高麗国
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「これだけ歩いて無駄足なんて……」
小僧が呟く傍で、男が壁に手をかざしている。
真剣な眼差しは、玄人の顔だ。
どのような者であれ、その道の者の真剣な顔は美しい。
「……ここかなぁ」
「何かありましたか?」
「うん、この壁の向こうに領主がいる気がする。
わかんないけど、この壁の向こうからとても強い力を感じるかも?」
あれだけ魔女に拒否しておきながらこの男は何をしているのか。
「魔法は使わないのでは」
「今のは魔法じゃなくてカンみたいなものだから」
羽根を見つけることに対しては協力的だが、魔法は頑なに使わない。
彼の背後に何があるのか、それが羽根に関連することは間違いないだろう。
別の世界にいた彼が早くも羽根を手に入れていた理由は、世界が異なるから時間も異なるということによるとすると、もしかしたら彼はこの羽根に関して些細を知るのかもしれない例えばーー羽根を集める利点は、姫以外にもある、とか。
へらへらしているのは気に食わないが、よく観察するに限る。
「どけ」
とりあえず軽く飛び上がり足に気合を込めてとび蹴りを壁にくらわすと、砕くことができたようだ。
「あたりー!」
モコナが飛び込む。
「誰かいます」
広い円形の部屋の中央、高い天蓋の下に着飾った美しい女がいた。
「よう来たな。
虫けらどもめ」
この女、人間ではない。
ただならぬ妖気だ。
「だれだ?」
「虫けら同然の人間たちが、口のきき方に気をつけよ、と言いたいところだが、久しぶりの客だ。
大目に見てやろう」
妖艶に微笑む。
「領主の居場所を教えてはもらえませんかー?」
「探し物があるかもしれないんです。
お願いします」
「面白い童達じゃ。
しかしその問いに答えることはできん。
それにここを通すわけにもいかぬ」
手荒なまねもするという事だろう。
これほどの力があるのに、あの領主の言いなりというのは違和感がある。
だが邪魔立てするというならばこちらも刀を抜くしかない。
「いた仕方ない」
俺は腰に手を伸ばし、やはり刀が無いことに思わずため息をついた。
(銀龍……)
愛しい愛刀は、今何処にあろう。
「察しのいい童じゃの」
周囲の様子は部屋から一転。
湖の中に立つ館の中に女はいた。
辺りに立つのは細く高く、切り立った岩のみ。
宙には大きな水滴が浮いている。
現実にはあり得ない、美しい世界だ。
「幻か?」
「いや、秘術じゃ。
わらわのつくる秘術は美しいだけではない」
女が小僧を指差す。
「よけろ!」
瞬時に反応できない小僧を高い岩の上から攫う。
そのまま湖の中に飛び降りた。
湖の水かさは浅く、ふくらはぎの中ほどまでつかる程度だろう。
足を襲う痛みに、咄嗟に飛び上がる。
岩の上に落ち着くと、痛みに短く息を吐き出し、少年の足を確認する。
つま先が溶けているようだ。
「痛むか」
彼は首を振った。
「おれは大丈夫です。
それより黒鋼さんの足が……」
「こんなの傷に入らん」
不安げな小僧に笑って見せる。
酸に強い加工を施した靴だったはずだが、それでも溶けて足がただれている。
「強酸だ。
溶けるぞ」
男に声をかける。
彼は珍しく少しだけ難しい顔をした。
「私の秘術によってできたものは全て現実だ。
死にも至らしめる」
空中に浮かばせた酸の水玉を自在に操り、当てようとする女。
近くにある街灯のようなものに目をつけ、水玉をよけながらとび蹴りをくらわすとへし折ることができた。
一本を青年に投げる。
「素手では触れられんだろう」
「さすが黒りん!
気がきくねぇ」
「その呼び方やめろ」
そう言いながら思わず男に襲い掛かる玉をはじき返す。
「ひゅー黒様すてき!」
「やめろと言っているだろう」
一瞬苛立ち、あのまま助けてやらずに放っておけばよかったと思った。
だが明るく振る舞って見せるのは、小僧のためだろう。
この男、恐らく小僧に情が移り始めている。
繊細な心の持ち主は、扱いに注意は必要で、染まりやすいのがひとつの特徴だ。
「小狼君、ここはオレ達に任せてモコナと先に進んで!
