桜都国
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「白饅頭」
襟元を開けて中に入らせると潜り込んで不安げに呟いた。
「モコナだもん」
あれからしばらくたつが、小僧は帰ってこないし、姫も目を開ける気配はない。
姫を肩に担ぐ。
その瞬間、天井が音を立てて軋む。
刀を抜く。
天井を壊して現れたのが巨大な目だった。
剣を構えて、力を込める。
刀身を軸に燃え上がるのは蒼い炎。
「破魔・昇龍閃」
空に駆け上がる龍のような蒼い炎は一瞬で鬼児を巻き込み消し去った。
悪くない剣だ。
そこに生きたものの気配が駆け寄ってくる。
「……お店が」
「こりゃひどいな」
「きゃーちっこいにゃんこさん!」
「ちっこいわんこは?」
先日店にきていた4人だ。
龍王も、蘇摩も無事な様子で、別人なのはわかっていてもほっとしてしまう。
それもつかの間。
身体が部分的に消え始めて驚く。
見れば姫の体も、そして龍王や蘇摩の体もだ。
しかしそれは一瞬で、辺りの景色が一気に変わった。
まるで世界を移動したようだ。
辺りには鬼児が暴れており、酷い惨状だ。
蘇摩達の様子を見たところ、どうやらゲームの世界と現実世界が混在しているらしい。
辺りを見回す俺の目にある人物が飛び込んできた。
「星史郎だ!」
白饅頭が声を上げる。
一際大きな鬼児に乗る星史郎が、俺を見てにこりと笑った。
これは挑発だ。
姫を草薙に、白饅頭を蘇摩に渡す。
「どこにいくの?」
白饅頭が問いかける。
「日付が変わる。
後は……俺の勝手だろう」
小僧の姿は辺りには見えなかった。
どこにいるのか、それともどこにもいないのか、
俺にはわからない。
だが蒼石は俺達を見ているし、星史郎を排除しようとしていた。
となれば、小僧とあの男が蒼石に守られて無事である可能性も高い。
だがその事実は関係ないのだ。
今俺達を殺そうとしたという事は、今後の旅の中で狙われる可能性も充分ある。
彼は敵だ。
ならば選択肢は一つーー
(殺る気だ)
彼女の背中を見た4人は確信した。
夢卵 の初心者記憶操作は解除されていることは分かっていたが、ゲーム初心者であることは、鬼児狩りなのに武器を持たない彼女との会話から明白であった。
となれば、素であれだけの実力をもつことになり、彼女の今までの人生がいかなるものだったのかーー蘇摩と草薙は彼女は現実 では戦闘職種についているのであろうと想像していた。
そんな彼女の殺気を見る限り、あの星史郎という男がいかに危険な人物か、想像に容易く、彼女の本気が見れるのは今だけに違いないと視線を向けた。
壊された観覧車の柱に飛び乗れば、
星史郎はこっちに目を向けて微笑んだ。
気にくわない。
「『猫の目』にいた男を殺したのはお前か?」
あれほど気にくわなかった男よりも、ずっと、ずっと気にくわない。
「はい」
表情一つ変えずに、微笑んだままそう答えた。
「少年もお前が殺したのか?」
「殺しました」
師に、殺される恐怖など、俺にはわからない。
ただ、殺した時のあの嫌な感覚だけは、今でも覚えている。
「わかった」
それを難なくやってのけ、微笑みを浮かべられるこんな男には、わざわざ感情を伏せる必要などない。
知られたところで困りはしないのだ。
なぜなら、この後すぐに。
「お前は俺が斬る」
刀を引き抜き、襲いかかる。
しかし斬れた感触はない。
かすかに触れたのは、男のマントだけだった。
「避けきれたと思ったんですが」
「真っ二つにしたつもりだったのだが」
男は眼鏡をかけた。
「久しぶりに楽しい時間になりそうですね」
千歳さんからここが桜花国の妖精遊園地であること、桜都国が夢卵というアトラクションの仮想現実であったこと、そして干渉者によって二つの世界がつながりつつあることを知った。
では、サクラ姫や、モコナや、黒鋼さんは今どこにいるのだろうか。
