このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

君の名前をもう一度。







コンコン



『………』



木嶋と別れた後何も考えられない頭で気づいたら梨子の病室の前にいた。少しの間立ち尽くしゆっくりと扉をノックした。
病室から返事は聞こえなかった。まだ梨子は眠っているようだ。
心の準備ができていない中この扉を開けてもいいのだろうか。
ノックをしたままの手が震えだす。



「おや、璃子さん?」


『…あ、世良先生。お久しぶりです…』



経過観察に来たのか看護師を連れて世良が隣の病室の扉から出てきた。
璃子に気づいた世良は看護師に手で合図をすると看護師は別の病室へと向かっていった。
震えていた手を背中の後ろに隠して社会経験で培った営業スマイルを浮かべる。
世良は璃子の立っている病室の扉を見る。




「…入れないのなら、少し僕の休憩に付き合ってくれませんか?」


『…え?』


「いやあ、医者にはまとまった休憩が取れなくてね、空いた時間にコーヒーを飲むのが日課で。口説いてるように見えたかな?」


『…ふふ、私でよければ』



小さく笑った璃子は照れくさそうに笑う世良の後ろに続いて一度梨子の病室から離れた。少し歩いた先の休憩所の自販機にお金を入れてボタンを押す世良。その近くの席に璃子は腰かけた。
自販機から帰ってきた世良は璃子の前にココアの缶を置いた。



『…あ、ありがとうございます。お金返します』


「いいよいいよ、お兄さんからのおごり」


『いろいろすみません』



お礼を言いながら世良からもらった缶を開けて一口飲む。温かいココアが体中に染みる。
休憩所にはまだ人が少なく、静かな空間が広がっていた。
備え付けてある消音のテレビにはニュースの時間が終わったのかバラエティ番組の再放送が映っている。
ふぅ、と一息ついた璃子を見て世良が口を開く。



「体調はもう大丈夫?」


『…え?』


「ああ、急にごめんね。少し前に木嶋が大輝くんから聞いてね」


『なるほど…睡眠不足だと思います』


「あはは、お医者さんの前でそういうことはいっちゃだめだよ」



クスクスと笑う世良に璃子はハッとなって目をそらした。
詳しくは見てないが目に見えるところでも璃子の体調不良の要因はわかっているのだろうか。
世良も缶コーヒーを開けて一口飲む。




「梨子さんは思っていたよりも元気だよ。璃子さんが来ないことを少し悲しんでいたけれど大輝くんのおかげかな」



『大輝くんが…』



思わぬ人物の名前が出たことに少し驚く。それと同時に璃子の頭にもやっとした感情が渦巻いた。
片手で携帯を確認しながら世良は続けて話した。



「就活が一旦落ち着いたみたいでね、最近はよく来てくれるようになったんだよ」


『今日は来るって言ってましたか?』


「うーん、そういうことは言ってなかったけどもしかしたら来るんじゃないかな?」



携帯から目を離した世良は缶コーヒーを飲みほした。
そのタイミングで世良が仕事に戻ることを察した璃子は椅子からたちあがる。
それに気づいた世良も椅子から立ちあがった。世良の休憩時間はほんのわずか10分間ほどだった。
自販機に備え付けられたごみ箱に缶を捨ててこちらを振り返る。



「さて、仕事に戻ろうかな。梨子さんに会う心の準備はできた?」


『…多分、さっきよりかはできたとおもいます』


「じゃあ病室まで送ろう」



白衣を正しながら休憩所の出口に向かう世良に続いて璃子も歩き出す。
世良との会話で不安がほぐれたかと言えば微妙なところだがそれよりも気になることが膨れてそのせいで気が紛れている方が正しかった。
先ほどの大輝の話題のことで頭がいっぱいになる。なぜか不安で胸が苦しい。
梨子のことを話しているであろう世良の声も届かない。



「…とまぁ、リハビリ次第では三か月もあれば日常生活には戻れそうだよ」


『…ぁ。そ、そうなんですねよかったです』


「じゃあ僕はここで。ごゆっくり」


『ありがとうございました』



病室の前まで来ると世良が振り返ってそういった。改めてお礼を言って頭を下げると世良は爽やかに笑って去っていった。年齢の割には本当に好青年のような爽やかさだ。
意を決して病室の扉の方を見る。
先ほどと同じように扉をノックしてみる。



