紗羅ノ国
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どうやら俺の言葉は通じるが、青年の言葉は通じないらしい。
何とも厄介な状況だが、逆よりはましかと思ったりもする。
道で最初に出会った男は夜叉と言うらしい。
蒼石のところで見た像と同じ名前、よく似た姿であることに首をかしげる。
(一体ここはどんな世界なのだろう)
それを知る為にはまず相手に不信感を抱かせないことが肝心だ。
俺は男の方をちらりと見てから、身振りをしながら夜叉に話した。
「夜叉、すまないがファイは異国の生まれで口がきけない。
耳は聞こえるが言葉はあまりわからない」
そう言えば、夜叉はちらりと青年を見た。
青年は困ったように笑う。
理解してくれたらしい。
「そうなのか。
よろしく、ファイ」
その言葉に青年は頭を下げた。
言葉は分かっていないのに、うまくやるやつだ。
「旅をしていると言っていたな、行き先は?」
夜叉の問いに、俺は頭を巡らす。
いつもは少年がしてくれる説明。
紗羅ノ国では青年がしてくれた説明。
「各地の伝承を集め、本にしている」
そう言えば夜叉は少し驚いたような顔をした。
「それはおもしろい」
それから少し考えこむ様子だったから俺は口を噤む。
しばらくして、夜叉は再び口を開いた。
「今日泊まるところはあるのか?」
「いや、まだ宿は決めていない」
「私のところに来ないか」
「いいのか?」
「ああ、できたら旅の話を聞きたいのだ」
彼の言葉にはどこか裏がありそうだった。
青年を見れば、笑顔を張りつけている。
どうやら俺に全てを任せるつもりらしい。
彼らしいと言うか、危機感がないと言うか。
「それほど面白い話はないかも知れないが」
俺の言葉に、夜叉は穏やかに微笑んで礼を述べた。
連れてこられた家は大きかった。
というよりも、そもそもそれは家ではないーー城だったのだ。
夜叉が城主らしく、帰ると家臣達の出迎えがあった。
供も連れず勝手に出たらしく、家臣たちは心配しており、側近らしき者には小言を言われていた。
随分と好かれているらしい。
城の周囲には手入れの行き届いた馬小屋らしきものがあったり、武器を運ぶ者の姿があった。
屈強な兵士の姿や、包帯を巻く兵士の姿も見える一方、ここまでに至る街の様子は戦に苦しめられているという惨状ではなかった。
遠征から兵士が帰ってきたところなのだろうか。
それにしては街に活気がない。
疑問を抱えたまま、俺達は家臣によって客室に通される。
また夕食に呼びに来ると言い残して、家臣は下がった。
部屋の造りは、紗羅ノ国と同様、どこか日本国に似た作りで落ち着く。
男は微笑みを浮かべており、俺はこめかみを押さえた。
困ったことに今、彼との意志疎通手段を持たない。
視線や身振り手振りでは限度というものがある。
男はというと呑気なもので、部屋をいろいろ見ては珍しいのか面白そうにしている。
その姿を見ていると考えても仕方がない気がしてきて、俺はため息をついた。
それに男が気づいて振り返る。
首をかしげる彼に、なんでもない、と首を振って見せた。
(考えたところで仕方がない。
少しずつ、ここの言葉を教えていくか)
俺は彼の傍に歩み寄り、手始めに何から教えるかと迷った挙句、俺の手を差し出した。
「手」
首をかしげる青年の手をとり、指し示す。
「手」
青年は理解したらしい。
「ッテェ……?」
俺は頷く。
妙な訛りはあるが練習だろう。
元々器用で頭が良い彼の事だ。
「手」
彼の手が、俺の手を優しく包んだ。
「て……手」
あまり高くない体温が、落ち着く。
もう片方の手が、黒くなった彼の目を指さした。
「Что это?」
言葉は分からないが、名前を聞いているのだろう。
「目」
「レ?」
発音が難しいのだろう。
言語によって使う音や発音方法が異なり、それを身に着けることは難しい。
忍びとして潜入任務を行う際、慎重を期すべき点であった。
「目」
「メ」
「目」
「目」
正しいことを示そうと頷けば、彼は微笑んだ。
「Что это?」
今度は俺の口に指が触れた。
その手から彼の顔へ目を向けると、酷く優しい目をしている。
瞳の色が変わったから、印象が変わったのだろうか。
では逆に彼には今、俺はどう見えているのだろう。
「口」
「くち?」
「口」
「口」
彼の手が頬を滑って離れていく。
俺は今度は窓辺に近寄って、外を指さした。
「外」
それから部屋の中を指さして。
「内」
青年は楽しげに近づいてくる。
もとより利発なのだ。
ひな鳥に餌をやるような感覚は、どこかくすぐったくて温かい。
それは相手も同じなのか、嬉しそうに笑っている。
ふと、懐かしさを覚えた。
遠い昔もこんな穏やかな温かい時間を過ごしたことがあった気がする。
美しい湖のほとりーー眩しくも淡く繊細な煌めきを覚えているが、果たしてそれがなんだったか、どうしても思い出せない。
ただ子どもじみた穏やかな時間が、その失った思い出と重なって、心地よかった。
「夜叉族は、遥か古から阿修羅族と戦を続けている」
食事の席で、夜叉はそう言った。
やはりこの城に来た時に感じた勘は正しかったのだ。
「領土戦か?」
「違う。
望みを、叶えるためだ」
全く要領を得ず、首をかしげる。
夜叉が窓を指さすと、侍女が窓を開けた。