この事実を知らないまま、危険な目に会っているのではないだろうか。
おれは桜花国の管理室から出ようと走り出す。
「小狼君?」
驚いたように声をかけるファイさんを振り返る。
「姫たちを探しに行きます!」
「それなら見つけたかもー」
その声に慌てて戻って、彼の指さすモニターを見れば、確かに草薙さんに抱えられた姫と、蘇摩さんの手にのるモコナが見えた。
「黒鋼さんは?」
「黒ワンコはこっちー」
ファイさんの指先は、観覧車の鉄筋に向かう。
そこには、星史郎さんと対峙する黒鋼さんの姿があった。
その表情は。
「黒りんって、こんな表情 することあるんだね」
見たことがなかった。
いつもは失くしているのかと思うほど表情のない黒鋼さんが、星史郎さんを激しい憎悪の眼差しで睨みつけている。
目を向けられていないこっちまで、背筋が寒くなるほどの怒りを、その紅い瞳に覚えた。
「小狼君のこと、すっごく心配してたんだ」
眉を少し下げてそう呟くファイさん。
この人はいつもそうだ。
誰かを大切にして、どこか自分の存在を否定しようとして、そして自らを傷つけるのが癖のようになっている。
「黒鋼さんは、ファイさんが殺されたんじゃないかって、血相変えていました」
その言葉に、ファイさんの片眉が上がる。
「おれのことももちろん怒ってくれているとは思います。
でも、今、これだけ怒っているのは、ファイさんのこともすっごく大事だったからです」
蒼い瞳が、虚を突かれたように見開かれた。
考古学を勉強していると、その世界に生きていた人がそのコミュニティの概念に縛られて生きていたことを痛感する。
時代が変われば気にかけない些細なことで命を奪われたり権威を得たりすることなど山ほどあった。
ファイさんがどんなどんな価値観の世界で生きてきたのか、おれはまだ理解できていない。
彼が何故、そんなに自分を傷つけてしまうかも。
でもそれが彼にとって幸せでなかった事もあるのだということはわかる。
おれ達にいつも優しくしてくれるこの人にも幸せになってほしいーーまだ子どもな、おれが思うのも傲慢かも知れないけれど。
「行きましょう。
星史郎さんはーー本気だ」
ファイさんだけじゃない。
この度を共にする人みんなが、温かい気持ちになれたらいい。
姫のように、そして、姫がおれを溶かしてくれたように。
飛び上がり、体重をかけてスピードをつけて斬り込むも、男はそれを受け止める。
激しい音を立てて、刀から火花が散った。
楽しげにゆがめられた口元。
彼も一種の戦闘狂かもしれない。
次の瞬間、刀が液体のようになり、虚を突かれた俺は彼が頭上に身体をひらめかせるのを許した。
しかし、背後から再び襲われることまでは許しはしない。
降りかかってきた剣戟は重く、刀がカタカタと鳴った。
彼は不意に刀を持つ俺の手をつかむ。
まずい、
そう思った時には体が宙に浮いていた。
追ってくる複数の剣戟が視界に入るので、慌ててマントで身を守る。
建物の上に着地した俺のひだりの米神にうっすらとした痛みが走る。
星史郎も俺の後を追って建物の上に軽い音を立てて降り立つ。
「あなたのそのマント、便利ですね」
彼は手に持つ鬼児の刀を見下ろし、そしてその柄に手をかけ、驚くことに引き裂いた。
鬼児の断末魔と共に現れた、美しくも禍々しい気を放つ剣。
彼はにこりと笑う。
マントの効能に気づいたのだろう。
その発動条件についても仮説を立てたに違いない。
「小狼も剣を持っていましたね。
教えているのは貴方ですか?」
その言葉に、俺は一瞬考える。
”教えていた”のではなく、
”教えている”この男の言葉はまるで。
「もう一度聞く。
少年を本当に殺したのか?」
「僕の質問は無視ですか?」
にっこり、
そう言うのがぴったりな笑顔。
間違いない。
少年は、生きている。
もしかしたら。
「猫の目の奴も、本当に殺したのか?」
彼はやはり表情を変えない。