足が動くうちは先に進まないと!
小狼君にはやることがあるんだから」
羽根を集めること。
それはこの男にも何かしら関係があり、するべきことの一つなのだとすれば、羽根に関して彼の言うことは信じられる。
「大丈夫!ここは黒ぴーが何とかするから!
上の方が魔力が薄い。
小狼君ならでられるよね」
男の視線が俺に向いた。
あの高さなら、確かにできないこともない。
「小僧」
呼べば彼はついてくる。
一番高い岩に駆けのぼり、棒を構える。
「飛び乗れ!」
「はい!」
棒の端にモコナを乗せた小僧が飛び乗る。
気合を込めて振るう。
風を切って棒がしなる。
少年はその棒を蹴って飛び上がり、そして姿を消した。
「ひゅー二人ともかっこいい!」
「やめろと言っている」
懲りぬ男だ。
「ひとり逃がしてしまったか。
しかたない。
残りの童たちに少々灸をすえるか」
湖の水が、水玉となって宙に浮かんでいく。
俺は迷わずマントを脱いだ。
これだけでも着てきてよかった。
それを頭から男にかける。
男は呆気に取られた様で、目を見開いているから、安心させるように微かに目を細めてその顔もマントで覆う。
彼が何かをする隙もなく、大量の雨が降り出した。
「ちょっ黒りん!」
雨音の中で男の声が響く。
俺のしたことの理由に気づいたのか、脱ごうとするからその肩をつかんでやめさせる。
やはり酸に強いマントでも、もう溶け始めている。
肩をつかむ俺の腕から煙が上がる。
この男は繊細だ。
容姿も、心も。
だから、優しさに流され、情が移りやすい。
だからーー微かに緩めた手。
降りしきる雨の中、マントの隙間からこちらを見て、美しい青い瞳が怯えた様に瞠目する。
「気にするな」
強く短く、言葉をかけてやる。
本当に、この酸は強い。
改めて首を通し、フードをかけてやると、彼は静かに目をそらした。
その行動は、予定通りだ。
こちらの誘導に従った、予定通りの行動であるのに、心の片隅が微かに色づき、慌てて蓋をする。
雨はやまない。
男は空を見上げた。
「先ほどの童と同じ方法では逃げられぬぞ」
それに気づいた女が大きな水玉を頭の上に落とす。
それを男が叩き割ろうとするが、水はその反動ではじけて滝のように降り注ぐ。
棒で彼を弾き飛ばし、俺もその反動で他の岩に飛び移った。
再び足先が水をかぶったようだ。
もはや靴の形はない。
向こうの岩を確認すれば、男は衝撃でむせているが、血は吐いていないから内臓は無事だろう。
「黒むーひどいー」
苦しげな声がする。
「死にたいか?」
「いや、分かってるんだけどー
もっと優しく移動させてほしかったよう」
少しは真面目になってきたらしい。
「なかなかやるな。
しかし、そろそろお別れだ。
この国に本当に必要なのは、あの春香の母親のような秘術師や、童達だろうが。
理不尽にもあの領主の命を聞かねばならぬ。
名残惜しいが」
光を放つ女はあやしくも美しい。
男と俺を取り囲むように波が起きて、このままではただではいられない様になってきた。
ドドドゥと激しい音が鳴る。
「わー最大のピンチとか言うやつかなぁ」
声にも僅かに真剣味が感じられる。
「まぁな」
「えーっと、それは困るかもー」
ちらりと見る。
マントはだいぶ溶けてしまっている。
白い肌が赤く焼けていて、痛々しい。
「オレ取りあえず死ねないもん」
妙な空気を出す男だ。
「この状態になっても、魔法はつかわないのか」
「うん、ごめんねぇ」
生きる気があるのかないのか。
全く、いけすかない。
いずれも俺には関係ないが。
彼は淡く寂しげに微笑んだ。
貼り付けられた笑顔よりはそう言う顔の方が何倍も増しだ。
「黒みーは?」
「俺も日本国に帰るらねばならない。
さっさと羽根を見つけて次の世界に行く」
「オレもあんまり一か所にはいたくないからねぇ」
