紗羅ノ国
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夜叉王の部屋の扉を開けると、ふわりと風が髪をなびかせた。
大きな窓があいている。
傾いた月が、月の城の影を黒々と浮きあがらせていた。
「黒鋼、か」
部屋の中央に据えられた天蓋の中で声がする。
「失礼する」
俺は静かに歩み寄り、そっと天蓋を捲った。
「……夜叉王」
傷ついた右目には包帯が巻かれている。
再びあの黒曜石のような瞳が開くことはないだろう。
弱弱しい手に引かれるように、俺は傍らに膝をついた。
「私は、ここでは死ねない」
その弱弱しい手とは裏腹に、強い言葉。
「私は、この国を守らねばならない。
この戦を、守らねばならない」
片方だけになった黒い瞳は、天蓋の隙間から見える月の城を見上げていた。
「私に、決断する勇気を与えてはくれないだろうか」
強くあろうとする彼の言葉だったからだろうか。
それとも、王という存在を支えたいという俺に刻まれた思いからだろうか。
答えなど初めから決まっていて、迷うはずもなかった。
「何をすればいい」
彼は枕元の小箱を指さした。
俺はその箱を開け、目を見開く。
中には少女の羽根が入っていたからだ。
「これは私が子供のころに見つけたものだ。
不思議な力を感じるが、どう使うものか見当がつかなかった。
それでも捨てきれず、子どもの宝箱の中にしまっておいたのだ」
羽根はふわりと浮かびあがり、俺の目の前で止まった。
「昨夜、その羽から声が聞こえた。
その羽を使い対価として、残りの私の命と身体を与えるのならば、幻となって生き永らえることができると」
何を言おうと、彼は幻の命を手に入れるだろう。
彼は、王だ。
だが黒い瞳は、許しを請うているように見えた。
彼はただの人に過ぎず、それでいて多くの人の命を背負う。
ただ、独り。
彼は強い。
この国では誰よりも強い。
強くあろうとしてきたのだろう。
そうでなければ、民を守れない。
戦を守れない。
ただ独り、戦ってきたのだ。
そして彼は戦いの中、ただただ孤独であったのだ。
己の先に見える死と、それによって王を失う民の姿に、ただただ孤独を感じていたのだ。
ーーそしておそらくその孤独を理解する者がただ1人、この世界にいる。
だからこそ、彼の最後の願いを叶える責任を、少しでも背負うことを選んだ。
「それがお前の望みならば、それを貫け。
たとえ、人に有らざる者になろうとーーお前は王だ」
俺の言葉に、夜叉は穏やかな表情を見せた。
「結界を張る術を知っているか?」
俺はひとつ頷く。
「それでは、ひとつ頼まれてはくれないか」
俺は脇差を抜き、左手の手のひらに刀を走らせる。
何度も忠誠を誓った月読のために使った術。
彼女を守るために、習得した術。
でも、それを彼のために使うのも悪くないことだと思った。
「ありがとう」
夜叉が、微かに微笑む。
「夜叉の御霊を、守りたまえ」
彼の治める土地の精霊がふわりと姿を現した。
― 人の子よ、その願い確かに叶えよう ―
不意に気配を感じてオレは振り返った。
そこにいたのは。
「夜叉王?」
月の光を体に受け、その体はどこか輝いて見える。
否、よく見ればその体は透けているのだ。
「ファイと言ったな。
お前には礼を言わねばならない」
そう言われて、不意に彼の言葉を理解している自分に驚く。
夜叉はふっと笑いをこぼした。
「私は今や魂。
そしてお前の魂と話しているのだ。
言葉等問題ではない」
彼の手は血を流していたはずの右目に触れた。
そこには初めて出会ったときと同じ、黒曜石のような瞳があった。
魂になってしまえば、傷も癒えてしまうのだろうか。
「お前のおかげで、黒鋼は死なずに済んだ。
あれはこの国のために死すべき人ではない」
光を受けて光る白い手が、オレの髪に触れた。
「あの子はお前に辛く当るかもしれないが、お前は正しいことをした」
王の魂というのは、これほど美しいものなのだろうか。
清い流れが、自分の中に流れ込んでくるような気さえした。
民を守ろうとする人の姿は、これほど美しく、そしてそうあるべきなのだろうか。
(ならオレは、やっぱり無理だったんだ)
胸にチクリと何かが刺さった。
自分の心は自分が一番分かっている。
そもそも民のために、自分は何もしてやることなどできなかったーー生まれてくることが罪だったのだ。
自分の気持ちすら持てあまして、何をどうすればいいのかも分からない。
目の前の夜叉王はオレの魂を会話をしていると言った。
それならばきっと、オレのこと等全てお見通しなのだろう。