違う、俺の言う「殺す」と彼の「殺す」の意味が違うのだろう。
わざとはぐらかしたに違いない。
「でも、僕は誰であれ、殺しますよ。
目的を遮るならば」
だがたとえ今、二人を殺していなくても、彼の言葉が本当ならば。
「殺しておいて損はない」
「私もちょうどそう思ったところです。
貴方は素晴らしい人だ」
スローモーションのように、星史郎の体が近づいてくる。
ーー斬り殺す。
彼も、そう強く思っているのが分かった。
俺も相手の動きを寸分違わず見ようと目を見開き、そして刀を振る。
目の端に入ったものに俺も星史郎も衝突の寸前で何とかスピードを殺す。
足元に刺さったのは一本の矢。
「なんでしょう。
これは」
飛んできた方を見れば、小僧とその頭に乗る口をあけた白饅頭。
(ああ、あれから出てきたのか)
その横でぱちぱちと手をたたく男。
「……まったく」
そう呟けば3人は俺を見た。
煙と、炎と、遠い距離。
その中でも、3人が、優しく、でも信頼の眼差しで俺を見ている。
「ちゃんとこっちに戻っていたようですね」
星史郎の言葉が、まるで2人のことを少しでも案じていたように聞こえて、俺はわからない奴だ、と思った。
ポウッ
不意に星史郎の胸元が光る。
彼自身驚いた顔をしているから、予想外の出来事なのだろう。
しかし、その光と共に現れたものは。
「サクラ姫の羽根!?
どうして星史郎さんが!?」
小僧の声に彼は笑顔を見せ、俺の方を見た。
「この羽根は僕にも制御できないんです。
勝負の決着はまたいずれ」
また世界を渡っていくつもりなのだろう。
「待ってください!」
そこに飛び込んできた小僧。
「その羽根はおれの大切な人のとても大切なものなんです」
「でも帰してあげられないな。
ごめんね」
少年の目は苦しげに細められた。
「僕と戦うのかな」
「おれは貴方に勝てないと、桜都国で一度戦ってよくわかりました。
けれど、その羽根を取り戻すって、決めたんです」
俺はことの行く先を見守る。
あの星史郎は食えない奴だが、物のわからない奴ではない。
情があるのか、小僧をどう思っているのか、俺にはわからないが、今ここで小僧を殺さないことは分かった。
あいつの目は、待っている。
少年がもっと強くなることを、望んでいる。
もしかしたら少年の夢が、叶うこともーー
「まだ未熟なおれにはこの剣はきっと扱いきれない。
けれど抜かないままでは万に一つも勝ち目はない。
だから、わずかな可能性があるならそれに賭けます」
彼の目は、人を殺す者の目だ。
だが炎の灯る剣を見る星史郎の目は、やはり師の目だった。
「炎の剣か、小狼にぴったりだね。
きっと君はもっと強くなれる。
これから様々な出来事を経て、もっともっと。
その先にある事実がたとえ望むものでなくとも、
その強さが君を支え導く」
次元移動が始まっている彼は、羽根を片手に、またにこりと微笑む。
「新しい先生の言うことをしっかり聞くんだよ。
彼女はいい師だ」
女だと見抜かれていたことに、心の中でため息をついた。
「きっとまた会うことになるだろう。
だから、じゃあまた、小狼」
彼は望んでいるのだろうか。
このまっすぐな少年にまた出会えることを。
彼の成長を、また見られることを。
「星史郎さん!」
小狼は消えていく星史郎に向かって刀を振り下ろす。
その頃には星史郎はこの世界から旅立っていしまっていた。
悔しさが緋炎を昂ぶらせ、
刀にともる炎がどんどん大きくなっていく。
ぐっと柄を握り締める少年は、悔しさとその刀の熱さに刃を食いしばっていた。
まったく、世話の焼ける奴だ。
俺は少年の背後にまわり、後ろからその剣をつかむ手を包む。
「この悔しさを忘れるな。
あいつの言う通り、お前はもっと強くなれる。
次を逃すな、決して」
彼の感情の沈化と共に緋炎の炎が徐々に収まる。
俺は手を離し、立ち上がった。
小僧も俯き加減でだが、立ち上がる。
「黒りんー!
