10万日の、その先に
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「10万日が何年か?」
休憩がてら居間にやって来た喜助さんにお茶を出すと、唐突にそんな事を問いかけられた。
「そうです。
365.25日で割ってごらんなさい。」
「無理っ。」
「ええっそのくらい暗算できないんっすか?」
いかにも大げさに驚く様子に溜息をつく。
「人を馬鹿にして。
普通できませんよ。
答えは?」
「ほらそんなだから何時まで経っても数字に弱いんですよ。
夜一さんでもこのくらいはできますよ。」
「夜一さんは喜助さんほどじゃないけど、普通の人の頭とは違いますよ。
才色兼備、文武両道の、元護廷十三隊の二番隊隊長、そして元隠密機動総司令官及び、元同第一分隊刑軍総括軍団長なんですからね。
馬鹿にしたら脳天に踵落としですよ。」
「分かってますよん。」
「そうでした。」
夜一さんについてのこのやり取りは、現世に渡ってきてから幾度となくされている、私達の定型みたいなものだ。
「とにかく!
いつも言ってますけど、私を貴方達2人と一緒にしないでください。
私のスペックは2人より相当低いんですからね。」
「何言ってるんですか、そんなこ」
「で、答えは。」
この辺りで遮って脱線から戻すのも、いつものこと。
「そりゃええっと、273.785078・・・」
「出すのは年でしょ、そんな細かくいります?」
「自分で計算できないくせにせっかちですねぇ。」
「痛いところ突きますね。」
「まぁとにかく、273年と、287日くらいってことです。」
私は一つ頷く。
人間には途方も無い日にちだろうが、私達死神にはさほどでも無い。
かく言う私の年齢も、そんなもんだ。
「わかった。
それで?」
「ボク達が出会ってから、経ったんですよ、それだけ。」
予想外の言葉に、目を瞬かせる。
私の年齢がそのくらいなのだから、当然のことなのかもしれない。
親同士が親しかった私達3人は、当然のように親しくなったが、一番年下の私には2人に出会った日の記憶はない。
何せまだ立つことさえままならない頃のことで、這いながら2人を追いかけていたらしい。
誕生日が大晦日、元旦と並ぶ喜助さんと夜一さんの出会いは運命だと思う。
ところが一人年下の私は、そんな姉貴分と兄貴分についていく、いつまでも平々凡々な妹分だった。
自分だけ何もできないのは昔から。
才能も努力も足りないのは生まれたときから。
自分が可もなく不可もなく、平凡普通だとは知っている。
けれど、あまりに良くできて努力を怠らない二人が傍にいると、まるで自分は一人取り残されたダメ人間のように感じることがある。
だから驚いたのだ。
いくら妹分とはいえ、私なんかと出会ってからの日数を数えたなんて。
「そんなの数えてたんですか?」
「暇ッスから、ね。」
帽子を脱いでそっと卓袱台に置きながら、喜助さんは穏やかに微笑んだ。
「じゃ、お祝いにご馳走作ろっかな!」
私は立ち上がり、伸びをする。
優しい喜助さんが、せっかく数えてくれたんだもの。
そのくらいしないと。
「そうですね、ぱぁっといきましょ。」
穏やかな微笑みは、いつも通り。
現世に来てから喜助さんは、以前に輪を掛けて穏やかで優しくなった。
いや、正確に言うなら、私の魂魄に崩玉を埋め込んでから、だろう。
喜助さんが作り出した崩玉。
それはとんでもない代物で、虚と死神の境界を飛び越えさせる力があるらしい。
そしてそれを壊す方法を喜助さんが見つけられなかった上に、藍染副隊長が狙っていると言う。
私は夜一さんと喜助さんが大好きだ。
だから一緒に現世にやってきたし、現世に逃げて暫くしてから問い詰めた。
本当に、本当に、崩玉を無くす手立てはないのかと。
喜助さんは天才だから、それを見つけられないはずはないと思ったのだ。
最早それは、確信だった。
ーお前だけ知らないのも、確かに不公平だな。ー
目を伏せたままの夜一さんの呟くような一言に、喜助さんが少し悩んでから帽子を脱いで説明を始めた。
いつもの穏やかな顔でもなく、飄々とした顔でもなく、ひどく真面目な、真剣な顔と、声色で。
話はこうだ。
まず誰かの魂魄に崩玉を埋め込む。
そして喜助さんが開発した、霊子を含まないため中に入った死神を捕捉不能にする上、霊力を分解してしまうという特殊な義骸に入る。
長い年月を経て霊力が完全に分解されてしまえば、霊力のない人間と同じになる。
そうなれば尸魂界から霊圧を捕捉できないため、崩玉の存在を完全にくらませるーー。
そしてそれを聞いて私は、即提案した。
いつもより明るい表情と声色に努めて。
ーじゃあ崩玉を私に埋め込んでくださいよ。
それで、その義骸に私が入ります。ー
霊力を失い、ただの人間になること。
正確に言うとそれとは少し違う。
私の魂は人間のそれとは違うし、この体も作り物の義骸だ。
私は人のように歳は取らない。
でも死神としての要である霊力は失ってしまうから、もう死神ではなくなる。
同じ状況の人は、きっと誰もいない。
私の存在は、孤独だ。
再び他人と同じ存在になれるのは、死んで輪廻の輪に戻った時だろう。
私は本来、2人と一緒に居られるような人ではない。
大した力も持たず、頭もないし、努力も足りない。
でも大好きな2人のためなら、辛苦は厭わない。
優れた剣拳走鬼を持たず、頭も良くはない平凡な私だけれど、私の2人への想いだけは、誰にも負けない。
だからこの役を買って出た。
限られた時間であっても2人と一緒に居られるなら、この身体なんてどうなってもいいと思った。
しかもその時間は、決して短くはない。
(確かあの日、崩宝の力が消えてなくなるまで400年くらいかかるって言っていたから、これもあと10万日くらいってところかな。)
私の身に埋め込まれたものが消えてなくなるまで、あと10万日。
2人に出会ってから、私が彼らと完全に異なる存在となるまでの折り返しと言うところだ。
死神だって600歳未満で人生を終える人だって少なくない。
そう考えたら、命が保証されているだけ充分な人生だ。
それも、大好きな2人の為に、2人と共にいられる。
2人は気付いていないかもしれないが、それは私にとって何よりも重要なことだ。
喜助さんは崩玉を是が非でも消し去ってしまいたい。
その願いをかなえる代わりに、あと10万日傍に居させてもらえる。
互いにとってそれは、決して悪くない話なのだ。
むしろ私にとっては好都合でしかない。
(私は幸せ者だ。)
2人のためにできることがある。
それも、2人のすぐ傍で。
胸の奥の疼きには気づかない振りをして、私は今日も笑う。