紗羅ノ国
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男は武器には弓を選んだ。
魔法使いというのはどこまで武器が使えるものなのかは知らないが、迷わず弓を選んだ辺りからそれなりに信頼してもいいのかもしれない。
身のこなしから戦いなれていることは分かっているから、阿修羅とやり合って生きていられるかは知らないが、あの倶摩羅という青年とならばそれなりにいけるだろう。
接近戦になっても大丈夫なように、刀を1本持たせる。
俺は男と並んで馬を進める。
昨日話しかけてくれた中年の男が俺を見つけ、手を挙げた。
「初陣では無事だったようだな。
何よりだ」
「ああ。
そちらも無事で何より」
言葉を返せば、男は嬉しそうに頷き、不意に後ろに目を向けた。
「彼は君の友人か?
始めて見る顔だな」
俺はああ、と頷く。
どちらにせよ彼の髪の色は目立つ。
どこかで説明を求められることは分かっていた。
「俺の遠い親戚だ。
訳合って家で同居していたが、世話になった国のために働きたいと言ったので連れてきた。
口は利けない。
耳は聞こえるが言葉はあまりわからない」
俺の言葉に、そうか、と男を見た。
「戦場では助けを呼べずに苦労するやもしれん。
なるべく彼の傍を離れないほうがいいだろう」
言葉が分からないのにそう声をかけてくれるのは、彼も同じく戦場へ行くという仲間意識からかもしれない。
俺がひとつ頷いて見せれば、彼も男に向かって頷いて見せた。
「出陣だ。
皆、構えよ!」
夜叉の声が辺りに響き、俺達は武器を構える。
昨日ほど熱に浮かされているわけではないようだ。
それでも昨日の今日でそれほど回復できているわけでもないだろう。
王の苦しみを知っているからだろうか。
彼の軍に形だけでも所属しているからだろうか。
それとも、彼の元来持つ王としての属性からだろうか。
俺は馬を自然と夜叉の傍に向ける。
王は、誰かが守らねばならない。
誰かが影として守らねば。
なぜなら彼らは太陽として、その国を照らす。
表だって、自分の存在を世界に知らしめる。
その力で守ろうとする。
それ故、的になる。
「黒鋼」
俺の存在に気付いた夜叉が驚いたように俺の名を呼んだ。
「ここにいては」
「俺は夜叉王の配下だ」
夜叉は瞠目する。
「王ならば王らしく、前だけを向け」
夜叉は、偉そうに、と苦笑して前を向いた。
幸い骨は折れていなかったが、肩は痛む。
それでも彼を守るに足りる配下がいないのであれば、できる限りは代わりに俺が刀を振るおうと決めていた。
彼には俺にそうさせる、王としての威厳があった。
不意に肩に痛みが走り、振り返ると男の弓が微かに俺の肩に触れたようだった。
男は厳しい表情で俺を見つめて、首を振っていたーー無理をするなとでも言っているかのような様子だ。
言葉が通じないのに随分と素直に心配してくれるものだと思った途端、ひどくおかしくなって笑ってしまった。
「心配するな、慣れているから」
男は一瞬呆気に取られたような顔をしてから顔を背けた。
照れているのだろうか。
世界が揺らぐ。
俺は蒼氷を握り直した。
ちらりと男を見れば、彼は揺らぐ世界の向こうの誰かを目で追っていた。
(やはり阿修羅が気になる、か)
もし阿修羅が彼の知っている者ならば、その核が見えるかもしれない。
人が入り乱れ始め、今宵も決戦の火蓋が切って落とされた。
(違う)
同じ空間にさえいれば気づく、あの人の気配はない。
(同じ名前なだけ、か)
黒りんはこの夜叉王について戦うつもりみたいだ。
言葉が通じない以上、隊の動きを指示されてもよくわからないから、彼女のそばを離れないのが得策だろう。
見た限り、それほど兵が強いわけではなさそうだ。
不意に殺気を感じて振り返れば、オレの前に黒様が立ちふさがっていた。
その向こうに大きなくの字型の武器を持った青年が見え、何か黒様に話しかけているようだ。
鎧からして敵方なのはわかる。
もちろん、彼女に向けられる鋭い殺気からも。
(あの武器……まさか)
不意に彼女の白い背中に浮かんだ痣が思い出された。
それほど鋭いもので突かれたわけではなく、刀の鞘や槍よりも太い鈍器で殴られたような、見たことのない形のあの痣。
ぎりりと弓を握る手に力が入った。
話が済んだのか、青年の武器が黒りんに襲いかかる。
それを蒼氷で受け止めるも、敵は昨日負傷したことをやはり分かっているようで、左ばかりを狙ってくる。
「不出手!
(手出しするな!)」
渡された刀で応戦しようと刀を抜きかければ、黒りんが何かを叫ぶ。
彼女の言いたいことは何となくわかるが、ここで手を出さないわけにはいかない。
黒りんを狙う青年に向け、刀を振りかざす。
青年は気づいたようで殺気をオレに向けた。
「危!
