10万日の、その先に
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不意にぱたりという振動が伝わってきて、目を開ける。
目に映るのは真っ白なシーツと、少し離れたところにはコードにつながれた手。
一気に意識が覚醒する。
ボクはがばりと身体を起こした。
「こりゃスミマセン、寝てしまって・・・」
それ以上言葉が続かなかったのは、彼女が声もなくただ涙を流していたからだ。
さっきの振動は彼女の涙が白いシーツに落ちた音。
続けざまに、2つ、3つと涙の染みは増えた。
驚きのあまり飛びつくように彼女の肩を掴む。
「どうしました!?
痛みがありましたか?
それとも苦しいですか、義骸になにか」
「いいえ。」
彼女が言葉を遮るように首を振ると涙がぱらぱらと散った。
罪深きボクが作った義骸であるのに、その涙はひどく美しい。
予想外の涙に気が動転したのか、彼女の美しさ故か、心臓の音が嫌に激しく、体中が脈打つかのように感じた。
掴んだ細い肩から、彼女の脈が微かに伝わってくる。
彼女は今ここで確かに生きている。
「痛いです・・・。」
僅かに顔を顰め、でも苦笑を浮かべながら彼女がそう言うのを聞いて初めて、力加減を忘れて掴んでいたことに気付いて、慌てて手を離した。
そして改めて呼吸の掛かるほど近くに彼女の顔があることに気づく。
きめ細やかな白い頬はほんのりと色づいて、作り物とは到底思えない。
画面の明かりを、目に浮かぶ涙が反射する。
丸みを帯びた鼻。
赤い唇は柔らかそうで、空気を吸い、そして、吐く。
彼女が息を止めた音で我に返る。
気づけば彼女の唇とボクの唇が重なりかけていた。
触れてはいないのに、触れそうな距離。
触れている錯覚を抱くように、唇の熱が空気を介して伝わってくる。
神経が剥き出しになったような、得も言われぬ痺れが唇から身体に伝わる。
思考が鈍る。
堪らず漏れたボクの溜め息が、彼女の唇を撫でた。
違う、もしかしたらそれはボクの吐息ではなく、ボクの唇そのものだったかもしれない。
そのくらい接近していた。
彼女の唇が動揺して僅かに震える空気に、再び我に返り、慌てて距離を置く。
全てが無意識だった。
予定外だったし、予想外だった。
こんな事をするつもりなんて、微塵もなかったのだ。
散々傷つけ、これからも傷つけ続ける彼女に。
最後には彼女の命を奪うかも知れない自分が、この想いを伝えるなど。
(烏滸がましいにも程がある。)
彼女の自分への思いは理解している。
兄としてか、男としてか、きっと彼女も愛の根源がわからなくなっているに違いない。
だがそれでも、ボクの想いを間違いなく受け入れるだろう。
それはあまりに明白なこと。
伝えられてしまったら、あと10万日共に過ごす為には、ボクの想いを受け入れるしかないから。
(駄目だ、これ以上はーー)
「・・・スミマセン。」
いつかのように、滑稽なほど掠れた声だった。
「いえ、ごめんなさい。
コード、外してもらっても構いませんか?
