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君の名前をもう一度。







「璃子さん、調子はどう?」


『…あ、はい。大丈夫です。いきなり連絡してしまって申し訳ありませんでした』


「時間が空いていたしそれは良いんだけど…」




大輝との電話を突然切った次の日、仕事に復帰した璃子は上司である部長とふたりで話し合いの場を設けてもらった。
いつも璃子の家庭環境などを理解してくれて気を使ってくれるこの部長に頭が上がらないほど感謝している。
あまり迷惑はかけたくないのだがここ最近は梨子の事故や母親の精神的なことや自分の体調不良で部長だけでなくほかの人にも迷惑をかけている。
そのことに謝罪しようと思っている。



「その…お家の方は大丈夫?」


『…あ、はい。ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません。入院している妹も無事に意識を戻して……母親も通院しているおかげか安定しています』


「…そう。璃子さんもまだ20なのに…」


『田所さんが私をこうして働かせてくれているおかげです。そのおかげでこうして家族を支えていられます』



璃子の純粋なその笑みが逆に心苦しい。少しでも辛そうな顔をしている方が同情をしやすいのに、と思ってしまう自分はまだまだ未熟なのだろう、と部長は思う。
璃子の淹れてくれたコーヒーを一口すすって喉に流し込む。ほかの子が入れるコーヒーよりも格別に後味が悪くない。



「それで、謝罪だけじゃないのでしょう?」


『え…あ、はい。えっと…』



部長が本題を促すと途端に璃子の表情が変わるのがわかる。家族のことでも毅然としていた璃子がなんの話題でこんなにも動揺しているのかが気になる。下を向いて勇気が出ないのか口ごもっている。
もう一度コーヒーを飲む。



「まさか壺買えなんて言わないでしょうね…?」


『そ、そんなんじゃないですっ』



少しでも話しやすくするように茶化してみると、深呼吸をし始めてこちらに視線を向けた。
ようやくか、と姿勢を正して璃子の言葉を待つ。



『実は…その、田所さんってご結婚とかされてますか…?』


「…ん?」



一瞬璃子の言ってることがわからなかった。あまりにも予想外でかまえていた自分がなんだったのか、と思うくらいだった。
それでも目の前の女の子は顔を赤らめて目を泳がせている。
最近の20歳の若者はこんなにも初心なのかと錯覚しかけた。
呆れたようにふぅ、と息を吐いて璃子の質問に答える。



「…もう、深刻な話かと心配したじゃない…。ちなみに私は結婚していないわ。していたらこんな仕事とっくに辞めてやってる」


『え、そ、そうだったんですね。キャリアウーマンかと思っていました』


「過大評価しすぎね。それで、もしかして私恋愛相談かなにかされる?」


『あ…えっと…そ、そうなるんですかね…』



高校卒業で働いているにしても恋愛相談する相手を間違ってるんじゃないか?という疑問はしておかないでおこう、と密かに決めた部長。
仕事中にはみせないような表情でもじもじとしている姿は本当にまだまだあか抜けない少女なんだなと再認識させられる。頭ではわかっていても璃子の仕事ぶりは感心させられるくらいに手際が良いうえに気配りがうまい。社会経験積んでますっていうならまだしも高校の時にバイトしてましたってレベルとは思えない。
それほどまでに家庭環境のせいで周りを見て生きていくことを覚えてきたのだろう。
そんな少女の女の子らしい一面を見て少しホッとする部分もある。
自分の部下たちがこんな璃子の表情を見たら卒倒するものが後を絶たなさそうだ。



「璃子さんにそういう相手がいたのは初耳ね、喧嘩かなにか?」


『わ、どうしてわかるんですか?…喧嘩というか私が悪いんですけど…』



至って普通な質問をしただけでひとるひとつ驚かれるのもなんだか新鮮な気持ちになる。璃子が純粋が故か。
璃子が気まずそうに少しずつ言葉を紡いでいく。



『私、少し前までは家族が一番大切で……付き合ってた彼氏とも…その、全然時間とか作れなくて…でもそんな私でも理解してくれてむしろ協力してくれて……心の支えのような人なんです…』


「ほう?」


『…でも、…その、妹が入院してから……妹の付き添いに彼氏が協力してくれるようになって……なんだか少しずつそのことがもやもやしてきて…』


「…なるほど」


『…今まで全然大切にしてこれてなかったのに、急に妹と彼氏が仲良くしてこんな醜い自分を晒したくなくて……今でも連絡してくれているんですけど…話すのも会うのも怖くなっちゃって…』



「…良いんじゃない?ぜーんぶさらけ出しちゃって」


『…え?』


「人間同士がかかわっているんだもの。ずっと隠し通すなんて無理な話よ。なら全部思っていること言っちゃったほうがお互いに苦しくならないと思うけど」


『でも…』


「璃子さんは性格上、良い子でいなきゃいけないって思っているのかもしれないけど、その彼氏さんからしたら頼ってほしいんじゃない?だから璃子さんに率先して協力してくれているんだとおもうけど」


『…そ、そうなんですかね…』



現にここの職場の部下たちもそういう思いで璃子と接しているし、と心の中で付け足す。
数年の付き合いでももう璃子がどういう子かっていうのはわかりつつあるし、璃子の考えていることも理解できなくもない。
誰からも反感を買わないように無自覚で行動しているのもわかっているし、相手に好感を持ってもらえるように相手の求めているものを先回りして行動する部分も仕事をしているときの行動でわかる。
ただ璃子にはその行動に下心も見返りを求めることもない。



「付き合ってるんだから少しくらい欲を出してもいいのよ。ほかの女の子を見ないで、私を優先して、って璃子さんならわがまま言ったって誰も怒りはしないわきっと」


『大輝くん……彼氏は困らないでしょうか…』


「そんなんで困るような彼氏ならしょうがないけど、そんな男なの?」


『…ううん、違います』



はっきりとそういう璃子に部長は可愛い子だな、と表情を和らげて笑う。
自分でもわかっているけれど怖くて一歩が踏み出せない、若い頃ならたくさん経験すること。
今璃子はそれを経験しているだけ。なら部長がするべきことはその背中を押してあげること。
きっと部長に相談したのも背中を押してくれる人が欲しかったのだろう、と今ではわかる。
初めて璃子からこうして甘えてくれたのなら、全力で返してあげるべき。



「繁忙期が終わったし…連休を作るくらいならできるわ」


『…えっ』


「羽を伸ばしてきなさい。その彼氏さんとね」


『そ、そんな申し訳ないです』


「有休もまだ残っているでしょう?大丈夫よ。船橋が犠牲になるくらいもの」



笑いながらそう言ってあげると璃子は顔を赤らめてお礼をいった。
妹がいたらこんな気分なのかな、と最近すさんでいた心が満たされる。
船橋には悪いがこんなにもかわいらしい妹のために休日出勤申請の準備をしなくては、と部下の困り顔を想像して笑う。
そうして璃子の恋愛相談は終わった。
帰り際に『また相談してもいいですか』と聞いてくる璃子に笑顔で答えると今日一番の笑顔でお礼を言って仕事に戻っていった。



「若いっていいなぁ」



と、久しぶりに恋をしたくなった部長であった。





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