小狼くーん!」
少し聞かなかっただけなのに、懐かしい声が俺達を呼ぶ。
そちらを見ればいつの間にか姫を抱き白饅頭を頭に乗せた男が眉尻を下げた。
「もうこの国ともお別れかもー」
どこか残念そうなその声。
彼ももしかしたら、あの店を、この世界を、穏やかな日常を、気に入っていたのかもしれない。
「ちっこいわんこ!」
龍王が小僧を呼ぶ。
歳も近く、仲もよかった二人。
叶うならもう少しだけ、共に居させてあげたかったし、その姿を見守りたかった。
俺よりも小さくなってしまったーあの龍王と同じ魂を。
「小狼って言うんだ!
本当の名前!!」
「シャオラン!
また会えるよな!」
「わからない。
でも、諦めない。
強くなる、もっと」
あの、ニカッとした眩しい笑顔で、龍王は拳を突き出す。
「おう」
そして彼はちらりと俺を見た。
柄にもなくどきりと心臓が音をたてる。
視線はすぐ小僧に戻ってしまった。
「俺も強くなる!もっと!」
白饅頭の力に吸い込まれる。
小さくなっていく龍王に伸ばしたくなる手。
蒼氷を握ることで耐える。
もう彼には俺は見えないだろう。
そう分かっていても、俺はひとつ、本当に小さく、ひとつ頷いた。
襟元を開けて中に入らせると潜り込んで不安げに呟いた。
「モコナだもん」
あれからしばらくたつが、小僧は帰ってこないし、姫も目を開ける気配はない。
姫を肩に担ぐ。
その瞬間、天井が音を立てて軋む。
刀を抜く。
天井を壊して現れたのが巨大な目だった。
剣を構えて、力を込める。
刀身を軸に燃え上がるのは蒼い炎。
「破魔・昇龍閃」
空に駆け上がる龍のような蒼い炎は一瞬で鬼児を巻き込み消し去った。
悪くない剣だ。
そこに生きたものの気配が駆け寄ってくる。
「……お店が」
「こりゃひどいな」
「きゃーちっこいにゃんこさん!」
「ちっこいわんこは?」
先日店にきていた4人だ。
龍王も、蘇摩も無事な様子で、別人なのはわかっていてもほっとしてしまう。
それもつかの間。
身体が部分的に消え始めて驚く。
見れば姫の体も、そして龍王や蘇摩の体もだ。
しかしそれは一瞬で、辺りの景色が一気に変わった。
まるで世界を移動したようだ。
辺りには鬼児が暴れており、酷い惨状だ。
蘇摩達の様子を見たところ、どうやらゲームの世界と現実世界が混在しているらしい。
辺りを見回す俺の目にある人物が飛び込んできた。
「星史郎だ!」
白饅頭が声を上げる。
一際大きな鬼児に乗る星史郎が、俺を見てにこりと笑った。
これは挑発だ。
姫を草薙に、白饅頭を蘇摩に渡す。
「どこにいくの?」
白饅頭が問いかける。
「日付が変わる。
後は……俺の勝手だろう」
小僧の姿は辺りには見えなかった。
どこにいるのか、それともどこにもいないのか、
俺にはわからない。
だが蒼石は俺達を見ているし、星史郎を排除しようとしていた。
となれば、小僧とあの男が蒼石に守られて無事である可能性も高い。
だがその事実は関係ないのだ。
今俺達を殺そうとしたという事は、今後の旅の中で狙われる可能性も充分ある。
彼は敵だ。
ならば選択肢は一つーー
(殺る気だ)
彼女の背中を見た4人は確信した。
となれば、素であれだけの実力をもつことになり、彼女の今までの人生がいかなるものだったのかーー蘇摩と草薙は彼女は
