夢を諦めきれない私

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現在の連載では主人公同士が関わることはありませんが、今後関わりが出てくるため、各々の主人公で名前変換ができるようにしてあります。
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「・・・あいつは?」

舞台が終わって舞台袖に入り鬘をとりながら、鏡花ちゃんに聞いたのはそれだった。
彼は眉をひそめて立っていた。

「憧れの姐さんが男だと解ったことがあまりに衝撃的すぎて、出てったよ。
 だから呼ぶなって言ったのに。」

さらりと言われた言葉に、俺は目を見開く。
あいつはびっくりするくらい鈍感で馬鹿に素直だから、気づかないと思っていたのだ。
あいつの前で見せている顔と、舞台の女の役はあまりに雰囲気が違うから。
大丈夫だと思っていた。
自分の演技力を過信しすぎていたのかもしれない。
言葉を返せない俺を見て、鏡花ちゃんは小さく噴出した。
浮かぶのは意地悪そうな微笑み。

「なんて嘘。」

薄い唇が紡ぐ言葉に、俺は大きなため息をついた。

「やめてくれ。
 心臓に悪い。」

「あ、一応ばれるの嫌なんだ。」

どかりと近くにあった椅子に座りこみ、襟を緩める。
その様子をおもしろげに追う瞳が鬱陶しい。

「で、どこにいる?」

「楽屋、だけどさ。
 珍しいね。」

「何がだ。」

鏡花ちゃんは一際意地悪そうに口元を上げた。

「いつもは舞台の感想やら、演出やらしつこく聞いてくるのに。
 一言も聞きやしないんだから、おもしろいや。」

「うるせぇ。」

俺は立ち上がって、構っている暇もない、と背を向ける。
“置屋の姐さん”の衣装はすべて楽屋にある。
下手すると見つかるし、俺自身が見つかるまでにいつもの姐さんの格好に戻る必要があった。

そうっと楽屋の扉をあけると、卓袱台に突っ伏して眠る背中が見えて、ほっとする。
そのまま静かに中に入り、急いで着物と化粧、鬘を変える。
変装はお手の物だが、今回は念入りに確認した。
何気にさっきの鏡花ちゃんの冗談が効いている。

ー姐さんが男だと解ったことがあまりに衝撃的すぎて、出てったよ。ー

いつかそんな日が来るのだろうか。

鏡越しに見える寝顔。
彼女を騙すことは、楽しかった。
ここまでまんまと騙される、馬鹿で正直で一生懸命な彼女は、かわいいと思った。
どこまで騙し通せるか、試してやろうと思ったのだ。
次第と縮まっていく距離。
共にする寝床。
ためらいなく触れてくるやわらかな指先。
甘い笑顔。

(来ないはずがないと、分かってる。)

俺が始めた遊びだったのに、いつしか騙すことが苦痛に思えるようになってきた。
楽しいのに辛い。
甘いのに苦い。



(もし、俺が男だと告げたら・・・。)




考え事をしたせいか、指先からころりと化粧筆が落ちた。
その音に鏡の中の彼女が飛び起き、きょろきょろとあたりを見回し、そして俺の顔を鏡越しに見つけて、ほっとしたように笑った。
親を見つけた幼子のように。
胸がツキリと痛む。

「姐さんっ!」

甘い声がまた、呼んだ。
化粧をした、偽りの自分を。

「なんだい?」

そして、俺はまた嘘をつく。
きれいな笑顔を張り付けて、役者という、固意地を張って。
胸の痛みに、目をつぶって。













結局この前お暇をもらったにもかかわらず、姐さんがお手伝いしている劇を観損ねてしまった。
緊張したためか、着替えるために戻った楽屋ですっかり眠りこけしまったのだ。
起きた時にはもう舞台は終わっていて、姐さんが笑っていたっけ。
観れなかったからと言ってまたお暇をもらうわけにもいかず、涙をのんで日々お座敷仕事に励む。
姐さんはと言えば朝早くに出て行って、夜遅くに帰ってくるばかり。
ほとんど顔も合わせないし、会えても話す暇もなくお互い眠ってしまう。
寂しいけれど仕方がないのだ。

(これも姐さんのため!)

