桜都国
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「バレンタインデー?」
譲刃ちゃんの言葉は初めて聞くものだった。
「そう!
大好きな人や日頃お世話になっている人にチョコレートをあげるの」
「素敵だね!」
「でしょ。
だから、サクラちゃんも一緒に作らない?
チョコレート」
その誘いを断る理由など、有るはずもなかった。
「バレンタインデー?」
街中に溢れる桜色よりも濃いピンク。
「なんか、大好きな人やお世話になっている人にチョコレートをあげる日らしいですよ」
一緒に買い物にきてくれているサクラちゃんが説明してくれた。
最近親しくなった鬼児狩の譲刃ちゃんにでも教えてもらったのだろうか。
「じゃあサクラちゃんは誰かにあげるの?」
もちろんです!とサクラちゃんが元気に答える。
「ファイさんと、黒鋼さんと、モコちゃんと、それから小狼君に」
「オレと黒様にもくれるの?
嬉しいなぁ」
そう言えばサクラちゃんは柔らかく微笑んだ。
何度見ても、何度も見たいと思うような、優しい微笑み。
「だって、お二人ともお世話になっていますし、大好きですから」
呆気にとられているオレの手を、サクラちゃんはぐいっと引っ張った。
「そうだ!
ファイさんも作りませんか?」
「何を?」
わかっているけれど聞いてしまう。
「チョコレートです!」
「あ、ああ、なるほど」
確かにオレは言った。
みんなが好きという彼女に、オレもだ、と。
でもそれを形にするということは、また話が違ってくる。
否、オレは何を考えているんだろう。
こんな、子供だましの行事に。
彼女たちは過ぎていく存在。
オレの中にとどまることなんてない。
このくらいの行事でチョコレートをあげるくらい。
「そうだね、可愛いサクラちゃんにチョコレートあげなきゃ」
「それは嬉しいですけれど、」
サクラちゃんはちょっと照れたように笑い、それから爆弾を落とした。
「黒鋼さんにですよ」
オレは思わず目を見開いた。
「黒むーに?」
「当たり前じゃないですか」
「大好きな黒鋼さんのために、一緒に作りましょう?」
否定も拒否も、できない笑顔。
「う、うん」
オレは気づけば頷いていた。
「いいよなー、お前はサクラちゃんがいて。
チョコ確実だろ」
黒鋼さんに鍛錬してもらっているところを龍王が通りかかったのでおれたちは休憩をとり、こうしてのんびり昼食をとりながら龍王と蘇摩さんと一緒に話をしている。
どうやらこの国ではもうすぐ大好きな人やお世話になっている人に、女の子がチョコレートをあげるという変わった日がやってくるらしい。
「確実って……
おれたち旅をしているから、そういう風習は知らないんだ。
だからもらえないと思うよ。
龍王だって蘇摩さんと譲刃さんからもらえるんじゃないのか?」
少し離れたところで黒鋼さんとお茶を飲んでいる蘇摩には聞こえないよう、小声で尋ねた。
「義理、だけどな」
龍王は唇を尖らせる。
「義理?」
ああそうか、と彼は頷いた。
「チョコには2種類ある。
義理チョコと本命だ!
義理はお世話になった人とかにあげる。
本命は、好きですっていう気持ちを伝えるためのものだ」
俺も本命がほしい!
