君の名前をもう一度。
かんかんと照りつける太陽を浴びたアスファルトから熱気が湧き上がる8月。
日陰を縫うように歩くも一向に汗は引かない。
足取りは自然と重くなりだらだら歩く。
こんな日は家に篭ってエアコンでガンガンに冷した部屋で過ごしていたい。
だが用事ができてしまったからには作った過去の自分を恨むしかない。
そんな真夏の中を歩くのは『戸叶 梨心(とかの りこ)』。高校3年生の就活真っ盛り。
まさに今就活のための資料集めに学校へと向かっている途中。まだ夏休みなのに。
ため息を吐きながら家から向かってる時は歩いてる人がいなかったが、学校が近くなるにつれて同じような目的の人か、部活動か、はたまた補修組か、同じ制服をまとった人たちが増えてきている。
誰も彼も暑そうに襟元をパタパタあおいでる人やわざわざ下じきを取り出してあおぎながら歩いている人もいる。
そんな様子を自分も暑そうに見ながら校門をくぐって玄関へと向かう。
校舎へ入ると日光が遮られてか、少しは暑さがマシになった。
それでも各教室のエアコンの使用は夏休み中は制限されており、廊下は蒸し暑かった。
目的のために進路相談室へと向かっていたが、ふと思い立って職員室の方へと歩みを変えた。担任の先生に相談をしようと思ったのだ。
そう思い立って歩いていると視界に廊下の窓側に集まって談笑をする生徒、グラウンドを元気に走り回る男子生徒、部活動でテニスをしている女生徒をそれを眺める生徒と先生、それぞれが各々の時間を過ごしている。
この人たちはこれからどんな未来を考えてどんな生活を送るんだろう。
談笑をしている人たちは、平凡に家庭を築いていくんだろうか。グラウンドで走る人たちの中にオリンピックに出る選手が生まれるのだろうか。テニスをしている女生徒は今後もテニスを続けるのだろうか。
就活をし始めたからか人がこれからどうするのかが気になる。自分はその中でどんな未来を選ぶのだろう。
不安なのか焦りなのか、はたまた現実逃避か実は何も考えていないのか。
ゆっくりと考えながら歩いていると職員室へとたどり着いた。
扉を開けなくてもわかる。職員室には冷房がついていて涼しい風が扉から漏れている。
コンコン、と扉をノックをして1拍おいて開ける。チラッと自分を確認しては視線を戻す教師たちの中、見知った顔と目が合う。
目が合ったその顔は口角をあげて駆け寄ってくる。
『先生、お久しぶりです!』
「戸叶ー!元気にしてたか?夏バテになってないか?」
梨心の担任の教師はいつも明るく笑い、生徒に寄り添えるそんな稀に見る良い教師であった。
クラスメイトからの人望は厚く就活の件でも担任に相談する人は少なくない。それをひとりひとり丁寧に対応してくれるところも梨心は好いており職員室へと来たのだ。
『暑さには毎日やられてますよー先生の方こそバテてそう〜』
「正解だ、冷房が無きゃ生きてけんわ!今日は就職先探しか?」
担任が本題へと触れる。
思い出したかのように梨心は頷く。
『はいー。資料見に来ましたー』
「なら一緒に進路相談室行くか?」
担任からの提案にぱあっと目を輝かせて何度も頷いた。
こうやって親身になってくれると就活に対する不安が少しは和らぐ。
担任の手を引いて職員室から出る。むあんと暑さが身体にまとわりついても気にせずに担任に笑いかけて進路相談室へと足を進めた。
先程まで色々と考えてしまっていた廊下も、担任と歩くと全て担任が答えを出してくれるんじゃないかとも思えてしまうほど心が軽い。
誰かに頼れるってこんなにも感情に影響があるんだな、と思う。
「戸叶は将来何をしたいとかはあるのか?」
『うーん、家族にために稼げる仕事はしたいかなって。お姉ちゃんとお母さんに苦労かけさせちゃってるし』
「そうか、戸叶の家は父親が亡くなってしまわれてたな」
担任の言葉に少し目を伏せる。
そう、担任の言葉通り梨心の家では5年前に父親が病気によって他界している。
その当時は母親が伏せってしまったり、それを姉が長い時間をかけて支えたり、梨心もたくさん泣いた。
そして少しずつ母親が立ち直るにつれて梨心も姉も元気を取り戻していき、今に至る。
『お母さんがやっと笑ってくれるようになったからもうこれ以上の苦労はかけたくないかな』
「そうか、そのための就職希望だったんだな」
『でも、これと言って就職先については決まらなくって。資格も全然取ってこなかったし…』
「成績自体はそんなに悪くはないしな。それなりに選べるとは思うが、戸叶がやりたいことがあればそれが仕事へのモチベーションにもなるし、なにより学ぶことが増える気がするんだが」
