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「気をつけて。」
小狼君に片手を振って、オレはバイクに飛び乗る。
雨足は弱くなってきた。
直に止むだろう。
救急セットを借りてきたけれど、きっと使うことはないだろう。
聞いた限り、彼女の怪我はひどい。
こんな小手先の救急セットでどうにかなるレベルではない。
サクラちゃんの足跡をたどる。
こんなに長い間、独りで心細かっただろう。
黒鋼の消えてしまいそうな命を思い、恐ろしかっただろう。
自分の無力感に苛まれたことだろう。
狩りで倒したよりもずいぶんと大きな獲物が数体倒れている。
明日都庁の人達に言えば喜ぶだろうが、これと素手で戦った黒鋼の気がしれない。
どうせ瞳の色を全身に纏って戦ったのだろう。
あのぞっとするような美しい顔をして。
(見れなかったのがちょっと残念。)
たどり着いた廃墟の山の前にバイクを止める。
フードを脱いで、助走をつけて飛び上がった。
辺りは静かで、星も見える。
こんなにも穏やかな夜が、ここにもあるのだと知った。
夜風が心地よい。
のぼりつめればそこには湖があって、そのほとりでは巨大な蛇が1匹と、同じく巨大な頭が二つある蛇が銃で撃たれて絶命していた。
サクラちゃんが撃ったのだろうか。
いくら襲われていたからと言っても、彼女の心は痛んだに違いない。
辺りに黒鋼の姿は見えない。
だが、鼻は知っていた。
あの甘美な匂い。
(嫌な体になったものだねぇ。)
匂いに吸い寄せられるように辺りを歩く。
地面についた血痕に気づき、それを追うと、黒い塊が目に入った。
(居た。)
廃墟の大きなコンクリートの傍で雨から身を守るように蹲って座っている。
近くまで行ってしゃがんで様子を見てみる。
「おーい。」
声をかけても返事はない。
下手に近づくと本能的に殺されかねないのだが、傷だらけならば大丈夫だろうか。
「おーい、触るよー、飛びかからないでよー。」
頭からかかっていたフードを外す。
濡れた髪がするりと流れた。
完全に気を失っているらしい。
青白い頬に黒髪が張り付いていて、まるで死んでいるようだ。
でも胸が微かに動いているから、間違いなく生きているのだろう。
「何が、お前の命は俺がもらう、だよ。」
声をかけても、彼女は返事をしない。
「何が心配するな、だ。
俺が守る、だ。」
何の反応もない。
ただ苦しげに息をしているだけだ。
オレはため息をついて、彼女の体を横たえる。
鼻にひどく血の匂いがついた。
服を肌蹴させると、なるほど息をのむようなひどい傷だ。
蛇の牙が突き刺さったのだろう。
雪のように白い肌に生々しい傷跡が赤黒く染みを作っている。
不思議と血は止まっているようだ。
思わずため息が出る。
月光に淡く影を作る傷跡は、他にもたくさんあった。
知世ちゃんをかばった傷もあるだろうが、オレ達をかばった傷もきっとたくさんあるのだろう。
「君なんか」
「ふぁ・・・い・・・。」
不意に聞こえた言葉に目を見開く。
心臓が高鳴った。
しかし彼女は目を覚ました様子はない。
寝言だろうか。
(でも今確かに、オレの名を・・・。)
彼女はオレと違って、オレ達のことを名前で呼ぶことはない。
青年、少年、姫、白饅頭、そんなふうにばかり呼んでいた。
でも決して壁を作っているわけではなかった。
彼女の国がそういう文化だったのかもしれない。
見下ろす先にあるほっそりとした青白い顔。
月光のせいか、更に蒼く見えた。
(もし、こんな出会い方でなかったら。)
もし、セレス国でオレ達が普通に王に士官する身として出会っていたら。
もし、阪神国で笙悟くんとプリメーラちゃんのお友達として出会っていたら。
もし、ジェイド国で子どものころから幼馴染として育っていたら。
もし、桜都国で一緒にお店屋さんをしていたら。
もし、夜叉国で共に武士として働いていたら。
もし、ピッフルで一緒に知世ちゃんのボディーガードをしていたら。
もし、もし、もし・・・・
(君はオレのことを本当の名前で呼んでくれたのかな。)