計測は終わったみたいですし。」
努めて何もなかったように明るくふるまう様子に、泣いていた理由を聞くのも躊躇う。
ボクは、彼女を傷つけてばかりだ。
こんなにも健気にボクの罪を受け入れようとしてくれているのに。
ボクの全てを、ありのまま受け入れてくれるというのに。
「そうッスね。」
柔らかな肌に繋がれたコードを、一本ずつ丁寧に外す。
毎日毎日繰り返す作業だ。
だがこの単純な計測という作業が、全てを示す。
浮き彫りにする。
残された時間を。
ボクの、罪を。
「ごめんなさい。」
唐突な謝罪に、驚いて彼女を見る。
自由になった手で目元をぬぐい、済まなそうな笑顔を浮かべる様子に、理解が追い付かない。
何もかも、謝るのはこっちの方だ。
「何を謝っているんですか。」
「どうしても謝りたくなっちゃって。
ごめんなさい、何でもないんです。」
ボクが戸惑う事を分かっていて、それでも謝罪が溢れたのだろう。
彼女はいボクを困らせるような事は言わない。
お願いだっていつも、ボクが叶えられる事しか言わない。
そんな彼女がボクを困惑させるのだから、それはきっと、彼女の心が限界を叫んでいるのだ。
(全てはボクの、罪。)
言葉を失ったボクに、彼女は困ったように口を開いた。
「私は狡いんです。
何も無い私が、喜助さん達とずっといられる方法なんて、普通じゃないんですよね。
だから崩玉を埋め込むことを決めたんです。
それは唯一喜助さん達の為にできることで、自分で決めた事で、私の我儘を叶える為の選択だったのに、時々ひどく苦しくなる。
結果として、こうして貴方達を縛っているのに。」
彼女は昔から素直だった。
素直で素直で、馬鹿が付くような正直者だった。
だからボクも夜一サンもなおの事可愛く思ったのかもしれない。
だがその素直さは時に、彼女自身を苦しめてきた。
正に、今のように。
「馬鹿な事を言わないでください。」
ボクはベッドに腰掛け、今度はそっと、彼女の肩を掴んだ。
昔からよくしたように顔を覗き込んで視線を合わせる。
「人は、思いに縛られる。
当たり前のことッス。
そこには、科学では解明できない、心があるから。」
そっと右手を彼女の心臓に乗せる。
「ボクが貴女に縛られるように、貴女もボクに縛られている事に、気づいていないんですか?」
彼女は不思議そうに首を傾げた。
それがこの場にそぐわない、まるで小鳥のような軽やかな仕草で、思わず微笑む。
自分で言いながら、ボクもやっと気付いた。
「そうだ・・・
愛の根源なんて、分かるはずがない。
それは今までの人生の長きに渡る中で無意識に形成され、醸成された。
それを全て分析し解析していくことなんて、無謀だ。
その間に命を終えるだろう。」
彼女は何を言っているのかと、また首を傾げた。
「だから人は、刹那に生きる。
それはある種の合理性で、医療に置いてもよく行われる対処療法だ。
今、この気持ちに従い、ありのまま行動して、心を満たす。
そしてそれがまた、未来を変え得る。」
「喜助さん?」
「未来を恐れて今の胸の痛みに蓋をするのは、何か違うなってことッス。」
不思議そうな顔を続ける香織サンの背中と後頭部に腕を回しながら、ボクはそっと目を閉じて、そして顔を近づけた。
今度は無意識でもなんでもない。
明確な意図があってのことだ。
ボクと彼女の心の痛みを拭い去るため。
己の心に従って10万日を過ごし、その日々を幸せで埋めるため。
これは"逃げ"では無い。
前進だ。
ありのままを見つめ、そして、未来へ進むための。
例え10万日の先に待つ終わりが、死より辛い未来であろうとも。
彼女を優しく、でもきつく引き寄せる。
彼女は小さく震えた。
彼女の自由を奪ったのは、ボクだ。
自由を奪われることを選んだのは、彼女だ。
どんな未来が訪れようと、ボクは永遠に彼女を縛るだろう。
そしてまた、彼女に縛られる。
それは、ボクの想いが、彼女の想いが、何より強いからだ。
彼女に崩玉を埋め込んだあの日、全てを覚悟したと思っていたけれど、それは今思えば半端な覚悟に過ぎなかった。
彼女を殺す覚悟なんて、要らない。
必要なのは、ボクが、10万日後に存在を違える彼女の、全てを受け入れる覚悟だ。
安易に"死"という終わりを選ぶのではなく、孤独な彼女の幸せをこの手で創る、覚悟だ。
(必ず貴女をーー。)
想う力は鉄より強い。
ボクはそう、信じている。
目に映るのは真っ白なシーツと、少し離れたところにはコードにつながれた手。
一気に意識が覚醒する。
ボクはがばりと身体を起こした。
「こりゃスミマセン、寝てしまって・・・」
それ以上言葉が続かなかったのは、彼女が声もなくただ涙を流していたからだ。
さっきの振動は彼女の涙が白いシーツに落ちた音。
続けざまに、2つ、3つと涙の染みは増えた。
驚きのあまり飛びつくように彼女の肩を掴む。
「どうしました!?