『……うーん。』
担任の言葉に唸りながら考えるも今までふわっとしたことしか考えてなかったためにこれと言った答えは出てこない。
過去の将来の夢は父を助けられなかったからかお医者さんや、母を元気付けたくてカウンセラーなど思い浮かべていたが現実味は帯びなかった。
そのための勉強もなにもしてこなかったから当たり前だ、ただなれたらいいなっていいだけの絵空事。
先程まで他人のことばかりを考えていた余裕を持っていた自分が恥ずかしくなり、進路相談室に駆け込む。
ガラッと扉を開けると何人かの生徒が資料棚と向き合ってファイルに目を通していた。
職種別に整理された求人資料。他の生徒もこれと言った希望が決まっていないのかいろんな棚をふらふらと見つめている。
担任と一緒に足を踏み入れると、他の生徒も担任がいることに気づいたのかこちらへと駆け寄る。
「先生!きてくれたんですね!」
「相談したいんだけど聞いてくれる?」
各々考えることは似ているらしい。
笑顔でひとりひとりに「順番にな」「相談することをまとめて待っててな」などとなだめて梨心を優先してくれた。
他の教師も見習ったら人望が増えるだろうに、と担任を見て笑い、資料が並んだ棚へと近寄った。
「ある程度全部に目を通して、その中で気になったものをピックアップしてみよう」
そう言うと担任は端の方からファイルを渡してくれた。
年季が入っているのか少しすす汚れているファイルに新しめの紙に印刷された求人が挟まれている。
担任が求人表の見方を事細かく説明してくれたおかげで自分で求人に目を通すことができそう。
お礼を言って担任の方を見ると笑って「じゃあ求人を見ている間に他の生徒の方も見てくる。ある程度ピックアップできたらまた声をかけてくれ」と梨心の頭をぽんぽんと数回撫でて他の生徒の方へと歩いていった。
ひとつひとつの求人に目を通し、少し目が疲れてきた頃、ガララッと扉が開いた。
集中力が途切れていた梨心はそちらに目を向ける。開けた本人を確認したとき、目を向けたことを後悔した。
『うわ、大輝だ……。なんで今来るのよ』
「は?別に俺がいつ進路相談室に来ようが勝手だろうが」
犬猿の仲とでも言うのだろうか。
高校から同じクラスになってからと言うものの何かと突っかかってくるこの男、「原田 大輝(はらだ たいき)」は梨心のこの世で一番嫌いな男子であった。
いじめてくるとかそういうものでは無くて性格や考え方が合わず、衝突を繰り返してるうちに顔を合わせてはお互いに嫌悪するくらいに嫌いあっていた。
高校3年間同じクラスになってしまい、梨心の中の高校生活の楽しさはこの男によって半減された。そう思ったこともある。
『先生には話しかけないでよね。あとお姉ちゃんと別れて』
「なんでお前に指図されなきゃいけないんだよ。あと璃心を見習って少しは可愛くなれよ」
大輝の言葉に梨心は大輝を睨みつけて背を向けてファイルを新たに手に取る。喋るのももう嫌になってきた。
梨心にはひとり姉がいる。璃心(るこ)と言う名前で梨心と同じくらい明るい子でもあるが梨心よりも気配りが上手く責任感が強い。父が他界してからは母親を支えるために何倍も何十倍も努力をした自慢でもあり憧れでもある尊敬している姉だった。
そんな璃心のことが梨心は大好きだった。
だからこそ、そんな璃心の恋人となったのがこの大輝であることが許せなかった。信じられなかった。
何度も璃心に大輝のことを教えたが璃心はそんな梨心を見て笑い、「大輝くんは私の前ではとっても頼れる男の子なのよ」と言った。そんな璃心の慈愛に満ちた表情を見てしまったら梨心は何も言えなくなってしまった。
それからは大輝にはさらにもったいないと思い大輝に噛み付いている。
「璃心を見習ってちゃんと働けよ」
『そのためにここにきてるんでしょ』
梨心の隣にある棚に立ちファイルに目を通す大輝と梨心の間にはピリピリとした空気が流れていた。
そんなふたりの空気を読みとってかその周りには誰も寄り付かず、梨心の大きなため息がいつもよりも大きく聞こえた。
「はいはいふたりとも、喧嘩するなら外へ出なさい」
梨心の頭と大輝の肩に手を置いてふたりの空気を割って入ったのは担任だった。
思わぬ乱入に同時にふたりは振り向いてにっこりと黒く笑う担任にただ『「すみません」』とぎこちなく謝ることしかできなかった。
担任が手を離したところでお前のせいだと睨み合うふたりを見て進路相談室から追い出されたのは言うまでもない。
.
1/60ページ