君の名前をもう一度。
璃心の母親は縫い物をしているようでメガネをかけて針を刺しては引いている。
電気もつけてなかった部屋で机に置いてある小さなランプだけで縫い物をしていたかと思うと少しだけ怖く感じた。
電気をつけていいのかわからなかったため、扉を開けたまま璃心の母親のそばまで近寄って正座で座った。
そのタイミングで縫い物をしていた手を止めて机へ置き、こちらへ向き直った。
「えぇと……璃心はどうしてるのかしら…」
『え?』
「あの子…最近顔を見せてくれなくて……病院へ通いだしてからは特に時間が合わなくてね…」
同じ屋根の下にいるのにそんなことあるのだろうか。
と、疑問に思ったが璃心も食事をしないくらいに寝込んでいたのなら顔を合わせなかったのだろう。
いつから璃心は寝込んでいたんだ?
頭の中でぐるぐる考えていると璃心の母親が口を開く。
「……璃心にはもう、苦労をかけさせたくないのだけれど……。私が弱いばかりにあの子を縛り付けていてね…」
『…』
「酷い母親よね。和弥さんがいたらきっと怒られているでしょう…」
和弥と言うのはおそらく璃心の父親のことだろう。
先程までは気付かなかったが、よく見たら部屋のいたる所に写真があった。璃心や梨心の写真もあるがほとんどは璃心の母親と父親が写った写真が多かった。
そして、縫い物をしていた机には遺影の写真だろうか、満面の笑みの男の人の写真が立てかけられていた。
本当に最愛の人だったのだろう。子供にも恵まれてこれからもっと幸せになっていくはずだったのに病気で急死してしまった。
それを思うと心が苦しくなった。話を聞くだけでもこんなにも切ないのに本人となればそれは心が病むくらいに絶望してしまうだろう。
なんと声をかけたら良いのかわからない。だが、何か言ってあげたいと思う。
きっと璃心の母親もこのままではいけないことを分かっているだろうから。
『璃心は、お母さんのことも梨心のことも、お父さんのことも大好きですよ。家族の話をするときが1番璃心が幸せそうな表情をするんです。だからこそ、家族を支えられるように今までも今もがむしゃらに彼女なりに頑張ってきたんだと思います』
「……ふふ、本当に…和弥さんにそっくりに育って…何か決めたら努力は惜しまない、そんな人だったのよ」
『確かに、璃心もそういうところある気がします』
「……大輝くん、私ができなかった分、璃心と梨心を幸せにしてくれないかしら」
『…え?』
「…ふぅ、ごめんなさい。最近体力がまた無くなってしまって…」
めまいがするのか机に手を付いて少し体制を崩す璃心の母親を咄嗟に支える。
肩を貸しながら布団へと移動させると璃心の母親は横になった。
お礼を言って少し微笑んだその表情は少し前に見た表情の面影はあった。
目を閉じたのを確認してから大輝は部屋を出た。リビングには母親が立っていた。こちらに気付くと手招きをする。
「なんか、色々生活環境が良くなさそうね」
『璃心が生活のほとんどを担ってたからそよ璃心が寝込んだら何もできないだろうね』
「……食料もまだあったし、私が璃心さんの看病をすることにするわ。お母様のお世話はその都度聞きながらできることをするし、通院は自分の意志でできてるのよね?」
『え?!でも母さんこっちの家のこともあるんじゃ…』
「なんのために家にふたりも男がいるのよ。ちょっとは手伝いなさい。家事をしない男はすぐ捨てられるわよ」
『な…っ』
ちょうどいい機会だわ、とあっさりと決めてしまった母親に本日何回目かわからないため息を吐いた。
母は強し、とはよく言ったものだ。
晩ご飯を作ると言ってキッチンへと向かう母親。
大輝は璃心の元へと移動した。部屋へ入ると新しいパジャマへと着替えさせられた璃心は先程よりも息は整っていて冷えぴたも冷たいものになっていた。
こういう時はいつも梨心がいたんだろうな、と先程の璃心の言動を思い返しながら思う。
ベットの端に腰を掛けて、汗で璃心の頬にくっついた髪を指に巻き付けて取る。熱はまだ下がっていないようで少し不安になる。