君はオレを守るために怪我なんてしなくて。
オレも吸血鬼になって君の血を吸うことなんてなくて。
2人で平和に笑いあって。
小狼君とサクラちゃんの行く末を笑顔で見守って。
そんな世界が、どこかにあるのだろうか。
「ねぇ、黒鋼。」
閉じたままの薄い瞼は開くことはなく、青紫色の唇はオレに言葉を返さない。
オレのことを呼ぶこともない。
「オレ、君のこと嫌いだよ。」
なのにどうしてこんなに星は綺麗で、俺達を焼く酸の湖はこんなにも静かに星を映すのだろう。
蛇の死体と、死臭の漂うこの場所で生きているのは、オレと君だけだ。
涼しい夜風が吹き抜ける。
ありえない仮定は、忘れてしまおう。
今だ。
オレの目の前にあるのは、今しかない。
だから、漏れたため息と共に、オレは青白い顔に呟いた。
「君のことなんか、大嫌いなんだ。」
ぼんやりと目が開いた。
「おはよう、黒鋼。」
声がした。
俺を黒鋼と、呼ぶ声が。
そうか、これが現実なのだ、と思う。
彼は俺を突き放す。
ただ、それだけなのに、胸が痛んだ。
痛んではならないはずなのに。
自らが選んだ道なのに。
たとえ、どんな手を遣ってでも、彼を生かそうと・・・
そこで重要なことを思い出し、がばりと身を起こす。
「姫はっ?!」
「大丈夫、ちゃんと対価を払ってくれたよ。」
青年は笑顔を張りつけて答えた。
俺は思わずため息をつくと、腹の傷が急に痛んだ。
見るときれいに包帯が巻かれている。
「君がオレに運ばれるなんて、珍しいこともあるものだねー。」
しらじらしい声に、辺りを見回し、ここが都庁だということを認識する。
薬も包帯も水も少ないこの国に、申し訳ないことをしたと思う。
「背中の傷もなおさせてもらったよ。
君が倒した獲物が大きかったから、薬代には充分だって。」
その言葉に、ため息をついた。
声を聞きつけたのか、少年と少女、そして白饅頭がカーテンの向こうから姿を現した。
「黒鋼さんっ!」
泣きそうな顔をして駆け寄る姫は、足を引きずっている。
「痛むのか?」
そう尋ねれば、姫は首を振って倒れるように俺に抱きついた。
「もうあんな無茶しないでくださいっ!」
ぐすぐすと泣く温もりが愛おしくて、俺はそっと柔らかい髪を撫でた。
「限度分かってやっている。」
「嘘。
死にそうだった。」
ぎゅっとしがみつく腕が愛おしい。
肩に埋める吐息が愛おしい。
この子の全てが愛おしかった。
「俺はお前をおいて死にはしない。
お前を守ると約束しただろう。」
姫はようやく離れて、赤くなった目をぬぐった。
「大丈夫だ。」
そう言って笑ってやれば、姫は少し驚いた顔をしてから、やさしく微笑んでくれた。
黒鋼が目を覚ましたので、モコナに魔女さんに繋いでもらう。
彼女は、静かに話し始めた。
サクラの記憶を奪った男が飛王・リードという男だと言うこと。
狙いはその羽根を集めるためにサクラの躯に世界を旅させること。
既に飛王のたくらみを知る小狼を攫い、何も知らないが羽根を集めることを何よりも優先する小狼を作ったこと。
そして、黒鋼の母を殺め、国を滅ぼし、日本で唯一異世界へと送る力を持つ知世に、
バキッ
その音に皆が彼女を振り返った。
黒鋼の拳が、石の台座を陥没させたのだ。
「・・・違う。」
明らかに殺気立っていた。
怪我をしているサクラちゃんが殺気に当てられないよう、オレは少し抱き寄せる。
「自分の意志だ。」
「知世姫も信じているわ。」
「あいつはそんなことはしない。」
ふわりと鼻につく、甘い香り。
黒鋼の血の匂いだ。
殴ったときに手でも切ったのだろうか。
他の人の血ではこうはならないのに、体がひどく疼く。
「そうよ、だから思惑だと知っても送りだした。」
燃えるような紅い目は、魔女を見据えていた。
「貴方を信じているから。」
その言葉に殺気は消えた。
このくらいのことで殺気立つなど、彼女には珍しい。
見ていることを気づかれないうちに、目を魔女さんに戻した。
「ファイ、貴方もそう。
仕組まれたこととそうでないこと、あなたにはもう分かっているでしょう。」