珍しく自分のことをよく話す。
危機を感じると饒舌になる。
それは多くの敵の命を奪ったからこそわかる傾向でもあるが、これは好機だ。
「なぜだ?」
「元いた国の水底で眠っている人がもし目覚めたら、追いつかれるかもしれないから。
オレは逃げなきゃならないんだよ、いろんな世界を」
貼りつけた笑顔。
俺が一番嫌いなものを、再び彼は身につけた。
だが理由は違えど目的は同じとなれば、相手を信じることもできよう。
「波の間、通り抜けられるのが2人分になったら、あの女に襲いかかれ。
お前の肩を借りてスピードをあげ、俺が打つ」
「お、黒様、やる気だねぇ」
なにより、ここを速く抜け出したい理由はほかにもある。
「ああ。
あれからだいぶたつが、女は態度を変えない。
つまり小僧が領主を倒していない証拠だ」
あの少年に、あまり怪我をさせたくない。
我が身を顧みることなどないから心配だ。
「優しいんだね。
黒りんは……さ」
男は岩をけり、飛び上がった。
「軽口を叩く暇はないぞ」
俺も続いて飛び上がる。
波間をすり抜けた直後、後ろでどぉっと音がして、水が激しく飛び散る。
「死に急ぐか」
俺は少し前を飛ぶ男の肩を蹴り、スピードを上げて女の額に埋め込まれた石を砕くために棒を振りあげた。
「黒っ……!?」
黒様の脇腹から先端をのぞかせる女の長い爪に、オレは背中が寒くなるのを感じた。
先端から血が滴る。
誰が死のうと、かまやしないのに。
彼女の傷など、オレには、なんとも。
「残念だ、童。
なかなか面白い虫けらであったが」
耳元に口を寄せ、どこか寂しげに囁く女。
「お褒めに預かり光栄だ」
しかし次の瞬間、女の額に棒が振り下ろされる。
額の石が見事に粉砕した。
その反動で爪は腹部から抜けたらしい。
よろめく身体に、駆け寄れないオレがいる。
黒様は自分の足でなんとか踏ん張り、立っている。
「どうだ、女」
そして、そう少し楽しげに尋ねる。
その身体に、女は手を伸ばす。
腰を引き寄せ、そして頬に唇を落とした。
「助かった。
あの石のお陰で領主ごときに支配されておったのだ」
「良かった」
そう言って優しく微笑む。
そう、彼女は優しい。
自分が焼けるのもかまわず、オレにマントを渡した。
俺は男で、彼女は、いくら男として生きていても、女なのに。
あの波に襲われて死にそうなときだって、小狼君を心配していた。
今だって、さっきまで敵だったこの女を解放するために、怪我までして。
「あの小さい童は領主のいる最上階についたようだ。
あの領主……また下衆な術を使っておるようだがな」
女に殺気が宿る。
「それでは俺たちはこれで失礼する」
駆けだそうとする黒むーの手を、女はとった。
「来い」
彼女は館の奥に進む。
また何かしようと言うのかだろうか。
しかし黒様はそれについて行くようだ。
「黒様?」
不安になって声をかける。
「およそ最上階に連れて行ってくれるのだろう」
振り返った彼女の視線は鋭かった。
それが領主に向けられている殺気だと知ってなお、恐ろしい鋭さだった。
それも一瞬で、すぐに背中を向けられた。
彼女の目の前には先の見えぬ穴が口を開けていた。
「ここで待っていてもかまわない。
先のように命にかかわらないとも限らぬからな」
彼女は、オレに聞く。
それはきっと、オレがみんなとは少し違った立ち位置にいることを感づいているからだろう。
「……行くよ」
俺は駆け寄った。
「行く」
何も言わぬ背中に、マントをかけた。
もうずいぶんぼろぼろになってしまっている。
マントも、彼女も。
「ごめん」
なんとかそう言い添える。
胸がきりきりと痛んだ。
小僧が呟く傍で、男が壁に手をかざしている。
真剣な眼差しは、玄人の顔だ。
どのような者であれ、その道の者の真剣な顔は美しい。
