本編 ーzeroー
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「いいですか?」
カーテンの外で声がした。
この声は知っている。
レファレンスを何度もこっそり聞いて勉強した。
毬江が大好きな、小牧さんだ。
「はい」
ベットから身体を起こし答える。
蹴られたみぞおちが鈍く傷んだ。
カーテンがあき、顔を見せたのは、やはり小牧だった。
その後ろには堂上も立っている。
「体は大丈夫?」
「はい」
身体を気遣われて大丈夫だと答えるのは、本人も気付いていない昔からの癖みたいなものだった。
「ありがとう、中澤さんをいつも助けてくれて」
「……いいえ、すみません間に合わなくて。
王子様にはなれませんでした」
毬江を通して咲の事を聞いているというニュアンスに、妙に恥ずかしくなる。
前に進藤に聞いた話を思い出して誤魔化すように口早に言えば、堂上が眉にしわを寄せ、小牧は困ったな、と言って笑いをこらえている。
ちなみに怪我の方は打ち身がひどいだけで骨には異常はなかった。
「君、おもしろい子だね」
堂上を本当にからかったとは思ってはいないようだ。
あの王子様事件を知らないと思うのが普通だろうから。
自分の幼馴染であり、大切な関係の女の子が痴漢にあったのに落ち着いているのは、やはり年の功なのだろうか。
それとも、と一瞬掠めた疑惑に眉を微かに顰める。
(どちらにしろ、気にくわないな)
長い間、2人のことは見てきた。
他人事ではあるけれど、こんなすぐに平静を取り戻してほしくないと思ってしまう。
咲は湧き上がるいらだちをどう消化しようか頭を巡らせる。
その間に堂上と小牧は椅子を持ってきてベットの横に座った。
「ちょっと事件の様子、聞かせてもらってもいい?
状況とか、なんで気づいたのかとか。
今後の対策としてまとめたいんだ」
どこまでも落ち着いた様子の小牧に、咲はへぇ、と首をかしげる。
いいこと思いついた、と。
「なんで気づいたかとか、当たり前ですよ。
私が仕掛けたんですから」
その言葉が示すことをわからない小牧と堂上ではない。
あの男を使って毬江をひどい目に合わせた。
それを目の前の女子高生が仕組んでいた。
毬江が久しぶりにできた友達だと嬉しそうに紹介しようとしていた、彼女が。
だから小牧は椅子から勢いよく立ちあがった。
椅子が転び、派手な音を立てる。
落ち着け、と堂上が小牧の振り上げた腕を引きとめていた。
でも彼の瞳も、穏やかじゃない。
「……お前、さ」
怒りのこもった声。
背筋が寒くなった。
堂上が止めていなかったら、間違いなく殴られていただろう。
恐怖に身体が動かないから、彼の拳は頬に直撃していただろう。
となればさっきの男からの蹴りのような、打ち身では済まなかったに違いない。
でも、それでも構わなかった。
むしろそのくらいじゃないと許さないつもりだった。
だから、その恐怖に、逆に安堵を覚えたのだ。
「良かった」
私の呟きに、2人は眉をひそめた。
「そんなことやっていません。
貴方があまりに平然としているから、鎌掛けただけです。
毬江さんにウソついてたら謝らないといけないし」
ー毬江が初めて図書館に来た日も私は図書館にいた。
その時から一度も変わったことはない。
あの人の一番はいつも毬江ー
「ああ……そう」
高校生に鎌をかけられたと知って、
どっと力が抜けたらしく、堂上は椅子に倒れるように腰かけた。
小牧は椅子を起こして、溜息をつきながらどかっと座りこむ。
しかし毬江を大切に思ってくれているクラスメイトの存在に、安堵したのも事実だ。
「いつも通り、今日も一緒に図書館に来たんです。
館内では基本的には別行動をいつもとるようにしています」
