現在の連載では主人公同士が関わることはありませんが、今後関わりが出てくるため、各々の主人公で名前変換ができるようにしてあります。
示された道を歩めぬ私
名前変換
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私は固まり、それから目を見開く。
明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、劇作家、陸軍軍医にして官僚。
医学博士で文学博士、しかもどちらも今の東大で取得。
このおかしいとまで思えるほど多才な人物こそ、森鴎外こと森林太郎。
(・・・この人が?)
彼が向けてくる自信にあふれた笑顔。
確かに間違いないのかもしれない、が。
(何故生きている!?
菱田春草もだ、何、どう言うこと!?)
とにかく頭がこんがらがって仕方がない。
(ちょ、ちょっと待て!)
大きな違いが一つあることに気づく。
森鴎外の写真を見たことがある。
広い額に髭の生えた口もとが特徴の、あの白黒写真。
目の前にいる男とは、明らかに違う。
(騙されてる?)
そこでふっととある記憶が戻る。
ーこちらのかわいそうなお姉さん。
彼女をこの世から消して見せましょう。ー
そうだ、赤い服を着た、片眼鏡の怪しい男。
あの人のマジックに協力させられた私は、世紀の大魔術とやらの実験台として大きな箱に入り、気づいたら道の真ん中にいたのだ。
(じゃあ、騙したのはあの赤い服の男?)
隣で森鴎外などど名乗る男とグルなのかと一瞬思ったが、しばらく歩いたことも考えると、必ず私が鹿鳴館に行くとも限らないから、グルではない・・・ということにしておく。
というか、グルで森鴎外を名乗って何をしたいのか理解できない。
「僕の顔に何かついているかい?」
森さんがそう言い、私は不躾にもずっと森さんの顔を見ていたことに気がついた。
「い、いえ。
良く似た名前の、ちょっと知り合いの知り合いくらいの者がいたかも、なんて。」
「おや、それは誰だい?」
「ええっと・・・すみません、思い出せません。」
とりあえず、あの赤い服の男を探そう。
どこに行けば会えるか、見当もつかないけれど。
「ついたよ。」
森さんに声をかけられて、私は人力車を降りた。
目の前にあるのは立派なお家。
大豪邸だ。
ザ・明治時代という感じのレトロなつくり。
(・・・私が場違いな気がしてたまらない・・・。)
どうやら菱田さんも到着したらしい。
「まぁどうぞ。」
森さんにいざなわれて家に一歩踏み入れる。
(なんだろう、この豪華な家は。)
現代の家では考えられない。
小物もこだわりがあり、どれもこれも繊細だ。
お手伝いさんのような人(森さんはフミさんと呼んでいた)もいる。
灯りが蛍光灯より弱いせいか、妙に歴史を感じる。
とりあえず私たちは席に着き、ようやく灯りのもと顔を合わせた。
(・・・おかしい。)
おかしいのだ。
暗い中では分からなかったが、森さんの髪は臙脂色、菱田さんの髪は鶯色のようだ。
(染めてる?
森鴎外と菱田春草が髪を染めてる?)
