」



促されて玄関に入る。
焦りながらも璃子の母親に不信感を思わせないように極力落ち着いたように行動をする。
この様子では璃子の母親は何も知らないはず。
廊下を歩いて璃子の部屋をノックする。返事が返ってこない。
声をかけて扉を開けると、座り込んでいる璃子の姿があった。
慌てて駆け寄って璃子の顔を覗き込む。



「璃子!璃子!大丈夫か?!」


『……大輝くん?』


「うん、俺だよ。とりあえず、病院行こう」


『……病院に行ったら…ほんとうに梨子がしんじゃう』


「…でも、梨子に会わないと…」



目を真っ赤にして大輝の方を見上げる璃子。
現実を見たくないのはわかるが、今はそれでも向き合わないといけない。近くにあった璃子の羽織を璃子の肩にかけて立たせる。
今の璃子はパジャマ姿だ。さすがにこの格好では羽織をかぶせても隠し切れない。
申し訳なさに璃子の私服が入っている引き出しからデニムを取り出して、璃子に渡す。



「璃子、とりあえず着替えよう」


『…うん』



璃子の身体を支えながら大輝の腕の中で璃子が着替え始める。
正常な状態なら絶対にありえないシチュエーションに少し視線を反らしながら着替え終わるのを待つ。
少しして璃子がぎゅっと大輝に抱き着いた。着替え終わったのかパジャマ姿でなくなっている璃子は震えている。
抱きしめ返して震える彼女が落ち着くのを待つ。
身内が亡くなっているのを確認するというのはどれほど心が抉られるのだろう。それも、共に生きてきた妹だなんて。
病院に行くと梨子が本当に死んでしまうという璃子の言葉はきっと病院に行かなければ璃子の中の梨子は今も入院し続けているままということなのだろう。
病院に行けば現実を見ることになる。亡くなった姿の梨子の姿と向き合わなくてはならない。



「…璃子……」


『…ぐす、行こう、梨子の元に』



璃子が大輝から離れて涙をぬぐう。
行かなくていい、と言えたらどれほどよかっただろう。
大輝は璃子と手を繋いで璃子の部屋を出た。



「璃子…?大丈夫…?」


『お母さん……うん、大輝くんと病院に行ってくるね』



玄関で靴を履いているとき、璃子の母親がリビングからこちらに駆け寄ってきた。
璃子の目が真っ赤になっているのに気づいて璃子の頬に手を当てている。指で璃子の涙を拭いて「気を付けてね」と言って手を離した。大輝も一度頭を下げてそのままふたりで家を後にした。
車に近づくと父親の話し声が聞こえた。母親と話している様子ではないのでおそらく電話しているのだろう。



「大変申し訳ありません。部長。……はい。確認次第出社致します。…いえ、大丈夫です。はい…また日程など決まったらご連絡いたします…はい…はい…失礼いたします」


「大丈夫そう?」


「うん、いつも真面目に働いてきたかいがあったよ」


「お父さん…ごめん」


「おや、大輝。璃子さんと会えたんだね。じゃあすぐに病院に向かおう」


「璃子さん大丈夫?無理しないでね」



会社と電話していた父親は何度も頭を下げながら話していた。
大輝が急に連れだしたため会社に行けなくなってしまいそれを上司に謝っていたのだろう。こんな父親の姿を見てしまっては罪悪感を感じざるを得ない。
母親が璃子に駆け寄ると背中に手を当てて車へと優しく移動させる。
璃子も小さくお辞儀しながら後部座席に腰をかけた。



「病院って今の時間行ってもいれてもらえるのかな」


「事情を言えば璃子は入れるはず」


「そうか、じゃあ急ごう」




父親がまた車を発進させて今度は病院へと向かう。
璃子は俯いたまま何も言葉を発しない。病院へと近づくのが不安なのだろう。
大輝が璃子の手を握る。前にもタクシーでこんなことがあったな、と思いながらぎゅっと握りしめた。大輝の存在を璃子に気づいてもらうかのように。
すると、璃子もきゅっと握り返した。まるで大輝の思っていたことが伝わったかのように。
お互い顔を合わせることもなく言葉も交わしていないが、手を握っているだけでもお互い心の支えになっていた。






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