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KYO



「狂!」
 危ない、と思った時には体が動いていた。
 振り返った狂が、左手でゆやの腕を掴んで引っ張り、右手で飛んできた皿を払う。
 そして。
「なんでそう、てめぇはいつもいつもしゃしゃり出てきやがる!」
 低い声が大きめに響く。それに驚いて、ゆやは一瞬ビクッと身を引く。
 あ、やばい。そう思った。
「……ごめんなさい。」
 狂の気持ちが分かったから、素直に謝る。
「……。」
 それが珍しかったからか、狂はバツが悪そうに目線を逸らした。皿を払った右手が赤くなっていることに、狂自身は気付いているだろうか。
 二人の男を無言で成敗して、そのまま何も言わず、茶屋から出ていってしまう。
 呼びかけようか。追いかけようか。そう思ったけれど、体は動かなかった。
 だって、吊り上げた眉毛と相反して、細めた紅い眼が少し哀しみを帯びていたから。
 本気で怒らせた……って分かったから。





【似た者夫婦】





「喧嘩でもしたんですか?」
 京四朗が少しかがんで、俯きがちなゆやに目線を合わせて問いかけてくる。
 茶屋での騒動があって、狂がそのまま散歩に行ったのが昨日。京四郎が、一人でゆやの店に来たのが今日の夕方。それからしばらく話をしていた時だった。
「狂?」
「はい。ふらりと僕と朔夜のとこにきて、ゆやさん元気?って聞いたらなんかいつもと様子が違ったから。」
「……。」
「……。」
 なんかあったのかな~って、とゆやから視線を逸らす京四朗に、すぐには言葉が返せなかった。
「喧嘩っていうか……。」
「うん?」
「あのね……。」
 いつも通り茶屋をやっていた。
 最近ちょっと困った客が来るようになっていた。簡単に言えばをチンピラだ。お店のメニューに難癖つけたり、他の客に喧嘩を吹っ掛けたり、時々ゆやにセクハラもしてきた。腹立たしいし困ったものだが、賞金小町として長年女一人旅をしてきたゆやである。普通の人間の彼らなら正直慣れたもので、適当にあしらって追い返していた。
 昨日は、丁度そこに狂が帰ってきた。
 ゆやのお尻を触ったチンピラの腕を捻り上げて、まさしく鬼の形相で凄んでいた時。一緒に来ていたもう一人のチンピラが、狂に後ろから皿を投げつけた。
 だから、その間に立とうとした。
 でも、気付いたら狂の腕の中だった。
「……狂にとっては、あんなの避けるくらいどうってことなかったんだと思う。でも……体が勝手に動いちゃって……。」
 喧嘩じゃない。でも何て言えばいいだろう。ゆやが狂を怒鳴るのは結構よくあることだ。結構、というかいつものことだ。でも今回は違う。しかもゆやはちゃんと謝った。多分気にしているのはゆやじゃなくて、狂の方だ。
「……ふふ。」
「え?」
「あ、すみません。笑ったりして。」
 言いながらも含み笑いを隠しきれていない京四郎。
「何よ?」
 真面目に話していたのに笑われるとは心外だ。
「わー!怒らないで下さい。いや、えっと、ですね。……ゆやさんが、狂と同じ顔してるから。」
 目を細めて、今度はさっきと少し違う優しい雰囲気で微笑う。
「はぁ?」
「こう、眉間に皺寄せて……。」
「あ、あんな厳つい顔してないわよ!!」
 やっぱり心外な上に失礼だ。
「いや、はい。もちろんゆやさんは女性で……美人で可愛いですよ。そういう意味じゃなくて……えっと……同じ表情?」
「同じ……。」
「似たもの夫婦なんですね。」
 夫婦って似てくるって言いますしね、と朗らかに笑う。まさかそういう解釈をされるとは思わなかったから、ゆやは面食らった。
「勝手ですよね。普段は自分はフラフラ出歩いてるのに、危ない時とかしゃしゃり出てくるなって。」
「そうなの。」
 その言い分は素直に頷ける。
「分からなくはないですけど……狂だからな~。ほら、脳内3歳児だから。」
「ワッガママで勝手で……もうホント…信っじらんない!」
「そうですよね~。普通信じらんないですよね~。」
 京四郎の視線が生暖かい。
「……何?」
「ゆやさん、本当に?」
 信じらんないですか?と顔を合わせて確認された。
「……バカ。」
 分かってるくせに言ってる。京四郎のこういう所はムカつく。最初は狂をからかう感じだったのに、年を経るごとに、狂だけでなくゆやにまでそのからかいが向く機会が増えた。
 狂が怒った理由に、ホントはゆや自身心当たりがある。
 再会してから……想いを通わせてから過ごした時間は、それまでと同じようで、やっぱり少し違う。そして、それからの日々も踏まえて、やっぱりゆやは狂を信じている。
(大切にされてる……って言いたいの?心配かけちゃった……って……)
 改めて口にするのは、京四郎にですら恥ずかしくて聞けないけれど。
「やっぱり狂にゆやさんはもったいないですよねー!」
「そうよ!もうー!バカバカバカバカ!」
 今頃どこで何してんのよ。バカバカバカバカバカバカ。

