君の名前をもう一度。
「それじゃあお姉ちゃんいってきます!何かあったらすぐに連絡してね!」
『あんまりご迷惑にならないように過ごすのよ』
「はあい!」
数日が経ったある日の日曜日。
夏休みが後半に差し掛かったのもあり梨心は友達の家にお泊りをするため普段より大きめのリュックを背負ってヒールを履いた。
くるりと振り返った梨心が満面の笑みで手を降って玄関から出た。
その姿が見えなくなるまで璃心は梨心を見送り、玄関の扉が完全に閉まりきったところで踵を返した。
リビングへと入り、自分の携帯を手に取る。タンタン、と何回かタップをして携帯を耳に当てる。
プルルルル…と発信音が鳴る。2回ほど鳴ってからプツ、と途切れた。
『あ、もしもし大輝くん?』
「璃心!どうしたの?」
『あのね、今日居酒屋さんの方のお仕事が店長さんの用事で休みになってね、時間ができたから大輝くん遊びに来れないかなって』
「(ガタガタッバタン!)…ほ、ほんとう?」
璃心の誘いに驚いたのか大輝側からものすごい物音が鳴り響いた。そして食い付くように確認をしてくる大輝にふふ、と軽く笑ってもう一度お誘いし直す。
『うん。お昼ご飯用意して待ってるから用意ができたら来てくれる?』
「う、うん!!わかった!すぐ行く!今から行く!」
『あはは、そんなに慌てないで怪我でもしたら私が困っちゃうよ』
そのあと、大輝の母の乱入により通話が切れ璃心は大輝を向かい入れる用意を始めた。
キッチンに立つ璃心だが正直梨心より料理はできない。仕事ばかりしていたのもあるが、センスみたいなものが梨心の方があるらしく掃除や家事が璃心の担当で料理の方は梨心に任せていた。
朝、お弁当を作るための料理を練習していたが人に振る舞えるほどの腕はなかった。冷蔵庫を見ると梨心が買い溜めたであろう食材たちが綺麗に並べられている。その中からいくつかを取り出して並べる。
やはり、男の胃袋をわしづかみにするにはこれだろうか。
『肉じゃがかしらね…』
携帯でレシピを開いて見える位置に立てかける。
レシピ通りにじゃがいも、にんじん、玉ねぎ、豚肉、糸こんにゃく、と下準備をする。包丁で剥こうと試みたがあまりにもぎこちなくてピーラーへと泣く泣く切り替えた。
綺麗に皮を向いて一口サイズにカットし、肉と糸こんにゃくも手頃な大きさにカットした。
ここまででもなかなかの一苦労をした。料理は大変だな、とあらためて感じながら次の工程を確認した。
そして具材を煮詰める段階にまで無事に辿り着いて、弱火で煮込んでる間にリビングを軽く掃除をする。何回か大輝を家には呼んでいるが、家にふたりきりなのは実は初めてである。
梨心がいるときは大輝にひとつふたつ文句を言って自室にこもったりしているが、今日は出かけている。母もいつも和室かリビングで過ごしているが、少し前から仕事に復帰したため出かけている。
急に意識をすると頬が赤くなった。身なりを確認して自室へと駆け込んでクローゼットを開ける。
『パジャマは良くないわ…どうしよう出かける用の服は全部大輝くんの前で着てしまったわ…』
服を何回も右から左へ見るも決めきれない。
今までは服にお金をかけることをしてこなかったが、大輝と数回デートをしたときに自分の服装を見直して新調するようになった。だがこれ以上買うことに戸惑いを感じてからはそれもできていない。
一瞬迷ったがリビングへと早足で歩き、先程と同じようにタップして携帯を耳に当てた。
プルルルル…と発信音が鳴る。
「もしもしお姉ちゃんどうしたの?何かあった?」
『あ、梨心。お友達といるところごめんね。』
「んーん。まだ移動途中だし大丈夫だよ。どうしたの?」
『あのね、梨心の服一着借りてもいいかしら?』
「服?全然いいよ!着たら私に写真送ってよ」
『それは恥ずかしいわ…』
ケラケラと楽しそうに笑う梨心に、照れながら言い返す璃心。梨心からの承諾がもらえたので梨心の部屋に入る。
梨心らしい明るい色で統一された女の子らしい部屋。
昔から少しずつ買い与えたぬいぐるみを今でも大事に飾ってくれていてほこりひとつかぶっていない。
そんな梨心のクローゼットを開けると、おしゃれな服がずらりと揃っていた。
璃心とは対象的に美意識高めな梨心の服は少々露出があったり着こなしが難しそうなものが多かった。
ひとつひとつ見ていって、璃心でも着れそうな服を選んで着替える。キャミソールの上から着たその服は首元から腕が少し黒く透けていて璃心の細く白い肌がよく映えていた。
『下は…タイツにショーパンで大丈夫かしら…。』
脱いだパジャマを持って自室に戻ると、クローゼットからタイツと梨心と選んだどの服と合いやすいショートパンツを履いた。
身だしなみが整ったところでキッチンへ戻り肉じゃがの様子を見る。グツグツと順調に煮込まれている肉じゃがの汁を味見して、特に変な味がしないことを確認した。つまようじをじゃがいもやにんじんに刺すと、まだ少し硬かったのでもう少し煮込むことにした。