唐突に始まった説明に、二人は耳を傾ける。
「ちょっと調べ物をしていて、あのコーナーの近くに立ち寄ったんです。
そうしたら、何か、変な音がしていて」
咲は表情一つ変えない。
「それで、見つけました」
ゆっくりとかしげられた首。
髪がさらりと肩から流れた。
変わらない、表情は変わらないのに。
「前から気になっていたんです。
あそこ、若い女性が読む作家さんの本を置いているのに死角になるなって。
一般人が気づくのに、何やってるんですか、図書隊は」
その言葉が耳に痛い。
彼女が痴漢行為を見つけた時の罵声は、柴崎から聞いていた。
ーー 図書館で何をしている。この図書館で、あんたは、私の友達を。
ですって。
図書館中に響いていてびっくりしました。
毬江ちゃんのこと、本当に大切みたいです。
でも、それと同じくらい、そうですね、無鉄砲な郁と同じくらい、
図書館も大切に思っているみたいですよ ーー
いつもはあれほど表情を変えない子が、と驚いたものだ。
しかし進藤が彼女と親しげにしていたのを見て確信した。
間違いない、彼女の両親はこの図書館のために殉職している。
毎日通う図書館。
彼女にとってここはいったいどんな場所なのだろう。
両親を奪うことになった職場。
自分が生まれた時には、両親ともに息絶えていたのだ。
でも、彼らはこの図書館を護るために死んだ。
どんな思いで、自分たち図書隊を見ているんだろう。
「こんなこと、二度とないように、徹底してください」
まっすぐ見つめてくる黒い瞳は、表情がほとんど見えないように見えて、でもこれはかなり怒っているな、と感じた小牧は苦笑を浮かべた。
「はい。
安全な図書館にして見せます」
そこでカーテンが広く開けられた。
「おいおい、咲。
こいつらいじるのもそのくらいにしとけ」
「進藤さんも進藤さんですよ。
何やってんですか、何のための狙撃の腕?」
「狙撃は全く関係ないだろう」
「だって」
「それより、お前も無茶するなって何回言えばいいんだ?
本のためって言って怪我したのは。
お前は図書隊員じゃない、ただの高校生だ」
今まで少しも動かなかった表情が、かすかに苦痛にゆがんだ。
「だって……」
その先、言葉にできないのは、なんとなくわかる気がした。
憎いけど大切で、大切だけど憎いから、言葉が見つからない。
「書架の配置についてもう一度見直してみるよ。
もう二度とこんなことがないように。
だから中澤さんのこと、よろしくね」
小牧がその場を丸く収めようとしてそう言うも。
「そのさりげない子ども扱い、中澤さんは嫌がってますよ。
そんなつもりなんでしょうけど」
小牧の顔が引きつるのを見て進藤がトム笑いを始める。
「私そろそろ帰らなければ」
「送る」
「大丈夫ですよ、進藤さん。
まだお仕事でしょう?」
そう言えば、進藤は困ったように頭をかいた。
「気をつけて帰れよ。」
「はい」
ベッドから降りて、机に置かれた鞄を持つ。
「お世話おかけしました。
失礼します」
丁寧に下げられた頭。
いいえこちらこそ、と堂上も軽く頭を下げ、気を付けてね、と小牧は微笑む。
そして二人は思った。
郁がクラスには一人くらいいる影の薄い大人しい子、と評していたが、これは見方を改めた方がよさそうだ、と
「大人びた子ですね」
堂上の言葉に、進藤は頷く。
「姪なんだ。
ちょっとばかりひねくれた意地っ張りの子だが、姉貴に似た優しい子だ」
怪我した自分よりも他人を気にする所なんか、そっくりだった。
進藤の眼は、遠くを見つめている。
なぜ彼が遠くを見ているのか、堂上と小牧は知っている。
彼の姉と、その夫、つまり咲の両親が、日野の悪夢の犠牲者であることは、図書館では有名な話だった。
君もやはり優しい子だった
