本編前
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「こんにちは」
階段を上がろうとしたら、エレベーターを待っている人に声をかけられた。
顔を向け、誰か思い出す。
「こんにちは」
軽く頭を下げる。
見覚えがある車椅子の男性だった。
咲はととと、と脇まで来る。
男性は不思議そうな顔をしていたが、無言でエレベーターが降りてくる数字を眺める咲に、小さく笑みを浮かべて同じく数字を見つめた。
チン、と音がして、咲はエレベーターに乗り、開、のボタンを押す。
「ありがとう」
男性も乗ると言った。
扉が閉まる。
男性は手を伸ばし、5階を押した。
「あの、どこかで会ったこと、ありますか」
その問いかけに、男性も驚いた顔をした。
「私も思っていたんですよ」
咲に笑顔を向ける。
それは先日車から本を拾った時のことではなくて、だ。
「稲嶺……稲嶺和市、といいます。
お嬢さんは?」
お嬢さんだなんて言われ慣れていなくて、背中がむずむずした。
「空太刀咲、です」
稲嶺さんの目が、くわっと見開かれた。
それに驚いて、咲も目を見開く。
「……そうか」
そしてさっきよりも、ずっとやさしい笑顔になった。
「知っているんですか?」
「ああ……赤ちゃんのときに、会ったんだよ」
今度は咲が驚く番だ。
自分は覚えているはずのない赤子の時に会ったのだと言うのに、何となくあったことがある気がしていたのだから。
「どうして?」
チン、と言って、ドアが開いた。
咲は来たことのない階で、戸惑う。
「いいよ、おいで」
優しい言葉に、車椅子の背中を背伸びして押す。
その姿に、稲嶺はまた微笑みを漏らした。
「咲ちゃんが生まれた時、同じ病院に入院していたんだよ」
こんな偶然なんて、あるのだと驚く。
「あんなに小さな赤ん坊だったのに……
大きくなって。
ああ、ここだ。
入ってお茶でもどうかな?」
咲はもっと話が聞きたくて、自然と頷いていた。
「フクさん、これ、おいしいです!」
いつの間にか、咲は月に2,3度、稲嶺宅にお邪魔するようになっていた。
「それにかわいい……!」
きらきらとした円らな瞳が感動を訴える。
「本当?
嬉しいわぁ!
ちょっとこういうのも作ってみたかったんだけど、稲嶺さんお年だからちょっとね」
それは咲の家も同じだった。
おせんべいやあられ、かりんとうをおやつに食べることはあっても、プリンやカップケーキを食べることはない。
家政婦のフクと呼ばれる女性は咲に甘い。
もともとおかしを作るのが好きらしくクオリティが高いが、息子達はやんちゃ坊主で、食べらればいい派なもので作りがいがない。
目を輝かせて喜ぶ相手をようやく見つけられたせいか、その腕は日々上がっていた。
ちなみに今日はクッキーである。
こだわりの生地は、サクサクしていて甘さも絶妙。
ニンジンやホウレンソウを練り込んであり、彩りも華やかで可愛らしく、健康面から見てもばっちりの自信作だ。
形ももちろん、お花や熊など、女の子仕様。
「ただいま帰りました」
玄関の方でする声に、咲がぱっと立ちあがる。
「稲嶺さんのお帰りね。
一緒におやつにしましょうか」
稲嶺に出したら、可愛くて苦笑するだろうと、フクは早くも笑みを浮かべた。
おかえりなさい