ぼさっとしている訳にも行かないので、とりあえず菱田さんに顔を向ける。
「先ほどは名乗りもせず、失礼しました。
空太刀です。」
「いえ、菱田です。
鴎外さんのところでお世話になっています。」
やはり淡泊な菱田さんの挨拶に対し、混乱を極めた私の頭は今にもボイコットしかねない。
目の前に順に食事が準備される。
空腹の私にはたまらない。
「すまないね、来客の予定をしていなかったから。」
「いえ、突然押し掛けてしまって申し訳ありません。」
「どうぞ。」
「いただきます。」
とりあえず、目の前に出された料理に手をつけた。
フミさんが作ってくれたのだろうか、どのおかずも絶品だ。
「ところで、先ほどはなぜあんなところに?」
菱田さんの疑問は、私の疑問でもあり、確信に触れる問いかけだ。
食事に夢中になっていた私は口に運びかけのサトイモを、思わず落としてしまった。
いや、茶碗の中だから問題はない。
「・・・あの。」
私は茶碗と箸を机に置いた。
この人たちは、私たちをだますつもりはない、と思う。
見ず知らずの私のお腹の音を聞いて、笑いながら家に連れてきてこうして食事を取らせてくれる森さん。
疑いながらも害を加えることはしない菱田さん。
訳の分からない見た目に、訳の分からない有名人を名乗っているが、悪人には見えない。
「ひとつ、すごく大切なことをお二人には言っていなくて・・・。」
森さんの笑顔は絶えない。
何があっても大丈夫な自信があるのだろうか。
それはもしかしたら森鴎外を名乗るには相応しいのかもしれない。
「その・・・私、なんていうか、記憶が、ない、というか・・・。」
「は?」
「なんだって?」
2人の顔が一瞬拍子抜けして、ボケっとした顔になる。
ちょっと面白いが笑っている場合じゃない。
「自分で言うのも馬鹿みたいなんですが、言葉や社会的なことはある程度記憶があるのですが、
自分がどうしてあの場所にいたのかとか、そういうことが、どうも全く・・・。
道なりに歩いて、音楽が聞こえるなぁと思って歩いていたら、あの場所に行っただけで・・・。」
「ええっと、分かった。」
森さんが待ったをかけた。
「一応僕は医者なのだ。」
やはりこの森鴎外もそうなのか、と思う。
「いくつか聞いてもいいかな?」
「鴎外さん。」
菱田さんが今度は待ったをかけた。
「・・・怪しすぎませんか?」
しばしの沈黙が訪れる。
「・・・ごもっともです。」
口を開いたのは私だ。
「お前、自分で言うのか?」
呆れた顔をした森さん。
さっきまで君、なんて言っていたけれど、お前、と言ってしまうあたり、少し動揺しているのかもしれない。
「信じてもらえなくて当然です。
こんなわけのわからない話、私もありえないというか、ありえないでいてほしいと思いますから。
記憶喪失にしては、ある程度の生活が可能なんて、あまりに都合が良すぎますし。」
思わずため息が出た。
「だが、一つ僕が思うに。」
森さんは呆れた顔を引っ込めて、また微笑みを浮かべた。
「本当に怪しい者はきっと、もっと自分が怪しくないような嘘をつくだろう。」
言われて見れば、確かにそれはそうで。
「では、話を戻そう。
いくつか質問に答えてくれ。
まず、君の名前は?」
また余裕の笑顔で、私を見つめる。
(・・・これは只者じゃない。)
「空太刀咲です。」
(本当に、森鴎外かもしれない・・・。)
「では改めて、咲。
性別は?」
「女です。」
場が一瞬固まった。
否、固まっているのは菱田さんだ。
森さんは何も変わってはいない。
「鴎外さん、貴方の言うことはやはり正しいです。」
「どういうことですか。」
若干引っかかる物言いだ。
「貴方、女ですか?」
次に固まったのは私の方だ。
歯に衣着せぬ物言いにも限度がある。
「・・・確かにショートでパンツスーツで、分かりにくいかもしれませんが、女です。」
「しょーと?」
「パンツスー・・・英語か。
もしかして西洋で育ったのか?」
「いえ、生粋の日本人だと思います。」
(この程度の横文字を使っただけで帰国子女扱い・・・)
げんなりしてしまうが、ここがいつも自分が生活していたところとはだいぶ異なっているようだ。
「ええっと、髪が短くて、背広をきているから分かりにくいかもしれませんが、女です。」
とりあえず言いなおしてみると、菱田さんはひとつ頷いた。
理解してもらえたようだ。
「そんなに髪が短いなんて、何か、訳ありとか?」
「訳なし、です。
・・・たぶん。」
記憶がないので何とも言えないが、ショートカットの女性は多い。
男装するためにこの髪型にしたわけではないはずだ。
「住んでいた場所は?」
「分かりません。」
「両親はご健在?」
「そのあたりも、さっぱりです。」
「仕事は?」
「やはり思い出せません。」
「・・・わかった。」
森さんはひとつため息をついた。
そしてまた、あの笑顔を向ける。
「記憶が戻るまで、ここに居たまえ。」
「・・・へ?」
「・・・は?」
私と菱田さんは、呆気にとられて変な声をだした。
柱の時計が9時を告げた。
凡人には分からない