本編 ーthirdー
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「すみません。お待たせしましたか?」
部屋に顔を出した咲の第一声に、小牧は首を振った。
定時きっかりに顔を出した彼女は、本当に真面目だと思う。
呼んだのは自分だ。
そして、誰でもない自分が、この役を頼まれた。
確かに適任かもしれないが、あまり嬉しい役ではない。
「すみません、忙しい県展の時期に休んでいて」
「いや、空太刀さんだって裏で手伝ってくれてるでしょ?
業務部から好評だよ。
引き抜きされないか心配なくらい」
それは事実だった。
もともと頭の回転が速く、図書館に通っている時間も長い咲。
初めこそ馬鹿にしていた業務部も、その働きぶりに実力を認めざるを得なかった。
「いいえ、まだまだです」
淡く微笑みながら首を振る咲は、最後に見た顔よりもずいぶん元気そうだ。
それもそうだろう、最後に見たのは、玄田が撃たれたあの現場で、彼女が倒れる寸前の、真っ青な顔だったから。
だがその時よりも痩せたように見える。
食事もままならない時期があったと聞いたが、本当だったらしい。
彼女はまだ二十歳の女の子。
多少の拷問のようなことでも耐えきれる、タフな自分たちとは違う。
(だとすれば、特殊部隊(ここ)に居続けることは、互いにとって……)
小牧は考えていることを感じさせない笑顔を咲に向けた。
「まあ座りなよ」
用意していた缶ジュースを示す。
彼女が好きだと聞いた、某乳酸飲料。
ちなみに情報源は毬江だ。
彼女も言っていた。
ーあの子、滅多に飲まないんだけど、でも飲むとき嬉しそうに飲むの。
普段クールなのに、意外でしょう?ー
実にその通りだと思う。
彼女が年相応の様子を見せたのなんて、進藤と親子喧嘩まがいの怒鳴り合いをしているのくらいしか見たことがない。
それでも、本当に彼女が大人であるわけではないのだ。
彼女は正真正銘の20歳。
自分はその頃まだ図書大学校に通っていて、ほどほどに遊びもして、呑気なものだった。
いただきます、と言って飲む横顔は、愛らしく微笑みを浮かべている。
不思議とその構図に、どこか懐かしさを覚える。
(こうやって飲んだこと、あったっけ……)
そんなこともあったのかもしれない、とどうでもいいことを頭の隅に追いやる。
「進藤一正のお見舞いには行った?」
「ええ。
元気そうでした」
「良かった。
あの人の腕がないと、うちも持たないからね」
「なのにあの腕で囮をするなんて、馬鹿だと思いませんか」
まだ根に持っているらしい。
「確かに。
でもそれだけ必死だったんだよ。
腕が使えなくなってでもしなきゃいけない仕事もあるからね」
「私に頼ればいいんですよ」
拗ねているのだろうか。
やはり彼女にとって進藤は特別な存在なのだ。
「流石に空太刀さんに頼るのは、進藤一正のプライドとかが許さなかったんじゃないかな」
「くだらないプライド。
だから伯父さんは一正から上にいけないんですよ」
だからこそ毒づくのだろう。
「いやいや、あの歳で一正ならすごいから」
「綾子さん……奥さんも泣かせて」
「あー、また」
進藤の妻が美人かつ涙もろいことは隊内でも有名なのだ。
怪我をした夫を見舞っては泣いているらしい。
「そうですよ、あの美人を泣かせるんですから、罪は重いです。
……そう言えば毬江は元気ですか」
「うん、大学の課題が大変だって言ってたけど、元気そう」
「大学もいろいろ大変なんですね」
「そうだね。
また新しい作家さん見つけたらしくて、教えてもらわないとな」
「毬江、最新の図書情報は本当に詳しいですよね」
「俺もついていけないよ」
「追いつけないのがいいって、ご存じでしょう?」
「まぁね。
その方が俺も楽しいし」
流れるような会話が、ふっと途切れた。
隣を見ると、乳酸飲料の缶を握りしめ、俯く姿。
「……ごめんなさい、逃げてばかりで」
小さな呟きに、彼女がここに呼び出された理由を知っているのだろうと思う。
「君は充分すぎる働きをした」
小さく首を振る姿は、幼い少女に見えた。
昔に出会った、あのランドセルを背負った少女のままに見えた。
「嘘じゃない。