ぐっとこらえて今日もお座敷である。
姐さんがいない間、置屋は何となく寂しく、お座敷もまた然り。
私も姐さんがいない分、フォローしてもらえないから、しっかりしなければならない。

「コロちゃん、そろそろお酒の準備をお願い。」

隣の部屋の姐さんが私に声をかけた。

「はい!」

裏方へ急いで、でもしずしずと回り、お酒の確認と運ぶ準備をする。

姐さんが人前でも“犬コロ”なんて呼ぶせいで、いつの間にか“コロちゃん”だなんてあだ名が定着してしまったのだ。
あだ名で呼んでもらえるほど親しくしてもらっているのは感謝すべきことではあるが、もう少しまともな名前はなかったものかと思ってしまう。

準備をしているうちにがやがやとにぎやかになってきた。
どうやらお客様が来られたらしい。
今日は久しぶりに尾崎先生のお座敷だ。

ちらりと紅い髪が見えて、泉さんが今回も来ていることが分かる。
お酒を手に廊下を歩く。
今日は厨房から少し離れた部屋なのだ。
酒の担当の姐さんに渡してから帰ろうと部屋を出たところで不意に呼び止める声がした。

「君、慣れてきたかね?」

声に驚いて振り返ると、見覚えのある男性がいた。
確か前の尾崎先生の宴でも来ていた人だ。

「ありがとうございます。」

そう言ってもらえるとありがたい。
今でも失敗ばかりだけれど、こうして顔を覚えてもらって声をかけてもらえるのなんて初めてで、うれしく思ってしまう。

(がんばるぞっ!)

「ところで」
「僕の酒まだなんだけど。」

泉さんのイライラとした声が耳に届く。
部屋の隅の席からこっちを睨んでいるのが見えた。

「あ、はい只今!」

私は目の前の紳士に頭を下げる。

「申し訳ありません。」

下げている間に急に相手が近づいた気がして、驚いて頭を上げると、ぶつかりそうな距離に男性がいた。

「いやいや、無理はせんよう。」

驚いて数歩下がり、ぺこりと頭を下げて、廊下を小走りで厨房に戻る。

(びっくりした。)

でも止まっている暇なんてない。
泉さん専用熱燗を持って、再び部屋に戻る。

「お待たせいたしました。」

専用熱燗をちらりとみやると泉さんは何かを考えているのか腕を組んで、難しい顔をしている。

「あいつには気をつけろ。」

ぽろりと落ちた言葉。
ちらりと向けた泉さんの視線を追うと、前で踊る芸者を楽しげに見る、さっきの男が見えた。

「悪趣味なうえに手が早い。
 あいつがいないんだ、不用意に近づくな。」

あいつ、というのが姐さんのことだというのはすぐにわかる。
助けてくれる人がいない今、余計なトラブルは起こすべきではないのだ。
泉さんの忠告には素直に従うに限る。
最近では減ってきたものの、はじめのころはよく助けられたものだ。

「ありがとうございます。」

素直に礼を言い、酒を注ぐ。
泉さんはそれを煽るなり、

「酒が温い!」

ぴしゃりと突き返されてしまった。
あわてて酒を持って裏へまわり温めなおす。
ぐらぐらと煮え立ってから再びもって座敷に戻ると、泉さんの姿が見えない。

「ああ、泉君なら先ほど何やら劇場のほうからお呼びがかかってね。」

後ろからした声に驚いて振り返ると、先ほどの男性がいた。

「よければその熱燗、私がいただこうかな。
 彼がいつも飲んでいるのでどんなもんか試してみたかったのだよ。」

柔和な笑みに、も淡く微笑んで答える。
席まで運びぶ。
運べば注がぬわけにはいかなくなる。
熱々の酒をお猪口に注ぎ、男はくいっと引っかけた。

「やはりかなり熱いね、これは。」

「ええ。
 泉さま仕様でございますから。」

適当に相槌を打てば、手に熱いお猪口を渡される。
大きな手が返すことを拒むように上から包んだ。

「君も飲んでみたまえ。」

「え、あの」

戸惑っている間に酒が注がれてしまう。

「人生経験だよ。」

そう言われてしまえば飲むしかない。
は淡く微笑んで、お猪口をふぅふぅとさまし、そして少しだけ口に含んだ。

「あっつ・・・!」

驚く様子に客は楽しげに笑う。

「さて、この熱燗を二人で空けようじゃないか。」

「そんな、お客さまが召し上がってくださいな。」

「おや、私の酒が飲めないとでも?」

「滅相もございません。」

「だろう?
 それでは飲み比べと行くか。」

話が少しずつ変わっていった気がする。
これはまずい展開だと、さすがの私にもわかった。
でも、助けてくれる人はいない。

(ええい、女は度胸!)

くいっとあおると喉がかぁっと熱くなった。
泉さんも姐さんも、すごいと思う。
こんなお酒を飲んであんな涼しい顔をしていられるなんて。
くらくらする視界の端で、男がお猪口をとった。

「それでは私も。」

客が飲み、そしてまた私が飲み・・・。
いつの間にか意識は混濁していった。
視界の端で、不思議とウサギが飛び跳ねたのが見えた気がした。










何見て跳ねる?












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