「……ここかなぁ」
「何かありましたか?」
「うん、この壁の向こうに領主がいる気がする。
わかんないけど、この壁の向こうからとても強い力を感じるかも?」
あれだけ魔女に拒否しておきながらこの男は何をしているのか。
「魔法は使わないのでは」
「今のは魔法じゃなくてカンみたいなものだから」
羽根を見つけることに対しては協力的だが、魔法は頑なに使わない。
彼の背後に何があるのか、それが羽根に関連することは間違いないだろう。
別の世界にいた彼が早くも羽根を手に入れていた理由は、世界が異なるから時間も異なるということによるとすると、もしかしたら彼はこの羽根に関して些細を知るのかもしれない例えばーー羽根を集める利点は、姫以外にもある、とか。
へらへらしているのは気に食わないが、よく観察するに限る。
「どけ」
とりあえず軽く飛び上がり足に気合を込めてとび蹴りを壁にくらわすと、砕くことができたようだ。
「あたりー!」
モコナが飛び込む。
「誰かいます」
広い円形の部屋の中央、高い天蓋の下に着飾った美しい女がいた。
「よう来たな。
虫けらどもめ」
この女、人間ではない。
ただならぬ妖気だ。
「だれだ?」
「虫けら同然の人間たちが、口のきき方に気をつけよ、と言いたいところだが、久しぶりの客だ。
大目に見てやろう」
妖艶に微笑む。
「領主の居場所を教えてはもらえませんかー?」
「探し物があるかもしれないんです。
お願いします」
「面白い童達じゃ。
しかしその問いに答えることはできん。
それにここを通すわけにもいかぬ」
手荒なまねもするという事だろう。
これほどの力があるのに、あの領主の言いなりというのは違和感がある。
だが邪魔立てするというならばこちらも刀を抜くしかない。
「いた仕方ない」
俺は腰に手を伸ばし、やはり刀が無いことに思わずため息をついた。
(銀龍……)
愛しい愛刀は、今何処にあろう。
「察しのいい童じゃの」
周囲の様子は部屋から一転。
湖の中に立つ館の中に女はいた。
辺りに立つのは細く高く、切り立った岩のみ。
宙には大きな水滴が浮いている。
現実にはあり得ない、美しい世界だ。
「幻か?」
「いや、秘術じゃ。
わらわのつくる秘術は美しいだけではない」
女が小僧を指差す。
「よけろ!」
瞬時に反応できない小僧を高い岩の上から攫う。
そのまま湖の中に飛び降りた。
湖の水かさは浅く、ふくらはぎの中ほどまでつかる程度だろう。
足を襲う痛みに、咄嗟に飛び上がる。
岩の上に落ち着くと、痛みに短く息を吐き出し、少年の足を確認する。
つま先が溶けているようだ。
「痛むか」
彼は首を振った。
「おれは大丈夫です。
それより黒鋼さんの足が……」
「こんなの傷に入らん」
不安げな小僧に笑って見せる。
酸に強い加工を施した靴だったはずだが、それでも溶けて足がただれている。
「強酸だ。
溶けるぞ」
男に声をかける。
彼は珍しく少しだけ難しい顔をした。
「私の秘術によってできたものは全て現実だ。
死にも至らしめる」
空中に浮かばせた酸の水玉を自在に操り、当てようとする女。
近くにある街灯のようなものに目をつけ、水玉をよけながらとび蹴りをくらわすとへし折ることができた。
一本を青年に投げる。
「素手では触れられんだろう」
「さすが黒りん!
気がきくねぇ」
「その呼び方やめろ」
そう言いながら思わず男に襲い掛かる玉をはじき返す。
「ひゅー黒様すてき!」
「やめろと言っているだろう」
一瞬苛立ち、あのまま助けてやらずに放っておけばよかったと思った。
だが明るく振る舞って見せるのは、小僧のためだろう。
この男、恐らく小僧に情が移り始めている。
繊細な心の持ち主は、扱いに注意は必要で、染まりやすいのがひとつの特徴だ。
「小狼君、ここはオレ達に任せてモコナと先に進んで!