不意に振られた言葉に、オレは視線を外す。
分かっていた。
思い出したくもない、忌々しい記憶。
ふと、サクラちゃんのひんやりとした手が、オレの手に触れた。
その手は前ほどの温もりはなかった。
もう永遠に温もりを失ってしまったのだろうかと思うほどに。
(大丈夫だよ。)
そう言ってくれる瞳が、オレの腕の中にあった。
黒鋼のような燃える血のような瞳ではなく、包み込むような優しい瞳が。
「彼の目的のために、貴方達が集められた。
確かに仕組まれた旅だけれど、その後は貴方達の石で選んできたこと。
失われた者も多いけれど、生まれたものもまた多い。
だからこれからのことも貴方達が選べばいいわ。」
サクラちゃんが立ち上がった。
決意のこもった横顔は、誰にも否と言わせないものがある。
「旅を続けます。
小狼君を・・・探すために。
小狼君の心を取り戻すために。」
そう言うことは分かっていた。
だからこそもうこの子を、誰にも傷つけさせやしない。
黒鋼がしたような、獅子が子を谷に落とすようなことも、もう決してさせない。
オレは微笑む。
「オレ、一緒でもいいかな。
小狼君のところにはオレの魔力がある。
引かれあうから探すのに少しは役に立つかも。」
でもサクラちゃんは表情を曇らせた。
「それはファイさんの本当の気持ちですか。
私が行くって言ったから、本当にしたいこと隠していませんか。」
なんて優しい子なんだろう。
オレのただのエゴだと言うのに、どうして彼女はオレのことを心配してくれるんだろう。
彼女を守りたいと、思っているだけなのに。
「本当にしたいことだよ。
治癒系の魔法も使えない魔法使いだけど、一緒に居させてくれる?」
「魔法が使えても使えなくても・・・ファイさんはファイさんです。」
彼女はオレに安心をくれる。
穏やかな心を。
だからオレは、彼女を守る。
守ってみせる。
「我が唯一の姫君。」
そっと傷だらけの指先に口づけを落とす。
サクラちゃんは誰にも渡さない、誰にも任せない。
たとえ、黒鋼であっても。
これ以上傷つけないために。
「モコナも一緒に旅したい!」
小さなモコナが精一杯背伸びする。
優しい子だ。
サクラちゃんみたい。
「黒鋼は?」
そしてときどき、真っ直ぐすぎてめまいがする。
オレにはあまりに眩しすぎる。
質問の先に居た黒鋼はふっと視線を緩めた。
紅い瞳が、柔らかく揺らぐ。
それはどこか夕焼けを思わせる切なさで。
「約束を守る。」
短い一言。
「約束・・・?」
首をかしげる小狼君。
「俺は約束したはずだ。
お前たちを守ると。」
その言葉に、小狼君の表情が曇る。
きっと、ここにはいない小狼君のことを思ったんだろう。
でも、紅い瞳が小狼君を見つめた。
ここからでは見えないけれど、優しい顔をしているのは不思議と分かった。
「お前もだ、小狼。」
小狼君が目を見開く。
「護衛は必要だろう。」
振り返ってサクラちゃんを見て微笑む。
その柔らかさは、オレ達の知らないものだった。
「黒鋼さん、でもそれは」
「お前が少年をを探す思いと同じだ。」
サクラちゃんの言葉を遮って、強くそう言う黒鋼。
彼女はこの場に及んでどうしてそれほどまでに強くあれるのだろう。
紅い瞳が、オレを映す。
「お前が姫を守りたいと思うのと同じ。」
心臓が跳ねる。
その紅い瞳が、開けてはいけない記憶の箱をこじ開けてしまいそうで。
「お前が守りたいと思うのとも、同じ。」
小狼君を見つめると、彼も同じように驚いたようだった。
黒鋼はその目を魔女さんに戻す。
「約束を果たすまでだ。」
その強い瞳に、魔女さんは静かに微笑んだ。
「そうね、あなたには大切な約束があったわね。」
何かを知るふうの2人に、オレ達がつけ入る隙はない。
「貴方は、小狼。」
最後の一人、小狼君に視線が集まる。
「取り戻したいものがある。
もう戻らないかもしれないけれど、守れるなら守りたい。
一緒に行きたい。」
強い瞳をして言う彼は、ここにはいないもう一人の小狼君と、何も変わるところなんてなかった。
「わかったわ。
