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君の名前をもう一度。





やけに静まり返った廊下。この廊下だけ唯一電気がついていた。
玄関に入って静かに扉を閉める。璃心の恋人だとしても勝手に入っていいものだろうか、と葛藤しながらも璃心が見つからないことに不安が募る。
靴を脱ぐ。玄関には傘や傘立てが散乱している。廊下にも花瓶が割れた破片や写真が飾ってあった額縁が落ちている。それらを気をつけて避けながら廊下から真っ直ぐ歩いてリビングへと入った。
部屋の中は暗い。廊下からの電気じゃ全体が見えない。
入ってすぐ左側にある電気がうっすらと見える。それを押すとリビングに明かりがついた。
リビングを見回す。リビングは廊下よりも酷く荒れていた。いつも見ている璃心の家とは思えないほどのものだった。
その中のテレビとソファが揃っている方に璃心の後頭部が見えた。



『る……璃心!!!』



気づいた瞬間に急いで璃心に駆け寄る。
体育座りをして小さくなってる璃心。顔を覗き込むと生気のない表情でうつむいていた。視線だけがこちらを見た。
たまらず大輝が包み込むように抱きしめると璃心は震え出した。微かに聞こえてくる嗚咽。落ち着かせるように背中をぽんぽん、と叩くと嗚咽が大きくなって声をあげて泣き出した。



「うあぁぁぁん!!」


『璃心…璃心……よく頑張ったね…』



璃心の手が大輝の背中に回ってしがみつくように抱き返した。
大輝は背中から頭へ手を伸ばして頭を優しく撫でた。サラサラの璃心の髪が大輝の手に絡まる。絡まってはスルスルと通り抜けた。
そのままふたりは抱き合ったまましばらく時間を過ごした。
璃心が泣きやんでも大輝の身体から離れずむしろぎゅっと腕に力を込めて抱きしめた。
大輝も璃心が話し出すまで黙って撫で続け、時折璃心の頭に頬やおでこを擦り付ける。
鼻をすすった璃心にたまたま散乱したティッシュ箱が手の届くところにあったため大輝はそれを取って璃心に渡した。
涙をためた赤い目をした璃心が大輝を見上げて大輝の渡したティッシュ箱からティッシュを数枚抜き取った。少し恥ずかしそうに鼻をかむ。1回じゃ足りずもう一度大輝がティッシュ箱を差し出すと目だけじゃなく頬を赤らめてティッシュを抜き取った。鼻をかむ璃心を見ながらクスクスと大輝が笑うと、璃心は大輝と向き合って両手で大輝の頬を引っ張った。



『ははっ、ひゃにしゅんだひょ』


「……大輝くんのいじわる」


『ごめんごめん』




足で璃心を挟んで全身で抱きしめる。
顔をもそもそと動かした璃心は大輝の首元にちゅっと軽くキスをした。
急な感触にビクッと身体が反応をする。大輝の反応に今度は璃心がクスクスと笑う。思わぬ可愛らしい反撃に愛しさが止まらない。
このまま押し倒したくなる衝動を抑えながらスッと体を離して璃心を見つめる。眉を下げながら微かに涙が溜まった瞳で見つめ返してくる愛しい彼女。
こんな彼女にこれから現実を話してもらって大丈夫なのだろうか。先程あった出来事を伝えても大丈夫だろうか。考えれば考えるほど頭の中の未来は悪い方向へと向かっていく。今日は一旦璃心を寝かしつけて明日落ち着いてから話そう、そう決意して目を閉じた。
目を閉じた大輝の姿を見て璃心は大輝の手を握って口を開いた。




「あのね、」


『…ん?』


「今日、梨心の付き添いにお母さんが行ってたの」


『る、璃心…無理しなくても…』


「んーん、大輝くんのおかげで話せそうなの。聞いてくれる?」



そんなことを言いながらも大輝の手を握る璃心の手は震えているし、瞳にも涙はたまっている。
けれど璃心の意思は尊重したい。大輝は璃心を抱きしめながらコクンと頷いた。
大輝の腕に包まれながら胸元に寄り添って話を続けた。



