現在の連載では主人公同士が関わることはありませんが、今後関わりが出てくるため、各々の主人公で名前変換ができるようにしてあります。
短編
名前変換※注意
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森さんの助手を務めるさせてもらうようになって、美術学校の授業も手伝いついでに聞きに行くようになった。
森先生の話は単純明快で分かりやすい。
天才の彼だから説明は下手なものかと思っていたが、そんなところまでできてしまう男らしかった。
「空太刀さん。」
人体模型を片付けていると背後から声をかけられ、その近さに驚いて振り返ると、やはり近い距離、あと一歩という距離に、一人の生徒がいた。
生徒とは言っても、咲と同じくらいの年だろうか。
学校とはいえ、飛び級があったり、逆に多少年が上でも希望があれば入学する時代なのか、同じクラスでも年齢は様々だ。
すらりとした細身で、咲よりずいぶんと背が高い。
森さんにどこか似た深い臙脂色の髪が、緩やかなウェーブを描いている。
チャーリーさんが私を連れてきたこの明治時代はやはり、私が知る明治とは違う気がしてならない。
こんな髪の色なんて、見たことないのだ。
「は、はい、何か。」
準備室はただでさえ狭い。
いろんな模型や、図録や、道具で溢れかえっているからだ。
そんな場所で、触れあえるほどの距離にいるのだから、より近く感じるのかもしれない。
「今日の授業で分かりにくいところがありまして、教えていただければと。」
「森先生は?」
「他の生徒の質疑にお忙しいのです。」
「私では正確なお答えはできかねます。
申し訳ありませんが、森先生をお待ちいただけませんか?」
そう答えると、彼は何がおかしいのかくすりと笑った。
翡翠の目が覗き込んでくるので、驚いて俯く。
「貴女、森先生のフィアンセだったって、本当?」
ささやくような声で尋ねられる。
彼は何を考えているのだろうか。
森さんを陥れようとでもしているのかと、嫌な予感が頭をよぎる。
全てを持つ人に、人は嫉妬しやすいものだ。
特に美術学校に来るのは良家の者が多い。
彼らの繋がりの中で、何か裏で手が回されていてもおかしくはない。
ならば毅然とした態度で返すべきだろう。
「何をおっしゃっているのやら。」
そう言って睨む。
「私はまだ片付けがありますので、ご退出いただけませんか。」
はっきりとそう言うと、彼はまたくすりと笑って動かない。
「何か。」
「僕の絵のモデルにならない?
ちゃんと給金は払うよ。」
おかしなことを言う、と首をかしげる。
「貴女みたいな女性は珍しいからね。
いい題だと思って。」
珍しいで絵の題にされては堪らないと、首を横に振る。
「別を当たっていただけませんか。
私ではとても務まりません。」
「謙虚だね、好感が持てる。」
なんだか彼の返事がずれている気がして、また首をかしげる。
「一度考えてもらえないかな?」
「何を考えるんだい?」
開け放たれた引戸の向こうに、森さんが立っていた。
「質問はよろしいんですか、森先生。」
生徒は特に驚く様子もなく、そう言った。
「終わったよ。
そんなことより、準備室は教官の許可がなければ生徒は入室禁止のはずだが。」
「それは失礼いたしました。」
「出なさい。
片付けは終わったかな、咲。」
道を開ける森さんは、言外に退出を促している。
生徒は私に目配せをしてから準備室を出ていった。
「すみません、あと解剖図を直したら終わりです。」
何枚かの解剖図を棚に入れ込む。
「ありがとう。
では行こうか。」
入り口で待っていてくれる森さんを追いかける。
いつも通り森さんの少し後ろについて学校を出る。
俥を拾って二人で乗り込んですぐ、森さんは眉を顰めて私を見た。
「お前はどこまで疎いんだか。」
「はい?何のことです?」
「馬鹿な男に捕まって、おかしいと思わなかったのか?」
さっきの件か、と合点が行く。
「ですから、フィアンセの件について聞かれたときには答えませんでしたよ。
森さんはなんでもお持ちですから、恨まれやすいんでしょうね。」
「本当に馬鹿だなお前は。」
呆れたように溜め息をついて首を振る様子は芝居がかっているが、彼がすると様になるから不思議だ。
「ご婦人に向かってそう疎いだの馬鹿だのと言うものではないのでは?」
いつもの彼はそう咎める方の立場であるはずだと思い、言ってみるが首を横に振られてしまう。
「お前は私の助手だ。
その時点で辺りのご婦人とは別なのだよ。」
つまりは女性にカウントされないのだろうな、と一人心の中で苦笑する。
「またあの男の髪の色が僕ににていると言うのが気に食わない。」
「はぁ。」
「分かっているのか?