その時、テーブルに置かれた璃心の携帯が鳴った。
点灯した画面を不意に見てしまう。
ー璃心さん体調はどう?無理が祟ったみたいね。繁忙期も過ぎたことだしゆっくりと休んで体調が万全になったらまた連絡ちょうだい。
名前のところには田所さんと表示されている。内容からして職場の人だろう。
故意的にではないものの人のメッセージを勝手に見てしまったのは少し罪悪感に駆られる。
携帯から目をそらして濡れたタオルで璃心の汗を拭く。
「ん……」
『…あ。起きた?』
「……大輝くん?」
タオルで拭いていると璃心が薄く目を開いた。
声をかけるとこちらに向いて名前を呼ぶ。それに返事をするともそもそと動いて大輝の手をきゅっと握った。
そして少し微笑んで握った手をほっぺにくっつけた。
「……ふふ、会いたかったよ大輝くん」
『え、あ、俺も…』
「ごめんね、体調崩しちゃって…」
『一生懸命頑張ってたんだからしょうがない、たまには休みなさいってことだよ』
ほっぺに付けてた手を自分の口元へと移動させて唇に大輝の手の甲が触れた。
ドキッとして不意に手を引っ込めようとしてしまうが、ぎゅっと握られた手はそれを阻止された。潤んだ瞳はこちらを見つめている。
『る、璃心…どうしたの?』
「………ちょっと寂しくて」
『大丈夫、そばにいるよ』
「大輝くん、大好きだよ」
『へへ、俺も大好きだよ』
ゴロン、とこちらのほうに向きを変えて密着をする璃心。いつもはこんなにも甘えないのに体調を崩してるからかいつもに増して可愛く見えた。
じぃ、とこっちを見てはふにゃ、と顔の筋肉がなくなったかのように笑う璃心。
付き合ってから初めて見るその表情には病院で見たあの梨心の無邪気な笑顔と似ているものを感じた。
脳裏に梨心がよぎった。
『璃心、あのさ』
「………ん?」
『璃心が元気になったら梨心のお見舞いに行こう』
「…うんっ」
『たくさん汗かいてたくさん寝てたくさん水分とって早く元気になろうな』
「……あ、お母さん、お母さん見てこなきゃ」
ふとんを捲って起き上がろうとする璃心の肩を優しく押し返す。
そんな大輝に眉を下げて袖の裾を掴む璃心。
ふるふると頭を横に振って口を開く。
『俺の母さんがご飯とか掃除とかしてるから大丈夫』
「大輝くんの……お母さん?」
『璃心が良ければ、体調が良くなるまで家に通うみたいだけど……大丈夫?』
璃心が驚いて言葉が出ないようだった。
そりゃ大輝でさえも驚いたのだから璃心がこうなってしまうのも無理はない。目をパチパチと瞬きさせて咳き込む。
救急箱に入っていた風邪薬のおかげでだいぶ咳は抑えられているが苦しそうに咳をしている。
また上半身を起き上がらせて大輝に寄りかからせて背中をさすると少しして落ち着いた。
「ごほっ……た、大輝くんのご家族にご迷惑は…」
『あー…俺の両親の中ではもう、璃心も家族みたいなもので…』
「…えっ」
『まだ会わせたこともないのに……変だよなぁ。でも俺のこと応援してくれるのは嬉しいことだけど。璃心に嫌な思いはさせたくないから、嫌なら嫌って言ってほしい』
「……お、お母さんのことは心配だから…その…見てくれるのは助かるけど…またお母さんが不安定になったら大輝くんのご家族が…」
不安そうに瞳を震わせて璃心が言葉をつまらせながら喋る。
言いたいことはわかる。あれを初めて見た大輝も戸惑ったし怖かった。
璃心が腕を伸ばして大輝の首にまわした。ぎゅう、と離さないと言わんばかりに強くしがみついてくるので大輝は態勢を崩しかける。
足を踏んばって支え璃心の腰とめくり上がった布団から見える膝の裏に手を回してお姫様抱っこのようにベットへと寝かせた。首が折れそうなくらいに痛かったが今は甘えん坊モードだから仕方ない、と耐えた。
だが、寝かせたものの離れようとすると手に力を込めて離さない。
『る…璃心…寝なきゃ』
「ごめんね………分かってるけど、もっと、大輝くんと一緒にいたいの…」
『大丈夫だよ、そばにいるから』
.