君の名前をもう一度。
『すみません』
「はい。どうされました?」
『りこ……戸叶梨心さんのお見舞いに来たんですけど』
「お見舞いですね。こちらの用紙にご記入いただいてから病室の方へお願いします。」
受付の看護師に手渡された用紙を記入して再度渡して梨心の病室へ向かう。
こう思うのも申し訳ないが病院の雰囲気はなんだか苦手だ。一面真っ白で汚れを許さないかのような壁や床に天井、そして今にも泣きそうな顔をした人と車椅子を押す人、松葉杖でよろよろと歩いている人。
誰かしらに不幸があってここに集まっていることを考えてしまうと気が少し重くなってしまう。
梨心もそのひとりなのだが、自分には何も関係がない気がしていたたまれない。
そんな気持ちを振り払うかのようにエレベーターへ駆け込んで5階を押す。ゆっくりと振動を抑えめにエレベーターが動き出す。
しばらくぼうっとしているとエレベーターが着いた。
エレベーターを降りて少し廊下を歩くと梨心の病室の前で歩みを止めた。コンコン、と扉をノックすると「はい」と若い女の人の声が聞こえた。看護師だろうか、と扉を開くとナース服を着た女の人が梨心のガーゼを貼り直しているのが見えた。
『ぁ…えっと、梨心さんのクラスメイトの原田って言います…』
「こんにちは、璃心さんの彼氏さんよね?」
『あ、はい』
看護師にも知られていることに少し驚いた。と同時に少しの照れくささも出た。
ガーゼを貼り直した梨心の頭を少しだけ撫でた看護師は改めて大輝の方へと身体を向き直して軽く会釈をした。
「私は看護師の木嶋って言います。戸叶さんとはお父様が入院されているときから担当しています。何かわからないことや困ったことがあれば気軽に聞いてください」
『璃心のお父さんのときから…』
数年前に璃心の父親が亡くなったことは知っていた。その時から看護師をしているとなると、若く見えていたが自分たちよりもだいぶ歳上なのだと察した。
木嶋と名乗った看護師は梨心の布団をかけ直して窓側に移動をして窓を開けた。
真夏の風が室内へと入る。
大輝はベットの隣の机に荷物を置いて梨心を見る。
以前と変わらず小さく呼吸をしているのはわかるが眠ったままだ。心なしかガーゼが減っただろうか。
入院をしてまだ2日なのにそんなことはないのだが少しでも治っていることを祈るとそう思ってしまうものなのだろうか。
しん、と静寂が流れる。木嶋さんも何も言わなくなった。
梨心のことを見つめて何か動きを見せてくれないだろうか、とただただ思った。
『あの…』
「はい?」
『もし、梨心が目を覚ましたら俺は何をしてあげたらいいんでしょう…』
「………そうですね。まずは笑顔を向けてあげてください。目を覚まして不安そうな顔を見たらきっと梨心さんにも伝わってしまうので」
『事故のことは…』
「目を覚ましてからしばらくは意識が朦朧としているのですぐに思い出すことはないかもしれませんが、全身の痛みや事故に対してかなりのショックを受けている場合はパニックを起こすかもしれません」
『………。』
「その場合はできる限り落ち着かせてあげて、少しずつ、少しずつ彼女に事実を伝えてください。つらそうな場合はすぐに伝えることをやめて落ち着かせることに全力を注いでください」
『はい……。』
思いつめるような顔で梨心のことを見つめる大輝に木嶋は頭を下げた。
驚いてそちらへ顔を向けると木嶋は言葉を続けた。
「これが正しい対処だとは言い切れません………。あくまで私の体験をもとに話しているだけです…。申し訳ありません。こういったことは本人の精神状態や、心の強さでひとりひとり対処が変わってしまうものなのです」
『いえ、ありがとうございます。参考にします。俺、きっと自分がパニックになって梨心を不安にさせていたと思います』
「……梨心さんも、璃心さんと同じできっと辛いことも悲しいことも笑顔で隠してしまうんだと思うんです」
『はは…それ、わかる気がします』
日々璃心のことを想っている大輝には、璃心が重荷を背負っても笑顔を絶やさずに過ごしていることは分かっている。
木嶋の言いたいことはすごくわかる。
そしてその妹の梨心も璃心と一緒に生きてきたのだから姉を見て育っただろう。
いつも喧嘩をしている大輝だが、そう考えれば璃心と同じように梨心ともやっていけるんじゃないかと思ってしまう。
梨心をみて少し微笑んだ大輝を木嶋は見つめる。やっと、璃心や梨心を支えてくれるそんな人が現れたことを心から良かったと思えた。大輝がこれからこの家族を変えてくれる、そんな希望も芽生えていたことを大輝は知らない。
だがきっとこの希望は大輝の環境も璃心達のことも変えていくだろう。
良い事にも。
悪い事にも。
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