では行きなさい。
己の望みのままに。」
オレ達の旅が今、始まる。
小狼君に片手を振って、オレはバイクに飛び乗る。
雨足は弱くなってきた。
直に止むだろう。
救急セットを借りてきたけれど、きっと使うことはないだろう。
聞いた限り、彼女の怪我はひどい。
こんな小手先の救急セットでどうにかなるレベルではない。
サクラちゃんの足跡をたどる。
こんなに長い間、独りで心細かっただろう。
黒鋼の消えてしまいそうな命を思い、恐ろしかっただろう。
自分の無力感に苛まれたことだろう。
狩りで倒したよりもずいぶんと大きな獲物が数体倒れている。
明日都庁の人達に言えば喜ぶだろうが、これと素手で戦った黒鋼の気がしれない。
どうせ瞳の色を全身に纏って戦ったのだろう。
あのぞっとするような美しい顔をして。
(見れなかったのがちょっと残念。)
たどり着いた廃墟の山の前にバイクを止める。
フードを脱いで、助走をつけて飛び上がった。
辺りは静かで、星も見える。
こんなにも穏やかな夜が、ここにもあるのだと知った。
夜風が心地よい。
のぼりつめればそこには湖があって、そのほとりでは巨大な蛇が1匹と、同じく巨大な頭が二つある蛇が銃で撃たれて絶命していた。
サクラちゃんが撃ったのだろうか。
いくら襲われていたからと言っても、彼女の心は痛んだに違いない。
辺りに黒鋼の姿は見えない。
だが、鼻は知っていた。
あの甘美な匂い。
(嫌な体になったものだねぇ。)
匂いに吸い寄せられるように辺りを歩く。
地面についた血痕に気づき、それを追うと、黒い塊が目に入った。
(居た。)
廃墟の大きなコンクリートの傍で雨から身を守るように蹲って座っている。
近くまで行ってしゃがんで様子を見てみる。
「おーい。」
声をかけても返事はない。
下手に近づくと本能的に殺されかねないのだが、傷だらけならば大丈夫だろうか。
「おーい、触るよー、飛びかからないでよー。」
頭からかかっていたフードを外す。
濡れた髪がするりと流れた。
完全に気を失っているらしい。
青白い頬に黒髪が張り付いていて、まるで死んでいるようだ。
でも胸が微かに動いているから、間違いなく生きているのだろう。
「何が、お前の命は俺がもらう、だよ。」
声をかけても、彼女は返事をしない。
「何が心配するな、だ。
俺が守る、だ。」
何の反応もない。
ただ苦しげに息をしているだけだ。
オレはため息をついて、彼女の体を横たえる。
鼻にひどく血の匂いがついた。
服を肌蹴させると、なるほど息をのむようなひどい傷だ。
蛇の牙が突き刺さったのだろう。
雪のように白い肌に生々しい傷跡が赤黒く染みを作っている。
不思議と血は止まっているようだ。
思わずため息が出る。
月光に淡く影を作る傷跡は、他にもたくさんあった。
知世ちゃんをかばった傷もあるだろうが、オレ達をかばった傷もきっとたくさんあるのだろう。
「君なんか」
「ふぁ・・・い・・・。」
不意に聞こえた言葉に目を見開く。
心臓が高鳴った。
しかし彼女は目を覚ました様子はない。
寝言だろうか。
(でも今確かに、オレの名を・・・。)
彼女はオレと違って、オレ達のことを名前で呼ぶことはない。
青年、少年、姫、白饅頭、そんなふうにばかり呼んでいた。
でも決して壁を作っているわけではなかった。
彼女の国がそういう文化だったのかもしれない。
見下ろす先にあるほっそりとした青白い顔。
月光のせいか、更に蒼く見えた。
(もし、こんな出会い方でなかったら。)
もし、セレス国でオレ達が普通に王に士官する身として出会っていたら。
もし、阪神国で笙悟くんとプリメーラちゃんのお友達として出会っていたら。
もし、ジェイド国で子どものころから幼馴染として育っていたら。
もし、桜都国で一緒にお店屋さんをしていたら。
もし、夜叉国で共に武士として働いていたら。
もし、ピッフルで一緒に知世ちゃんのボディーガードをしていたら。
もし、もし、もし・・・・
(君はオレのことを本当の名前で呼んでくれたのかな。)
君はオレを守るために怪我なんてしなくて。