痛みがありましたか?
それとも苦しいですか、義骸になにか」
「いいえ。」
彼女が言葉を遮るように首を振ると涙がぱらぱらと散った。
罪深きボクが作った義骸であるのに、その涙はひどく美しい。
予想外の涙に気が動転したのか、彼女の美しさ故か、心臓の音が嫌に激しく、体中が脈打つかのように感じた。
掴んだ細い肩から、彼女の脈が微かに伝わってくる。
彼女は今ここで確かに生きている。
「痛いです・・・。」
僅かに顔を顰め、でも苦笑を浮かべながら彼女がそう言うのを聞いて初めて、力加減を忘れて掴んでいたことに気付いて、慌てて手を離した。
そして改めて呼吸の掛かるほど近くに彼女の顔があることに気づく。
きめ細やかな白い頬はほんのりと色づいて、作り物とは到底思えない。
画面の明かりを、目に浮かぶ涙が反射する。
丸みを帯びた鼻。
赤い唇は柔らかそうで、空気を吸い、そして、吐く。
彼女が息を止めた音で我に返る。
気づけば彼女の唇とボクの唇が重なりかけていた。
触れてはいないのに、触れそうな距離。
触れている錯覚を抱くように、唇の熱が空気を介して伝わってくる。
神経が剥き出しになったような、得も言われぬ痺れが唇から身体に伝わる。
思考が鈍る。
堪らず漏れたボクの溜め息が、彼女の唇を撫でた。
違う、もしかしたらそれはボクの吐息ではなく、ボクの唇そのものだったかもしれない。
そのくらい接近していた。
彼女の唇が動揺して僅かに震える空気に、再び我に返り、慌てて距離を置く。
全てが無意識だった。
予定外だったし、予想外だった。
こんな事をするつもりなんて、微塵もなかったのだ。
散々傷つけ、これからも傷つけ続ける彼女に。
最後には彼女の命を奪うかも知れない自分が、この想いを伝えるなど。
(烏滸がましいにも程がある。)
彼女の自分への思いは理解している。
兄としてか、男としてか、きっと彼女も愛の根源がわからなくなっているに違いない。
だがそれでも、ボクの想いを間違いなく受け入れるだろう。
それはあまりに明白なこと。
伝えられてしまったら、あと10万日共に過ごす為には、ボクの想いを受け入れるしかないから。
(駄目だ、これ以上はーー)
「・・・スミマセン。」
いつかのように、滑稽なほど掠れた声だった。
「いえ、ごめんなさい。
コード、外してもらっても構いませんか?
