現在の連載では主人公同士が関わることはありませんが、今後関わりが出てくるため、各々の主人公で名前変換ができるようにしてあります。
示された道を歩めぬ私
名前変換
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固まる私たちをよそに、森さんは笑顔を浮かべている。
「行くあてもないのだろう?」
「それはそうですが、ご迷惑では?」
「人が好意で言っているのに、その迷惑を気にしていられる立場だろうか?」
「いいえ、ですが。」
「いいね、春草?」
「俺は構いませんよ。
鴎外さんの家ですから。」
「僕の伯父さんの家なのだが。」
私はお茶碗の上ですっかり冷めてしまったサトイモを拾って、口に入れた。
冷めていても味が染みていておいしい。
(毎日この料理が・・・。)
「本当によろしいんですか?」
「サトイモの誘惑に負けたんだ。
お前ももうその気なんだろう?」
森さんの自信満々の笑みに、私は頷き、そして深々と頭を下げた。
「お世話になります。
よろしくお願いいたします。」
森さんは満足そうに微笑み、菱田さんは軽く目礼を返した。
「それでは部屋まで案内して差し上げよう。」
立ちあがった森さんに、私は慌てて食べ終えた食器を片付けねばとフミさんの姿を探す。
「どうかしたかい?」
「いえ、食器を・・・」
森さんは小さく笑った。
「片付けなど気にしなくて良い。
フミさんがしてくれる。
お前は客人なのだ。
もてなされていれば良いのだよ。」
なんというか、金持ちは発想が違う・・・
私はずいぶん庶民的な家に生まれていた気がする。
じゃないとこんなにフミさんに申し訳ないとは思わないだろう。
廊下に出たところでフミさんにばったり会った。
30代くらいの落ち着いた女性だ。
小柄で女性らしく、小奇麗な感じで、話しやすそう。
「あの、お食事ありがとうございました。
とてもおいしかったです。」
そう言うとフミさんは少し驚いた顔をした。
「いえ、お粗末さまでした。」
なんて素敵な人なんだろう。
粗野だとよく言われる私は、フミさんの楚々とした雰囲気には憧れてしまう。
「しばらくお世話になる・・・事になってしまいました。
申し訳ありませんが、よろしくお願いします。」
ぺこりと頭を下げれば、フミさんも慌てて頭を下げた。
「いえいえ、何かありましたらいつでもお呼びください。」
(お手伝いさんって、大変だな・・・。
こんな居候にも気を使わないといけないなんて。)
呑気に考えながら、少し先で微笑んだままの森さんの方に行く。
「本当に、お前は変わっている。」
「そうですか?」
「ああ。
まるで度を越したジェントルマンのようだ。」
「だから、私は女です。
お世話になるんですから、ご挨拶くらいしないと。」
「使用人にか?」
「仕えておられるのは森さんにです。
どこの馬の骨とも分からない私に仕えていただいているわけではありません。」
「だがお前は僕の客人だ。」
「そうですが、お世話になる人なんですから。」
「僕には偉そうに屁理屈を並べるのに。」
そこで私はあ、と気づいて頭を下げた。
彼の肩書きから言えば、こんな口を聞いていいはずはない。
「失礼いたしました。
以後気を付けます。」
森さんが噴き出して、驚いて顔を上げる。
彼は心底楽しげに笑っていた。
「お前は面白い。」
それからいつもの微笑みを浮かべた。
「構わない。
今まで通りにしてくれたまえ。
それでこそ君をこの屋敷に泊める醍醐味と言うものだ。
さ、ここがお前の部屋だ。」
何が醍醐味なのかと首をかしげたくなるが、性格を直ぐに変えられるわけでもないので、変わり者の彼の言葉に甘えるしかないだろう。
通されたのは2階の角にある部屋。
ランプの明かりに照らされた部屋は、暖炉、ベット、机に椅子、本棚、どれも古風なつくりだ。
そして、手が込んでいるのは素人目にも分かる。
「服も含めて、部屋の物は自由に使ってくれたまえ。
私の従妹が使っていた部屋なのだが、嫁いでしまってね。」
「ですが、戻ってこられたり、使いたい物も中には・・・。」
「気にしなくていいと彼女も言っていたから、好きにしてくれたまえ。」
「はぁ。
ありがとうございます。」
いくらいいと言っても、どこのだれか分からない人間が使うことは普通嫌がると思うのだが。
「それでは、おやすみ。」
「おやすみなさい。」
森さんはまたあの微笑みを浮かべて部屋から出ていった。
私は部屋を見回し、家具の装飾を見てみたり窓の外をのぞいてみたりした。
どれも素敵だ。
こんなに作りこまれているなんて、かなりの品だろうに。
本棚にはいろんな本が入っている。
(あ・・・。)
一冊の本を手に取る。
それは見覚えのあるタイトルで。
(自由に使っていいんだよね。)
私はその本を片手に机に向かった。
(坪内逍遥、小説神髄。)
従妹の方の趣味なのか、森さんの趣味なのか、その辺は分からないが。
ちゅんちゅん
雀の鳴き声に誘われるように意識が浮上する。
目の前に置かれた本。
(坪内逍遥、小説神髄・・・)
昨夜読んでいた本だ。
腕時計は5時30分を指している。
(いつも通り・・・)
髪をかきあげて、私はふと思う。
(いつも通り?)