『こ…この…バカ女…。』
 狂?の声?
『なんでお前は、そういつもいつもしゃしゃり出てきやがんだ…。』
 どこかで聞いた。あれ?どこで?
 ぼやっと霞がかかったように、近いのにすごく遠くて―――・・・。

「ん……。」
 頭に何かが触れた気がして、目が覚めた。
 ゆっくり目を開けば、辺りはまだ暗い。けれど、頭に触れた何かはあたたかかった。
(さっきの……夢?)
 目が覚めてもハッキリと覚えている。
 確かに昔聞いた声だった。でも、その光景は出てこなかったし、記憶にない。声だけ。
(昨日のアレのせいかな……。)
 狂との出来事を、よっぽど気にしてるみたいだ。
 と、人の気配を感じて視線を移せば―――隣に見慣れた黒の着流し。
「狂!帰ってたの?」
 びっくりして布団から起き上がる。
「…………ただいま。」
「おかえりなさい。」
 彼のただいまが胸にストンと落ちて、自然と笑みが零れた。
「起こしてくれれば良かったのに。」
「涎垂らして寝てる女を起こす趣味はねぇよ。」
「な!?よ、よだ…・・」
 右手で口元を拭う。その動作に、狂は勝ち誇ったように口角を上げた。……この反応は。
「騙したわね!!」
 ポカポカと両手で狂の胸を叩くが、痛くも痒くもないようでククッと低く喉を鳴らす。
 そんなやり取りをしながら。
(……いつもの狂だ。)
 ゆやは小さく安堵する。
(本当は、ちょっとだけ……帰ってこなかったらどうしよう……って思った。)
 寂しかった。昨日の今日なのに。
「……?」
 叩いていた手と一緒に、俯き加減にゆやの視線が落ちていく。その様子に訝しさを覚えて、狂はゆやの顔を覗き込んだ。
「心配かけてごめんなさい。」
 仕切り直し、とばかりにもう一度謝る。それしか思いつかなかったから。
「……。」
 狂としては、別に謝らせたかったわけじゃない。言い過ぎたのは自分の方だと思っている。だから、眉間に皺を寄せた。本当は先に、悪かった、と謝ろうと思っていたのだ。
「夕方、京四朗が来てたの。」
「京四朗?」
 問い返すと同時に、謝るタイミングを失ってしまったことに気付いた。
「うん。色々話してたらね、心配するのはお互い様なのかな~とか気付いて。」
「……余計なこと言いやがって。」
 京四朗に悪態をつく。殆ど八つ当たりだ。
「心配するのは……怪我してほしくないって思うのは、私の専売特許かと思ってた。」
「……。」
 狂の悪態なんてどこ吹く風で、ゆやは腕を前に伸ばしながら、笑顔で語りかける。
「……ありがとう。」
 狂は一瞬驚いたように目を見開いて、それから眉間の皺が少し緩んだ。 
 その表情の変化をジッと見詰めながら。
「ごめんじゃなくて、最初からありがとうって言えばよかったね。」
 ゆやは綺麗に微笑んだ。

 無茶をするなと、いつでもストレートに言えたらどれだけ楽だろう。
 意外と一人で戦ってきた期間が長いから、彼女は平気で無茶をするのだと、その理由に気付いたのは一緒に暮らし出してから。
 一緒に過ごした時間より、一人で戦ってきた時間の方がまだ長い。ゆやも。狂も。
 だけどこれからは、共に過ごす時間の方が増えていく。
 だからこそ。
 態度と言葉が必要なのかもしれない。自分のことには鈍いゆやだから、特に。
「バカ女。」
 徐に口を開いた狂の言葉。
『このバカ女。』
「!?」
 その響きで、ゆやは思い出した。
(聞こえてた。)
 身体が痛くて。手放しそうな意識の中で。
 確かに聞こえていた。
 その言葉も。
 初めて……名前を呼ばれたことも。
「もうしゃしゃり出てくるなって?」
 口を開いたはいいが、なかなか先を告げない狂に、着流しの裾を握って訊ねる。
「……無茶をするな。」
 絞り出すように掠れた低い声。でも、どこか優しい響き。
「無理よ。」
 ふわりと笑って、狂の言葉を一党両断する。
「体が勝手に動いちゃうんだもん。」
 怪我しないで欲しいと思うのは、きっとお互い様だ。
「……大切な人なの。とても。」
「?」
「だって…だって私……」
 そこで狂も気付いたようで。
「お前、」
「狂のこと―――……。」
 ゆやが先を紡ぐよりも早く、大きく力強い腕が全身を包んだ。
 慣れた匂いとあたたかさ。すごく……落ち着く。
 聞こえてたのか、と耳元で小さく囁く声が擽ったい。
 あんなにドキドキして、心臓が落ち着かなかったのに。こんなに近くでも、穏やかな気持ちになれるなんて。あの頃は思ってもいなかった。やっぱりドキドキもするけど。
 あの時言えなかった続く言葉を。
 ゆっくり紡いで、目を閉じれば。
 唇と唇が触れ合う寸前で、名前を呼ばれた。


 それから狂が外出することは、前よりほんの少しだけ減った。その代わり、店に顔を出すことが増えた。
 変な客は絶えなかったが、睨みをきかせる鬼が居るので、二人は平和な生活を送っているという。






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原点回帰!狂ゆやフォーエバー!
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