ダダをこねる龍王。
龍王はまっすぐで素直で元気で明るい。
「龍王はあげるのか?」
そう聞けば慌てたように顔を真っ赤にして、
「秘密だ!」
と言ったから、おかしくて笑ってしまった。
少し離れたところで、黒鋼さんと蘇摩さんが驚いたようにこっちを見て、それから穏やかに微笑みあっていた。
黒鋼さんのいた国の人と蘇摩さんは魂の根本が同じって言っていた。
だからだろうか。
最近、黒鋼さんの表情の変化が以前よりも大きい気がする。
きっと蘇摩さんは黒鋼さんにとって心を許せる人だったのだろう。
龍王と少年の話を離れて聞いている。
なんとも若々しい話だ。
「私も若いころはよくチョコレートを作ったものです」
蘇摩の言葉に茶菓子で食べたチョコレートを思い出す。
あれは、嫌いではない。
あれを贈り物とするなんて、なかなかこの国も乙なことをする。
「でももう作るのも面倒ですし、買ってしまうんですよね。
今日も小狼君に会いに行くと言うんで、その間に買いに行こうかと思って」
蘇摩と共にいる空間は落ち着く。
赤の他人だとわかってはいるけれど、彼女は自分の、唯一無二の上司だったから。
「付き合ってもかまわないか?」
問いかければ彼女は穏やかに微笑んで頷いた。
「黒鋼も買えばいいと思いますよ。」
そう言われて少し考える。
「……俺は、いい」
「あら、どうして?」
大切なものに大切だとそう言ってしまえたらどんなに楽だろう。
そして、その大切なものとずっと共にいられたら、死ぬまでずっと、抱きしめていられたらどんなにいいだろう。
でも、それを許されるのは一握りの人だけだ。
わざわざそれを鮮やかにする必要はない。
俺は、守れれば、それでいい。
でも、もし、その思いを通じ合うことができたら?
何を馬鹿げたことを考えているのだろう。
俺は人を殺す。
大切なものを奪うために向かう奴は斬る。
その血にまみれた俺が、何を言う。
頭を緩く振って立ち上がる。
俺はいつまでも兵士でいい。
忍ぶ者で構わない。
俺にとっては大切なものは、守る対象であって、相思相愛の相手ではないから。
「行こう」
俺は蘇摩を急かして立たせた。
「小僧、買い物に行ってくる」
「わかりました」
「俺は小狼といる!」
龍王の声に蘇摩が微笑む。
「はい」
「行こうか」
蘇摩と並んで歩く。
長期任務のときはもっと離れていた時だってあった。
なのに、今は可能ならば共に時を過ごしたいと思う。
自分にとって姉のような彼女。
離れていても、いつも支えてくれている気がしていた。
カランカラン
店のドアのベルが鳴る。
「おかえりなさい。
早かったね」
少し緊張しているのは、自分でもわかっている。
だって。
「ただいま」
今日も怪我をいっぱいした小狼君。
でも、汚れ具合がいつもよりもましかな、と思う。
「治療、してきてあげて」
ファイさんに救急箱を渡されて、私は小狼君に駆け寄る。
「今日も今日で厳しい先生だね」
ファイさんの方に歩いていく黒鋼さん。
「このくらいの怪我で慣れればいい」
その言葉の裏には、大けがをすることを心配している響きがあって、黒鋼さんのそんなところが大好き。
小狼君の怪我の治療が終われば夕食の時間。
今日のご飯はシチュー。
ファイさんの作るシチューは、私が食べたことのあるのとは少し違ったけれど、とってもおいしい。
まだ前の記憶がそれほど戻ったわけではないけれど、玖楼国でもこうやってみんなで食卓を囲んでいた。
それが楽しくて、ご飯は何倍もおいしく感じた。
龍王がチョコレートの話をするから、なんだか気になってしまって、気になるたびに何を考えているんだと自己嫌悪してしまう。
きっと黒鋼さんはそれに気づいている。
だから蘇摩さんとの買い物から帰ってきたときにおれの様子を見て、今日の鍛錬を早めに切り上げたのだろう。
まだできると言うおれに、
「でも気になるんだろう?」
と言って頭をわしゃわしゃと撫でた。
黒鋼さんは厳しい人だ。
おれのわずかな隙をも見つけてしまう。
徹底的に鍛錬してくれる。
でもその分、どこか力を抜かせてくれる人だった。
結局帰りに姫にあげるチョコレートを買うのにまで付き合ってもらった。
帰って夕食を食べているとだんだん気も落ち着いてくる。
それはいつも通りのファイさんと黒鋼さんとモコナがいてくれるからかもしれない。
食後に紅茶を飲んで、おれは夜の仕事に備えて一度部屋にあがった。