そんな彼女の殺気を見る限り、あの星史郎という男がいかに危険な人物か、想像に容易く、彼女の本気が見れるのは今だけに違いないと視線を向けた。
壊された観覧車の柱に飛び乗れば、
星史郎はこっちに目を向けて微笑んだ。
気にくわない。
「『猫の目』にいた男を殺したのはお前か?」
あれほど気にくわなかった男よりも、ずっと、ずっと気にくわない。
「はい」
表情一つ変えずに、微笑んだままそう答えた。
「少年もお前が殺したのか?」
「殺しました」
師に、殺される恐怖など、俺にはわからない。
ただ、殺した時のあの嫌な感覚だけは、今でも覚えている。
「わかった」
それを難なくやってのけ、微笑みを浮かべられるこんな男には、わざわざ感情を伏せる必要などない。
知られたところで困りはしないのだ。
なぜなら、この後すぐに。
「お前は俺が斬る」
刀を引き抜き、襲いかかる。
しかし斬れた感触はない。
かすかに触れたのは、男のマントだけだった。
「避けきれたと思ったんですが」
「真っ二つにしたつもりだったのだが」
男は眼鏡をかけた。
「久しぶりに楽しい時間になりそうですね」
千歳さんからここが桜花国の妖精遊園地であること、桜都国が夢卵というアトラクションの仮想現実であったこと、そして干渉者によって二つの世界がつながりつつあることを知った。
では、サクラ姫や、モコナや、黒鋼さんは今どこにいるのだろうか。
この事実を知らないまま、危険な目に会っているのではないだろうか。
おれは桜花国の管理室から出ようと走り出す。
「小狼君?」
驚いたように声をかけるファイさんを振り返る。
「姫たちを探しに行きます!」
「それなら見つけたかもー」
その声に慌てて戻って、彼の指さすモニターを見れば、確かに草薙さんに抱えられた姫と、蘇摩さんの手にのるモコナが見えた。
「黒鋼さんは?」
「黒ワンコはこっちー」
ファイさんの指先は、観覧車の鉄筋に向かう。
そこには、星史郎さんと対峙する黒鋼さんの姿があった。
その表情は。
「黒りんって、こんな
見たことがなかった。
いつもは失くしているのかと思うほど表情のない黒鋼さんが、星史郎さんを激しい憎悪の眼差しで睨みつけている。
目を向けられていないこっちまで、背筋が寒くなるほどの怒りを、その紅い瞳に覚えた。
「小狼君のこと、すっごく心配してたんだ」
眉を少し下げてそう呟くファイさん。
この人はいつもそうだ。
誰かを大切にして、どこか自分の存在を否定しようとして、そして自らを傷つけるのが癖のようになっている。
「黒鋼さんは、ファイさんが殺されたんじゃないかって、血相変えていました」
その言葉に、ファイさんの片眉が上がる。
「おれのことももちろん怒ってくれているとは思います。
でも、今、これだけ怒っているのは、ファイさんのこともすっごく大事だったからです」
蒼い瞳が、虚を突かれたように見開かれた。
考古学を勉強していると、その世界に生きていた人がそのコミュニティの概念に縛られて生きていたことを痛感する。
時代が変われば気にかけない些細なことで命を奪われたり権威を得たりすることなど山ほどあった。
ファイさんがどんなどんな価値観の世界で生きてきたのか、おれはまだ理解できていない。
彼が何故、そんなに自分を傷つけてしまうかも。
でもそれが彼にとって幸せでなかった事もあるのだということはわかる。