コンコンッ


「はい、どうぞー」



思っていた声とは違う声が病室の中から聞こえた。
おそらく声の高さからして看護師の声だろうか。誰かがいることに安堵しながら扉をゆっくりと開ける。
病室の独特な匂いが鼻をかすめる。
中へ入ると看護師がこちらを見てにこやかに微笑んだ。
もうひとり、梨子がベットから起き上がって組み立てられた机にひじをついていた。



「…!!」


『梨子…!』



璃子に気づいた梨子が元から大きな目をもっと大きく開いてそのあとに目を潤ませて微笑んだ。
そして昔のように「ねえね!!」と大きな声で叫んだ。
その一言だけでもわかった。本当に梨子の中身は小学生になってしまったんだ、と。
梨子が呼び方を変えたのは父が亡くなってから。どういう心境の変化なのかはわからないがあの時から「お姉ちゃん」と呼ぶようになったのを覚えている。



『梨子、ごめんね来るのが遅くなっちゃって…』


「ううん!ううん!来てくれてすっごくうれしい…それにねえね、なんだかきれいになったね!!」



さっきまでの潤んだ目が嘘かのようにキラキラと輝かせてこちらを見上げていた。
あの頃は中学生だった璃子も20歳なのだから梨子にもそう見えるのだろう。
梨子の隣まで移動すると梨子は腕を使って身体を反転させようとしていた。看護師がそれに気づいて梨子の身体を支えるとゆっくりと身体が反転し、ベッドのふちに腰かけることができた。
向き合う形になったふたりはお互いに似たようにへへ、と笑って久しぶりの再会をかみしめる。
梨子が小学生の頃だと一緒にいる時間も多くこんなにも離れていることなどなかったはずだ。



『具合はどう?』


「元気だよ!体が痛いのももう大丈夫だし!」


「ここまで回復されたらもう足のリハビリを始めても良いんじゃないかって先生もおっしゃってましたよ」



璃子たちの話に看護師も混ざる。璃子が来てご機嫌になった梨子を微笑ましそうに見ていた。
花瓶の水を変え終えた看護師はそのまま璃子に会釈をして病室を出て行った。



「ねえね!ねえねの彼氏っていい人だね!」



ふと梨子から出た話題に璃子の表情が変わった。
両手の指先をくっつけて思い出しながら話しているのかその頬はほのかに赤らめていた。
無理矢理笑顔を装って梨子に問いかける。



『な、なにがあったの?』


「お兄さんはね、梨子にも優しくてお話ししてて楽しくて梨子のためにいろいろしてくれるんだよ!ご飯にも連れてってくれてお散歩もしてね、退院したらお買い物してくれるんだよ!」


『…仲良く、なったんだね』



どうしてこんなに醜い感情が出てくるんだろう。
抑えたくても抑えきれない感情を吐き出したくなる。
いつの間にこんなに梨子と大輝が仲良くなった?連絡もくれないほど?あんなに仲が悪かったはずなのに?
今の梨子にぶつけたってどうにもならないことはわかっているのに梨子の表情を見ると抑えた気持ちが涙に変わりそうになった。



「ねえねが好きになった人なら梨子も大好きだよ!」


『……っ!ダメ!!!!!絶対にダメだから!!!!!』


ついに反射的に怒鳴ってしまった。聞きたくなかった言葉に感情的になってしまった。
璃子の怒鳴り声に梨子はひどく驚いたように目を見開いたまま動かなくなった。
感情が一度解放されたからか口がそのまま止まらなかった。



『大輝くんは私が好きなんだよ?!私と付き合ってるの!!!私も大輝くんが大好きなの!!!大輝くんが私のすべてなの!!!!!もうやめて!!!!』



普段こんなに大声を出さないからか喉が痛くなった。息継ぎをしないで言ったから呼吸も乱れる。
これ以上はダメだと押さえつけるも涙があふれた。大輝の笑顔と先ほどの梨子の笑顔が頭にこびりついて離れない。勝手に二人が寄り添うイメージまで思い浮かんでつらかった。



『いつも、いつも辛いときは大輝くんがいてくれたのに……』






.
34/60ページ