黒鋼さんとファイさんは新種の鬼児のうわさについて何やら話しているようだった。
おれはベットに座って目を閉じる。
ものの気配を、感じるために。
部屋にある生きていないもの、家具の存在。
生きている植物の存在。
何となくだけれど、わかるようになってきているのが嬉しい。
おれも、黒鋼さんのように、誰かを守れる人に一歩近づいていけている気がして。
ドアの外にいるのは、間違うはずもない気配。
「小狼君、ちょっといいかな?」
おれは目を開けて、どうぞ、と返事をした。
すうっとドアがあいて、姫が顔を出す。
「小狼君、あの、ね」
おれの傍までやってくると姫は背中に隠した手をおれの前に出した。
そこにあったのはちいさなハート形の箱。
「桜都国では、もうすぐいつもお世話になっている人や、それから、大好きな人にチョコレートをあげるバレンタインっていう行事があるんだって。
だから、」
姫はちょっとだけ恥ずかしそうに、そう言った。
「ありがとう、小狼君」
その笑顔はいつ見てもおれを温かい気持ちにしてくれる。
それはおれにとってもちろん感謝の対象であり、
思いを寄せるもの。
だから。
「姫」
オレもチョコレートを差し出す。
「こちらこそ、ありがとうございます」
キッチンの戸棚に隠してある赤い箱に入ったチョコレート。
今日サクラちゃんと譲刃ちゃんと一緒に結局作ったものだ。
「きっと黒鋼さん喜んでくれますよ、甘いもの、大好きですもん!」
そんなこと一言もそんなことは聞いたことはないが、
確かに黒ぴっぴは甘いものは好きだろうとは思う。
ただ、ただ問題はこれがバレンタインのチョコレートだと言うこと。
こんなこと気にするなんて馬鹿げている。
ただの義理チョコだ。
いつも旅をしている仲間に、労をねぎらう"振り"をして渡すことなど、
笑顔を張りつけることと何も変わらない。
変わらないはずなのに、オレの気持ちが、そうできない。
不意に聞こえた物音に、はっとしてキッチンに行けば。
「黒たん、なに、してるの?」
戸棚を、それもチョコレートを隠した戸棚を開けている黒様。
その戸棚は高いところにあって、彼女の手が届くか届かないかくらいだから、
隠したつもりになっていたのに。
「この前の茶が飲みたい。
この棚に茶葉を直すのを見たから」
首を微かにかしげてそう答える。
でもその手にはチョコレートの箱がある。
「まずかったか?」
そう問いながらそのチョコレートを棚に戻した。
「……いや、そんなことないよ」
黒むーはたぶん気づいている。
どんなに笑顔を張りつけても。
「悪い」
だからほら、どこか気まずそうに謝って。
それはいつもよりもどこか困った顔をしているように見えた。
赤い瞳が、オレの足元をうろうろして、それから彼女はオレの横を通って行ってしまった。
お茶を入れることなく。
「黒様?」
オレの声を無視して。
一体どうしたのだろう。
棚のところに行って覗けば、オレのチョコレートの下に、小さな箱がある。
まさかと思って取り出せば、
深い青色の箱にかけられた金色のリボン。
そのリボンにつけられたカードには「St. Valentine's day」の文字。
まさか。
「黒むー、寝てるの?」
部屋に入っても明かりが消えている。
彼女がオレの物音に目が覚めないはずがない。
「黒ぴっぴ?」
変な名前で呼ぶなという返事もない。
「黒たん?」
蒲団にくるまって壁を向いている背中。
「なにも言うな」
小さなかすれた声がした。
「蘇摩の付き合いで買っただけだ。
捨ててかまわない」
彼女にしては珍しいことだと思った。
黒様も、何かを抱えていることは知っている。
だって、あれだけ強いんだ。
きっとそれにはきっかけがある。
前に大きな湖のある国で両親のことは聞いた。
きっとほかにも、彼女はいろんなものを背負っている。
細く、小さな背中で。
だから。
「ごめんね」
オレが背負うのは不幸。
知っている、オレは彼女の大切なものを、きっと奪う。
否、奪わなければならない。
君も不幸にする。
不幸のどん底に突き落とす。
でも、そうしないと。
「ごめんね」
枕元に置いたのは赤い箱に銀色のリボンのチョコレート。
謝罪の言葉しか言えない。
感謝の思いも、愛の言葉もない。
St. Valentine's day
きっとそれは、チョコレートの甘さを差し引いてもなお苦い
譲刃ちゃんの言葉は初めて聞くものだった。
「そう!