足が動くうちは先に進まないと!
小狼君にはやることがあるんだから」
羽根を集めること。
それはこの男にも何かしら関係があり、するべきことの一つなのだとすれば、羽根に関して彼の言うことは信じられる。
「大丈夫!ここは黒ぴーが何とかするから!
上の方が魔力が薄い。
小狼君ならでられるよね」
男の視線が俺に向いた。
あの高さなら、確かにできないこともない。
「小僧」
呼べば彼はついてくる。
一番高い岩に駆けのぼり、棒を構える。
「飛び乗れ!」
「はい!」
棒の端にモコナを乗せた小僧が飛び乗る。
気合を込めて振るう。
風を切って棒がしなる。
少年はその棒を蹴って飛び上がり、そして姿を消した。
「ひゅー二人ともかっこいい!」
「やめろと言っている」
懲りぬ男だ。
「ひとり逃がしてしまったか。
しかたない。
残りの童たちに少々灸をすえるか」
湖の水が、水玉となって宙に浮かんでいく。
俺は迷わずマントを脱いだ。
これだけでも着てきてよかった。
それを頭から男にかける。
男は呆気に取られた様で、目を見開いているから、安心させるように微かに目を細めてその顔もマントで覆う。
彼が何かをする隙もなく、大量の雨が降り出した。
「ちょっ黒りん!」
雨音の中で男の声が響く。
俺のしたことの理由に気づいたのか、脱ごうとするからその肩をつかんでやめさせる。
やはり酸に強いマントでも、もう溶け始めている。
肩をつかむ俺の腕から煙が上がる。
この男は繊細だ。
容姿も、心も。
だから、優しさに流され、情が移りやすい。
だからーー微かに緩めた手。
降りしきる雨の中、マントの隙間からこちらを見て、美しい青い瞳が怯えた様に瞠目する。
「気にするな」
強く短く、言葉をかけてやる。
本当に、この酸は強い。
改めて首を通し、フードをかけてやると、彼は静かに目をそらした。
その行動は、予定通りだ。
こちらの誘導に従った、予定通りの行動であるのに、心の片隅が微かに色づき、慌てて蓋をする。
雨はやまない。
男は空を見上げた。
「先ほどの童と同じ方法では逃げられぬぞ」
それに気づいた女が大きな水玉を頭の上に落とす。
それを男が叩き割ろうとするが、水はその反動ではじけて滝のように降り注ぐ。
棒で彼を弾き飛ばし、俺もその反動で他の岩に飛び移った。
再び足先が水をかぶったようだ。
もはや靴の形はない。
向こうの岩を確認すれば、男は衝撃でむせているが、血は吐いていないから内臓は無事だろう。
「黒むーひどいー」
苦しげな声がする。
「死にたいか?」
「いや、分かってるんだけどー
もっと優しく移動させてほしかったよう」
少しは真面目になってきたらしい。
「なかなかやるな。
しかし、そろそろお別れだ。
この国に本当に必要なのは、あの春香の母親のような秘術師や、童達だろうが。
理不尽にもあの領主の命を聞かねばならぬ。
名残惜しいが」
光を放つ女はあやしくも美しい。
男と俺を取り囲むように波が起きて、このままではただではいられない様になってきた。
ドドドゥと激しい音が鳴る。
「わー最大のピンチとか言うやつかなぁ」
声にも僅かに真剣味が感じられる。
「まぁな」
「えーっと、それは困るかもー」
ちらりと見る。
マントはだいぶ溶けてしまっている。
白い肌が赤く焼けていて、痛々しい。
「オレ取りあえず死ねないもん」
妙な空気を出す男だ。
「この状態になっても、魔法はつかわないのか」
「うん、ごめんねぇ」
生きる気があるのかないのか。
全く、いけすかない。
いずれも俺には関係ないが。
彼は淡く寂しげに微笑んだ。
貼り付けられた笑顔よりはそう言う顔の方が何倍も増しだ。
「黒みーは?」
「俺も日本国に帰るらねばならない。