絵のモデルは、場合によっては裸婦なのだ。
あの男もそれを目論んでいたに違いない。」
「裸婦・・・ってまさか私がですか?
ないない、あり得ませんて。」
「これだからお前は。」
また芝居がかったように米神を押さえて首を振る様子が、やはり様になっている。
「兎に角、今後ともモデルの話は全て断ること。
いいね。」
「モデルなんて務まらないのでもちろんお断りしますよ。」
「務まる務まらないの話ではない。
嫌だから断ると言いなさい。
いいかい、そのままのお前がいいのだとか、他の女子にはない魅力があるとか、先を見据えた理知的な瞳が涼やかだとか、強気の姿がいいが、たまに見せる弱気な顔はより女性的に見えるとか、英語の発音がよくてその口元が思いの外愛らしいとか」
「な、何か言いたいんです!?」
森さんが訳のわからないことを永遠と言い連ねそうで慌てて遮る。
「ああ、失敬、本題からそれるところだった。
兎に角、口説き文句にも一切のるのではないよ、いいね。」
眉間に皺を寄せてそう言われ、思わずむっとする。
「私がそんな軽い女に見えますか?
少し褒めそやされたくらいで図に乗るとでも?」
「そう言うことを言っているのではない、僕はお前を心配しているのだ。」
ああ言えばこう言うというのは、私が森さんに感じるばかりではなく、彼も感じているに違いなかった。
彼との口論に終わりは見えない。
いつものことだ。
「はいはい、分かりました。」
ある程度口論が続き平行線だと感じたところで、私は話を打ち切った。
「本当に分かったのか?」
「信用されるように頑張りますよ。」
彼の助手として信頼に足りる人物ではないと言うことは分かった。
ならば信頼してもらえるよう、森鴎外の右腕といつか認められるよう、努力するしかない。
「そんなことを言っているのではない。
なぜお前とはいつもこうなるんだ。」
頭を抱える姿に、何か間違えたのだろうかとこちらも頭を抱えたくなる。
「馬が合うのか合わないのか、分からなくなるよ。
・・・否、やはりこうでなければつまらない、か。」
「何のことです?」
「仕事の話だよ。
そうだ、それから、さっき言った言葉は全て本当だからね。」
「さっき?」
いろんなことを話しすぎて、どのことやら分からなくなってしまった。
俥がゆったりと揺れながら森邸へと向かう残りの時間、私はあれか、いやこれか、と彼との会話を遡り、そんな私を彼は溜め息をつきながら眺めていた。
画家の口説き文句を並べたが
「それだけ考えても出てこないとは。
作家として鍛練が足りないのだろうか。」
「そんなに名言でしたか!?」
「何をもって名言とするかはここでは議論を控えるが、お前の心に響かないとは作家の端くれとして不甲斐ない。」
「端くれだなんて、そんなに落ち込まないでください。
必ず思い出しますから。」
「その時点で僕の力不足だ。
芸術とは考えるものではなく、自然と感じられるものだからね。
そんなに考え込むのであれば僕の言葉が不充分であったに違いない。
そうだ、やはり俄に湧いた言葉ではいけないね。
君に伝える言葉は、推敲を重ねるべきだ。
そうだろう?」
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