君の名前をもう一度。
『璃子、そういえば聞きたいことがあるんだ』
「ん?なぁに?」
すっかり暗くなった道を手を繋いで歩く。
璃子と帰宅している途中、幸せ絶頂で聞こうと思っていたことを忘れていた。笑顔でこちらを見てくる璃子には申し訳ないが聞かなくちゃいけないことだと自分に言い聞かせて口を開く。
『俺と通話したあの日、梨子の見舞いに行ったって言ってたよね?』
「え…うん」
『その時、梨子となにかあった?』
「…梨子に、ちょっと…強く当たっちゃった…」
『強く当たった?』
そのあとゆっくりと璃子があの日にあったことを話した。
璃子が八つ当たりしたことも驚いたが、梨子にそんな態度をとれたことにも驚いた。家族のことを一番に考えていた璃子が、だ。
大輝でもこんなにも驚いているのだから梨子にはもっとショックに感じてしまうだろう。なんとなく、あの状態になってしまったことに納得がいった。
やはり梨子の原因は璃子とのこのやり取りであることはわかったが、それを璃子に伝えるべきかは迷う。
けれど、今梨子に正式に面会に行けるのは身内の璃子である。
「…梨子となにかあった?」
『…璃子、実は』
ここで言葉に詰まってしまえば璃子に不安を与えるだけだ。
これから璃子に与えるショックも増してしまう。そうわかっていても自分自身の心の準備ができていなかった。
瞳が震えて呼吸が乱れる。
「ゆっくりでいいよ…」
『ご、ごめ…不安にさせたくはないのに…』
璃子が近くにある公園へと大輝を誘導して、ベンチに腰をかけた。
そのあいだに大輝の心拍数も少しは落ち着き、一度深呼吸をしてゆっくり話し始めた。
『璃子と通話が終わった後、璃子が近くにいるんじゃないかと病院付近を探したんだ。…でも見つからなくてそのまま梨子の見舞いに行った。何か梨子が知ってるんじゃないかと思って…』
「うん」
『でも、梨子はなぜか面会謝絶になってた。理由を聞いても看護師さんは教えてくれなくて、その日以降何度言っても面会謝絶で梨子に会えなかった』
「…え?」
『でも今日、クラスメイトとお見舞いの品を持っていくことで木嶋さんに頼みこんで面会にいけたんだ』
「り、梨子は…」
『……なんというか、植物状態みたいな…意識はあるし呼吸もしてる。けど一切動かなくてたまに瞳が揺れ動くくらい、看護師が言うには感情も思考も閉ざしてる状態だと言ってた』
「…そん、な…もしかして…私が……」
『い、いや璃子のせいだとは思わないよ、璃子と会ったことで梨子の記憶に異変があったのかもしれない』
「……」
『…ごめん、責めるつもりは本当にないんだ…でも、身内である璃子しかもう梨子の見舞いに行ける人がいなくて……伝えるしか…』
璃子は黙り込んでこちらも見ない。
これ以上言っても璃子を責めてるように聞こえるのだろうか、そう思うとかける言葉が浮かんでも霧のように消えていく。
どうしようかと悩んでいると、不意に大輝の手に違和感を感じてそちらを見る。璃子の小さな手が大輝の指をきゅっと握っていた。
「…大輝くん、ありがとう。明日にでも梨子のお見舞いに行けるようにしとく」
『…し、仕事の方は大丈夫?』
「…うん、調整してもらえるように言ってみる…」
うつむいたままの璃子の表情はこちらからは確認できない。
淡々としゃべっているその声色にかすかに恐怖を覚えているのはなぜだろう。
最近居酒屋の方のバイトも再開したというのに大丈夫だろうか、と不安も尽きないのに。
「…今日はもう帰ろっか。お母さんも心配だし」
『う、うん。また帰ったら連絡してもいい?』
「…うん、すぐに寝ちゃうかもだけど」
『…それでもいいよ』
