君の名前をもう一度。
スパーッン
『うああああっ』
夢の中をさまよっていると急な衝撃で現実世界に引き戻される。
何度か経験があるこの衝撃に頭を押さえて起き上がる。
殴ったであろう目の前の人物は仁王立ちでこちらを見下ろしている。
『母さん起こすにもいちいち叩くことないだろ』
「何回も声かけたわよ、それでもおきんかったのはあんたよ」
「はは、大輝ぐっすり寝てたもんなぁ」
いつの間にか帰ってきていた母親と父親がこちらを見ている。
時刻はもう19時になろうとしていた。結構な時間寝ていたらしい。
夕ご飯の支度を終えて起きない大輝を起こしたのが今までの流れ。
大きなあくびをして夕ご飯が並べられているテーブルへと向かう。
父親は変わらずニコニコしている。
夕ご飯を食べ終えお風呂も済まし、明日に向けて寝る準備を始める。
璃子と会うためには仕事前に突撃するしかない。連絡が来ない以上日曜日以外いつ休みなのかがわからない。そして日曜日は梨子への見舞い品を持っていく予定が入っている。
ついでに梨子の様子を見に行けたら良いが、また璃子を傷つけることになってしまうのかと思うと少しだけ躊躇してしまう。
とりあえず今は璃子だけに集中することにしようと明日の出かける服と手荷物を机に用意して部屋の電気を消す。
部活の朝練していた時以来の早寝。正直眠気はないが、そのうち寝れるだろう、と携帯を見ながら眠気が来るのを待つ。
~♪
『…んぇ』
携帯のアラームが鳴り響く。
寝ぼけ眼で携帯を探し、アラームを止める。もう朝が来たようだ。
思考がぼんやりしながら用意しておいた服に着替えて洗面台へ向かう。顔を冷たい水で洗うと目が覚めた。
財布と携帯をもって、静かに玄関を出た。まだ日も出きらない朝の5時。
薄手の長袖に冷たい朝風が吹き抜け寒ささえ感じる。3年間自転車で通学し続けた大輝はそんな寒さも気にせず自転車にまたがって漕ぎ出す。
『璃子と話したいな』
無意識にぽつりと声が出た。
バッと自分の口元を抑えて頬が熱くなるのを感じる。自分自身に驚きを隠せない。頭を振って恥ずかしさをかき消し、立ち漕ぎしながら全速力で璃子の家に向かった。
幸い早朝は車どおりが少なく、住宅街の道を使えばほぼ車とすれ違うことはない。
少し息があがるくらいのスピードで来たら15分ほどで璃子の家にたどり着いた。
さすがに早すぎた、と携帯を確認して頭をぽりぽりと掻いた。
6時過ぎには起きているだろう、と自転車にロックをかけて腰かけた。
『俺のトーク見てくれてんのかなぁ』
電話を切られたあの日から送ったトークには既読はついていない。
ブロックはされてはいなさそうだが、こんなに拒絶の意を出されるのは正直辛い。
でも自分がそこまで追い込んでしまったのかと思うと、自分のこの辛さなんてちっぽけなものだと思う。
璃子に連絡を入れるか迷った末に、淡い期待を込めて璃子と話したいことと家の前で待ってることを送ってみた。
トークを見返して自分の行為がストーカーのようなものに見えてきた。
『はああ……』
しゃがみこんで頭を抱える。
なにしてんだろう、と思う自分に情けなさを感じる。
やっぱりこんなトーク送られて家の前で待ってる男とか気持ち悪いよなぁ、と客観視しては自己嫌悪に走り始める。悩んでわからなかったら行動しろ、と担任から助言されたもののなにか解釈を間違えてる気がしてならない。
朝の早い住人たちはすでに家の前の掃き掃除をしていたりゴミ捨てに行く姿が見える。たまにこちらをちらちら見てくるのは好奇心なのか警戒心なのか…。
『…やっぱ帰ろっかな…』
時刻は6時前。大体30分ほど経ったが璃子の家に突撃する勇気も出ず、このままご近所さんに見られ続けたらご近所さんの話づてに璃子の家に迷惑がかかるかもしれない。
自転車のロックを雑に足で解除する。璃子の家を一度見上げてペダルを踏む。行きの勢いとは打って変わって弱弱しい足取りで進み始める。
このまま璃子との関係が終わってしまうのかと思うと寂しさが胸の奥に広がった。