その先にあるのは大きな月と、その前に浮かぶ飛行体。
「あれが月の城だ。
我々夜叉族も阿修羅族も、夜になるとあの城に招かれ、月が中点に昇りきるまで戦う」
不思議なこともあるものだが、夜叉がこれだけ話してくれる裏には必ず何かある。
彼は始め、各地の伝承を集めていると言う話を聞いて旅の話を聞きたいと言った。
何かこの不思議な戦の中に秘密があるかもしれない。
すべてが必然ーーその言葉が正しければ、きっと姫の羽がそこにはある。
願いを叶えるという話は、今までも何度も聞いてきたのだから。
(ならば、うまくいけば)
「戦に同行させてはもらえないだろうか」
「それは何故?」
「言っただろう、俺達は各地の伝承を集めている。
ぜひその月の城をこの目で見たい」
夜叉は不安げに眉を寄せた。
「しかしあの城は戦場だ。
危険が伴う」
「その点は心配いらない。
俺は元来、戦や密偵を生業にしていた。
怪我をしようと文句は言わない。
それに同行させてもらえるならば、それなりの働きを約束する」
目の前にいる夜叉と夜叉像は酷似している。
そして鈴蘭一座には阿修羅像があり、この夜叉の国は阿修羅族と戦をしていると言う。
ここまでくれば何かしらの関連があることは簡単に想像できる。
紗羅ノ国の神の住まう世界か、阿修羅と夜叉が信仰される前、つまり紗羅の国の遥か昔の世界か……
白饅頭が俺達だけを移動させたということは考えづらいこともある。
となれば動くよりも留まっていた方が小僧と姫らに会う可能性も高いのではないか。
夜叉はそっと微笑んだ。
「同行を許そう」
「ありがたい」
話が分からず困っていただろうかと、男を見れば、魚と奮闘している様子で溜息が出た。
箸で焼き魚はまだ彼には難しかったかもしれない。
溜息に気付いた彼が俺を見、魚を指さした。
骨を取ってほしいと言いたいのだろう。
黒様はずっと夜叉と話をしている。
今日習った言葉が出てくることはなく、二人の会話は理解不能。
とりあえず食事を進めるも、箸では食べにくい。
言葉も通じない異国とは、本当に大変なのだと、モコナの存在のありがたさを感じた。
魚は崩れていくばかり。
夜叉の国で食べた料理の味に似ていて、祖国の味とは全く違うけれど素朴な味わいがおいしい。
でもそれを口に運ぶことはできない。
黒りんはオレに気を止めることなく、夜叉と話してばかり。
なんだか気持ちが落ち着かなくて、オレはやっぱり魚の身をバラバラにしてしまう。
そういえば昔、この箸という食具を使ってこんな風に奮闘したことがあったような気がする。
ため息に黒りんを見ればオレが魚を上手に食べられないことに気づいたらしい。
それになんだかほっとしてしまう自分がいる。
魚を指さして、取って、というジェスチャーをすれば、身を乗り出してオレに体を寄せる。
骨から魚の身を外してくれる様子だ。
目の前に現れた黒髪。
やっぱり綺麗な髪だと思う。
空気を介してほんのりと伝わってくる体温。
あの時もそうだった。
その時に沸いた感情が何だったのか、今ではもう思い出せないけれど、かけがえのない時だった気がする。
不意に夜叉が言葉を発した。
オレには聞き取れなかったけれど、黒りんが勢いよく夜叉を振り返って目を見開いている。
耳まで真っ赤になっているようだ。
何やら黒りんが冷たく言い返し、それに夜叉が笑う。
その後も何か会話が続いているらしいが、オレには理解できなかったし、何やら楽しそうな夜叉の姿が癪だった。
そんなオレを見た夜叉がまた口の端をあげたので、相手をしていられないと食事に視線を落とす。
そしてもやもやとした気持ちを抱えたまま、食事を終えた。
言葉が通じないということは、これから黒りんの様子を把握しきれないということだ。
今までだって彼女の事で把握できていないことの方が多かっただろうが、今それを目の当たりにすると、どうも落ち着かず、そんな自分が嫌になる。
部屋に帰るとついついと袖が引かれる。
振り返るが、引かれた理由は言葉にならないから分からない。
だがおそらく話していた内容を聞かれているのだろう。
夜叉に頼んで届けてもらった文机に筆や紙を広げ、絵を描いて見せる。
「夜叉族、阿修羅族、戦、月の城。
黒鋼、戦、行く」
何度か絵を見た上で男はひとつ頷いた。
どうやら何とか理解したらしい。
だが彼はひとつ首をかしげた。
俺の手から筆を取ると、最後の絵(俺の簡単な似顔絵から月の城へ伸びる矢印の絵)の隣に矢印を書いた。
その先にはてなマークを書く。
もしこのはてなマークの意味が俺の知っている意味と同じならば、たぶん彼はこの後に会話があったことに勘付いている。
そしてその後の会話を思い出して、俺は眉をしかめる。
あの時は思わず慌ててしまったが、もうそんなことはしない。
忍びとしてそのくらいはーー当然だ。
ー仲がいいなー
ー何を……勝手な憶測はやめろー
随分と意味深な笑みを浮かべるから思わず冷たく否定した。
ああ見えて夜叉の性格は悪いかもしれない。
男が意地悪く笑ってトントン、と机をたたく。
それははてなマークの上だ。
(否、性格が一番悪いのは……)
俺は紙を男の手から取り上げて丸めて屑かごに捨てる。
彼が何か言っているが、そこは無視を決め込む。
彼とておそらく言われたことを知れば、同じく困るだろう。
彼こそ、俺たちと距離を置きたがっているのだから。
