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足跡を必死に追いかける。
途中でまた乱闘跡があり、そこから血が混じっている。
怪我をしたのだ。
だが、確実に獣は倒していた。
初めてなのに大したものだ。
血が足りないのは百も承知だ。
ふらつく足を必死に動かす。
「くそっ。」
額から滴り落ちる血を拭う。
姫は必至だ。
必死に取り戻そうとしている。
必死に生きようとしている。
自分のために、仲間のために、小狼のために。
(俺が叶える。)
しばらく行けば廃墟の山が現れた。
(その願いを。)
ここを登ったのだろう。
独りで。
筋肉もない彼女だ。
あの柔肌を血に染めて登ったのだろう。
彼女はそこまでして戦っているのだ。
あの、守られていた少女が。
優しい笑顔の少女が。
(叶えて見せる!!)
上から聞こえる獣の雄たけびに助走をつけ、飛び上がる。
先の乱闘で獣に切りつけられた傷がズキズキと痛んだが、それに構っている暇はない。
続く戦闘音、壁に打ち付けられる音に、焦りながら上り詰める。
そして、その惨状に目を見開いた。
湖のほとり、血を流して倒れる姫。
その前に、2つの頭を持つ巨大な蛇。
姫はピクリとも動かない。
「・・・姫・・・。」
彼女は覚悟したのだ。
少年を救うと。
共に生きる未来を探すと。
この結果は許さない。
許せるはずがないのだ。
俺は駆けだす。
蛇が気づく前に蹴り飛ばした。
湖に倒れた蛇は煙を上げながら悲鳴を上げてのたうちまわる。
酸の湖なのだろう、痛むのは当たり前だ。
俺はその間に姫を壁際に寄せた。
傷だらけだが、まだ息はある。
湖から這い出た蛇の目は怒りに燃えていた。
牙をむいて襲いかかってくる。
それを避け、後ろから蹴り飛ばそうとしてもうひとつの頭に見つけられ、慌ててかわす。
先の戦いでも思ったが、複数頭があるのは何とも戦い辛い。
周囲に落ちていた鉄棒を拾い、胴体に振り下ろす。
おぞましい悲鳴と共に蛇がのたうちまわる。
その尾を避けようとして飛び上がる身体が、何かに叩きつけられた。
何が起きたのか、判断できない。
俺が跳んだ軌道上に、蛇はいなかったはずだ。
くらくらする頭、辺りを確認しようとするのに、焦点が定まらない。
気配が増えていた。
もしかしたら蛇の仲間がいたのかもしれない。
続いて激しい痛みが腹を襲う。
何かに貫かれたのだと気づくまで、時間を要した。
「・・・・ああぁぁぁッ!!」
悲鳴が漏れる。
激しい痛みと、燃えるような熱。
毒が入ったのかもしれない。
続いて銃声が響いた気がした。
そして体が放り出される。
地面にたたきつけられた時には、もう意識は失っていた。
私はまた殺した。
それでも取り戻したくて、酸の湖を渡り、その中央にあった卵を手にした。
その色はすでに黒く変色している。
まるで私が犯した罪のようだ。
どうしたらいいのか分からない。
でも、何も考える気力なんて起きなくて、それをホルスターにしまって再び足を焼く湖を渡る。
痛くて、疲れて、意識がもうろうとしていた。
濃い血の匂いが辺りに立ち込めていて、それがさらに思考能力を奪う。
「小狼君・・・」
重い自分の身体を抱きしめる。
「あなたは今、どこに居るの・・・?」
問いかけても返ってくるはずはない。
彼はもうここにはいない。
目が覚めた時、ファイさんは右目を亡くしていた。
もう一人の小狼君は足をけがしていて、黒鋼さんも傷だらけだった。
誰も言わなかった。
でも、分かる。
全部、彼がしたのだ。
「小狼君・・・。」
風が吹く度、焼けた場所が痛んだ。
当然の報いだと思った。
私は自分勝手な理由で、命を奪う。
彼に戻ってきてほしいと言う、唯それだけのために。
(そう、それだけなのだ。)
徐徐に意識がはっきりしてくる。
守られてばかりではだめなのだ。
失ってしまう。
大切なものを、失ってしまうから。
(私の願いは、唯一つ。)
決めた。
覚悟したのだ。
真っ赤な瞳に、誓った。
深い呼吸をしてから、目をあける。
満月が、雲間から姿を現した。
「あなたの心を、取り戻すと決めたの。」
起き上がってホルスターの中から卵を取り出す。
小狼君を取り戻すには、まずはこの卵を銀色にしないといけない。
ふと何かが動く音がした。
また生き物が襲ってくるのだろうか。
音のした方に目を凝らす。
そして、私は自分が忘れていた大切なことに気がついたのだ。
「黒、鋼、さ、ん・・・。」
そこには、痙攣を起こすその人がいた。
真っ青な唇。
肌も蒼白い。
きっとあの蛇の毒にやられたのだろう。
月の光の中で彼女は、刻一刻と、死に近づいていた。
「黒鋼さんッ!!!!」
駆け寄って抱き寄せる。
どうして忘れていたのだろう。
自分のことばかり考えて、自分のために命を張ってくれる人の存在を、私は、盾にしたこの人を。
「どうして!」
取り戻したかった。
小狼君の心をとにかく取り戻したかった。
そして、今までのように過ごしたかった。
ファイさんと、モコちゃんと、黒鋼さんと、小狼君と、旅がしたかった。
「なのに!」
唯それだけなのに、腕の中で体は冷たくなっていく。
仲間から2人が欠けることなんて、そんなことなんて。