玄田隊長が生きていられるのも、空太刀さんの働きがあったからだよ」
「でも、あんなにひどい怪我を」
「それでも生きている。
俺達の誰にもできなかったんだ。
すごいことだよ」
咲はじっと小牧の言葉を聞いている。
「きっと昇級の話も来るだろう」
「だから……」
彼女は、分かっている。
小牧が言いたいことも、自分の状況も全て、とてもよく。
「特殊部隊から出ても、やっていける、と?」
はっきりとした言葉に、小牧は少しの間をおいてから頷いた。
「そうだ。
実際、様々な理由で特殊部隊から業務部や防衛部に異動する隊員もいる」
室内に沈黙が舞いおりる。
「私、もっと強くなります」
「それが君に多大なストレスをかけるなら」
「それでも」
咲は小牧の言葉を遮った。
「それでも、私はここに居たい」
俯く顔は艶やかな黒髪で隠されて見えない。
「小牧さん、居ましたよね。
私の図書館隊の入隊試験の面接の時」
「うん」
彼女ほど鮮烈な面接は、笠原の時以来だった。
意味は全く異なっているけれど。
「私の親は、日野の悪夢で死んだ。
生き残ったのは、稲嶺さんと、無力な赤子の私。
稲嶺さんはずっと図書館を支えてきた。
きっとそうすることで、怒りや憎しみを堪えているんです」
淡々とした言葉は、彼女の運命の重さを感じさせる。
「私はまだ小さかったから記憶はない。
でも、やっぱり同じなんです。
体の奥に巣食った感情は、消えない。
歳を重ねるごとに、思いは大きくなっていく。
稲嶺さんの下で働くことで、堪えている。
私はそれだけです。
でも、稲嶺さんは泥も血もかぶって……
……そして、勇退する。
堪えて、必死に作ってきた、そのすべてを手放すんです。
あの茨木の館長のせいで」
彼女はぎゅっと拳を握りしめた。
「なのに、私がここから逃げてどうするッ!」
悲鳴のような、叫びのような、小さな言葉に、小牧は言葉をつかえさせた。
誰よりも苦しんでいるのは、本人だ。
内に巣食う怒りを鎮める場所と、今彼女が恐怖を感じる場所は同じ、特殊部隊(ここ)なのだ。
小牧はそっとその肩に手を置いた。
その肩は見た目よりもしっかりしている。
この腕は、進藤、緒方に次ぐと言われるほどの狙撃をするのだ。
当たり前かもしれない。
(そうだ。
彼女は、俺達の当たり前に片足を突っ込んでいるんだ)
その足を抜いて、生きていけるか。
答えは否だ。
今の話だけを聞いても、それは彼女には難しい。
誰かがその背中を支えて、しっかり特殊部隊として歩んでいかなければならないのだ。
では、誰が?
(愚問だな)
小牧はふっと笑顔を見せた。
「空太刀さん、そんなに逃げたくないなら、俺達が縛ってでも捕まえていてあげるよ」
ばっと小牧を見上げた顔は、驚きに満ちていて、ポカンとする、と言うのが正しいかもしれない。
それがおかしくて、小牧は笑みを深めた。
「俺も堂上も、進藤一正も隊長も副隊長も、笠原さんも山本も柴崎さんも毬江ちゃんも、みんなでさ」
よほどうれしいのか、彼女は顔を赤くした。
そうだ、昔よく心配したり、褒めたりするとすぐに赤くなった、と思いだす。
ぱっと下に向いて、缶を握りしめた。
ぱたぱた、と水滴がその手に落ちる。
彼女が泣くのを見るのは、初めてだった。
転んでも泣かない子だったのに。
(昔、一度だけあったかな。
毬江ちゃんと本を交換していて、それを返した日……)
2人が本当の友達になった日だと、毬江が嬉しそうに言っていたのを思い出す。
(もし、もし涙がそんな意味を持つのだとしたら)
そっと手を背中に回し、さする。
大丈夫、大丈夫だと、伝えるために。
「稲嶺さんが作ってくれた、この場所で、」
彼女は鼻をすすった。
目の前にいるのは、毬江と変わらない、二十歳の女の子だった。
「泥を、血を被っても、私はここで生きていたい」
それから、はっと顔を上げて、嬉しそうに笑った。
どこか大人びた顔は、もう、特殊部隊の空太刀一士の顔だった。
なんて素敵な笑顔だろうと、そう思った。
彼女は既に自分にとって、かけがえのない仲間になっていたのだ。
「毬江が大好きな図書館を、一緒に守らせてください」
そんなことを言われて、断れるはずがない。
「もちろん」
俺達もこれで、本当の友達かな