大好きな人や日頃お世話になっている人にチョコレートをあげるの」
「素敵だね!」
「でしょ。
だから、サクラちゃんも一緒に作らない?
チョコレート」
その誘いを断る理由など、有るはずもなかった。
「バレンタインデー?」
街中に溢れる桜色よりも濃いピンク。
「なんか、大好きな人やお世話になっている人にチョコレートをあげる日らしいですよ」
一緒に買い物にきてくれているサクラちゃんが説明してくれた。
最近親しくなった鬼児狩の譲刃ちゃんにでも教えてもらったのだろうか。
「じゃあサクラちゃんは誰かにあげるの?」
もちろんです!とサクラちゃんが元気に答える。
「ファイさんと、黒鋼さんと、モコちゃんと、それから小狼君に」
「オレと黒様にもくれるの?
嬉しいなぁ」
そう言えばサクラちゃんは柔らかく微笑んだ。
何度見ても、何度も見たいと思うような、優しい微笑み。
「だって、お二人ともお世話になっていますし、大好きですから」
呆気にとられているオレの手を、サクラちゃんはぐいっと引っ張った。
「そうだ!
ファイさんも作りませんか?」
「何を?」
わかっているけれど聞いてしまう。
「チョコレートです!」
「あ、ああ、なるほど」
確かにオレは言った。
みんなが好きという彼女に、オレもだ、と。
でもそれを形にするということは、また話が違ってくる。
否、オレは何を考えているんだろう。
こんな、子供だましの行事に。
彼女たちは過ぎていく存在。
オレの中にとどまることなんてない。
このくらいの行事でチョコレートをあげるくらい。
「そうだね、可愛いサクラちゃんにチョコレートあげなきゃ」
「それは嬉しいですけれど、」
サクラちゃんはちょっと照れたように笑い、それから爆弾を落とした。
「黒鋼さんにですよ」
オレは思わず目を見開いた。
「黒むーに?」
「当たり前じゃないですか」
「大好きな黒鋼さんのために、一緒に作りましょう?」
否定も拒否も、できない笑顔。
「う、うん」
オレは気づけば頷いていた。
「いいよなー、お前はサクラちゃんがいて。
チョコ確実だろ」
黒鋼さんに鍛錬してもらっているところを龍王が通りかかったのでおれたちは休憩をとり、こうしてのんびり昼食をとりながら龍王と蘇摩さんと一緒に話をしている。
どうやらこの国ではもうすぐ大好きな人やお世話になっている人に、女の子がチョコレートをあげるという変わった日がやってくるらしい。
「確実って……
おれたち旅をしているから、そういう風習は知らないんだ。
だからもらえないと思うよ。
龍王だって蘇摩さんと譲刃さんからもらえるんじゃないのか?」
少し離れたところで黒鋼さんとお茶を飲んでいる蘇摩には聞こえないよう、小声で尋ねた。
「義理、だけどな」
龍王は唇を尖らせる。
「義理?」
ああそうか、と彼は頷いた。
「チョコには2種類ある。
義理チョコと本命だ!
義理はお世話になった人とかにあげる。
本命は、好きですっていう気持ちを伝えるためのものだ」
俺も本命がほしい!