「黒鋼さん!」
私のわがままが、この国の獣だけではなく、仲間である彼女の命をも奪う。
あの美しい紅い瞳が、生気なくうつろに月を映す。
ぴくぴくと体が痙攣する。
「いやっ!ダメ!」
小狼君の心が戻ってくることを望んだだけだった。
黒鋼さんが助けてくれると、信じていた。
なのに、この人の命が失われるなんて、そんなこと。
そんな選択を、いったいいつ、どこで、したというのだ。
「お願いっ目をあけて!!」
痙攣が消えていく。
それは彼女の生きているサインが消えていくようだった。
「いやぁぁぁっ!!」
「黒鋼さんっ黒鋼さんっ!!」
必死に呼ぶ声がする。
ぱたぱたと顔に何かが落ちる。
昔、こんなことがあったと、ふと思い出す。
小さな少女をかばったのだ。
大切な大切な、自分の君主である月読を。
彼女は泣いた。
どこも痛くないはずなのに、泣いた。
「・・・知、世・・・。」
「黒鋼さん!」
いや、この声は違う。
「・・・姫・・・か。」
泣いているのは小さな少女ではなく、姫だった。
目をあけているはずなのに、姿はぼんやりとしか見えない。
毒に視力をやられたか。
(忍びとしては再起不能、だな。)
「よかっ、た。」
安堵したかのような声色に、眉をしかめる。
「馬鹿。
対価、は?」
ぼやけた視界の中で彼女は傷だらけの手を見せた。
その中には黒くくすんだ卵がある。
俺は信じられなくて、手を伸ばしてその存在を確認する。
間違いない、だが、黒い。
思わず俺は眉をひそめる。
言われていたのは輝く銀の卵だったはずだ。
見上げると姫は首を横に振った。
「いいの、もういいのっ!」
俺の肩に姫は縋りつく。
「かえろう・・・みんなのところに。」
彼女は決心していたはずだった。
なのに、どうしたのだろう。
「大丈夫、だ。
少年は、必ず、」
「もういいの!!」
珍しく姫が叫んだ。
それから、それに気づいたのか、俺を抱きしめてもう一度静かに言った。
「もういいの。」
「よ、く、ない。」
「いいんです。」
俺の気を失った姿を見て、諦めるつもりだろうか。
「決めたん、だろう?」
「でも、もう失いたくない。」
顔を覆う傷だらけの手。
彼女には言いづらいが、俺は放っておけばじきに死ぬだろう。
痛々しい手にそっと触れた。
俺は、彼女のためにならもし、命を落としてしまってもいいと思った。
姫が決意をしたのだ。
それほどまでに守りたいと。
ふと、魔女が言っていた詩を思い出す。
ー失いし水の底 侵されし紅き滴が 命を浄化する
捧げよ そして 血の涙を・・・。ー
額の血が目に入ったのか、視界が更に悪くなる。
目をこする俺を見た姫が、驚いたように目を見開く。
「黒鋼さんっ!!」
その手を止められ見てみれば、血がべっとりと付いていた。
「そう、か。」
毒の作用だろうか。
だが、謎は解けた。
「卵を。」
姫が首を振る。
「頼み、だ。」
姫が瞳を揺らめかせた後、不安げに手渡す。
体を起こすのを手伝ってもらい、湖の縁に再び座る。
黒い卵に頬ずりをして血の涙をつけ、湖に沈めた。
「俺の、言う、とおり・・・祈れ。」
姫が巫女の力を持つことは俺にも分かった。
だからこそできると思ったのだ。
母のように、命の浄化を。
「この淀みし命を清めたまえ。」
姫が復唱すると、湖の中の卵が輝いた。
「この血を対価に、力を与えたまえ。」
姫が言った瞬間、ドンっという衝撃と共に腹の傷に水が飛び込んだ。
激痛に思わず目を見開く。
傷口から血が体内をめぐる。
悲鳴を上げようとして、口から水と共に血が溢れた。
最早苦しみは声にならない。
「いや!待ってっ!!」
姫が叫んでいるがどうすることもできない。
目からも真っ赤な涙があふれる。
「黒鋼さんっ!!」
俺の体から抜けた真っ赤に染まった水は、まるで意識があるかのように再び湖に戻り、そして、ひとつの輝く銀の卵が浮かび上がってきた。
間違いなく対価として求めれれていた物だろう。
俺にすがりつくようにしていた姫が、卵を拾い上げる。
そして俺の顔を見て、目を見開いた。
「血が、止まっている・・・。」
言われてみれば、視界がクリアだ。
身体も楽になっているのは、毒が抜かれたからだろうか。
だが、もう限界だった。
体がバランスを崩し、倒れる。
「黒鋼・・・さん?」
「悪い。
血が・・・足りない、ようだ。」
対価として足りない分は、武器がない状態で俺達がこれだけ苦しむことで賄ったと言うところか。
それとも俺の血だったのだろうか。
諏訪の当主でなくなっても、俺の血には価値があるとでも言うのだろうか。
いずれにせよ、たとえ武器がなくともここまでこれたことに感謝する。
「嫌!一緒に」
「約束したな。
守りたいもののためなら、俺を捨てろ。」
今にも泣き出しそうな頬に、そっと触れる。
「大丈夫だ、俺はしぶといからな。
それに今は幸い血が足りないだけらしい。
心配いらない。
ひと眠りしたら動けるだろう。」
それは事実だ。
毒は不思議と浄化されたらしい。
俺の手に姫の手が重なる。
「大丈夫だ、お前は強くあれ。
やり抜くんだ。
心を強く、強くあれ。」
姫はこくりとひとつ頷いた。
そして立ち上がる。
足を引きずりながら去っていく背中を、俺は意識を失うまで見つめていた。