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君の名前をもう一度。







就職に備えた練習が終わり、本格的に就活が始まった10月。
夏休みの間も通って目星をつけた求人表のコピーを先生に提出をして、先生が予定を合わせる。
何人か同じ応募が重なっているらしく落ちる可能性もあるという、けれど自分の中でいくつか条件を作り、その中で選んだ求人なのでそれを承知で先生に提出した。
課題の未提出や部活の引き継ぎ、引退する3年生の為の慰安会などがあり、あの日からなかなか梨心の見舞いに行けていない。
璃心の母親にはカウンセリングを兼ねて通院してもらっているがまだ梨心には会わせていないとのこと。
璃心の仕事は多忙期に入り残業をしながら働いている。
大輝はとりあえず自分の就職が落ち着くまでは璃心には悟られないようにしておくつもりだ。




『山ちゃんせんせ』


「ぉお、原田。待ってたぞ」



放課後、帰ろうとしていたところ校門で生徒達を見送っている担任に出くわし、中庭の方へと呼び出された。
どうせだから一緒に課題も終わらそうと教室へと戻って教科書を取りに行くと、中庭にはすでに担任が椅子に腰掛けて缶コーヒーを飲んでいた。すでに缶コーヒーは3本空けている。
中庭に設置してあるテラステーブルの上を軽く払って教科書とノートを広げる。
課題の範囲を確認していると4本目のコーヒーの缶を飲みながら担任が口を開いた。




「戸叶の妹の方の様子はどうだ?確か見舞いに行ってるとか言ってたよな。意識は戻ったのか?」



『え、あぁ…えっと。意識は取り戻しました』



「え?!そうなのか?!」




思わぬ大輝の言葉にコーヒーをむせながら担任が食いついた。
だが、そんな担任の反応に無表情でノートを見ている大輝の様子を妙に思い冷静になった担任はその後の大輝の言葉を促した。




「意識は、って何かあったのか?」



『…………。今の…アイツには中学から今までの記憶が無くなってるんです』



「…は?…中学って…」




やはり事情を知っている担任も言葉を失っていた。ふたりの間には沈黙が流れた。課題を進める大輝の手は動いている。俯いているからか表情はあまり見えなくなった。
複雑な表情で担任はコーヒーを飲み干す。
夏から秋に変わろうとしている風はほどよい冷たさを纏っていて気持ちがいい。だが今はそんな感傷にに浸ってる場合ではない。
コーヒーの缶をコン、と置いて沈黙を破った。




「…戸叶には話したのか?」



『……いえ。まだ。』




この時の担任の言う戸叶、が姉妹のどちらかはわからなかったが、どちらにもまだ話していないので正直に話した。また沈黙が流れる。二度目の沈黙は更に重く感じた。誰かに肩から押さえつけられているような、そんな沈黙。
今度は大輝の手も止まった。
一瞬苦しそうに顔を歪めて、顔を上げて担任の方を見て口を開く。




『いつも…顔を合わせては、嫌そうな顔するし…面倒なことで突っかかってくるし……。でも今の梨心は、何も知らないからか、すごい純粋に笑顔を向けてくるんです。いや、その中学の頃のことで性格が変わったんじゃないか、とかじゃなくて、その…』



「はは、いつもと態度が違うから戸惑ってしまうんだな」



『なんか…変な感じなんす…。まだ小学生の思考なのは分かりきってるし……でも見た目はアイツそのものだし……』


「………。」




言葉に詰まりながらも大輝の本気で戸惑っている姿に担任は表情を強張らせた。
今の大輝の思考と表情はどことなく梨心に心惹かれているように感じられる。
何か声をかけて気を逸らすかなにかしなくては、と思考を巡らせる。
そんな担任の気を知らずに大輝は柔らかい表情で話し続ける。