オレも吸血鬼になって君の血を吸うことなんてなくて。
2人で平和に笑いあって。
小狼君とサクラちゃんの行く末を笑顔で見守って。
そんな世界が、どこかにあるのだろうか。
「ねぇ、黒鋼。」
閉じたままの薄い瞼は開くことはなく、青紫色の唇はオレに言葉を返さない。
オレのことを呼ぶこともない。
「オレ、君のこと嫌いだよ。」
なのにどうしてこんなに星は綺麗で、俺達を焼く酸の湖はこんなにも静かに星を映すのだろう。
蛇の死体と、死臭の漂うこの場所で生きているのは、オレと君だけだ。
涼しい夜風が吹き抜ける。
ありえない仮定は、忘れてしまおう。
今だ。
オレの目の前にあるのは、今しかない。
だから、漏れたため息と共に、オレは青白い顔に呟いた。
「君のことなんか、大嫌いなんだ。」
ぼんやりと目が開いた。
「おはよう、黒鋼。」
声がした。
俺を黒鋼と、呼ぶ声が。
そうか、これが現実なのだ、と思う。
彼は俺を突き放す。
ただ、それだけなのに、胸が痛んだ。
痛んではならないはずなのに。
自らが選んだ道なのに。
たとえ、どんな手を遣ってでも、彼を生かそうと・・・
そこで重要なことを思い出し、がばりと身を起こす。
「姫はっ?!」
「大丈夫、ちゃんと対価を払ってくれたよ。」
青年は笑顔を張りつけて答えた。
俺は思わずため息をつくと、腹の傷が急に痛んだ。
見るときれいに包帯が巻かれている。
「君がオレに運ばれるなんて、珍しいこともあるものだねー。」
しらじらしい声に、辺りを見回し、ここが都庁だということを認識する。
薬も包帯も水も少ないこの国に、申し訳ないことをしたと思う。
「背中の傷もなおさせてもらったよ。
君が倒した獲物が大きかったから、薬代には充分だって。」
その言葉に、ため息をついた。
声を聞きつけたのか、少年と少女、そして白饅頭がカーテンの向こうから姿を現した。
「黒鋼さんっ!」
泣きそうな顔をして駆け寄る姫は、足を引きずっている。
「痛むのか?」
そう尋ねれば、姫は首を振って倒れるように俺に抱きついた。
「もうあんな無茶しないでくださいっ!」
ぐすぐすと泣く温もりが愛おしくて、俺はそっと柔らかい髪を撫でた。
「限度分かってやっている。」
「嘘。
死にそうだった。」
ぎゅっとしがみつく腕が愛おしい。
肩に埋める吐息が愛おしい。
この子の全てが愛おしかった。
「俺はお前をおいて死にはしない。
お前を守ると約束しただろう。」
姫はようやく離れて、赤くなった目をぬぐった。
「大丈夫だ。」
そう言って笑ってやれば、姫は少し驚いた顔をしてから、やさしく微笑んでくれた。
黒鋼が目を覚ましたので、モコナに魔女さんに繋いでもらう。
彼女は、静かに話し始めた。
サクラの記憶を奪った男が飛王・リードという男だと言うこと。
狙いはその羽根を集めるためにサクラの躯に世界を旅させること。
既に飛王のたくらみを知る小狼を攫い、何も知らないが羽根を集めることを何よりも優先する小狼を作ったこと。
そして、黒鋼の母を殺め、国を滅ぼし、日本で唯一異世界へと送る力を持つ知世に、
バキッ
その音に皆が彼女を振り返った。
黒鋼の拳が、石の台座を陥没させたのだ。
「・・・違う。」
明らかに殺気立っていた。
怪我をしているサクラちゃんが殺気に当てられないよう、オレは少し抱き寄せる。
「自分の意志だ。」
「知世姫も信じているわ。」
「あいつはそんなことはしない。」
ふわりと鼻につく、甘い香り。
黒鋼の血の匂いだ。
殴ったときに手でも切ったのだろうか。
他の人の血ではこうはならないのに、体がひどく疼く。
「そうよ、だから思惑だと知っても送りだした。」
燃えるような紅い目は、魔女を見据えていた。
「貴方を信じているから。」
その言葉に殺気は消えた。
このくらいのことで殺気立つなど、彼女には珍しい。
見ていることを気づかれないうちに、目を魔女さんに戻した。
「ファイ、貴方もそう。
仕組まれたこととそうでないこと、あなたにはもう分かっているでしょう。」
不意に振られた言葉に、オレは視線を外す。
分かっていた。