こんなに醜いオレを、どう思っているのだろう。
「夜叉王、」
口を開いたオレに、彼は微笑んだ。
その微笑みに、俺は尋ねようとした言葉を何となく引っ込めた。
オレなんかよりも、きっとずっと少ししか生きていないだろうに、その微笑みは全て包み込むような温もりと、どこか諦めに似た物と、少しの期待を含んでいる。
「あの子を頼んだよ」
確かにその声は聞こえていたのに、そこにあるのは月が照らし出す畳だけだった。
彼がいた後すらない。
これが魂だけになったということなのだろうか。
(確かに、今、ここでオレの魂に触れていたはずなのに)
窓の外には傾いた月と、その月が黒々と映し出す月の城の陰。
(同じ立場に生まれたはずだったのに、これほどまでに違うものなのだろうか)
「ファイ」
不意にかけられた声に驚いて振り返れば、不機嫌そうに眉を寄せた黒りんがいた。
たとえ彼女の不機嫌な声だとしても、言葉が通じずニュアンスでのやり取りができないこの国では名前を呼ばれることがオレをどこかくすぐる。
彼女の左手には包帯が巻かれていた。
春香ちゃんのところで使ったあの術を、使ったのだろう。
きっとそのお陰で、夜叉王は魂として動くことができた。
どこかぼうっとしているオレに業を煮やしたのか、彼女はずんずんとオレの前にやってくると。
「Ой!」
頭に拳がぶつけられる。
ずいぶんな音がしたし、ずいぶん痛い。
咄嗟に閉じた目を開いてみると、黒様はさっさと服を着替えて布団に入ろうとしていた。
「Как и черный……?
(黒様……?)」
黒様、と呼び掛けても無視だ。
それは確かに、彼女は名前を呼ばれていることは分かっていないだろうけれど、この対応は何だろう。
「Как и черный……
(黒様)」
「……黒鋼、也。
(……黒鋼、だ)」
ぽつりとつぶやかれた言葉。
そう言えば、彼女はオレがつけるニックネームで呼ぶのを、いつも嫌がっていたことを思い出す。
彼女は、オレが今、彼女の名前を呼んだことを気づいていたのだろうか。
だから訂正をしたのだろうか。
それは、何を意味しているのだろうか。
オレは思わずふっと微笑んで、布団に横になった。
胸のわだかまりは消えたわけではないけれど、黒い髪に月の光が流れて、その姿はさっき見た夜叉王と同じくらい、美しく思えた。
「Спокойной ночи, как и черный.
(おやすみ、黒様)」
大きな窓があいている。
傾いた月が、月の城の影を黒々と浮きあがらせていた。
「黒鋼、か」
部屋の中央に据えられた天蓋の中で声がする。
「失礼する」
俺は静かに歩み寄り、そっと天蓋を捲った。
「……夜叉王」
傷ついた右目には包帯が巻かれている。
再びあの黒曜石のような瞳が開くことはないだろう。
弱弱しい手に引かれるように、俺は傍らに膝をついた。
「私は、ここでは死ねない」
その弱弱しい手とは裏腹に、強い言葉。
「私は、この国を守らねばならない。
この戦を、守らねばならない」
片方だけになった黒い瞳は、天蓋の隙間から見える月の城を見上げていた。
「私に、決断する勇気を与えてはくれないだろうか」
強くあろうとする彼の言葉だったからだろうか。
それとも、王という存在を支えたいという俺に刻まれた思いからだろうか。
答えなど初めから決まっていて、迷うはずもなかった。
「何をすればいい」
彼は枕元の小箱を指さした。
俺はその箱を開け、目を見開く。
中には少女の羽根が入っていたからだ。
「これは私が子供のころに見つけたものだ。
不思議な力を感じるが、どう使うものか見当がつかなかった。
それでも捨てきれず、子どもの宝箱の中にしまっておいたのだ」
羽根はふわりと浮かびあがり、俺の目の前で止まった。
「昨夜、その羽から声が聞こえた。
その羽を使い対価として、残りの私の命と身体を与えるのならば、幻となって生き永らえることができると」
何を言おうと、彼は幻の命を手に入れるだろう。
彼は、王だ。
だが黒い瞳は、許しを請うているように見えた。
彼はただの人に過ぎず、それでいて多くの人の命を背負う。
ただ、独り。
彼は強い。
この国では誰よりも強い。
強くあろうとしてきたのだろう。
そうでなければ、民を守れない。
戦を守れない。
ただ独り、戦ってきたのだ。
そして彼は戦いの中、ただただ孤独であったのだ。
己の先に見える死と、それによって王を失う民の姿に、ただただ孤独を感じていたのだ。
ーーそしておそらくその孤独を理解する者がただ1人、この世界にいる。
だからこそ、彼の最後の願いを叶える責任を、少しでも背負うことを選んだ。