『変っすよね…。笑うとこんな感じなんだな、とか……3年間同じクラスだったし……その姉と俺付き合ってるのに…知らなかったんだなぁって……』



「…戸叶は良い子だぞ。これからはちゃんと友達として仲良くするんだ、良いな?」



『…はいっ』




担任の言葉に優しく微笑んだ大輝に未だ不安を感じながらも課題をするように促すと素直に課題と向き合った。
そのあとは何気ない世間話や就活の話をしながら課題を終わらせ、解散をした。











『ただいまー…』


「おかえり大輝、遅かったね」


『父さん、今日は早く帰れたんだ。こっちは担任と色々と相談したり課題終わらせたりしたよ』


「おぉ、それは良いことだ。そうだ、最近璃心さんとはどうだい?」



家へ帰ると父親が出迎えてくれてそのままリビングへと促された。父親と向かいの席へ腰掛けると鞄を隣の椅子へ降ろした。
その間も父親は久しぶりの息子との会話を楽しんでいるのか色々と質問を投げかけてくる。
母親は友達と出かけているために不在だ。
ひとりだった父親は寂しく早めの晩酌をしていたのか缶ビールと少しのおつまみが新聞と一緒に置かれていた。




『あー…うん、色々あったんだけど…』



「どうした?話せることであれば聞くぞ」



おつまみを食べていた父が箸を置いてこちらへ向き直った。
昔から話をするときはいつもちゃんと向き合う父親。
いつもはこのスイッチが入った、と面倒くさがるが今ではなんだか頼もしい。
ゆっくりと拙いながらにひとつひとつ説明していく。
父親は黙ってその説明を聞いて頷いている。
時折、大輝が辛そうに話していると父親の眉が下がったり切なそうに顔を歪めていた。





『………それで、今は璃心に話せないまま、就活に集中していて…』



「……そうか。大変だったな。大輝。お父さん達事情がわからなかったから無断外泊とか夜に飛び出していったのを怒って悪かったな。でも、一言でいい。なんでもいいから父さん達にも連絡は寄越せ、な?」



『…うん。ごめん』



「璃心さんは今は大丈夫なのかい?…そのお母さんもまだ安定してないんじゃ…」



『一応、病院でカウンセリングは受けてるみたい…家にいるほうが考えてしまうからって…』



「…そうか…お父さん達も何か力になれたらいいんだが…」




父親がうーん、と考え込む。
正直、こんなにもトラブルが起きていると璃心との関係にも反対するんじゃないかと思っていたがむしろ協力的な姿勢な父親に大輝は少し驚いていた。
高校生には手に負えない、だからといって両親が介入はしたがらないだろうしここはもう関わらないようにと促してくるだろう、と大輝は思っていたのだ。
どこまでも息子の応援をしてくれる、そんな父親に改めて大輝は心の中で感謝をした。照れくさいから。




「そうだ、一度璃心さんを家に招待してはどうだろう?」



『は?うちに?』



「父さん達もまだ璃心さんに会ったことないしな。気分転換になるかもしれないし、璃心さんと面識があれば父さん達もこれからなにかと協力できるだろう?」



『そ、そうかもしれないけど…』


「母さんにも父さんから話しておくから大輝も就活落ち着いたら璃心さんに提案してごらん」




父親からの急な提案に不安ながら頷く。
いつかは来ると思っていた顔合わせがこんな形で父親から言い出してくるものだから展開に追いつけないのも無理もない。
話し合いを終えた父親は酔いが回ってきたのかソファに腰掛けて居眠りをし始めた。
大輝も鞄を持って自室へと移動する。
ハンガーラックに鞄をかけて制服を脱ぐ。
課題も終えてやることはやったので椅子に腰掛けて携帯を手に取った。



ー璃心、しばらく連絡取れなくてごめん。就活の方は近々面接に行くと思う。璃心も無理してないか?夜の外出許可が出たらまた会いに行くね




璃心にトークを送って一息ついてからお風呂に入るために部屋を出た。






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