さっさと羽根を見つけて次の世界に行く」
「オレもあんまり一か所にはいたくないからねぇ」
珍しく自分のことをよく話す。
危機を感じると饒舌になる。
それは多くの敵の命を奪ったからこそわかる傾向でもあるが、これは好機だ。
「なぜだ?」
「元いた国の水底で眠っている人がもし目覚めたら、追いつかれるかもしれないから。
オレは逃げなきゃならないんだよ、いろんな世界を」
貼りつけた笑顔。
俺が一番嫌いなものを、再び彼は身につけた。
だが理由は違えど目的は同じとなれば、相手を信じることもできよう。
「波の間、通り抜けられるのが2人分になったら、あの女に襲いかかれ。
お前の肩を借りてスピードをあげ、俺が打つ」
「お、黒様、やる気だねぇ」
なにより、ここを速く抜け出したい理由はほかにもある。
「ああ。
あれからだいぶたつが、女は態度を変えない。
つまり小僧が領主を倒していない証拠だ」
あの少年に、あまり怪我をさせたくない。
我が身を顧みることなどないから心配だ。
「優しいんだね。
黒りんは……さ」
男は岩をけり、飛び上がった。
「軽口を叩く暇はないぞ」
俺も続いて飛び上がる。
波間をすり抜けた直後、後ろでどぉっと音がして、水が激しく飛び散る。
「死に急ぐか」
俺は少し前を飛ぶ男の肩を蹴り、スピードを上げて女の額に埋め込まれた石を砕くために棒を振りあげた。
「黒っ……!?」
黒様の脇腹から先端をのぞかせる女の長い爪に、オレは背中が寒くなるのを感じた。
先端から血が滴る。
誰が死のうと、かまやしないのに。
彼女の傷など、オレには、なんとも。
「残念だ、童。
なかなか面白い虫けらであったが」
耳元に口を寄せ、どこか寂しげに囁く女。
「お褒めに預かり光栄だ」
しかし次の瞬間、女の額に棒が振り下ろされる。
額の石が見事に粉砕した。
その反動で爪は腹部から抜けたらしい。
よろめく身体に、駆け寄れないオレがいる。
黒様は自分の足でなんとか踏ん張り、立っている。
「どうだ、女」
そして、そう少し楽しげに尋ねる。
その身体に、女は手を伸ばす。
腰を引き寄せ、そして頬に唇を落とした。
「助かった。
あの石のお陰で領主ごときに支配されておったのだ」
「良かった」
そう言って優しく微笑む。
そう、彼女は優しい。
自分が焼けるのもかまわず、オレにマントを渡した。
俺は男で、彼女は、いくら男として生きていても、女なのに。
あの波に襲われて死にそうなときだって、小狼君を心配していた。
今だって、さっきまで敵だったこの女を解放するために、怪我までして。
「あの小さい童は領主のいる最上階についたようだ。
あの領主……また下衆な術を使っておるようだがな」
女に殺気が宿る。
「それでは俺たちはこれで失礼する」
駆けだそうとする黒むーの手を、女はとった。
「来い」
彼女は館の奥に進む。
また何かしようと言うのかだろうか。
しかし黒様はそれについて行くようだ。
「黒様?」
不安になって声をかける。
「およそ最上階に連れて行ってくれるのだろう」
振り返った彼女の視線は鋭かった。
それが領主に向けられている殺気だと知ってなお、恐ろしい鋭さだった。
それも一瞬で、すぐに背中を向けられた。
彼女の目の前には先の見えぬ穴が口を開けていた。
「ここで待っていてもかまわない。
先のように命にかかわらないとも限らぬからな」
彼女は、オレに聞く。
それはきっと、オレがみんなとは少し違った立ち位置にいることを感づいているからだろう。
「……行くよ」
俺は駆け寄った。
「行く」
何も言わぬ背中に、マントをかけた。
もうずいぶんぼろぼろになってしまっている。
マントも、彼女も。
「ごめん」
なんとかそう言い添える。
胸がきりきりと痛んだ。