その間にリビングの鏡を見て仕事に行くときのように薄く化粧をする。
髪はおろしたままか悩んだが、ボサボサなのが気になり横に1つにまとめてそのまま三つ編みで編んでみた。
編み終わったところで時計を確認する。そろそろかな、とお茶菓子を用意しようと立ち上がったところでインターホンが部屋に鳴り響いた。
玄関へと向かい、念の為確認すると確かに大輝の姿があった。
『いらっしゃい。急だったのに来てくれてありがとう』
「璃心に会えるならいつでもくるよ」
玄関の扉を開いて大輝を招き入れる。
リビングに誘導する璃心に付いていこうとしたときにやけに静かなのを大輝は気付いた。
「今日はご家族はいるの?」
『ううん、梨心は友達の家に泊まりに行っちゃったし、母親はお仕事に行ったの』
「え…じゃあ…」
大輝はそのあとの言葉を言えなかった。もちろん自分も意識をしてしまったし、璃心も大輝が何を言いたいかをわかっていたから顔を真っ赤にして背けている。
そのまま沈黙しながらリビングへと向かう。
いつも通り、リビングの大きなテーブルに腰掛けて璃心がお茶を持ってきた。
ふんわりとキッチンからいいにおいが漂ってくる。食欲をそそるにおいだ。
璃心からお茶を受け取りひとくち飲む。ひんやりと冷えたお茶が邪なことを考えている頭を冷やしてくれる。
『肉じゃが作ったんだけど…食べれる?』
「うん!!食べたいな!」
大輝がそう言うと璃心はほっとした顔でキッチンへと小走りで向かっていった。この匂いの正体が肉じゃがだと分かったら大輝のお腹が鳴った。
数分も経たずに璃心がおぼんを持って戻ってきた。
そこには先程話に上がった肉じゃがではなく、大きなボウルに盛られたサラダと取皿、箸等々だった。
どうやら食のバランスを考えて野菜も取り入れてくれたようだ。おぼんに乗せられた物を大輝の前と向かい側の璃心の席に並べて真ん中にサラダがセットされた。そのサラダをトングで掴んで大輝の取皿に取り分けて差し出してくれた。
『お野菜、食べれる?』
「うん、好き嫌いはないよ」
『あら、良い子だね。梨心は生野菜が苦手でよく煮込んだりしてスープにしてるの』
「まだまだ子供だなぁ」
大輝との会話にクスクスと笑ってキッチンへと戻る璃心。メインを運びに来るのだろう。
まだかまだかと待ちわびていると、またおぼんを持った璃心が戻ってきた。どんどんいい匂いが近づいてきてる気がする。『お待たせ』と声と共に机に置かれたおぼんにはほかほかのご飯とお待ちかねの肉じゃがだった。
「おぉ…!美味しそう!!」
『お口に合えばいいんだけど…』
大輝の前にご飯と肉じゃがを置くと、大輝は待ちきれずにお箸を手に取る。手を合わせながら璃心が席につくのを待っているようだ。
おぼんを机の端に置いて、大輝の向かいの席に腰掛ける。そして璃心が手を合わせて『いただきます』と言うと大輝も食い気味に「いただきます!」と元気よく言った。
メインの肉じゃがのお椀を手に取って口を付けて汁をすすった。璃心はドキドキしながらそれを見つめる。
家族以外に手料理を振る舞うことはなかったから正直不安しかなかった。
一口二口飲み込んだ大輝はふぅ、と息をついて璃心を見た。
「すげぇうまい!」
『ほ、ほんと?』
「俺が璃心に嘘吐いたことないだろ?」
『えへへ…ありがとう良かったぁ』
照れながら笑う璃心は、安心して自分も料理に手を付けた。そのあとはふたりで話に花を咲かせながらゆっくりと食事を楽しんだ。
いつも家だとお腹が満たされない大輝だが、この日は璃心の手料理と璃心と一緒ということで充実感で満たされていた。
食事を食べ終えたふたりは一緒にお皿を下げて洗い物をした。大輝は手伝いたいと言い張るものだから璃心は言葉に甘えて手伝ってもらった。
洗い物を終えたふたりはソファへと移動して隣同士座った。
『ふぁ〜おなかいっぱいぃ〜』
「本当美味しかったよ、おかわりまでしてごめんな」
『ううん、よろこでもらえて本当によかった、良いお嫁さんになれる?』
「お、お嫁さんて…俺の最高のお嫁さんになれるよ!!」
璃心の言葉に大輝は向き合って真っ直ぐ璃心に伝えた。じっと見つめ合うと少しふたりの空気が変わった。
頬を赤らめながらすっと璃心が下を向いた。かと思ったら少し上目遣いで大輝を見た。
大輝の手が璃心の顔に触れて顎を持ち上げる。そのまま少し上へ向けると顔を近づける。璃心の顔と近づくと同時に璃心が瞳を閉じた。
唇が重なり合う。
ついばむようにキスをすると、璃心から声が漏れる。
大輝は璃心のその声が好きで興奮を抑えきれず、ぐいっと唇を押し付けると璃心の後頭部と腰に手を回して押し倒す。
璃心が驚いて大輝の身体にぎゅっと抱きついた。
しばらくキスを堪能してスッと離すと璃心が目を開いた。
『大輝くん……』
璃心の呼びかけに大輝は服に手をかけた。
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