「それがお前の望みならば、それを貫け。
たとえ、人に有らざる者になろうとーーお前は王だ」
俺の言葉に、夜叉は穏やかな表情を見せた。
「結界を張る術を知っているか?」
俺はひとつ頷く。
「それでは、ひとつ頼まれてはくれないか」
俺は脇差を抜き、左手の手のひらに刀を走らせる。
何度も忠誠を誓った月読のために使った術。
彼女を守るために、習得した術。
でも、それを彼のために使うのも悪くないことだと思った。
「ありがとう」
夜叉が、微かに微笑む。
「夜叉の御霊を、守りたまえ」
彼の治める土地の精霊がふわりと姿を現した。
― 人の子よ、その願い確かに叶えよう ―
不意に気配を感じてオレは振り返った。
そこにいたのは。
「夜叉王?」
月の光を体に受け、その体はどこか輝いて見える。
否、よく見ればその体は透けているのだ。
「ファイと言ったな。
お前には礼を言わねばならない」
そう言われて、不意に彼の言葉を理解している自分に驚く。
夜叉はふっと笑いをこぼした。
「私は今や魂。
そしてお前の魂と話しているのだ。
言葉等問題ではない」
彼の手は血を流していたはずの右目に触れた。
そこには初めて出会ったときと同じ、黒曜石のような瞳があった。
魂になってしまえば、傷も癒えてしまうのだろうか。
「お前のおかげで、黒鋼は死なずに済んだ。
あれはこの国のために死すべき人ではない」
光を受けて光る白い手が、オレの髪に触れた。
「あの子はお前に辛く当るかもしれないが、お前は正しいことをした」
王の魂というのは、これほど美しいものなのだろうか。
清い流れが、自分の中に流れ込んでくるような気さえした。
民を守ろうとする人の姿は、これほど美しく、そしてそうあるべきなのだろうか。
(ならオレは、やっぱり無理だったんだ)
胸にチクリと何かが刺さった。
自分の心は自分が一番分かっている。
そもそも民のために、自分は何もしてやることなどできなかったーー生まれてくることが罪だったのだ。
自分の気持ちすら持てあまして、何をどうすればいいのかも分からない。
目の前の夜叉王はオレの魂を会話をしていると言った。
それならばきっと、オレのこと等全てお見通しなのだろう。
こんなに醜いオレを、どう思っているのだろう。
「夜叉王、」
口を開いたオレに、彼は微笑んだ。
その微笑みに、俺は尋ねようとした言葉を何となく引っ込めた。
オレなんかよりも、きっとずっと少ししか生きていないだろうに、その微笑みは全て包み込むような温もりと、どこか諦めに似た物と、少しの期待を含んでいる。
「あの子を頼んだよ」
確かにその声は聞こえていたのに、そこにあるのは月が照らし出す畳だけだった。
彼がいた後すらない。
これが魂だけになったということなのだろうか。
(確かに、今、ここでオレの魂に触れていたはずなのに)
窓の外には傾いた月と、その月が黒々と映し出す月の城の陰。
(同じ立場に生まれたはずだったのに、これほどまでに違うものなのだろうか)
「ファイ」
不意にかけられた声に驚いて振り返れば、不機嫌そうに眉を寄せた黒りんがいた。
たとえ彼女の不機嫌な声だとしても、言葉が通じずニュアンスでのやり取りができないこの国では名前を呼ばれることがオレをどこかくすぐる。
彼女の左手には包帯が巻かれていた。
春香ちゃんのところで使ったあの術を、使ったのだろう。
きっとそのお陰で、夜叉王は魂として動くことができた。
どこかぼうっとしているオレに業を煮やしたのか、彼女はずんずんとオレの前にやってくると。
「Ой!」
頭に拳がぶつけられる。
ずいぶんな音がしたし、ずいぶん痛い。
咄嗟に閉じた目を開いてみると、黒様はさっさと服を着替えて布団に入ろうとしていた。
「Как и черный……?
(黒様……?)」
黒様、と呼び掛けても無視だ。
それは確かに、彼女は名前を呼ばれていることは分かっていないだろうけれど、この対応は何だろう。
「Как и черный……
(黒様)」
「……黒鋼、也。
(……黒鋼、だ)」
ぽつりとつぶやかれた言葉。
そう言えば、彼女はオレがつけるニックネームで呼ぶのを、いつも嫌がっていたことを思い出す。
彼女は、オレが今、彼女の名前を呼んだことを気づいていたのだろうか。
だから訂正をしたのだろうか。
それは、何を意味しているのだろうか。
オレは思わずふっと微笑んで、布団に横になった。
胸のわだかまりは消えたわけではないけれど、黒い髪に月の光が流れて、その姿はさっき見た夜叉王と同じくらい、美しく思えた。
「Спокойной ночи, как и черный.
(おやすみ、黒様)」