おれ達にいつも優しくしてくれるこの人にも幸せになってほしいーーまだ子どもな、おれが思うのも傲慢かも知れないけれど。
「行きましょう。
星史郎さんはーー本気だ」
ファイさんだけじゃない。
この度を共にする人みんなが、温かい気持ちになれたらいい。
姫のように、そして、姫がおれを溶かしてくれたように。
飛び上がり、体重をかけてスピードをつけて斬り込むも、男はそれを受け止める。
激しい音を立てて、刀から火花が散った。
楽しげにゆがめられた口元。
彼も一種の戦闘狂かもしれない。
次の瞬間、刀が液体のようになり、虚を突かれた俺は彼が頭上に身体をひらめかせるのを許した。
しかし、背後から再び襲われることまでは許しはしない。
降りかかってきた剣戟は重く、刀がカタカタと鳴った。
彼は不意に刀を持つ俺の手をつかむ。
まずい、
そう思った時には体が宙に浮いていた。
追ってくる複数の剣戟が視界に入るので、慌ててマントで身を守る。
建物の上に着地した俺のひだりの米神にうっすらとした痛みが走る。
星史郎も俺の後を追って建物の上に軽い音を立てて降り立つ。
「あなたのそのマント、便利ですね」
彼は手に持つ鬼児の刀を見下ろし、そしてその柄に手をかけ、驚くことに引き裂いた。
鬼児の断末魔と共に現れた、美しくも禍々しい気を放つ剣。
彼はにこりと笑う。
マントの効能に気づいたのだろう。
その発動条件についても仮説を立てたに違いない。
「小狼も剣を持っていましたね。
教えているのは貴方ですか?」
その言葉に、俺は一瞬考える。
”教えていた”のではなく、
”教えている”この男の言葉はまるで。
「もう一度聞く。
少年を本当に殺したのか?」
「僕の質問は無視ですか?」
にっこり、
そう言うのがぴったりな笑顔。
間違いない。
少年は、生きている。
もしかしたら。
「猫の目の奴も、本当に殺したのか?」
彼はやはり表情を変えない。
違う、俺の言う「殺す」と彼の「殺す」の意味が違うのだろう。
わざとはぐらかしたに違いない。
「でも、僕は誰であれ、殺しますよ。
目的を遮るならば」
だがたとえ今、二人を殺していなくても、彼の言葉が本当ならば。
「殺しておいて損はない」
「私もちょうどそう思ったところです。
貴方は素晴らしい人だ」
スローモーションのように、星史郎の体が近づいてくる。
ーー斬り殺す。
彼も、そう強く思っているのが分かった。
俺も相手の動きを寸分違わず見ようと目を見開き、そして刀を振る。
目の端に入ったものに俺も星史郎も衝突の寸前で何とかスピードを殺す。
足元に刺さったのは一本の矢。
「なんでしょう。
これは」
飛んできた方を見れば、小僧とその頭に乗る口をあけた白饅頭。
(ああ、あれから出てきたのか)
その横でぱちぱちと手をたたく男。
「……まったく」
そう呟けば3人は俺を見た。
煙と、炎と、遠い距離。
その中でも、3人が、優しく、でも信頼の眼差しで俺を見ている。
「ちゃんとこっちに戻っていたようですね」
星史郎の言葉が、まるで2人のことを少しでも案じていたように聞こえて、俺はわからない奴だ、と思った。
ポウッ
不意に星史郎の胸元が光る。
彼自身驚いた顔をしているから、予想外の出来事なのだろう。
しかし、その光と共に現れたものは。
「サクラ姫の羽根!?