何がいつも通りなのだろう。
5時半のなにが?
思い出そうにもその先は出てこなかった。
とりあえず椅子から立ち上がって肩と首を回す。
若干凝っている。
ほうっとため息をついて、窓の外を見る。
やはりそこは、昨日案内された森さん宅で。
(夢じゃないのか。)
がっくりと肩が落ちる。
顔でも洗おうかと部屋を出て居間に降りてみる。
柱時計を見るとまだ6時前。
しかしサンルームは人の気配がある。
「おはよう。」
にこりという文字が見えるほど綺麗な笑顔を見せる森さんが居た。
「・・・おはようございます。」
業務的に返事を返す。
自分でも気付いたが、ひどく感情がこもらない挨拶だった。
「あら、咲様、鴎外様は決して露出狂じゃないのですよ。」
部屋に入ってきたフミさんが慌てたように私に声をかけた。
そんなに今の挨拶は冷たい言葉だったろうか。
「ははは。
フミさん、その言い方はひどいではないか。
まるで咲が僕を露出狂だと思っているように聞こえる。」
(実際そう思われてもおかしくないような。)
なぜお風呂に入らず、こんなところで行水をしているのだろう。
「咲もどうだい?
健康に良いのだ。」
「お気遣いありがとうございます。
十分健康ですので。」
「そうか?
残念だ。」
あまり残念そうにも見えない笑顔でそう言うと、森さんはざばりと水をかぶった。
それほど寒い季節ではないものの、見ているこちらとしてはつめたそうだ。
「フミさん、洗面したいのですが・・・。」
「それでしたら裏の井戸をどうぞ。」
穏やかな笑顔で裏まで案内してくれる。
井戸水で顔を洗うなんて、すがすがしい気持ちになれそうだ。
森さんが行水が好きなのも納得できるようなできないような。
案内された先にあったのは、どこかの有名なアニメ映画に出てくるような手押し型の井戸。
(わぁ。これは素敵。)
でも。
「すみません・・・これって、どうやって使うんですか?」
(呼び水とかなんとか、そんなのが必要だった気が・・・)
そう尋ねる私をフミさんは一瞬驚いたような目で見て、それからとても丁寧に教えてくれた。
「また分からないことがあったら何でも聞いてくださいね。」
そんな温かい言葉と朗らかな笑顔に私の心は癒される。
そして冷たく澄んだ井戸水で顔を洗えば、身が引き締まる思いがした。
サンルームに戻ると、森さんは服を着ているところだ。
今日は着物らしい。
菱田さんも起きてきた。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
淡々と挨拶を交わすと、彼は裏の方に行った。
もしかしたら私が顔を洗って戻ってくるのを待っていてくれていたのかもしれない。
(申し訳ない。)
手持無沙汰だからフミさんが朝食を運ぶ手伝いでもとキッチンに顔を出すと、その想像を超える光景に口が開く。
「か、かまどでご飯を炊いているんですか?」
「ええ、そうですよ。
他にどうやるんです?」
割烹着を着て髪をまとめ、微笑みを浮かべるフミさんはまさに明治時代のお母さんだ。
(・・・なんだかえらいところに来てしまった気がする。
記憶はないけれど、ひどく場違であることだけは間違いない。)
フミさんが持とうとしているお盆を取りに、手を伸ばす。
「持っていきます。」
「いえいえ、お客様にそんなことは。」
「いえいえ、お世話になるのですから、このくらいは・・・。」
なんとか喰い下がって運ばせてもらう。
魚の焼ける匂いと味噌汁の香りに、腹の虫が鳴った。
食事を運んでいるうちに菱田さんが戻ってきて、3人テーブルについて仲良く朝食だ。
朝からこれだけしっかりご飯を作るなんて、フミさんは本当にすごい。
これからの毎日