本編 ーzeroー
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先日の一件があってから、二人の親密度は上がっていた。
人に涙を見せると言うのは、そしてそれを受け入れてもらえたというのは、やはり関係の進展を意味するのだろう。
じりじりとした日差しをものともせず、気づけば今日も二人、図書館に向かっていた。
図書館の門をくぐった辺りで、つんつん、と咲の腕をつつき、彼女が自分の顔を見たのを確かめてから、毬江は口を動かした。
「進路希望調査、もう出した?」
毬江が問いかける。
「出したよ。
毬江さんは?」
頷いたのをみて、咲は少し迷った後、
「どうするのか、聞いてもいい?」
と言った。
「大学に行きたいんだ。
文学部で、もっといろんな文章を読んで、勉強したいの」
毬江の目がきらきらとしている。
それを見て、すっかり親しくなったものだと、咲は自分でも思った。
こうして赤の他人と会話をしている最近の自分が不思議でたまらない。
何となく複雑な気持ちの中、咲は口を開いた。
「てっきり小牧さんになるんだとばかり」
毬江の頬が一気に朱に染まる。
「なっ何言ってっ!!」
咄嗟に声の大きさを意識することなく言ってしまって、ぱっと口を押さえた。
図書館基地内にいるのだ。
いつどこでだれが聞いているかもわからない。
そんな姿を見て、咲は目を細めた。
「冗談。
いいじゃない、大学。
卒業するまで結婚待たせときなよ」
「やめてよ。
まだ全然、むしろお付き合いしているなんて、そんな感じのことまだ何もしてないっ!」
「元から仲良かったから自覚ないだけじゃない?」
恥ずかしがる毬江が小突いてくるから、
逃げるように駆け出せば、彼女も追いかけるように足を速めた。
「もうっ!
ここではその話しないでってば!」
慌てて友の細腕を捕まえて、必死に訴える。
咲はくすぐったそうに首を縮めた。
「本人に聞こえてやきもきさせてやればいいのに」
ついさっき、今日は彼が警備の担当だという話をしていたのだ。
「もう、咲っ!」
思わず呼び捨ててしまって、毬江ははっとする。
咲さん
そう呼んでは、他人行儀だな、と思っていたのだ。
クラスメイトもみんなそう呼んでいたから違和感はないのだけれど、でも、小牧や郁が自分のことを毬江ちゃんと親しく呼んでくれるように、自分たちも、もう一歩歩み寄りたいと、心の中でひそかに「咲」と何度も呼んでいて。
「見ていればわかる」
気まずいな、と感じているのは毬江だけだったらしい。
咲は表情一つ変えずに口を開いた。
「毬江が初めて図書館に来た日も私は図書館にいた。
印象的だったからよく覚えている。
本当にお互いが大切なんだって、わかった。
その時から一度も変わったことはない。
あの人の一番はいつも毬江」
口数が少ない分、彼女の言葉には説得力がある。
口に出したはずはないのに、ここのところの悩み事を彼女が簡単に答えてしまって、それに彼女は何にも考えていないかのように毬江を呼び捨てにしていて、虚を突かれたような顔で彼女を見た。
しかし当の本人はひらりと手を振って館内に入っていく。
自分が初めて図書館に行ったのは、小牧が図書館隊員になってからだ。
あの日、世界が広がった気がした。
そしてあの場に咲もいたのだと思うと、不思議と今気の置けない友となった事は運命のようにさえ感じられるし、これから先もずっと、大切な友達でいられるように思った。
どのくらいそうしていただろう。
ひょっこり視界に映り込んだ顔に、毬江は驚く。
「どうしたの?
こんなところで立ち止まって。」
目下悩みのタネであった小牧だ。
なんでもないの、と首を振って見せる。
そう、と小牧はうなずくと、館内へいざなった。
「毬江ちゃんが好きなシリーズの最新刊、入ったんだよ。」
搬入された本を見て、自分を思ってくれていたことが嬉しい。
仕事を大切にする人だけれど、その中に自分が息づいているのが嬉しい。
確かに、心配なんていらないのかもしれない。
毬江は笑顔を見せて、館内に足を運んだ。
「なかなか……やりますね、あの子」
小牧の背中を見ていた手塚が、何を立ち止まっているのかとやってきた堂上に言った。
「毬江ちゃんか?」
やり手と評するには違和感があると首をかしげる堂上に、手塚は首を振る。
「彼女の友達です。
咲……と呼ばれていたような」
「何があったんだ?」
尋ねられて、さっきの様子を語る。
図書館の正門から入ってきた女子高生が毬江だと気付き、小牧は声をかけに向かおうとした。
しかし毬江の向こう側にいた女の子が言ったのだ。
「小牧さんになるんだとばかり」
少し離れた場所にいた小牧と手塚にも、意識していなければ聞き漏らしてしまいそうな小さなその声はばっちり聞こえていた。
小牧の足は当然とまる。
彼の眼は、赤くなる毬江に釘付けだ。
だが、手塚は見た。
一瞬だけだが、毬江から逃げるもう一人の女の子の顔が自分たちを見ていたのを。
表情一つ変えないところがどこか違和感があったが、それでも彼女と手塚は確実に目があっていた。
毬江が気を遣っているからこそ小牧の感じることのない、毬江が感じている不安を、彼女は確かに小牧に伝えた。
「そんなことがあったのか」
驚いたような堂上に、手塚は頷く。
「ま、女子高生に助けられるなんて、小牧もまだまだだな」
堂上はにやりと笑って、戻るぞ、と言って背を向ける。
手塚は足早に上司を追った。
その日の夜、柴崎から郁へ、手塚から堂上へと転送された「君と本のいる世界」の物語は、図書館隊士と図書館に来た客の、小さな恋の物語だった。
添付された写真は、中庭の木で蝉が羽化したところを捉えていた。
妖精のような、美しい姿は、物語に出てきた小さな恋のようだった。
語り手は抜け殻だけを残して