「大輝くん!!!!!!」
不意に呼ばれた声に身体を震わせてブレーキをかける。慌てて振り返るとパジャマ姿の璃子の姿が少し遠くに見える。
もう何も考えられなかった。自転車を放り出して璃子の元へ走る。
幻覚でもいい、夢の中でもいい。ただ今は目の前にいる璃子を抱きしめたかった。
璃子の目の前に立って強く璃子をだきしめる。久しぶりの彼女の体温と身体に収まりきる小さな体に涙が出そうになった。
必死に抱きつく大輝に璃子も腕を伸ばして抱きしめ返してくれた。応えてくれた、それだけで先ほどまでの寂しさなど無くなって我慢していたものがあふれだした。
「た、大輝くん…泣いてる?」
顔を確認するためか身体を離そうする璃子をより一層強く抱きしめて阻止する。
ぽろぽろと零れる涙と抑えたくても出てしまう嗚咽。ここで大輝が泣いてしまっては優しい璃子は自分のせいだと思ってしまうかもしれない。
必死に止めようとするものの感情で流れてしまったものは止まることを知らず、璃子は大輝が泣き止むまでずっと道路の真ん中で背中をさすって待ってくれた。
それから数分の時が過ぎて…
大輝の嗚咽がだいぶ落ち着いた。
すっと身体を離した大輝に璃子は声をかけようとするもなんて声をかけたら良いかがでてこなかった。伸ばしかけた手で大輝の手を握る。
ようやく目と目が合った璃子と大輝。
大輝は悲しそうに眉を下げて充血した目でこちらを見ている。
繋いだ大輝の手を引いてとりあえず家の中へとあげることにした。大輝が泣き止むのを待っている間にやはりほかの人の視線は気にならないわけではなかった。璃子の家は良くも悪くもご近所さんからの視線は浴びやすい。
「……あ、えっと…どうしよ、私の部屋にしようか…」
玄関に入ってお互い目を合わせることなく気まずそうに部屋へと案内する。
璃子の看病した以来の璃子の部屋。そんなに日も経っていないはずなのにあの頃の幸せとはかけ離れたふたりが揃う。
まだ本題に入る準備もできてない為、とりあえずお茶でもと部屋を出ようとする。
沈黙の中、璃子が閉じた扉に手をかける。
『……』
「た、いき、くん…」
無言で璃子を後ろから抱きしめる大輝。
言葉がなくたって離れていかないで、と背中から伝わってくる。
肩にのせられた大輝の顔を見ようとするも前髪に隠れて見えない。
璃子も動けなくなってまた沈黙が流れる。
ぎゅう、と大輝の腕に力が込められる。
『璃子……』
「…ん?」
『…別れたくない』
たくさんたくさん伝えたいことはあったはずなのに絞り出した言葉がこれだけだった。
またこみ上げてくる涙を歯を食いしばって耐える。自然と腕に力がこもって今にも璃子を壊してしまいそうだった。
もっと璃子に伝えたい。伝わってほしい。それで璃子が許してくれるのならなんだってするつもりなのに。
「…大丈夫だよ、私も、大輝くんと別れたくない」
『…』
「ごめんね、大輝くんをそんなに不安にさせちゃって……全部私のせいなのに」
『ちがっ……璃子は悪くない…俺が…』
大輝が身体を離す。璃子はゆっくりと振り返って大輝の頭を撫でながら辛そうに微笑んだ。
璃子にこんな顔をさせたくなかった。自分といるときは仮面でもいい幸せそうに笑っていてほしかった。璃子の重荷を少しの間でも下ろしてもらえるように安心してもらいたかった。
『ごめん…璃子、俺、全然璃子のことを考えて行動できてなかった…』
「…私の方こそごめんね、自分ひとりで不安になって、大輝くんのことをどんどん信じられなくなっちゃって…その…」
『俺がまだ頼りなくてごめん』
「違うの!違うんだよ……私の性格なの…」
お互いに譲れないと言わんばかりに謝り続ける。
お互いが、お互いを想い合えてるからこその口論なのだがなかなか終わりが見えてこない。
しばらく言い合ってそのことに気づくふたりはいったん口を閉ざした。沈黙が流れる。
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