本編 ーfirstー
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「ちょっとここでなにしてんのよ!」
不意にかけられた声に驚いて反射的に振り返ろうとして、松葉杖を滑らせてしまう。
ここは階段の中腹辺りだ。
声を上げる暇もなく体が傾く。
健康体ならまだしも、片足に銃による傷を受けた咲には態勢を立て直すのも難しく、またなまった体で満足な受け身もとれるかどうか。
とにかく手すりに摑まるだけ捕まらなければーー手すりに手を必死に伸ばすも、指先がするりとかすっただけだった。
それが更にバランスを崩させる。
冷汗が背中を伝い、浮遊感に襲われる。
(だめだ、落ちるーー!!)
派手な音を立てて松葉杖は階段を滑り落ち、廊下に転がった。
だがその体に痛みはない。
「笠原!
お前が驚くのは勝手だが、これ以上怪我を負わせることだけはやめろ」
それは傷ついた足をうまく庇った上で、受け止めてくれた人がいたからだ。
「堂上教官……」
「大丈夫か」
郁の呟きも堂上の質問も聞こえていたが、それに返事はできなかった。
まだ心臓が激しく脈打っていて、手も微かに震えている。
なのに自分はといえば、憧れの特殊部隊に所属するカミツレ付きの上官で数々の死線を潜り抜けてきた人に体の全てを預けている状態だ。
彼にこのひどい体たらくの全て知られてしまっているに違いない。
階段から落ちそうになった程度で、だ。
そもそも階段から落ちるなど、たとえ片足であっても特殊部隊の身体能力をもってすればありえないに違いない。
やはり自分は彼らのような世界にはとても及ばないのだと、激しい自己嫌悪に陥る。
そしてその不甲斐無さと羞恥心から慌ててその胸を強く押し返してしまった。
相手は体勢を立て直すのを手伝いながら、手早く離れた。
どうやら堂上は咲の焦りを、異性に対するものだと勘違いしたらしかった。
「すまん、咄嗟に……」
「申し訳ありません!!」
重なる謝罪の声。
手すりにつかまりながら深く下げられた咲の頭に、堂上はそうだった、と思い出す。
そんなことを気にするような子ではないのだ、と。
青い顔の郁が松葉杖を拾って駆け寄ってきた。
「ごめんね、驚かしてしまって」
本当にすまなそうに謝る先輩に、咲は慌てて首を振った。
「リハビリ中なんです。
こんなことくらいで……駄目ですね……
お忙しいところ本当に申し訳ありませんでした。
失礼します」
口早にそう言って去ろうとする。
引き留めようとする郁の肩を堂上が抑え、無言で首を振った。
また松葉づえをつきながら、階段を降りていく咲の後ろ姿を、堂上と郁は黙って見つめる。
階段を降り切り廊下への曲がり角で、咲はふと振り返る。
そして会釈をしてから曲がって行った。
堂上も軽く手を挙げてから彼女に背中を向け階段を上りだした。
郁もそれに小走りでついていく。
傷跡は残ってしまうらしいが、骨に異常もなく、しばらくの安静の後、リハビリで元の生活に戻れる程度の怪我だったのは幸いで、そうであるならば咲には何の問題もなかったが、そうは思わない人もいる。
もちろん、良い意味で、だ。
「あの年くらいの私だったら、ショックで泣いていたと思うんです。
足に銃で撃たれた跡が残るなんて」
堂上はちらりと郁を見た。
心配そうに目を細めていて、やや俯き加減だ。
「お前は甘いから今でも泣くんじゃないか?」
「流石にそれはないです!
ショックだとは思いますが」
それもここにいなければしなくてもよい成長なのに、と堂上は心の中で思う。
「でもほら、稲嶺指令がおっしゃっていたじゃないですか。
生きる覚悟をしなさいって。
あの子、そんなこと今まできっと考えもしなかったんでしょうね。
必死に必死にーー」
『殉職した両親を無意識に追いかけていたのかもしれない』とは言葉にならなかった。
でもそれは堂上も充分に理解しているところだった。
必死の無意識ほど恐ろしいものはない。
郁の足は今にも立ち止まってしまいそうだった。
「それほどあいつにとって失ったものの代償は大きかったんだろう。
……きっかけがないと、気づけないもんかもな。
本人も、周囲も。」
堂上は郁の背中を強く叩き、叩かれたほうは驚いた顔をして、その反動でまた歩き出した。
背中に残るじんわりとしたぬくもりが、郁を励ます。
今日はお見舞いに咲の好きな乳酸飲料の新作を持って行ってあげよう、と思った。
(そうだ!
きっと山本も顔を出しているだろうから、あいつの分も買っていってやらなきゃ)
彼女を明るい場所に引っ張り出すのは、自分たちの役目なのだから、と。
君はもう独りじゃないよ