どうして星史郎さんが!?」
小僧の声に彼は笑顔を見せ、俺の方を見た。
「この羽根は僕にも制御できないんです。
勝負の決着はまたいずれ」
また世界を渡っていくつもりなのだろう。
「待ってください!」
そこに飛び込んできた小僧。
「その羽根はおれの大切な人のとても大切なものなんです」
「でも帰してあげられないな。
ごめんね」
少年の目は苦しげに細められた。
「僕と戦うのかな」
「おれは貴方に勝てないと、桜都国で一度戦ってよくわかりました。
けれど、その羽根を取り戻すって、決めたんです」
俺はことの行く先を見守る。
あの星史郎は食えない奴だが、物のわからない奴ではない。
情があるのか、小僧をどう思っているのか、俺にはわからないが、今ここで小僧を殺さないことは分かった。
あいつの目は、待っている。
少年がもっと強くなることを、望んでいる。
もしかしたら少年の夢が、叶うこともーー
「まだ未熟なおれにはこの剣はきっと扱いきれない。
けれど抜かないままでは万に一つも勝ち目はない。
だから、わずかな可能性があるならそれに賭けます」
彼の目は、人を殺す者の目だ。
だが炎の灯る剣を見る星史郎の目は、やはり師の目だった。
「炎の剣か、小狼にぴったりだね。
きっと君はもっと強くなれる。
これから様々な出来事を経て、もっともっと。
その先にある事実がたとえ望むものでなくとも、
その強さが君を支え導く」
次元移動が始まっている彼は、羽根を片手に、またにこりと微笑む。
「新しい先生の言うことをしっかり聞くんだよ。
彼女はいい師だ」
女だと見抜かれていたことに、心の中でため息をついた。
「きっとまた会うことになるだろう。
だから、じゃあまた、小狼」
彼は望んでいるのだろうか。
このまっすぐな少年にまた出会えることを。
彼の成長を、また見られることを。
「星史郎さん!」
小狼は消えていく星史郎に向かって刀を振り下ろす。
その頃には星史郎はこの世界から旅立っていしまっていた。
悔しさが緋炎を昂ぶらせ、
刀にともる炎がどんどん大きくなっていく。
ぐっと柄を握り締める少年は、悔しさとその刀の熱さに刃を食いしばっていた。
まったく、世話の焼ける奴だ。
俺は少年の背後にまわり、後ろからその剣をつかむ手を包む。
「この悔しさを忘れるな。
あいつの言う通り、お前はもっと強くなれる。
次を逃すな、決して」
彼の感情の沈化と共に緋炎の炎が徐々に収まる。
俺は手を離し、立ち上がった。
小僧も俯き加減でだが、立ち上がる。
「黒りんー!
小狼くーん!」
少し聞かなかっただけなのに、懐かしい声が俺達を呼ぶ。
そちらを見ればいつの間にか姫を抱き白饅頭を頭に乗せた男が眉尻を下げた。
「もうこの国ともお別れかもー」
どこか残念そうなその声。
彼ももしかしたら、あの店を、この世界を、穏やかな日常を、気に入っていたのかもしれない。
「ちっこいわんこ!」
龍王が小僧を呼ぶ。
歳も近く、仲もよかった二人。
叶うならもう少しだけ、共に居させてあげたかったし、その姿を見守りたかった。
俺よりも小さくなってしまったーあの龍王と同じ魂を。
「小狼って言うんだ!
本当の名前!!」
「シャオラン!
また会えるよな!」
「わからない。
でも、諦めない。
強くなる、もっと」
あの、ニカッとした眩しい笑顔で、龍王は拳を突き出す。
「おう」
そして彼はちらりと俺を見た。
柄にもなくどきりと心臓が音をたてる。
視線はすぐ小僧に戻ってしまった。
「俺も強くなる!もっと!」
白饅頭の力に吸い込まれる。
小さくなっていく龍王に伸ばしたくなる手。
蒼氷を握ることで耐える。
もう彼には俺は見えないだろう。
そう分かっていても、俺はひとつ、本当に小さく、ひとつ頷いた。