本編 ーfirstー
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夜、眠くなるまで本を読んで、そのまま眠るというのが入院中の生活スタイルだ。
入院前と大差はない。
たまに電気を消し忘れることや、本の上で眠ってしまうこともあって、夜勤の看護師さんに朝から指摘されて笑われることがあるくらいだ。
今夜もそうだった。
ドアの開けられる小さな音に、看護師さんが巡回に来られたのだと思った。
枕もとのダウンライトをつけたまま、本を開いたまま寝落ちしていたことに気づき、眠い目をこすりながら枕元の栞を手に取る。
そして看護師さんに、変わりないと言おうと振り返り、固まった。
「……どうして、ここに……」
相手は困ったように眉をひそめて、頭を掻いた。
「な、んで……」
喉を絞められたような上ずった声で、そんな言葉しか出てこなかった。
兎に角、彼がここにいていいはずがない。
何より自分は、全てを隠していたはずだ。
どこで何の仕事をしているかーーそれは相手も同じ。
全てを覆い隠した上でしか、自分達は会えないはずなのだ。
しばらく会えない理由だって、仕事が忙しいからだとちゃんとメールしておいた。
ここに来てしまっては、全てが台無しではないかーーと思ったとき、はっとする。
だから、面会時間も過ぎた深夜に、彼はやってきたのだ、と。
大きな手が頭に乗った。
壊れものに触れるような、そんな手つき。
彼がそんな触れ方のできる人だとは思っていなくて、少しだけ驚く。
咲が腑に落ちたということが分かったのだろう。
慧は小さく溜息をついた。
「さぁもうお休み」
眼鏡の奥で細められる瞳。
心がくるっと毛布にくるまれたように、温かくなってしまう。
ぼんやりと視界が滲んで、見えなくなってしまう。
いつまでも見ていたいのに、彼が手で目を覆うから、泣く泣く目を閉じた。
これは全ては夢だ。
全ては愚かな私の妄想。
彼は私が怪我をしたことだって知らない。
入院していることだって、リハビリが必要な怪我だということだって、何も知らない。
互いに、何も知らないということにしている 。
(寂しいな……)
そう思ったのは初めてだった。
互いが目指すものは同じでも、命を懸けるものは別の方向を向いている。
全て分かった上での関係だ。
全てを隠した上のーーそうでなければならない。
(もっと強くなりたいのに……)
枕に温かい何かが零れて、それは静かに冷えていった。
「咲?
あ、ごめん、寝てた?」
「もう、ノックしてから開けなさいっていつも言っているでしょう?」
耳に入ってくる声に目を開けて体を起こす。
窓の外はもうすっかり暗くなっていて、風も涼しくなっている。
どうやら本を読みながらうたた寝をしていたようだ。
栞を挟み損ねてしまっている。
「ごめんね、起しちゃって」
すまなそうな郁に慌てて首を振る。
「お忙しいのに、すみません」
「気にしない気にしない!
私だって好きな本読んでもらえて嬉しいし」
「あんたってほんとそればっかりねぇ。
嫌なら断っていいのよ」
わいわいと賑やかな二人に頬が緩む。
そして思うのだ。
もっともっと、強くなりたいと。
涙なんて流さなくて済むように。
それは、この人のように生きる覚悟ができれば、叶うことなのだろうか。
開いたままの本に栞を挟もうと探す。
そういえば昨晩、栞を挟み損ねて、そのままだったはずだ。
となればそれはーー枕をよけて、咲は固まった。
「どうしたの?」
「……いいえ、なんでもありません」
拾い上げた栞。
走り書かれた言葉はアリストテレスのものだ。
最後に会ったとき、彼が勧めてくれた哲学の本に書かれていたから覚えている。
『勤勉なる者も怠惰なる者も、人生の半分は大差なし。
なぜならば、人生の半分は眠っているからなり。』
こんなウィットの効いたことを書くなんて、少し意外だと思いながらも、何気ない風を装って本に挟む。
胸にじわりと広がるぬくもり。
「栞がどうかした?」
「……お見舞いにいただいたんです。
それがなんだか、おかしくって」
「何それ、見せてよ」
