君の名前をもう一度。
『…………ぅ?』
ぼんやりとした視界にぼーっとしながら焦点を合わせる。
最後に何をしていたか考えていると、自分が自室の机で寝てしまっていたことに気付いた。
俺は『原田 大輝(はらだ たいき)』。高校3年生。最愛の彼女とはもう付き合ってから2年が経とうとしている。そんな幸せ真っ只中のリア充。
リア充だが、彼女には心配なことが多々ある。
付き合い始めたのは、大輝が高校に入学してバスケ部に入部してから数ヶ月が経った頃だ。
当時は新人部員の中では遅れを取っている方でメインの練習には入れてもらえず補佐をしながら自主練をしていた。体力には自信があったからそこを伸ばすためにトレーニングをしていたら、友達と一緒に見学をしていた璃心と出会った。
友達の方が女子バスケ部に興味があるらしく璃心はキョロキョロと体育館全体を見回していた。
友達の方にバスケ部全体の説明をしていたところ、部長に見つかり、バスケ部に興味が有ることを説明したら部長が引き継いでくれた。取り残された璃心と大輝は気まずいながらも少しだけ自己紹介をして大輝は練習へと戻った。
璃心は高校3年生の先輩だった。部活動へは入ってなくアルバイトに専念しているらしい。大輝が1年生だと言ったら同じ1年生に妹がいるのだと笑って話してくれた。妹の話をしている璃心は表情が和らいで妹のことが本当に好きなんだな、と直感で感じた。
そのあとのトレーニング中はずっと璃心のことを考えていた。また会えたらいいな、と思いながら。
「それじゃあ今日はここまで!メインに入れていない1年はまたテストをするからそれまでに鍛えておくこと!」
『「「はい!!!」」』
「じゃあ、解散!」
練習が終わり、水道で顔を洗う。冷たく気持ちのいい水が熱で火照った顔を冷やす。バシャバシャとある程度流し終えて前髪をかきあげる。今の自分は良い男に見えてるだろうか、などと少しにやけながら近くにおいていた自分のタオルで顔をガシガシと拭いた。
走り回って暑かったが水をかぶると少しはマシになり、更衣室へと向かった。
部員のほぼほぼ全員が着替えたり休んでいたりしてむわんと熱気がこもっている。気休め程度の小さな窓は換気すらもしてくれず、入った瞬間に不愉快さが顔ににじみ出る。
休むのはあとにして早めに着替えて帰ろう、そう思ってそそくさと制服へと着替えた。
『あぁーっ!試合に出てーなぁ』
部室から出て少し歩いたところでくぐーっと伸びをする。骨が数回ポキポキと鳴り、はぁーっと息を吐いた。バスケは中学から始めたが楽しかった。試合で勝とうと負けようと関係なく、友達と連携できることが楽しかった3年間だった。
高校に入ってからはその考えは甘く、本気で勝ちに行こうとする先輩達についていけなかった。だが、楽しいバスケを諦めきれず、退部するつもりはなかった。
逆に先輩に認められたときは自分にそれほどの力がついたということだ。努力して認めれたら自分に自信がつくだろうと、日々トレーニングを続けていた。
4月に入部してもう少しで6月。思い出に残るようなバスケがしたいな、と空を見上げて思う。
「どうせだしファミレスでも寄ってなんか食うか…」
家に帰れば母親が夕食を用意しているだろう、だが育ち盛りの大輝には物足りないときがあり、たまにどこかに寄っては買い食いをしている。
今日も気分的に家へすぐに帰らずに寄り道をすることにした。
「いらっしゃいませ、おひとり様でしょうか」
『はい……って、あれ?』
ふらりと寄ったファミレス。出迎えてくれた店員さんに見覚えがあり、互いに顔を見合わせる。
髪をくくっていて一瞬わからなかったがついさっき顔を合わせた璃心だった。
璃心の方も気づいたのか軽く会釈をした。
「あ…えっと先程はありがとうございました。おひとりですか?」
『あぁ…いえこちらこそ。ひとりです』
「ではお席にご案内しますね、こちらへどうぞ」
少し手前を歩く璃心。学校の制服とは違ってファミレスの制服を着ているとまた雰囲気が違く見える。2個しか歳が離れていないのにとても落ち着いてて綺麗にまとめられた髪が更に大人っぽさに磨きをかけて、大学生で働いていると言っても疑わないだろう。
そんなことを璃心を見つめながら考えていたらお店の隅の落ち着いて食事ができそうな席を案内してもらえた。
璃心なりの配慮なのだろうか。
「こちらのお席、どうぞ」
『ありがとうございます。あ、えっと先にドリンクバーだけ良いですか。後から何か頼みます』
「かしこまりました。ではごゆっくりどうぞ」
営業スマイルだろうか。璃心はふわっと笑って厨房の方へと歩いていった。
その後ろ姿をぼーっと見つめてハッと我にかえって席についた。
寄り道をするとき必ずしていることがある。