思い出したくもない、忌々しい記憶。
ふと、サクラちゃんのひんやりとした手が、オレの手に触れた。
その手は前ほどの温もりはなかった。
もう永遠に温もりを失ってしまったのだろうかと思うほどに。
(大丈夫だよ。)
そう言ってくれる瞳が、オレの腕の中にあった。
黒鋼のような燃える血のような瞳ではなく、包み込むような優しい瞳が。
「彼の目的のために、貴方達が集められた。
確かに仕組まれた旅だけれど、その後は貴方達の石で選んできたこと。
失われた者も多いけれど、生まれたものもまた多い。
だからこれからのことも貴方達が選べばいいわ。」
サクラちゃんが立ち上がった。
決意のこもった横顔は、誰にも否と言わせないものがある。
「旅を続けます。
小狼君を・・・探すために。
小狼君の心を取り戻すために。」
そう言うことは分かっていた。
だからこそもうこの子を、誰にも傷つけさせやしない。
黒鋼がしたような、獅子が子を谷に落とすようなことも、もう決してさせない。
オレは微笑む。
「オレ、一緒でもいいかな。
小狼君のところにはオレの魔力がある。
引かれあうから探すのに少しは役に立つかも。」
でもサクラちゃんは表情を曇らせた。
「それはファイさんの本当の気持ちですか。
私が行くって言ったから、本当にしたいこと隠していませんか。」
なんて優しい子なんだろう。
オレのただのエゴだと言うのに、どうして彼女はオレのことを心配してくれるんだろう。
彼女を守りたいと、思っているだけなのに。
「本当にしたいことだよ。
治癒系の魔法も使えない魔法使いだけど、一緒に居させてくれる?」
「魔法が使えても使えなくても・・・ファイさんはファイさんです。」
彼女はオレに安心をくれる。
穏やかな心を。
だからオレは、彼女を守る。
守ってみせる。
「我が唯一の姫君。」
そっと傷だらけの指先に口づけを落とす。
サクラちゃんは誰にも渡さない、誰にも任せない。
たとえ、黒鋼であっても。
これ以上傷つけないために。
「モコナも一緒に旅したい!」
小さなモコナが精一杯背伸びする。
優しい子だ。
サクラちゃんみたい。
「黒鋼は?」
そしてときどき、真っ直ぐすぎてめまいがする。
オレにはあまりに眩しすぎる。
質問の先に居た黒鋼はふっと視線を緩めた。
紅い瞳が、柔らかく揺らぐ。
それはどこか夕焼けを思わせる切なさで。
「約束を守る。」
短い一言。
「約束・・・?」
首をかしげる小狼君。
「俺は約束したはずだ。
お前たちを守ると。」
その言葉に、小狼君の表情が曇る。
きっと、ここにはいない小狼君のことを思ったんだろう。
でも、紅い瞳が小狼君を見つめた。
ここからでは見えないけれど、優しい顔をしているのは不思議と分かった。
「お前もだ、小狼。」
小狼君が目を見開く。
「護衛は必要だろう。」
振り返ってサクラちゃんを見て微笑む。
その柔らかさは、オレ達の知らないものだった。
「黒鋼さん、でもそれは」
「お前が少年をを探す思いと同じだ。」
サクラちゃんの言葉を遮って、強くそう言う黒鋼。
彼女はこの場に及んでどうしてそれほどまでに強くあれるのだろう。
紅い瞳が、オレを映す。
「お前が姫を守りたいと思うのと同じ。」
心臓が跳ねる。
その紅い瞳が、開けてはいけない記憶の箱をこじ開けてしまいそうで。
「お前が守りたいと思うのとも、同じ。」
小狼君を見つめると、彼も同じように驚いたようだった。
黒鋼はその目を魔女さんに戻す。
「約束を果たすまでだ。」
その強い瞳に、魔女さんは静かに微笑んだ。
「そうね、あなたには大切な約束があったわね。」
何かを知るふうの2人に、オレ達がつけ入る隙はない。
「貴方は、小狼。」
最後の一人、小狼君に視線が集まる。
「取り戻したいものがある。
もう戻らないかもしれないけれど、守れるなら守りたい。
一緒に行きたい。」
強い瞳をして言う彼は、ここにはいないもう一人の小狼君と、何も変わるところなんてなかった。
「わかったわ。
では行きなさい。
己の望みのままに。」
オレ達の旅が今、始まる。