計測は終わったみたいですし。」
努めて何もなかったように明るくふるまう様子に、泣いていた理由を聞くのも躊躇う。
ボクは、彼女を傷つけてばかりだ。
こんなにも健気にボクの罪を受け入れようとしてくれているのに。
ボクの全てを、ありのまま受け入れてくれるというのに。
「そうッスね。」
柔らかな肌に繋がれたコードを、一本ずつ丁寧に外す。
毎日毎日繰り返す作業だ。
だがこの単純な計測という作業が、全てを示す。
浮き彫りにする。
残された時間を。
ボクの、罪を。
「ごめんなさい。」
唐突な謝罪に、驚いて彼女を見る。
自由になった手で目元をぬぐい、済まなそうな笑顔を浮かべる様子に、理解が追い付かない。
何もかも、謝るのはこっちの方だ。
「何を謝っているんですか。」
「どうしても謝りたくなっちゃって。
ごめんなさい、何でもないんです。」
ボクが戸惑う事を分かっていて、それでも謝罪が溢れたのだろう。
彼女はいボクを困らせるような事は言わない。
お願いだっていつも、ボクが叶えられる事しか言わない。
そんな彼女がボクを困惑させるのだから、それはきっと、彼女の心が限界を叫んでいるのだ。
(全てはボクの、罪。)
言葉を失ったボクに、彼女は困ったように口を開いた。
「私は狡いんです。
何も無い私が、喜助さん達とずっといられる方法なんて、普通じゃないんですよね。
だから崩玉を埋め込むことを決めたんです。
それは唯一喜助さん達の為にできることで、自分で決めた事で、私の我儘を叶える為の選択だったのに、時々ひどく苦しくなる。
結果として、こうして貴方達を縛っているのに。」
彼女は昔から素直だった。
素直で素直で、馬鹿が付くような正直者だった。
だからボクも夜一サンもなおの事可愛く思ったのかもしれない。
だがその素直さは時に、彼女自身を苦しめてきた。
正に、今のように。
「馬鹿な事を言わないでください。」
ボクはベッドに腰掛け、今度はそっと、彼女の肩を掴んだ。
昔からよくしたように顔を覗き込んで視線を合わせる。
「人は、思いに縛られる。
当たり前のことッス。
そこには、科学では解明できない、心があるから。」
そっと右手を彼女の心臓に乗せる。
「ボクが貴女に縛られるように、貴女もボクに縛られている事に、気づいていないんですか?」
彼女は不思議そうに首を傾げた。
それがこの場にそぐわない、まるで小鳥のような軽やかな仕草で、思わず微笑む。
自分で言いながら、ボクもやっと気付いた。
「そうだ・・・
愛の根源なんて、分かるはずがない。
それは今までの人生の長きに渡る中で無意識に形成され、醸成された。
それを全て分析し解析していくことなんて、無謀だ。
その間に命を終えるだろう。」
彼女は何を言っているのかと、また首を傾げた。
「だから人は、刹那に生きる。
それはある種の合理性で、医療に置いてもよく行われる対処療法だ。
今、この気持ちに従い、ありのまま行動して、心を満たす。
そしてそれがまた、未来を変え得る。」
「喜助さん?」
「未来を恐れて今の胸の痛みに蓋をするのは、何か違うなってことッス。」
不思議そうな顔を続ける香織サンの背中と後頭部に腕を回しながら、ボクはそっと目を閉じて、そして顔を近づけた。
今度は無意識でもなんでもない。
明確な意図があってのことだ。
ボクと彼女の心の痛みを拭い去るため。
己の心に従って10万日を過ごし、その日々を幸せで埋めるため。
これは"逃げ"では無い。
前進だ。
ありのままを見つめ、そして、未来へ進むための。
例え10万日の先に待つ終わりが、死より辛い未来であろうとも。
彼女を優しく、でもきつく引き寄せる。
彼女は小さく震えた。
彼女の自由を奪ったのは、ボクだ。
自由を奪われることを選んだのは、彼女だ。
どんな未来が訪れようと、ボクは永遠に彼女を縛るだろう。
そしてまた、彼女に縛られる。
それは、ボクの想いが、彼女の想いが、何より強いからだ。
彼女に崩玉を埋め込んだあの日、全てを覚悟したと思っていたけれど、それは今思えば半端な覚悟に過ぎなかった。
彼女を殺す覚悟なんて、要らない。
必要なのは、ボクが、10万日後に存在を違える彼女の、全てを受け入れる覚悟だ。
安易に"死"という終わりを選ぶのではなく、孤独な彼女の幸せをこの手で創る、覚悟だ。
(必ず貴女をーー。)
想う力は鉄より強い。
ボクはそう、信じている。