ダダをこねる龍王。
龍王はまっすぐで素直で元気で明るい。
「龍王はあげるのか?」
そう聞けば慌てたように顔を真っ赤にして、
「秘密だ!」
と言ったから、おかしくて笑ってしまった。
少し離れたところで、黒鋼さんと蘇摩さんが驚いたようにこっちを見て、それから穏やかに微笑みあっていた。
黒鋼さんのいた国の人と蘇摩さんは魂の根本が同じって言っていた。
だからだろうか。
最近、黒鋼さんの表情の変化が以前よりも大きい気がする。
きっと蘇摩さんは黒鋼さんにとって心を許せる人だったのだろう。
龍王と少年の話を離れて聞いている。
なんとも若々しい話だ。
「私も若いころはよくチョコレートを作ったものです」
蘇摩の言葉に茶菓子で食べたチョコレートを思い出す。
あれは、嫌いではない。
あれを贈り物とするなんて、なかなかこの国も乙なことをする。
「でももう作るのも面倒ですし、買ってしまうんですよね。
今日も小狼君に会いに行くと言うんで、その間に買いに行こうかと思って」
蘇摩と共にいる空間は落ち着く。
赤の他人だとわかってはいるけれど、彼女は自分の、唯一無二の上司だったから。
「付き合ってもかまわないか?」
問いかければ彼女は穏やかに微笑んで頷いた。
「黒鋼も買えばいいと思いますよ。」
そう言われて少し考える。
「……俺は、いい」
「あら、どうして?」
大切なものに大切だとそう言ってしまえたらどんなに楽だろう。
そして、その大切なものとずっと共にいられたら、死ぬまでずっと、抱きしめていられたらどんなにいいだろう。
でも、それを許されるのは一握りの人だけだ。
わざわざそれを鮮やかにする必要はない。
俺は、守れれば、それでいい。
でも、もし、その思いを通じ合うことができたら?
何を馬鹿げたことを考えているのだろう。
俺は人を殺す。
大切なものを奪うために向かう奴は斬る。
その血にまみれた俺が、何を言う。
頭を緩く振って立ち上がる。
俺はいつまでも兵士でいい。
忍ぶ者で構わない。
俺にとっては大切なものは、守る対象であって、相思相愛の相手ではないから。
「行こう」
俺は蘇摩を急かして立たせた。
「小僧、買い物に行ってくる」
「わかりました」
「俺は小狼といる!」
龍王の声に蘇摩が微笑む。
「はい」
「行こうか」
蘇摩と並んで歩く。
長期任務のときはもっと離れていた時だってあった。
なのに、今は可能ならば共に時を過ごしたいと思う。
自分にとって姉のような彼女。
離れていても、いつも支えてくれている気がしていた。
カランカラン
店のドアのベルが鳴る。
「おかえりなさい。
早かったね」
少し緊張しているのは、自分でもわかっている。
だって。
「ただいま」
今日も怪我をいっぱいした小狼君。
でも、汚れ具合がいつもよりもましかな、と思う。
「治療、してきてあげて」
ファイさんに救急箱を渡されて、私は小狼君に駆け寄る。
「今日も今日で厳しい先生だね」
ファイさんの方に歩いていく黒鋼さん。
「このくらいの怪我で慣れればいい」
その言葉の裏には、大けがをすることを心配している響きがあって、黒鋼さんのそんなところが大好き。
小狼君の怪我の治療が終われば夕食の時間。
今日のご飯はシチュー。
ファイさんの作るシチューは、私が食べたことのあるのとは少し違ったけれど、とってもおいしい。
まだ前の記憶がそれほど戻ったわけではないけれど、玖楼国でもこうやってみんなで食卓を囲んでいた。
それが楽しくて、ご飯は何倍もおいしく感じた。
龍王がチョコレートの話をするから、なんだか気になってしまって、気になるたびに何を考えているんだと自己嫌悪してしまう。
きっと黒鋼さんはそれに気づいている。
だから蘇摩さんとの買い物から帰ってきたときにおれの様子を見て、今日の鍛錬を早めに切り上げたのだろう。
まだできると言うおれに、
「でも気になるんだろう?」
と言って頭をわしゃわしゃと撫でた。
黒鋼さんは厳しい人だ。
おれのわずかな隙をも見つけてしまう。
徹底的に鍛錬してくれる。
でもその分、どこか力を抜かせてくれる人だった。
結局帰りに姫にあげるチョコレートを買うのにまで付き合ってもらった。
帰って夕食を食べているとだんだん気も落ち着いてくる。
それはいつも通りのファイさんと黒鋼さんとモコナがいてくれるからかもしれない。
食後に紅茶を飲んで、おれは夜の仕事に備えて一度部屋にあがった。