「お母さんが付き添いしてるときに、事故を起こした加害者の両親と警察が来たらしいの。お詫びとその加害者の意識が戻ったことの報告だって」


『そんな…』


「お母さんはすっごく怒ったんだって。今更お詫びに来る上に梨心が目を覚まさないのに犯人のほうが目を覚ますなんてありえないって。それで、また感情を止められなくなっちゃって…」


『そういうことだったんだ』


「私ね、お母さんを止められなくて、お母さんが外へ出ちゃったとき、もうだめだ。私にはもうお母さんを止められない。もうこんなことしたくない。……私が事故に遭えばよかったのに…って考えちゃって」


『璃心…』


「心の中でもうお母さんの看病に疲れきってたんだな、って自覚しちゃって…でもそんな自分が許せなくって、でももう逃げ出したくなったりして頭がどうにかなりそうだった」




話している璃心の声がどんどん震えていく。抱きしめてる腕に力を込めて頭を撫でた。
璃心に話してもらうことで本当に璃心の心は軽くなっているだろうか、むしろ璃心の首を自らしめさせてはいないだろうか。話を聞きながら大輝には不安が募っていた。
自分は璃心の力に本当になれているのだろうか。



「でもね、大輝くんのおかげで私、今は大丈夫なんだよ。さっきまで何も考えたくなくて泣いていたくもなくてこのまま眠ったまま起きなければいいのにって思ってたんだけどね、大輝くんが来てくれて抱きしめてくれたときに、私は大輝くんとずっと一緒にいたいって梨心とお母さんとも笑って過ごしたいって思えるようになったんだよ」


『……本当に?』


「うん!当たり前じゃない、私の恋人なんだよ?」



大輝の方を見てそう言って微笑んだ璃心は大輝の首に腕を回して抱きついた。多少まだ震えているが背中をとんとん、とゆっくり叩く。




『俺も、璃心に話すことがあるんだ』


「うん、聞くよ。大丈夫」


『璃心のことが大好きだよ』


「…んん?」



本題を話す前に少し茶化してみた。
自分の緊張をほぐすためでもあったが、思った話と違った璃心は驚きながら顔を赤らめてまた大輝の頬を引っ張る。そんな璃心を見て大輝は笑って謝る。
思った以上に効果があったが、咳払いをひとつしてから話し出す。璃心も大輝の頬から手を離して話を聞く姿勢に戻った。
頭をくしゃくしゃと撫でる。



『今日、梨心にやっと変化がみられたんだ』


「え…?なにかあったの?」


『うん、意識が戻ったわけじゃないけど少しだけ喋ったんだ。会話にはならなかったけど』


「そ、それは快復してるってことだよね?」


『お医者さんはその兆しだって言ってたけど…』


「よ、良かった…。あれ、今日大輝くん付き添いに行ってくれたの?」


『ぃゃ、璃心のお母さんを病院に連れて行ったら看護師さんが引き受けてくれて、その間に梨心の付き添いの許可が出たんだ』




梨心の良い報告を受けた璃心は安心したように笑った。
力が抜けたように大輝に寄りかかって大きなあくびをした。時刻はもう23時を回ろうとしていた。
色々あって疲れている上に張っていた糸が切れたように力を抜いてしまった璃心は少し眠そうに大輝に抱きついて目を閉じた。




『璃心、だめだよ。ベッドまで行かなきゃ』


「うん…ごめん運んでくれる?」



珍しくわがままを言う璃心にドキドキしながら膝裏と腰に腕を回して持ち上げる。初めてのお姫様だっこだったが身軽な璃心は大輝の力で持ち上げられた。
そのまま足元に気をつけながら璃心の部屋へと入った。
一度だけ入ったことのある璃心の部屋。それも璃心といちゃつくために入ってしまった記憶が蘇る。少し緊張しながらその記憶が濃ゆいベッドへと璃心をおろした。
もうすでに夢と現実の狭間なのかぼーっと大輝の服の裾を握ってくいくいと引っ張っている。



「大輝くん…」


『…ん?』








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