うずうずとしている郁がなんだかかわいくておかしくて、どうしようかな、とくすりと笑って小さく呟いた。
怪我の功名
入院前と大差はない。
たまに電気を消し忘れることや、本の上で眠ってしまうこともあって、夜勤の看護師さんに朝から指摘されて笑われることがあるくらいだ。
今夜もそうだった。
ドアの開けられる小さな音に、看護師さんが巡回に来られたのだと思った。
枕もとのダウンライトをつけたまま、本を開いたまま寝落ちしていたことに気づき、眠い目をこすりながら枕元の栞を手に取る。
そして看護師さんに、変わりないと言おうと振り返り、固まった。
「……どうして、ここに……」
相手は困ったように眉をひそめて、頭を掻いた。
「な、んで……」
喉を絞められたような上ずった声で、そんな言葉しか出てこなかった。
兎に角、彼がここにいていいはずがない。
何より自分は、全てを隠していたはずだ。
どこで何の仕事をしているかーーそれは相手も同じ。
全てを覆い隠した上でしか、自分達は会えないはずなのだ。
しばらく会えない理由だって、仕事が忙しいからだとちゃんとメールしておいた。
ここに来てしまっては、全てが台無しではないかーーと思ったとき、はっとする。
だから、面会時間も過ぎた深夜に、彼はやってきたのだ、と。
大きな手が頭に乗った。
壊れものに触れるような、そんな手つき。
彼がそんな触れ方のできる人だとは思っていなくて、少しだけ驚く。
咲が腑に落ちたということが分かったのだろう。
慧は小さく溜息をついた。
「さぁもうお休み」
眼鏡の奥で細められる瞳。
心がくるっと毛布にくるまれたように、温かくなってしまう。
ぼんやりと視界が滲んで、見えなくなってしまう。
いつまでも見ていたいのに、彼が手で目を覆うから、泣く泣く目を閉じた。
これは全ては夢だ。
全ては愚かな私の妄想。
彼は私が怪我をしたことだって知らない。
入院していることだって、リハビリが必要な怪我だということだって、何も知らない。
互いに、何も知らないという
(寂しいな……)
そう思ったのは初めてだった。
互いが目指すものは同じでも、命を懸けるものは別の方向を向いている。
全て分かった上での関係だ。
全てを隠した上のーーそうでなければならない。
(もっと強くなりたいのに……)
枕に温かい何かが零れて、それは静かに冷えていった。
「咲?
あ、ごめん、寝てた?」
「もう、ノックしてから開けなさいっていつも言っているでしょう?」
耳に入ってくる声に目を開けて体を起こす。
窓の外はもうすっかり暗くなっていて、風も涼しくなっている。
どうやら本を読みながらうたた寝をしていたようだ。
栞を挟み損ねてしまっている。
「ごめんね、起しちゃって」
すまなそうな郁に慌てて首を振る。
「お忙しいのに、すみません」
「気にしない気にしない!
私だって好きな本読んでもらえて嬉しいし」
「あんたってほんとそればっかりねぇ。
嫌なら断っていいのよ」
わいわいと賑やかな二人に頬が緩む。
そして思うのだ。
もっともっと、強くなりたいと。
涙なんて流さなくて済むように。
それは、この人のように生きる覚悟ができれば、叶うことなのだろうか。
開いたままの本に栞を挟もうと探す。
そういえば昨晩、栞を挟み損ねて、そのままだったはずだ。
となればそれはーー枕をよけて、咲は固まった。
「どうしたの?」
「……いいえ、なんでもありません」
拾い上げた栞。
走り書かれた言葉はアリストテレスのものだ。
最後に会ったとき、彼が勧めてくれた哲学の本に書かれていたから覚えている。
『勤勉なる者も怠惰なる者も、人生の半分は大差なし。
なぜならば、人生の半分は眠っているからなり。』
こんなウィットの効いたことを書くなんて、少し意外だと思いながらも、何気ない風を装って本に挟む。
胸にじわりと広がるぬくもり。
「栞がどうかした?」
「……お見舞いにいただいたんです。
それがなんだか、おかしくって」
「何それ、見せてよ」
うずうずとしている郁がなんだかかわいくておかしくて、どうしようかな、とくすりと笑って小さく呟いた。
怪我の功名