部活動での自主練のメニューを考えることだ。部長からは事前にトレーニングメニューをいくつか説明され、それを自分の長所にあわせてトレーニングメニューを作っているのだ。
大輝の場合は体力方面を伸ばしながらテクニックを伸ばすメニューやディフェンス方面のトレーニングも合わせてしている。
1週間分を大体考えているのだが、今日は部長がテストをすると言っていたので追い上げをしなくてはならない。そのために自主練をどうするか悩んでいた。
そしてドリンクバーをおかわりしながら30分が経とうとしている頃、お腹がぐぅと鳴った。
『そろそろ何か頼むか…』
ピンポーン
「はい、お伺いします」
『あ、えっと明太子のパスタをひとつと、フライドポテトをひとつ…あとマルゲリータもお願いします』
「明太子パスタをおひとつ。フライドポテトをおひとつ。マルゲリータがおひとつですね。ふふ、たくさん食べるんですね」
注文をとっていた璃心がクスクスと小さく笑った。
先程の営業スマイルとは違った笑顔に大輝は照れくさくなって一緒に笑うことしかできなかった。
璃心はまた小さく会釈をして厨房へと小走りに去っていった。
確かに頼みすぎただろうか、と自分に恥ずかしくなりながらも自主練メニューをメモした手帳を閉じて携帯を鞄から取り出してクラスメイトのトークやらグループトークにスタンプを連打していた。
「お待たせしました。明太子パスタとフライドポテトです。マルゲリータは後ほどお持ちしますね」
綺麗に盛られたパスタとポテトを大輝の前に並べる璃心。
また営業スマイルを向けるとそのまま背中を向けて歩いていった。
持ってきてもらったパスタとポテトを頬張る。出来たての料理はとても美味しく、ものの数分で食べ終わってしまった。
ドリンクバーをおかわりしようと立ち上がったところ璃心が遅れていたマルゲリータを持ってきていたところに鉢合わせた。
『あ、すいません。置いてもらって大丈夫です』
「わかりました。置いておきますね」
さっとマルゲリータを置いて厨房へと戻る璃心を見送って自分もドリンクバーへと向かった。
ドリンクバーから戻ってマルゲリータを食べたが、これもまた美味しかった。勢い良く食べ進め、これもまた数分でたいらげた。
お腹も満たされ自主練メニューも考え、そろそろ帰るか、と鞄の中に荷物をまとめて立ち上がる。
会計レシートを手にとってレジへと向かうと、それに気づいた璃心がレジに立った。レシートを渡して璃心が打ち込む。
「ありがとうございます。1410円です」
『えっと………。はい、お願いします』
「はい、1510円お預かります。………100円のお返しです」
璃心からお釣りを受け取り財布へとしまう。そのまま立ち去ろうとしたとき、璃心が不意に大輝を呼び止めた。
「あの、このあとお時間ありますか?」
『え?あ、はい。大丈夫ですけど…』
「もう少しで私、仕事が終わるので一緒に帰りませんか?」
『えぇ?!』
急な璃心の誘いに戸惑いが隠せずに大きな声が出た。周りからの視線を感じてあたふたしてコクコクと頷いた。
店内で待つのはあれなのでお店の前での集合となり、ドキドキしながら店の外へと出た。
今日知りあったばかりの女の人に急に誘われれば誰だって驚くしドキドキする。もしかして、とも考えてしまったが流石にそれは自意識過剰すぎて頭を横に振ってかき消した。けれども一度考えてしまえば頬が緩んでしまうくらいにいろんな妄想ができてしまう。
そして15分ほどが経過した頃、
「あ、あのっ、おまたせしてすいませんっ」
息を切らした璃心がぱたぱたと近寄ってきた。裏口からここまで走ってきてくれたようだ。
少しかっこつけて『全然大丈夫ですよ』と気持ちイケメンボイスを出したが璃心はふにゃっと笑って流してしまった。
帰る方向を聞くと、たまたま同じ方向だったため璃心を家に送ることを伝えたら「ありがとう」と笑顔で頷いてくれた。
できるだけゆっくりと歩く。
いつも歩いている道なのに、隣に璃心がいるだけでまるで初めて歩く道かのように特別に思えてくる。
『まさかあのファミレスで働いてると思わなかったです。何回か行ったことあるんですけど』
「そうなんですか?3年働いてますけど初めてだったんですね」
『え?3年って高校入ってから働いてたんですか?』
「はい、家計的に嚴しくて。私も働いているんです」
大輝は璃心のことが知りたかった。だから少し目を伏せながら話す璃心の事情を聞いた。予想外な大輝の言葉に驚いた様子の璃心だったが、少し苦笑いをしながら首を横に振った。
少しショックだったが無理に聞くのは良くないと思い謝罪をして璃心を家まで送った。
ファミレスからはそんなに離れておらず、礼儀良くお礼を言って家の中へと入った璃心を見届けて大輝も少し遠回りになった自分の家へと向かった。
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