(危ない!)」
黒様が又何か言ってるけれど聞いていられない。
確かに青年の武器は重いけれど、このくらいならどうということもない。
オレは馬から宙返りをしてはなれたところにおり、弓を引いた。
その矢は青年の眉間に向かって飛び、彼はそれを何とか避けるも、その先に現れた黒りんの剣を受け止めるために武器を振りかざす。
黒様は一本とれなかったみたいだけれど、怪我はなかったようだ。
しかしそこで黒りんは何かに気づいて走り出した。
その先を見れば、夜叉王が誰かと戦っている。
黒髪を風になびかせ、赤い炎の模様のついた衣を着ている女性。
(もしかして、あの人が阿修羅王?)
黒様は夜叉王を助けに行くつもりなのだろうか。
確かに阿修羅王に押されているように見える。
動きも阿修羅に比べ、どこか鈍い。
咄嗟に追いかけようとすればそれよりも先に、くの字の武器を持った青年が何か叫びながら駆けだす。
彼はその武器を振り上げた。
その時オレは、ようやくその武器の使い方を理解したのだ。
そして彼が誰を狙っているのかも。
(黒様!!)
オレは矢を番える。
しかしその黒様の目の先で、夜叉王に阿修羅王が刀を振り上げるのも見えた。
夜叉王があのままでは重傷を負うことも、黒りんが必死にそれを助けに行こうとしていることも、馬の脚だけでは間に合わないであろうことも、矢ならば助けられるだろうことも、分かった。
オレは躊躇うことなく矢を放った。
弓が鳴る。
矢は空を切って青年の左肩、丁度黒様が怪我をしたところに刺さり、青年の馬は急激に失速。
肩を抑えて馬の背で蹲っている。
しかしそれと同時に。
「夜叉王!!」
黒りんの悲鳴が響いた。
世界が揺れる。
月の城から帰されるのだろう。
黒様が夜叉王の馬に寄りそっている。
オレがあの青年を止めたのに、と心の中で一瞬黒いものが過ぎり、慌てて目を逸らす。
オレの矢を受けた青年が振り返って何か言っている。
夜叉国と同じ言葉なのはわかるが、意味は理解できなかった。
視線を感じて黒様の方に目を戻せば、黒様はオレを酷く睨んでいて、でも隣にいる夜叉王は、右目を負傷したようだが淡く微笑んでいた。
彼よりも、黒りんを選んだ、選んでしまったオレを見て。
「大事ない。
皆が心配するだろう」
夜叉の言葉に俺は彼から離れる。
何とか姿勢は保てているようだ。
「後で……部屋に来てくれないか」
そう小声での囁きに頷き、俺は彼から離れる。
問題はあの男だ。
彼は確実に夜叉を救える位置にいた。
阿修羅と倶摩羅を天秤にかけ、後者を選んだ。
彼の探していた阿修羅だからだろうか?
いや、違う。
もし彼の探していた阿修羅ならば、彼は即刻ここから立ち去っただろう。
彼は逃げなければいけないと、そう言っていたから。
ではなぜだ。
夜叉が大将なのはあいつも理解していたはずだ。
少しでも恩義を感じていたら、その者を助けようとするべきだ。
男は確かに笑顔を張りつけ、嘘を言う男だが、他人の命を軽く扱ったりはしない。
俺はそこでひとつの可能性に行きつき、眉間に皺を寄せる。
天秤にかけたのは、阿修羅と倶摩羅ではないーー夜叉と俺なのだ、と。
オレの顔の横にドンと、手がつかれた。
逃げることを許さないと言うように、月明かりに照らされた黒い瞳が俺を見上げる。
その濡れたような瞳が、オレだけを映す瞳が、酷く美しく見えた。
「汝何故選俺。
(なぜ俺を選んだ)」
なんと言っているのかわからない。
ただ、彼女が怒っていることは分かる。
それはきっと、オレが夜叉を守らなかったから。
「Я удивляюсь, почему?
(なんでだろうねぇ?)」
笑顔を張りつければ、黒りんの視線が鋭くなる。
「禁戯。
(ふざけるな)」
「Я имею в виду, это то, что моя работа.
(だって、オレの仕事はそれだもの)」
会話が成立していないだろうことはわかっている。
だって、お互い話している言語が違う。
誓ってきた忠誠が違う。
旅への関わり方が違う。
こんな疎外感、慣れてきたはずだったのに、胸の奥が締め付けられるように感じた。
不意に消えた温もりに、目をあげれば、黒りんが部屋から出ていこうとしている。
あの男の元へと行くのだろうと、直感が告げた。
オレが守らなかった男の元へと、オレが守った君は、こんな夜更けに、1人で。
「Черный фосфор, куда мы идем?
(黒りん、どこに行くの?)」
そう問いかけるも、彼女は振り返らない。
オレはもう一度呼びかけようとして、手を伸ばす。
「Черный」
彼女の名を呼び終える前に、戸は音もなく閉められた。
ずるずると座り込む。
彼女を選んだのはオレだ。
彼女を救ったのもオレだ。
それを夜叉も赦し認めた。
なのに彼女はオレに怒りをぶつけた。
全ては旅の為だ。
オレのこの旅での存在意義の為。
だがもし、サクラちゃんに2度と会えないというあり得ない偶然が今訪れていたとしたらーーこの国に来てそんな前提をオレは常に心のどこかに住まわせている。
それでもオレは、迷うことなく黒様を選んだ。
胸の奥が、酷く苦しかった。
