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君の名前をもう一度。






梨心が入院してから、早くも2週間が経った。
仕事に復帰した璃心は慌ただしい日々も過ごしながら梨心の付き添いには必ず足を向けていた。
時には梨心の髪と身体をできる限りで拭きあげ、ガーゼの貼り替えも買って出た。最初は治りきっていない傷に心を痛めていたが、少しずつでも塞がってきていることに安堵するようになった。
夏休みを終えた大輝は就活が本格的に始まり、担任の指導の元、面接練習や職場見学、履歴書作りをしているようだった。
梨心への付き添いは大輝が夏休みを終えてからは母が名乗り出た。
母の身体を心配して止めた璃心だが、あの日母が立ち直ってから部屋にこもらずに外出をするようになったり、璃心が帰宅する頃に食事を作って待つようになった。
母が笑って大丈夫と言ってしまっては璃心も強く止めることはできず、病院の先生に母のことを伝えて付き添いをしてもらうことになった。
最初は梨心の姿を見て涙を流した母だが、梨心の身の回りの世話は看護師と同じように卒無くこなしているそうだ。
時は9月5日。
炎天下こそは無くなったがまだまだ暑い。
年中着ているスーツは夏場が1番辛かった。クールビズをしていても張り付くシャツやタイツのせいで皮膚が呼吸をできなくて不愉快。




『ふぅ…もう少しで仕事もあがれるし…梨心はまだ意識戻らないかな…』



母からの連絡はないかと携帯を見るも通知はあらず。
デスクに腰を掛けてパソコンを起動させる。今日の作業は資料のまとめで終わりだ。
大きな仕事こそ回ってこないが時期によっては仕事量の多い人の手伝いや雑用を任される。
今はまだ繁忙期ではないため早めに終わるような量の資料のまとめや作成をしている。
母が立ち直った今、残業や出張などの大きな仕事も引き受けようとも思っているが、梨心の意識が戻らないことには今はそんなことを考えられない。
起動したパソコンからエクセルを開いて紙の資料を手に取る。それを見てカタカタとキーボードを打っていく。
最初は慣れなかったパソコンの作業も続けていくうちに手馴れて来ていた。
時計をちらりと確認するもデスクに座ってから10分位しか経っていない。早く梨心のもとへ行きたい気持ちが早るが時間はそう簡単に進んではくれなかった。
そのままミスをしないように気をつけながらタイピングをしていき、紙の資料をぺらぺらとめくっていく。残り数枚、となったところで時間を確認すると退社まで30分を切っていた。



「璃心さんごめん!!この資料を今日中にまとめてくれないかな?!ちょっと今すぐに提出しないといけない案件の確認と手直しを部長としなきゃいけなくなっちゃって!!」



『はい。大丈夫ですよ、会議頑張ってください』


「ありがとう!!助かるよ!!」



困った顔をした同僚が笑顔で手を降ってオフィスを出ていった。最近大きな案件を任された同僚で、張り切っているのは周りも璃心も知っていた。だからこそこんな状態でも頼まれたら断れなかった。
少しの残業は仕方がない、と渡された分厚い資料をぺらぺらめくった。



『戸叶、作業終わりましたので失礼します』


「ぁあ、璃心さん。船越さんの作業手伝ってくれてありがとう。彼、すごく感謝していたわ」


『案件を任されたことで張り切っていたのでそのお手伝いができて良かったです』


「今度何か奢ってもらいなさい、じゃあお疲れ様。ありがとう」


『はい。お先に失礼します』



部長に頭を下げて会社を後にした。
時刻は定時を過ぎて18:40。病院の受付時間を過ぎてしまっている。
病院からも母からも連絡がないということは梨心はまだ意識が戻っていないということ。
梨心に会えなかったことが寂しいが家に帰ることにした。
とぼとぼと歩いていると後ろから誰かに話しかけられた。


「璃心さん!!」


『……あ、船越さん。お疲れ様です』



はぁはぁと息を切らしながら走ってきたであろう同僚の船越。
ふうと息を整えて、璃心に向き直って笑顔で口を開いた。



「今日はありがとうございました!おかげで部長と手直しやらなんやら完璧にできて先方に資料を送ることができました!」


『いえ、船越さんがこの案件に力を入れているの知ってましたから。お手伝いができて良かったです』


「それで…良かったら何かお礼にご馳走させてもらえませんか?あ、もちろんこのあとに何か予定がなければですけど」



無邪気に微笑みながらディナーのお誘いをしてくる船越に璃心は少し戸惑いながらも、家にいる母のことや梨心の状態について気になるので首を横に振った。




『すみません、家にいる母の様子が心配なので今日は帰ります。また機会があればご飯行きましょう』


「あぁ、そうですか…。残念ですがまた今度にしましょう。絶対ですよ?」


『ふふ、ありがとうございます。では水分補給忘れずに気をつけてくださいね』




軽く頭を下げて船越に背を向けて歩き出す。
その背中を切なそうに見つめる船越。
船越が今の会社から内定を貰って入社したときに同じ同僚のひとりとしていたのが璃心だった。大学を卒業した自分とは違って璃心は高校を卒業してこの会社に入社したという。最初は同僚として高卒に劣らぬよう頑張ってきていたが璃心の気配りや要領の良さは誰もが認めるくらいに完璧だった。上司にも先輩にももちろん同僚にも集中力が途切れるタイミングでコーヒーを淹れるのはもちろん、コーヒーが苦手な人には温かいお茶やミルクと砂糖の好みの量を聞いては次の日から完璧に入れていた。
周りに媚を売って生き残る人なのかと疑いかかっていたがその日の仕事は卒無くこなし、定時には部長と周りに深く頭を下げて足早に帰っていた。
新人が定時に帰るなんて、と思っていたが程なくして部長が璃心の家庭の事情を話せる範囲で説明してくれた。高校を卒業したばかりの女の子とは思えないくらいの事情を抱えているのだと知ってから、それでもなお周りに笑顔で振る舞って仕事をこなしている璃心のことを密かに想い始めている自分がいた。
自分がこの会社で功績をあげて大きな案件もこなせるようになったらきっと璃心を支えて苦労をかけさせないような生活を送らせてあげられる、と決意した頃でもあった。
そんな頃の自分を思い返しては小さく見えなくなった璃心の背中に璃心の笑顔を重ねて拳を握って会社へと戻っていった。



「璃心さん…!俺、もっと頑張ります!!」




心の奥底で燃え上がる闘志をやる気に変えて頑張る男がここにひとり。




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