黒鋼さんとファイさんは新種の鬼児のうわさについて何やら話しているようだった。
おれはベットに座って目を閉じる。
ものの気配を、感じるために。
部屋にある生きていないもの、家具の存在。
生きている植物の存在。
何となくだけれど、わかるようになってきているのが嬉しい。
おれも、黒鋼さんのように、誰かを守れる人に一歩近づいていけている気がして。
ドアの外にいるのは、間違うはずもない気配。
「小狼君、ちょっといいかな?」
おれは目を開けて、どうぞ、と返事をした。
すうっとドアがあいて、姫が顔を出す。
「小狼君、あの、ね」
おれの傍までやってくると姫は背中に隠した手をおれの前に出した。
そこにあったのはちいさなハート形の箱。
「桜都国では、もうすぐいつもお世話になっている人や、それから、大好きな人にチョコレートをあげるバレンタインっていう行事があるんだって。
だから、」
姫はちょっとだけ恥ずかしそうに、そう言った。
「ありがとう、小狼君」
その笑顔はいつ見てもおれを温かい気持ちにしてくれる。
それはおれにとってもちろん感謝の対象であり、
思いを寄せるもの。
だから。
「姫」
オレもチョコレートを差し出す。
「こちらこそ、ありがとうございます」
キッチンの戸棚に隠してある赤い箱に入ったチョコレート。
今日サクラちゃんと譲刃ちゃんと一緒に結局作ったものだ。
「きっと黒鋼さん喜んでくれますよ、甘いもの、大好きですもん!」
そんなこと一言もそんなことは聞いたことはないが、
確かに黒ぴっぴは甘いものは好きだろうとは思う。
ただ、ただ問題はこれがバレンタインのチョコレートだと言うこと。
こんなこと気にするなんて馬鹿げている。
ただの義理チョコだ。
いつも旅をしている仲間に、労をねぎらう"振り"をして渡すことなど、
笑顔を張りつけることと何も変わらない。
変わらないはずなのに、オレの気持ちが、そうできない。
不意に聞こえた物音に、はっとしてキッチンに行けば。
「黒たん、なに、してるの?」
戸棚を、それもチョコレートを隠した戸棚を開けている黒様。
その戸棚は高いところにあって、彼女の手が届くか届かないかくらいだから、
隠したつもりになっていたのに。
「この前の茶が飲みたい。
この棚に茶葉を直すのを見たから」
首を微かにかしげてそう答える。
でもその手にはチョコレートの箱がある。
「まずかったか?」
そう問いながらそのチョコレートを棚に戻した。
「……いや、そんなことないよ」
黒むーはたぶん気づいている。
どんなに笑顔を張りつけても。
「悪い」
だからほら、どこか気まずそうに謝って。
それはいつもよりもどこか困った顔をしているように見えた。
赤い瞳が、オレの足元をうろうろして、それから彼女はオレの横を通って行ってしまった。
お茶を入れることなく。
「黒様?」
オレの声を無視して。
一体どうしたのだろう。
棚のところに行って覗けば、オレのチョコレートの下に、小さな箱がある。
まさかと思って取り出せば、
深い青色の箱にかけられた金色のリボン。
そのリボンにつけられたカードには「St. Valentine's day」の文字。
まさか。
「黒むー、寝てるの?」
部屋に入っても明かりが消えている。
彼女がオレの物音に目が覚めないはずがない。
「黒ぴっぴ?」
変な名前で呼ぶなという返事もない。
「黒たん?」
蒲団にくるまって壁を向いている背中。
「なにも言うな」
小さなかすれた声がした。
「蘇摩の付き合いで買っただけだ。
捨ててかまわない」
彼女にしては珍しいことだと思った。
黒様も、何かを抱えていることは知っている。
だって、あれだけ強いんだ。
きっとそれにはきっかけがある。
前に大きな湖のある国で両親のことは聞いた。
きっとほかにも、彼女はいろんなものを背負っている。
細く、小さな背中で。
だから。
「ごめんね」
オレが背負うのは不幸。
知っている、オレは彼女の大切なものを、きっと奪う。
否、奪わなければならない。
君も不幸にする。
不幸のどん底に突き落とす。
でも、そうしないと。
「ごめんね」
枕元に置いたのは赤い箱に銀色のリボンのチョコレート。
謝罪の言葉しか言えない。
感謝の思いも、愛の言葉もない。
St. Valentine's day
きっとそれは、チョコレートの甘さを差し引いてもなお苦い