それから璃子の家への帰り道、ふたりに会話はなく家の前に着いて「おやすみなさい、今日は急だったのにありがとう」と言って璃子が家の中へと入っていった。
大輝は不安に思いつつも、自分の家に帰宅することにした。
その帰り道、とあることを考えながら。
ガチャ
『ただいま』
「あんたどこいってたのよ」
『こないだ言ったじゃん、クラスのやつと病院に見舞いに行ってたんだよ』
「こんな時間まで?何抜かしてんのよ」
『口悪ぃな。璃子を家まで送ってたんだよ』
家に帰ってきた大輝を出迎えた矢先ぶつくさと文句を言う母親を適当にあしらいながらリビングへと向かう。
いつもなら用意された晩御飯を食べるために席に着くのだが、今日は荷物をソファに投げてテレビを見て笑っている父親の元へと直行した。
そばに立った大輝に気づいて不思議そうに父親が大輝の方を向いた。
じっと見つめる大輝の目を見て、父親はリモコンに手を伸ばしてテレビを消した。そして大輝と向き合った。
『頼む、またお願いがある』
「それは聞いてみないと許可できないな」
『バイトがしたい。就職も受かったし文化祭とテストが終わればもうほとんど学校に行かなくてもよくなる。3月には辞めるしそれまでバイトしたい』
「何かお金が必要なのかい?」
『小遣いはあるに越したことは無い、けど璃子の働いている居酒屋で働きたい』
「居酒屋…?」
大輝の後にリビングに入ってきた母親が静かに二人の会話を聞いていたが居酒屋という単語を聞いて会話に交じってきた。
「私は反対だわ。居酒屋なんてそもそも高校生は働けないわよ」
『それは聞いてみないとわからないだろっ』
「そうだね、普通のコンビニとかカフェならまだしも居酒屋は許可できないかな」
親からの厳しい視線が大輝に容赦なく刺さる。
今までは事情を理解して許容できる範囲で応援し励まし続けた。
だが今回はその許容できる範囲を超えてしまっているのか父親も反対だと言っている。
この状況は大輝に覆せる術はなく小さな子供のように駄々をこねるわけにもいかない。
説得する材料も考えてなかったわけではないが、母親だけが反対していた場合に父親訴えかけることを前提に考えていた。
その読みが甘かった結果、この状況では何もできなかった。
『…俺は別に璃子が働いてるから居酒屋が良いってだけじゃない。璃子にもっと寄り添うために手伝いたいし、働いたお金で璃子に喜んでもらえるプレゼントを買いたい。高校の間、バイトしてこなかったから社会勉強も兼ねてバイトの経験は積んでおきたい。いろいろ考えた結果なんだよ!俺はもう子供じゃないんだ!』
「大輝の考え方は立派だと思う。お父さんびっくりしたよ。でも、それはそこの居酒屋である必要はあるのかい?もっと近場でお父さんたちも安心してバイトに送り出せる職場で良いと思うんだ」
「今回は諦めなさい。もっとちゃんとした職場であれば私も許可を出すわ」
そういい捨ててキッチンへと戻る母親。もう話すつもりはないようだ。悔しそうに唇を噛みしめて、怒り任せに自室へと戻ってベッドへと沈んだ。
もどかしい。璃子のために全力で支えになりたいのに。
そんな思いがこみ上げてきて泣きそうになる。気持ちを晴らしたくて携帯を手に取る。
ー璃子、大丈夫?見舞いに行くときは俺もついていく。 19:45
璃子へトークを送って、璃子とのツーショットになっているアイコンを見る。
梨子と璃子のツーショットがうらやましくて無理言って撮らせてもらった写真。恥ずかしそうに口元を隠しつつもカメラ目線の璃子と、緊張で表情が不自然な大輝。
今となっては良い思い出のその写真を見ると少し心が落ち着いた。
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